お先のお食事

藍依青糸

前菜

 嫌いなものが3つある。

 まず、赤色。

 2つ目は空腹。



 そして3つ目が、『未来』だ。



「イザベルーーーー!!! お前サボって何食ってんだーーー!!」


 奥の厨房から、この自慢のカウンター席にまで響く騒がしい声。

 それに、美しく甘い層が断面になったケーキにフォークを刺してから答えた。


「ミルクレープよ。さっきあんたが自分で作ったのに、忘れたの?」


「違う!! 皿洗いをサボってることを反省しろって意味だよ!! 大体それは明日店に出そうと思って作ったヤツだ!! 客に出すもん食うなよ店主!!」


 厨房からドタバタと騒がしくわめきながら出てきたのは、臙脂色のエプロンをかけた銀髪の男。背は高く引き締まった体をしていているが、本来恐ろしいまでに整っているはずの顔を残念な表情に歪めている。


「お腹空いてたの」


「イザベルお前、空腹って言えば全部許されると思うのやめろよな!」


 許されるに決まっている。何せ空腹より悪いものなどそうそう無いのだから。

 私は、空腹が大嫌いだ。


「まあ夕飯足りなかったなら仕方ないけどさ! 言えよなそういう時は!」


 濡れた手を拭いながら、男はもう一度厨房に引っ込んだ。


 厨房へ消えた男のエプロンに縫い付けられている黒の文字には、「イザベルキッチン」とある。今は準備中の板がかかったこの建物の扉の外にも、同じ文字の書かれた看板があった。

 自慢の5人がけのまっすぐなカウンター席に、3つのテーブル席。整頓された厨房の中には、王都ではもう珍しく無くなってきた電気冷蔵庫がある。

 そう、王都の一等地、最高の立地を誇るこの店は。


 イザベルの店だ。


 エプロンの臙脂色がダサいだとか店名が安直だとかのクレームは受け付けない。もぐもぐキッチンと迷ってこっちにしたのだ。後悔も反省もしていない。


「イザベル、ほら紅茶! 熱いから気をつけろよ!」


 ぐだくだ言いつつも、ケーキに合う紅茶を入れてくれる騒がしい銀髪の男、ギルバート・ドライスタクラート。18歳。私の同級生で、現在も王都の騎士学校に通う学生だ。


 ちなみにこの国の騎士のほとんどが、王家を誰より近くで護ることを許された上級貴族で、当然騎士学校に通うのもそんな貴族のご子息ご令嬢ばかりだ。つまり、この騒がしいギルバートも上級貴族のおぼっちゃまという事になる。


 しかし、先ほどから見ていてわかる通りギルバートの言動は騒々しいばかりで貴族の気品の欠けらも無い上、その容姿は貴族にしたって整い過ぎている。一見すると男か女か区別がつかないような顔立ちに、一応は歳若い女の私よりも白くきめ細かい肌。光を透かす銀髪は、この男が動く度サラサラと軽そうに揺れ、傷みという物を知らないようだ。

 髪色よりもどこか青みがかった銀の瞳は大きく切れ長で、整った眉や鼻は小さな顔に人形のように完璧に配置されている。


 一方その完璧な容姿の男の目の前に座る私は、髪も瞳も燃えるように赤く派手な割に、顔立ち自体は大したことがない。素で悪目立ちという言葉を体現している。

 やっぱり、私は赤色が嫌いだ。


「ったく、自分の店なんだからもう少し自分で働けよな! こんな王都の一等地に店構えておいて、客がゼロだった日々を忘れたのか?」


 どかり、とギルバートが私の隣の席に腰をおろした。


「一体何年前の話をしてるのよ。今じゃすっかりみんなに愛される繁盛店じゃない。さすが好立地」


「俺が!! 料理し始めたからだよ! 俺が!!」


 この上なくうるさい。さらにはやかましい。あと騒々しい。

 この男、元の顔はこの上なく良いのだが、うるさいのと表情の作りが残念なのだ。あと性格も。可哀想である。


「大体、イザベルは仕入れもメニューも適当なんだよ! なんだよキノコ(単品)って! 今の時期この国キノコねぇし単品って何か想像もつかねえよ! 島国らしく魚をメインにしろ!」


「……」


 ギルバートとはなんだかんだでもう3年の付き合いで、店のキッチンに寄生されたり仕入れに口出しされたりしているが、特段仲が良いとか、親密な関係だという訳でもない。バイトと雇い主という関係ですらない。


「輸入品ばっか使うなよ! せっかく王都は観光客がいるんだから国の料理だそうぜ!? 魚とかさあ!」


「……」


 2年前、私が超好立地のこの場所に店を開いたところに、ギルバートはアポなしでやって来た。さらに、「食うに困っているので食わせて欲しい。金は無い」と堂々たる面持ちで宣言したのだ。あんた貴族でしょ、とは思ったが黙っておいた。

 私は空腹が嫌いだ。なので、たとえ何があって、相手が誰であろうと、食べるに困っている人間は助ると決めている。だから当時も、この顔面偏差値にすべてを振り切った悲しいギルバートに手料理を振る舞った。


 そしたら泣かれた。


 感動の涙ではなく、食材への憐憫の涙だったらしい。大変遺憾である。


 確かに、開店当初この店に来るお客は少なかった。ゼロだったと言ってもいい。しかし、私の料理に時代が追いつけば、必ずやこの店が繁盛すると確信していた。なにせ立地は最高なのだ。


「イザベル! なんで無視するんだよ! あれ!? もしかして聞こえてない!? もしもーし!?」


「……」


 だが、時代が私に追いつく前に、いつの間にか学校が終わる夕方から毎日のようにこの店にやって来ていたギルバートが、自分の胃は自分で守るなどと言ってタダ飯を食らいつつキッチンに立ってから、何故か客足が増えつつある。謎である。やっぱり遅効性の立地の効果だろうか。


「い、イザベル……?」


 ふと思考を今に戻せば、騒音の原因がそろそろと不安げに私の顔を覗き込んでいた。銀の瞳はゆらゆらと揺れて、可愛げのない表情で椅子に座る私を映している。


「何よ、さっきから騒がしいわね。私魚嫌いなのよ」


「聞こえてんなら返事しろよ! 傷つくだろこの美青年プライドが!!」


「砕けなかったの? 残念」


「安心しろ鋼でできてる、っていうかお前なんなの!? 俺のこと嫌いなの!? この顔の俺を!? 美青年だぞ!?」


 不安げな表情はどこえやら、顔中の筋肉を引き攣らせ、ワナワナと震える指でご自慢の顔を指す。ほら、この男性格がなのだ。可哀想でならない。


「お、俺の顔を嫌いだと言った人類は初めて見たぜ……! って、え、本当に? あれ、俺の顔って整ってるよね? 美青年だよね? あれ? 嫌い……?」


「可哀想に……」


「何が!?」


 一瞬たりともその美しい造形は原型を留めず、くるくると大げさに表情が変わる。

 またその顔が違う表情へ変わろうとしたところで、外からごーんと厳かな鐘の音が響いてきた。もうこんな時間か、と夜の鐘の音に窓を見ている間に、ギルバートがわたわたとエプロンを脱ぎはじめる。


「やべえ! 俺帰るわ!」


「走らないと門限間に合わないんじゃない? 一人息子さんは大変ね、学校の寮に入らないで自宅通いなんて」


「くそ、イザベルその皿洗っとけよ! あ、戸締りもしろよ! 寝坊すんなよ! 明日の仕込みはいつも通りの場所にあるから! お前は火通すだけやればいいから! それから」


「姑」


「くそおお!! また明日なあああ!」


 からんからん、とドアの鈴を鳴らしてギルバートは駆けていった。腐ってもわめいても騎士学校最上学年らしく、引き締まった背中が全力疾走で夜の王都に消えていく。そして、閉まるドアの鈴がもう一度からん、と音を立てたところで、私はもう一度食べかけのミルクレープにフォークを立てた。甘く美しい、積み重ねに。

 もし、このケーキが切られていなかったら。断面を見ることはできない。美しく積み重ねられたものを見ることはできない。


 それはきっと、この世界も同じだ。

 だって世界は、透けるほど薄くて、ちっとも甘くなくて、決して消せない何かが、折り重なってできているのだから。

 世界は、過去の積み重ねできているのだから。

 でも世界にはナイフを入れられないから、1、人の目に見える。過去は、人間の目には映らない。


 では、未来は?


 まだ積み重なる前の、この先未来は。人の目に、映るだろうか?





 答えは、「映らない」、だ。


 なぜなら人間の感覚器官は全て「今」に向けられていて、それ以外を感じ取ることは決して出来ないから。

 人間の目玉は過去も未来も捉えることが出来ない。過去の風は肌に感じられず、未来の音も鼓膜を打つことはない。

 もし今では無い未来や過去を感じたと思うことがあるとすれば、それはあくまで「今」を感じて、足りない部分を想像で付け足し、妄想しているに過ぎない。


 世界の一番上、表面にある「今」しか見えないのが、人間なのだ。


「失礼!」


 突然、また鈴を鳴らして店のドアが開いた。ケーキを咀嚼している私を一瞥して、無遠慮に中に入って来たのは、憲兵の格好をした男2人組。


「今日はもう店じまいです。このケーキなら明日の」


「申し訳ない、張り紙だけお願い出来ないだろうか!」


 全く申し訳無さそうな口ぶりで、男がずいと1枚の紙を手渡してきた。

 それは、かれこれ19年もこの国に溢れている、必死で滑稽な人探しの張り紙だった。必死な文面の割に、探し人のイラストも写真も無ければ、身体的特徴の記載も無い。


 それでも、この探し人が19年も見つからないなんてこと、この国では前代未聞の出来事なのだ。


「我が国の未来のために、イトシゴ捜索へご協力を!」


 ”未来が見える人間はいると思うか”

 この問いに、この国の人々は大人から子供まで、王族貴族平民口を揃えてこう言う。

 ”それは、は、確かにいる”、と。


 神に愛され、、この国のために尽くすことを神と約束させられた愛子イトシゴ


 この国には、未来を見る人間がいる。




 しかし、未来は人間の目に映らないと、私は答えた。


「……でも、見えたのよねぇ。あんたが死ぬ未来」


 それならきっと、私はのだろう。


 そんなことを思いながら、憲兵も出ていった静かな店で一人、甘いミルクレープの最後の一口を頬張った。




 私は、未来が嫌いだ。

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