玉響の奇跡

夕凪桜雪

ホワイトクリスマスの少女

 リン…リン…リン

 クリスマスツリーに飾れられたオーナメントの鈴の音が響く。

 私は八歳になった息子の手を握り、ネオンが煌めく街中を早足で通り過ぎる。

 クリスマスに浮かれる賑やかな若者たちの声が聞こえる。この特別な日を精一杯楽しむように。


「わぁぁ!きれい!」


 賑やかな街中に、一際響く女の子の歓声が聞こえた。

 振り返ると、道行く人々も釣られて足を止めていた。一番大きなクリスマスツリーがライトアップされたのだ。先程から煌びやかで華やかだった街中に、更に輝きが増した。ここ一帯が光に包まれ、まるでどこか違う世界に来たのではないかと錯覚しそうになる。

 私は、心臓を掴まれたかのように胸がぎゅっと苦しくなった。気づくと涙が一筋零れていた。


「ママ、大丈夫?」


 不安げな瞳で私を見つめる。ハッと我に返って、


「大丈夫よ、ごめんね。行こっか」


 涙を拭いながら、その場を後にした。



 私は、みいな。美唯花って書くの。美しい唯一の花って意味でお母さんが付けてくれたんだ!素敵でしょ?

 今ね、お母さんと弟が帰ってくるのを待ってるんだ。みいなは一人でお留守番してるの。今日はクリスマスだから、お部屋いっぱい飾り付けをしてみたの。みいなはクリスマスがだぁい好き!帰ってきたら喜んでくれるかなぁ?



 あ!帰ってきたみたい!

 二人ともお帰り〜!ねえ、見て!これ全部私が一人で飾り付けしたんだよ!すごいでしょ?びっくりした?褒めて褒めて!


「美唯花、メリークリスマス。今日は一年であなたが一番大好きな日ね。輝く街を見て、まるで世界に魔法がかかったみたいって、嬉しそうに話していたね」


 うん!すっごくわくわくするんだぁ!


 お母さんは、この時期になると毎年写真立てに話しかけるようになった。


 ねえ、お母さん!この飾り付けどう?みいなひとりでやってみたんだぁ!


 お母さんは写真立ての前に居たまま、辛そうな顔をする。それを見た弟も悲しそうな顔をする。


 ほらほら、クリスマスにそんな暗い顔しちゃダメだって!笑って笑って!

 むぅ、じゃあみいなが変顔してあげる。見て!どう?面白いでしょ?


 お母さんも弟も俯いたまま反応がない。


 しょうがないなぁ。全く、世話が焼けるんだから!これならどう?!


 部屋の窓がカタカタと音を立てる。私は、先程まで閉まっていた筈の窓が少しだけ空いているのに気づく。

 開けた記憶が無いのにどうして…と不思議に思い、窓に近づく。すると、頬に冷たい何かが触れた。


「雪…そっか、今日はホワイトクリスマスなのね」


 街が銀色に染まる。吐いた息が白くなった。手をかざすと、綿のような雪がそっと溶けて消えていく。


「あの時もこんな雪だった…」


 ーお母さん、見て!雪が降ってきたよ!クリスマスに雪が降るとね、ホワイトクリスマスになるんだって!お母さん知ってた?

 ーふふっ美唯花は物知りね。

 ーみいなはクリスマスのことなら何でも知ってるよ。大好きだもん!あっ、クリスマスツリーが白くなってる!きれい!

 ー雪化粧って言うのよ。年に一度の特別な日だから、ツリーもお化粧したくなったのかしら。

 ーじゃあみいなもお化粧する!雪をいっぱい集めて、雪化粧やりたい!

 ー良いアイディアね。でもね、雪は恥ずかしがり屋さんだから、人に触れられると消えちゃうの。だから、今日は一面に染まった銀世界を楽しむのはどうかな?

 ー銀世界?

 ーええ。雪が光に照らされてきらきら輝くのよ。

 ーわあぁ!素敵!みいなそれ見たい!お母さん早く見に行こう!

 ーちょっと、走ると転ぶわよ!

 ーへーきへーき!


 もう二年前のことになる。当時十歳だった娘の最後の記憶。二年経った今でも心にしこりが残っている。クリスマスが大好きだった娘。だからこそ、美唯花がいないこの世界で、自分がクリスマスを楽しむことは到底できない。そのせいで、息子には辛い思いをさせてしまっている。まだ八歳なのに、私に気を遣って我慢をさせてしまっている。私は母親失格だ。ごめんね、ごめんね二人とも。毎年、後悔しては不甲斐なさを感じて自責の念に駆られる。


 すると、

 リン…リン…リン

 鈴の音が響いた。


「…?」


 どこから響いているのだろう。不思議に思って窓の外を見てみると、ぼぅっと淡い光が瞳に映った。

 それはだんだんはっきりと輪郭を現していき、そこには少女の姿があった。


「…美唯花…?」


 間違える筈のない、愛しい娘がそこには居た。


 もう!また暗い顔して謝ってばっかり!みいなはお母さんに悲しんでほしいんじゃない!もっと楽しんでもらいたいんだよ、みいなが大好きなクリスマスを!


「美唯花、どうして…」


 もう姿を見ることは出来ない筈の最愛の娘が目の前にいる。都合の良い夢でも見ているのだろうか。そう思ってしまう程に、私はこの娘に会いたかったのだ。


 みいな、ずっと見てた。みいながいなくなってから、ずっと暗い顔ばっかりしてたこと知ってるよ。だから、今日こそは会いにきたの!みいなはずっと心の中にいる!って、ずっと見守ってる!って、ちゃんと伝えるために。だから笑って?悲しい顔してたらみいなが悲しい。何より、みいなが大好きなクリスマスを楽しまないなんて許さないんだから!


「…美唯花。そうね。ほんとにそう。美唯花の言う通り。私、全然わかってなかった。気づかせてくれてありがとう、美唯花。」


 涙が溢れて止まらない。


 美唯花は物知りだからね!お母さんが傷ついていたことも知ってるよ。だけどそんな姿見たくないから。ずっとずっとこの先も笑っていてほしいから。だから今日、ちゃんと伝えられてよかった。全く世話が焼けるんだから!


「ふふっ本当に。お世話になりました」


 憑き物が落ちたかのように晴れやかな笑顔で笑い合う。それを見た息子も安心したように笑顔の花を咲かせた。


「ママ、良かった。ずっと元気がなかったから。やっとママの笑顔が見れた」


 ふわりとした息子の曇りのない澄んだ笑顔を見て、私は力強く息子を抱きしめる。


「ママ、痛いよ」


「ごめん、ごめんね…」


 本当に私は馬鹿で愚か者だ。こんなに近くにいたのに、気づかないふりをしていた。こんな情けない母親を隣で支えてくれていたのに。同じように辛くても悲しくても、息子はちゃんと前を向いていた。私は、現実にも息子にも向き合えていなかった。


「今まで辛い思いをさせたね。でももう大丈夫だから。これからは前を向いて歩けるから、この先もこんなお母さんの傍にいてくれる?」


「もちろんだよ!ママ、ママぁ!」


 堰を切ったかのように涙が溢れ出す。

 この小さな体から背負った重い荷物が消えていく。お互いに目を腫らしながら泣きじゃくった。

 ひとしきり泣いたら気分がスッキリした。

 やっと日常を取り戻した感じがした。二人の時間がここから動き出す。"二人"というところにチクリと胸が痛んだけれど、向き合うと決めた。だから…


 じゃあ、みいなはもう行くね。みいなの姿は見えなくなっちゃうけど、傍で見守っているから。寂しいことはないよ。心の中でいつでも会えるから!


 美唯花の身体が光に包まれる。脚が、手が、粒子となって消えていく。


 …なんて、かっこつけてみたけど、やっぱり寂しいなぁ…


 頬に涙が伝う。


 あれ、おかしいな。涙が止まらない。笑わなくちゃ、笑ってお別れしたいのに。後から後から涙が溢れる。ダメだ。まだ伝えきれてない。一番大事なこと。最後に、伝えたかった言葉を…


 ママぁ!みいなをママの子どもにしてくれてありがとう!みいなに弟をくれてありがとう!みいなはこの家族に生まれて幸せだった!美しい唯一の花になって、いつまでも二人の心の中で咲き続けるから!だから、二人もずっとずっといつまでも笑顔を咲かせてね。大好き、大好きだよ!


 "ありがとう"


 美唯花の姿が光の粒子となって完全に消え去ってしまった。最後の言葉は音にならなかったけど、きっと、ありがとうと言っていたのだと思う。


 クリスマス終了まであと4時間。


 街は相変わらず賑やかだ。きっと、今日は休むことなく輝き続けるだろう。


 一つの家に明かりが灯る。

 部屋いっぱいに飾り付けをして、クリスマス用のケーキを運んで、ロウソクを立てて、火をつけて、それから、それから…



 シャン、シャン、シャン…

 鈴が鳴る。

 今宵は楽しいクリスマス。魔法にかかったひとときをご堪能あれ。

 -END-

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