江森の家守

平本りこ

3 江森

 お美津みつ江森えもり家最後の家守いえもりである。


 近代化が進むにつれ、一人また一人と去って行く仲間家守を見送り、気付けば一人きりだった。どうして家守になったのか、なぜ仲間のように家を棄てられないのかは自分でもわからない。ただ、同胞が皆消え去っても、江森の血が絶えるまでこの家を見守ろうと思っていた。


 お美津の日課はまず、長男伸彦のむひこ、通称ノブちゃんを起こすことから始まる。


《ノブちゃん、朝ですよぉ》


 ふぅっ、と耳元に息を吹き掛ければ信彦はびくんと身を震わせて起きる。


 長女の美子みこはとっくに山向こうの高校へ行ったし、次女の佳子かこはもう朝飯を食べている。末っ子の伸彦だけがお寝坊さんなのだ。


 伸彦がのそのそと起きだして、枕元のTシャツに袖を通すのを見届けてから、美津は家の中央の大黒柱に寄りかかり、目を閉じた。


 背中から、ひんやりした霊気が満ちてくる。家守はこの柱から力を得て、家を守るのだ。


 耳を澄ませば、腕白盛りの伸彦と父時雄ときおのいつもの応酬が聞こえる。


「早く食え! 遅刻するぞ」

「食べてるって!」


 明日からはもっと早く起こそうと、美津は着物の袖を捲り上げながら決意した。まあ、そう意気込むのも毎度のことで、美津自身が早起き出来ないのだが。霊体ながら、なぜ眠気を覚えるのか、自分でも解せない。


 いつもと同じ一日を過ごし、気付けば夕刻。三人の子どもと時雄が帰宅し、夕食時となる。味噌汁と、こんがり揚がった唐揚げの匂いを嗅ぎながら、美津は目を細めた。


 この家に住まう人々は、たとえ江森の血を引いていなくても、皆息子や娘のようなものだった。こうして平穏な食卓を眺める時間が、美津にとっての至福の時だった。


 だが、それもあと数日で終わる。


 明後日の日曜日、時雄の転勤により東京に引っ越すこととなったのだ。古い江森の屋敷は取り壊されることになっていた。


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