鍵屋

『空気を司(つかさど)る世界』


ここの住人は、そう呼ぶ。


この世界があるからこそ、様々な次元の狭間で、生きとし生ける物の存命は可能になっているといっても過言ではない。


無論命を永らえさせている要素は、多分にある。


その中のほんの一部、されど重要な部分を、この世界は担っているのだ。


蓮の花のように広がる大地は、灼熱の地と極寒の地に分かれてそれぞれが王によって統治されている。




そう、つまりは―

温度を自在に操り、保ち、支配する世界なのだ。



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「うーーーー、だるーい。ありえないしぃ。左京の奴、許さないんだから」





片方だけの翼をバサリバサリ動かして、空の鍵箱を持った右京は今森の上空を飛行中である。




王と共に住む城は、この森を辿り、山を越え、極北の場所にある。




そしてそこにあるのは、ひたすら氷、氷、氷だった。



クリスタルのように光る建物は雪の結晶に覆われ、その景色は年中変わらない。



そこでは、喩(たと)えこの世界の住人であっても、普通生きていく事ができない。



が、反対にそこに住む右京にとっては、民の多い町に近づくにつれて、暑苦しいというか重苦しいというか、とにもかくにも面倒な具合になる。




当然、その町の中にある鍵屋に行くのは、至極億劫なことなのである。





「もう、あたし何回も行ってるのにー」





ぶつぶつとぼやきながらも、速度はかなりのもので、城を出てからものの数分で町が見えてくる。




もうおわかりだろうが、この右京。

只者ではない。

まあ、それはこの世界に只者が居れば、の話だが。


「とうちゃーーく!」


瞬間移動かと見紛うほどの動作で、シュタッと小気味良い音を立てて大地に降り立つと、目の前にあるのは『鍵屋』の看板。


「おーい、鍵師ー!入るよー!」


大きな水晶のような建物は、外にまで紫の煙をうっすら漂わせていて、中に入ると香が鼻に纏わりついた。


「くさい。やめてっていったのにー」


思わず鼻を摘まんで、薄暗い店内を見回していると、奥から声が掛かった。


「いらっしゃい。おやおや、これは。右京じゃないか。」


 皺枯れた声で出迎えたのは、黄金に輝く毛並みの、狐でもないが猫でもない、そんな不思議な生き物だった。

 若草色の動きやすそうな着物の袖はまくられて紐で結わえてある。

 

「どーも。ここんところ、もう鍵師の顔見るのも嫌な位なんだけどね。」


 心底嫌なんです感を顕(あら)わにして溜め息を吐く。そして手にしていた鍵箱をぱかっと開けて見せると、鍵師はわずかに目を見開いた。


 「え。また?」


 こっくり、右京は頷いた。


 「ついこないだ作ったばっかりじゃなかったかな?」


長く蓄えた口元の毛を、同じく毛むくじゃらな前足でワシワシと掴んでは放し、鍵師は訊ねる。


「あたしだってそう思ってますぅー」

 

頬をぷうっと膨らましながら、右京はそっぽを向いた。


 店のあちらこちらに木箱が沢山置かれていて、その全てが調合に使われる材料であった。

 商品となる鍵も、用途別に並べられて、値札が貼られている。しかし、今回王御所網の物(ぶつ)は特注品であり、権限を持つ者でないと手にすることが出来ない。


「何処の空気に必要なんじゃ?」


鍵師は相変わらず髭に前足、いや、手を当てている。

 

「地球、だってさー」


傍にあった藺草(いぐさ)の椅子にどかりと腰を下ろし、最早自分の家状態で寛ぐ右京。


「またか…。わかった。王のご命令じゃ、作ろう。だが、絶対零度の鍵も材料は特級品を厳選しなければならないし、早々作れるものでもない。こんな状態が続けば困ったことになるじゃろうよ。」


 憂いを帯びた碧玉の様な目で、ふっと息を吐いた。

 鍵師が奥で調合を始める音を聞きながら、右京は頭の後ろで手を組み、天井を見上げた。

 描かれている数々の惑星。

 一際目を惹く、青い、星。  


「地球、か。」


批難の気持ちを少しだけ籠めて、呟いた。



「右京…右京!」


いつの間にか眠ってしまっていたらしい右京は、鍵師の声で意識を取り戻す。


「大分、待たせてしまったな。鍵が仕上がった。」


右京は重たく圧し掛かる瞼をなんとかしようと、ごしごし目を擦り、ふあぁと欠伸をした。


「ありがとー。これでまぁ、暫くは大丈夫かなぁー」

 

 差し出された鍵箱を手に取り、中を覗く。


絶対零度の鍵は、

円くて、

蒼く、

そして美しい。


鍵の真ん中に咲く雪の結晶の花は、幻と言われる程希少価値の高いもの。

 

 右京はいまだ、鍵以外で、この結晶に出会えたことがない。


「確かに。」

 

 傷がないかどうか、不備がないかを一応一通り確認してから、右京は頷いた。


「次は別の用件で来ることを祈るよ」


そう言った鍵師の言葉に、


「あたしだってそーしたいよ。ってか次は左京に来させるから。」


 口を尖らせて拗ねたように応えると、代金を支払った。


「もっと、城の近くに開業してくれない?」


自分勝手極まりない事を頼んでみるが、鍵師はにこりと笑う。


「寒いのが苦手でね」


「そっかぁ」


 残念そうに相槌を打ってから、右京は鍵箱を、持ってきた袋に閉まった。



 「よし、と。じゃ、いくねー」

  

ばいばいと手を振って、右京は店を出た。


 「…あれ、珍しいな。」


思わず立ち止まって、掌を前に出し、確かめる。

ぽつ、と雫がその上に落ちた。

寒気がなだれ込むこの地域で、雨は滅多に降らない。いや、一生に何回か見るか見ないか、それ位に珍しい。


普段、漂う水滴は寒さの為、刹那で氷に変わる。


それゆえに、氷霧の方がかなり見慣れているのだが。


「濡れちゃう。早くかーえろ」


別段気にすることも無く、翼を広げる。

そして、一陣の風を起こすと、右京は姿を消した。




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「やっぱり、おかしいなぁ」





異変を再認識したのは、山の中腹辺りを飛んでいる時だった。




雨脚が大分強まり、打ち叩くように右京の翼を濡らしていく。


行きと比べると、スピードが幾分落ちていた。


本来なら城に近づくに連れて寒気が増し、軽くなっていく筈の身体が、やけに重たい。

何かが、いつもと違う。

けれど能天気な右京はそんなことには気づかない。


「疲れてんのかなぁ」

 

コキコキと首を鳴らすと、よし、と気合いを入れ直してみる。


そこへ―


ガガーン!!!!


 「うわぁぁっ」


稲光が走ったかと思うと、激しい音が辺りに響き渡る。思わず耳を塞ぎ、目を瞑った。


音が静まるのを確認して、恐る恐る目を開けると、目の前にあった筈の針葉樹が真っ二つに割かれ、炭と化していた。


驚いた鳥達がバタバタと飛び出しては、逃げて行く。


「び…っくりしたー」


右京は、ドキドキする胸に手を当てて、ほぉーっと息を吐く。


そして、気づく、違和感。


「あ、、あれあれ???」

 

懐に閉まった物の、固い感触が、ない。


「あれあれあれあれー???」


ホバリングしながら、パタパタと自分の身体のあちこちを叩(はた)く。



「……ない…」


さぁーっと顔が蒼くなるのが、自分でも分かった。


「ないないないない!」


あぁぁと自分の服を引っ張ったり、髪の毛を引っ張ったりしてみる。


「これは夢?夢?」


頬をつねる。

痛い。


 「嘘でしょぉ…」

 

 両手で顔を覆い、


「鍵がっ、無いーーーーーーーー!!!!!!!」


絶叫した。


これだけの雨が降っていなければ、右京の声は、確実に木霊となって、山に棲む生き物達を脅かしていただろう。



「お、お、落ち着け、落ち着けあたし。」


明らかに落ち着ける状況ではないし、落ち着いている様子もないが、声に出してみた。


「ま、まず、まず、ままままず、お、落としちゃったのかも、、しれないし…」


うんうんと自分で頷き、同意する。


「この下から、捜してみよう」


そう決めて、急降下した。

雨の強さは相変わらずで、ぐっしょりと濡れた羽や衣服からは水が滴る。


それでも、このまま落としちゃいました、えへ、と帰るわけには行かない。


だって、あれはすごく高い。


右京の頭の中にどっしりと居座っているその言葉は、彼女にとって何より重い。



暫くすると、雨は突然ピタリと止む。

先ほどの豪雨が嘘だったかのように、青空が顔を出した。こんなことも珍しい。


灰色のずっしりと重たそうな雲に覆われている。

それがこの国の『晴れ』の日、である。


恐らく誰もがこの異変に気づいているだろう、そんな中で―


「ふぇーん…」


情けない声を出しながら、来た道を戻る片翼の姿が、森の上空にあった。


あれだけ厳重に閉まった物が、早々落ちる筈はないのだが、どういうわけか、鍵は無く。

勿論、山の中も、散々捜したが、見つからず。


途方に暮れた右京は、仕方なく来た道を戻り、所々気になる箇所で止まっては捜していた。


「…もう、いいや…ツケにしてもらおう…」


本来民間には流れてはならない筈の鍵を紛失したこと自体が大問題なのだが、先程述べた通り、右京の頭を占めるのは金銭問題だけなのだ。


力なく飛びながら、自分の給料の何十年分か、何百年分かを返さなくてはならないと、ローン返済プランを組み立てる。


「無理だ…計算できない…」


途方も無い金額に益々肩を落とした。


「左京に借りるか…いや、半分持たせよう…」


自分の弟の給料も返済プランに入れ始めた所で、今さっき後にしたばかりの町が見えてきた。


「この、ろくでもない町め」


思わず眉間に皺を寄せて睨みつける。

決して町は、1マイクロたりとも悪くないのだが、悪口のひとつでも言わないと気が済まない。


「鍵師ー!!!」


地面に降り立つと同時に、鍵屋の外から呼んだ。

が。

店は先程の様に、扉を開いてはいなかった。


「…あれ?」


紫の煙も店を取り巻いていない。


考え込む格好をしながら、閉まっている店の前に突っ立っていると、後ろから声が掛かる。


「あら、右京ちゃん。今日は何回も来てるのねー」


振り返ると、鍵屋の向かいにある氷細工工房のおばちゃんがこちらを見ていた。


元(もと)い、中身はおばちゃんだが、外見は焼いて膨れた餅に手足が生えている。そんな感じだ。


「んー、そーなんだけどぉ。今鍵屋開いてないみたいなの。」


右京は頬をぷっくら膨らませつつ、鍵屋を指差した。


「えー?そうかい?どれどれ」

 

腰らしき所に手を当てて、おばちゃんが鍵屋を覗いた。


「本当だ…おかしいねぇ。さっきまで居た筈なんだけど…」


首を傾げつつ、おばちゃんは右京を置いて、店をぐるり一周し始めた。

おばちゃんが帰ってくるまでここで待とうと、右京はしゃがみこんで土に落書きを始める。


「幾らずつ返したら一番得だろう…なんとか無利子にしてもらえないかなぁ…」


ずらずら書いたのは数字の羅列。


だが実際の所、とうに計算式なんてものは彼方に飛んで、脳は現実逃避を発令していた。


そこへ―


「右京ちゃん!」


少し慌てた様子のおばちゃんが、右京の元へと小走りに戻ってきた。


「どーしたの?そんなに慌てて…」


そんな大した距離ではないのに、ぜぇぜぇと息を切らすおばちゃんは、やっぱりおばちゃんだ。


「これ見てよ!」


その手には一枚の紙切れがつままれている。


「―え?」


受け取って、まじまじとそれを見つめた右京は思わず、呟く。


「はぁーーー?????」


そして、肩をわなわな震わせ、力の限り、叫ぶ。


「ふっっっっっっざけんなーーーーーーー!!!!」





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旅に出ます。





捜さないで下さい。





いつ帰るかわかりません。




鍵屋は無期限のお休みとします。





さよーなら。




             鍵師 





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