9食

 スパイスマーケット入り口付近、所狭しと並んだ屋台の棚の前で。


「……」


「……」


「……」


 誰も何も話さない。普段あれだけ騒がしいギルバートが赤い顔で沈黙しているからだ。原因は全てギルバートにある。だって私は元々クールな店主で、レオはそもそも自分から話さない。


「あのー、お客さん方? ずっとここに居るけど、これ買うの? 買わないの?」


「……ごめんなさい、買います」


「はいお嬢さんありがとうねー!」


 訳の分からぬ赤色のスパイスを買ってしまった。しかも高い。タダでさえ赤字なのに。やっぱり赤にはろくなものが無い。


「……いっ、イザベル……それ、何に使う気だ?」


 ひっくり返った間抜けな声を出したギルバート。


「……れ、レオのおやつよ」


 その声を聞いて、なんだか心身に異変をきたした私。


「私のおやつ」


 普段通りのレオ。


「は!? やめろよレオが可哀想だろ!? それ絶対唐辛子系じゃねえか!! わかった俺が今日魚の臭み消しに使うから!! 変なもん食わせんな!!」


「私のおやつ」


「落ち着けレオ!! おやつはもっと良いもん作ってやるから!! そうだ、ここでシナモン買ってパイ焼こうぜ! うん、ちょうど桃が届いてたしそれがいい!」


「わあ! 桃のシナモンパイ! やったあ!」


 思わずその場で跳んだ。その際ぎゅっとギルバートの指を握りこんでしまったが、もういいや。桃パイだもん。

 今日匿名で桃送ってきてくれた人、ありがとう。なぜ匿名なのかはやっぱり不明だが、いつも季節の果物が届いて私は嬉しい。ギルバートが犯人ならまどろっこしいのでもう直接持ってきてくれ。


「私のおやつのパイ」


「……うん、もうそんな顔されちゃ……うん、美味しいのつくるよ……」


 片手で顔を覆ってもごもご言い始めたギルバートの指を軽く引っ張りながら、出店が並ぶ通りを進む。レオは物音ひとつ立てず、大荷物を抱えてついて来ていた。


「あ、イザベル俺これ欲しい。オリーブオイルは輸入品の方が香りが良くて好きだ。あ、あとそれも。そっちの珍しいのも」


 ほんの少し歩いただけで目に飛び込んでくる数々の調味料に、ギルバートはすっかり真面目な顔で買い物をしていた。


「はいはい、好きなだけ買いなさい。どうせ赤字なら振り切ってやるわ」


「ヤケになるなよ経営者!」


「散る時は一花咲かせてやるわ」


「散るなっ!!!! お前、本当に、本当にやめろよそういうの!!」


「私のおやつ」


「は!? 突然どうしたレオ壊れたか!?」


 トンチンカンな発言をしたレオの視線の先には、先程入り口で見たのと同じ赤い謎のスパイスが置いてあった。値段はさっきの店の約半分。あの店員が水たまりで転びますように。


「ほらーー!!! イザベルのせいでレオがおかしなこと覚えたじゃないか!! 本当はめちゃくちゃ優秀な学生なのに俺たちのせいでおかしくなってきてるんだぞ!!」


「だってレオがこんなに影響受けやすいなんて知らなかったんだもの」


「レオは影響を受けやすい」


「レオは君だーーー!!! 君もうちょっと俺たちの言葉を疑えよ!!」


「私が疑惑をかけるのは、それに値する状況と証拠のある相手のみだ」


「唐突に真面目なのなんなの!?」


 買い込んだスパイスの袋は私が持った。そのせいでギルバートの指から手を離すことになったが、別に何ともない。どっと疲れたりなんてしていないしもししたとしても多分レオのせいだ。


「イザベル、次は魚市場行こうぜ」


「えぇ……まあ、あんたが行きたいなら良いけど」


 思わず足が止まる。つられるようにして2人も立ち止まった。


「なんだ、本当に魚嫌いなんだな。この間冷蔵庫に入ってたからそこまででも無いのかと思ったぜ」


「鱗が気持ち悪くてダメなのよ……ざらざらぶつぶつ、思い出して数えちゃったりなんかしたら最悪よ、ゾワゾワして寝れないわ」


 しまった思い出してしまった。しかも8年前に見た巨大魚の鱗を。見たものを忘れられないことが恨めしい。


「うん。じゃあ、行くのやめようぜ。あっちの雑貨屋とかがある方行って帰ろう」


「いいわよ遠慮しなくて。楽しみにしてたんでしょ」


「別にもう楽しかったから良い。俺、こんなふうに誰かと買い物したの初めてだ。十分だよ」


 くしゃ、と。ご自慢の整った顔を中央に寄せて、笑顔らしきものを見せたギルバート。やっぱりコイツは表情の作りが残念だ。だけど、別に、悪いわけじゃ、無いことも無いことも無い。


「うおっ、イザベルどうした!? 疲れたか!? 1回休む!?」


「ベンチを確保する必要はあるか?」


 急に慌ただしく私の顔を覗き込んでくる2人。ギルバートの顔はさっきの笑顔から一転、不安そうに眉を寄せていて、レオは相変わらずの無表情だった。


「何よ2人とも急に。早くあっちのお店に行きましょう?」


「まあ、イザベルが大丈夫なら、良いけど……」


 歯切れの悪いギルバートと無表情のレオを引き連れて、色々な店を見て回る。カラフルなガラス細工に木製のおもちゃなど、とにかく節操の無い店達が並んでいた。


「あ」


「ん? どうしたイザベル」


 おもちゃ屋らしき店の、埃を被り影になっている死角の部分。そこに、3つのマグカップがあった。雑な絵付けで、カップを1周するよう線が引かれている。

 3つのマグカップに引かれている線の色はそれぞれ、銀、黒、赤の3色。


「おお! まさに俺たち! 買って帰るかイザベル!」


「絵は雑だけど、丈夫そうだし。いいわ、買いましょう。それぞれの髪色のカップが、自分用ね」


「私のマグカップ」


「レオのは黒いやつよ。これに蜂蜜たっぷりホットミルク入れて飲みましょ」


「私の黒いマグカップにホットミルク」


「俺のはシルバーだな! 珍しいな、銀色の絵付けなんて」


「なんの材料で書いたのかしらね」


 カップを包んでもらって、スパイスとひとつの袋にまとめて持とうとしたのをギルバートの左手に攫われる。


「ギルバート!」


「これ俺が持ちたい。イザベル、絶対割らないから持たせて」


 やけにキラキラした目で、まるで子供のようにマグカップ入りの袋を見つめるギルバート。やめなさいその顔、なんだか胸がおかしくなる。


「ギルバート・ドライスタクラートの荷物は私が持とう」


「違うぜレオ、これは荷物じゃなくて……土産? 記念品? だから俺が持つ」


「ギルバート・ドライスタクラートの土産と記念品は私が持とう」


「言い直せって意味じゃねえよ!! あと別に日常生活は余裕だって言ってんだろ!? カップ3つぐらい持てるわ! もうフライパンぐらいは振れるんだよ! お前ら気にしすぎ!!」


 額に青筋を浮かべながら右腕で力こぶを作ってみせたギルバート。


「やめなさいよ、悪化でもしたらどうするの」


「ギルバート・ドライスタクラートの怪我に関する全ての責任は私にある」


「くそおおおお!! 腕立てでもすりゃあいいのか俺は!!」


「やったら殴るわよ」


「怪我増えてんじゃねえか!」


 騒ぐギルバートと無表情のレオを連れて馬車を待つ列に並ぶ。本当に騒がしい。


「失礼!」


 ほら、騒がしいから憲兵が来てしまった。


「イトシゴ捜索にご協力を!!!」


 パーフェクト店主フェイスを貫け、私。

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