ミクロサイキック 弾丸編

赤橋三乃璃

Act.1 死因『恋殺』

○三黒紗伊子の見聞 一


 私は校舎の四階から三階へ、スタコラサッサと降りていきます。ここ、アスファルトニガム国際大学付属高校(通称アスガム高校)はH型の校舎をしており、東棟に生徒の教室、西棟に音楽室や理科室といった特別な教室が配置されています。生徒の教室は一年生が四階、二年生が三階、三年生が二階というように配置されており、学年を追うごとに階段の上り下りが楽になるシステムとなっています。私は一年生ですので、今は大いに太モモが鍛えられる日々なのです。しかし、私の太モモはこんなことではめげません。何せ陸上部で走り高跳びをたしなんでおりますゆえ。

 私が三階へ下り立ったちょうどその時、階段を上ろうとする先輩に遭遇しました。先輩は髪がボサボサ且つ、やけにお似合いのフチ無しメガネが威光を放っているので、傍に来るとすぐにわかります。

「あ、先輩じゃないですか」

「やあ、三黒さんか」

 先輩とは部活も出身中学も違うのですが、どういうわけか、いつの間にか仲良くなっていました。たしかキッカケは先輩が所属する映画部の上映会だった気がするのですが、その時のことはいろんなことがあり過ぎて記憶がゴチャ混ゼになっています。

「どこへ行くんです?」と先輩に尋ねます。

「ちょっと屋上に野暮用があってね」

 先輩は表情に出していませんが、メガネが楽しそうにキラリと光りました。

「また例のアレですか。先輩は変わり者ですね」と言うと、「そうかなあ?」と先輩は首を傾げます。

 先輩は自らを『恋愛検察官』と名のり、有意義な高校生活をより有意義にするために、日々とある活動を続けているそうです。「真面目に撮影に参加しろ!」と映画部の部長さんにいつも怒られています。

「今回のターゲットはどんな人ですか?」と私が聞きますと、先輩は私の耳元で小さく「アイツだ」と言いました。先輩の視線の先を追いかけますと、思い詰めたような顔をした男の人が、廊下で窓の外を眺めていました。染められたことが無さそうな黒い髪は眉にかからない程度に切られており、制服のワイシャツは襟元までボタンが締められています。如何にも真面目そうな人で、リクルートスーツを着せたら真っ先に就職が決まりそう、そんな印象です。

「たぶんアイツはフラれるな、たとえ俺が恋愛裁判をしなくても」と先輩は口にしました。

「そうなんですね」と私は、少し低い声で応えます。

「悪い人ではないが、面白みに欠ける。高校生の恋愛相手としては不十分だろう。わははは」

 先輩も決して目に着いて冴えるような方ではありません。自分のことを棚に上げ、さらには段ボールに包み込むような発言だとわかっていて、今のようにズケズケと言葉を発するのです。そこが先輩の面白可笑しい所です。

「狙う相手も間違いだ、あいつには到底、手が届かない存在だろう。いや、もはや誰にも手が届かない存在と言っても良いのだ。まあ、好きになったものは仕方がないのだろうけれど。他人の失恋で飯を食う俺からすれば、良いカモだし、楽しませてもらうかな、わははは」

 先輩はつくづく阿呆です。

 ふと、私はスカートのポケットから銀色の拳銃を取り出し、その真面目そうな男の人に向けて構えます。右手で拳銃を握り人差し指を引き金にかけ、左手は銃の柄を下から包むようにして支えます。そして、一、二の、三で、撃つのです。

バキューン。

グッジョブ。見事、弾丸を頭に撃ち込みました。

無論、真面目そうな男の人は死んでいません。血の一滴も垂れていません。撃たれたことにも気が付いていません。そもそも誰も、私が拳銃を手に持っているなんて思いもしないのです。真面目そうな男の人はただ、ゴホッと咳をしては、また思い詰めるようにして窓の外へ目を向けました。

「見えない拳銃と見えない弾丸か、イカスなあ」と先輩が感心したように言いました。

「この銀色の拳銃についてはマル秘事項ですよ、先輩。」

誰かに言い漏らしたら先輩もただでは済みません。バッキューンと、さっそく銀色の拳銃で撃ちました。

「俺は今、死んだのかい?」と先輩が慣れたように問います。「君に撃たれたのはこれで三十四回目になるな、春に出会って以来、五日に一回くらいのペースで撃たれている。」先輩はそう言って一つずつ撃たれた箇所を指さしていきます。ほとんどが心臓の近くでした。

アハハハ、と私はつい笑います。先輩は変なところで記憶力と統計力を発揮する人です。

「三黒さんは部活?」と先輩が私に聞きました。

「はい、そうです。いつものように棒に体をぶつけては、無様に落下する練習ですよ」

「走り高跳びか、いいね。無駄に目標が高いあたりがさらに良いね。」

では頑張って、先輩はそう言うと屋上に向かって階段を上り始めます。その時、屋内だというのにフワッと風が吹いて、私の黒髪の隙間を心地良く抜けていきました。

「先輩も阿呆な活動はほどほどにして、また新しい映画を作ってくださいね!私、期待しているのですから!」

 さてさて、私も校庭へ向かわねば!

 抜き足、差し足、急ぎ足で階段を下ります。すると二階へ差し掛かる際に、とっても綺麗な女の人とすれ違いました。我がアスガム高校が誇る唯一無二の絶対ヒロイン、君野木実先輩です。そこでピーンと思考が繋がります。三年生の彼女が教室のある二階よりも上の階を目指すという事は、もしや屋上へ向かっているのではないでしょうか。

「これは本当に、駄目そうですね」と、あの真面目そうな男の人を少し憐れんでしまうのでした。君野木実先輩は江戸時代の剣豪が如くバッサバッサと男を切り捨てることで有名であり、彼女の御前に立ったら最後、二度とおなごに恋は出来ぬ身体となるそうです。絶対にして絶壁の孤城、それがゆえに君野木実先輩の価値はかぐや姫を追い越す勢いで上昇し、いずれ月から使者を呼ぶと噂が立っています。しかし、単なる憶測と表面的な常識に当てはめて物事を、ましてや大切な恋心を、諦めてしまうなんて言語道断!

そうです!いつだって期待と希望を胸に!幸運をその手の中に!!それでこそ少年少女の生きる姿であります!!どうせならドデカく、そして儚く、花火のように散っていっちゃえ!!!

 ばばば・ばっきゅーーーーん!

 気持ちが高ぶった私はもう一発、屋上に向かって引き金を引いてしまいました。



○先輩の見聞 一


 俺の名前は辰野翔一門(たつの しょういちもん)と言う。昔この名前を略して「たっしょん」と呼ぶクラスメイトが現れて大変ムカついたことを今でも忘れない。俺は青空の下で小便をするようなガキンチョではないのだ。したがってフルネームで呼ばれない限り無視をする、という行為を意固地に続けていた。するとそれ以来、同年代には「おい」「ねえ」「なあ」と呼ばれ、年上、年下からは普通に「後輩」「先輩」と呼ばれるようになった。中学、高校と進学するたびにクラスメイトにその話をするため、どの学校種でもそのように呼ばれる。

 俺を「先輩」と呼ぶ人のひとりである三黒さんは、よくポケットから拳銃を取り出す仕草をして、そのままバキューンと撃つ動作をする。彼女は割と猟奇的である。見た目は快活な日本人乙女であるため、やたら発砲するという海外ドラマチックな奇行と相反している。彼女の人柄を評するならば、正月に一緒に羽根つきをしたい、そんな思いが湧き上がる和風のハツラツさを持ち合わせた稀有な女の子である。少し癖のある黒髪は肩の辺りで切られ、毛先がぴょこぴょこと可愛らしく踊っている。走り高跳びをたしなむだけあってスレンダーな体つきであり、バストはおそらくAカップ。女性の裸を見たことはないが、俺の目に狂いはない。何故なら彼女の胸は関東平野よりも起伏に乏しいからである。

三黒さんがどういった目的で銃を持ち、発砲するのか、それは誰に対しても教えてくれないだろう。したがって聞き出すつもりもない。しかし興味深いので密かに三黒さんについて研究している。少なくとも三黒さんはおおっぴらに人前で拳銃を構えている様子はない。いつも密かに、死角から狙い撃つのだ。最近になって俺の前では躊躇なく撃つようになったが、それ以外の時はまわりに人がいないか、いても誰からも注目されていない時を見計らっているそうである。

 もっと三黒さんの研究を進めたいがしかし、今は目先の娯楽を優先しなくてはならない。私はポケットから「被告人の経歴」と書かれたメモ帳を取り出す。そしてゆっくりと屋上の扉を開けた。

 外は雲一つない快晴だった。特に裁判日和というわけでもない。ベストな裁判日和とは、今にも雨が降り出しそうな嫌な予感しかない空模様の時だ。フラれると同時に雷が響いて大粒の雨が落ちて来たら完璧である。しかし、日本列島をお布団にしてごろごろと寝ころんでいた梅雨前線も、いつの間にかどこかへ行ってしまったらしい。ここ最近は日差しが強い日が続いており、いよいよ夏が本格的に始まる予感をぷんぷんとさせた。きっとすぐにセミが鳴き出すことだろう。

 俺が屋上の中央で空を見上げていると、背後から君野木実先輩が「今日もよろしくねー」と声をかけて来た。

 君野木実。アスガム高校において他の女子の追随を許さない美貌を持つ彼女には、ファンクラブさえある。通称コノミファンクラブである。君野木実を好いている者は必ずクラブに所属しなければならない決まりがあり、抜け駆けは許さないとされている。しかし、君野木実から言い寄られた場合、彼女の幸せを最優先に考え、付き合うことが出来るという抜け道も用意されている。

さて、それではそろそろ恋愛裁判を始める時間だ。


「こ、木実さん、わ、私はあなたのことがすすすすす、すすす、好きだ。つ、付き合ってください。」

真面目そうな男がお辞儀をして手を差し出し、精一杯の告白をした。

「それではこれより、恋愛裁判を始める!」

突如、屋上出入口の上に立ちあがった俺が、避雷針に手を添えながら一声を放った。快晴である青空が、私の明朗さを引き立てるようだった。

真面目そうな男は唖然としている。俺はメモ帳をぺらぺらとめくり、被告人の悪歴をとうとうと語った。何故ならそれが恋愛検察官の役目であり、人の恋路を邪魔するのが大好きな俺の生き甲斐だからである。

「被告人、あなたは小学四年生の遠足の時、便意で高速道路を運転中のバスをやむなく止める事件を起こして以来、友人からは『ベンザブロック』と呼ばれていますね。結果、運動会の二人三脚でペアの女子児童から「やだ、ウンチがつく」と言われて拒否された。さらに中学二年生の時には国語のテストで五十点を取り、トイレでめそめそ泣いた。トイレットペーパーもなかった。同じことを中学三年生でも繰り返した。高校の入学式、静寂極まる式中において一人高々と手を上げたかと思うと、あなたはトイレに駆け込みましたね?あなたは君野木実を好きと言っておきながら、トイレをこよなく愛しているんだろう、違うか!?」

我ながら意味がわからない演説だ。だが、そこがイイ。無駄に第三者からポキポキと心を折られる男の姿を、物理的な意味で高くから見下ろす。この無意味さこそ、我が心を満たす。愉悦である。

 真面目そうな男は青い顔をして急に腹を抱え出した。

「どうした、またトイレか?」

 真面目そうな男は目に涙を浮かべていた。そして膝から崩れ落ちる。

「以上です、裁判長」そう言って俺は君野先輩を見た。

「判決、お付き合いは出来ないね」

 ごめんね、無理だわー、と彼女は即答した。

 見事なくらい、あっさりしたフラれようであった。トイレのあれこれを暴露しようが、笑う事すらしない。君野先輩は1ミリたりともこの男へ興味を示さなかったのだ。

 今日も良いものが見れたなあ。ご馳走様です、と天にお手を合わせた。晴天に包まれ、私は愉悦に浸った。しかしここに、場違いなほど暗い存在が一人。

「なんだ、なんなんだこれは」と真面目そうな男が唸りだした。

「初めに言っただろう。恋愛裁判だ。」

「馬鹿な、こんなふざけた裁判あるものか!だいたい裁判なら、弁護人はどこだ!」

「そんなものはいない。」

「おかしいだろ!」

「おかしくない。何故なら俺の裁判は法律に則っていないからな」

ふざけるなよ、と真面目そうな男はだんだんと怒りで顔を赤くしていく。

「木実さん!!!」

 真面目そうな男にそう叫ばれた先輩は、半分しか開いていないような目で面倒臭そうに男をチラ見した。「なに?」

「こんな意味の分からない裁判は無効です!もう一回、もう一回ちゃん私のことを考えてください!!」

 真面目そうな男は俺を指さしてそう訴えた。しかし、君野先輩は柳に風と言った様子だ。

「あー、ごめんごめん。実はこの後輩、私から呼んだの。つまらない告白が少しは面白くなるかと思って」

 まあまあ面白かったよ、次に駆け込む時は、トイレットペーパーの残量は確認しとくと良いよ。君野先輩はへらへら笑ってそう言った。真面目そうな男の口があんぐりと開かれて、閉じそうにもない。

そう、本来、この恋愛検察官という生業は俺の個人的な活動として行っているが、君野先輩とは相互的に結託している部分がある。初めは、いつも通り俺が勝手に彼女の告白される現場で裁判を始めたにすぎない。しかし、俺がアスガム高校に入学以来二ヶ月ほど恋愛検察官の活動をしていただけで、彼女の告白される現場には4,5回ほど遭遇した。どの現場でも男どもは儚く散っていた。

「あんたがいると告白されるのも楽しくていいや」君野先輩がそう言ったのが、結託のキッカケである。以来、君野先輩は告白を受ける予感がした際に、校内でのすれ違いざまに俺に男の名前を流してくれるようになった。今日のこの男も、一週間前に君野先輩が俺に教えた男である。よくもまあ明確に告白されると予想できるものだなあ、と俺は感心する。女の勘というものはどうやら、極めるとこうなるらしい。

するとその時、真面目そうな男が開きっぱなしの口をゆっくり元に戻して言った。

「屈辱だ、死んでやる」

 君野先輩は呆れて言葉も出ないといった様子だ。

「死んでやるよ、君野木実!今ここで死んで、あんたにとって一生忘れられない男になってやるんだ!」

 真面目そうな男はそう言って、屋上のフェンスをまたぎ始めた。しかし、俺も君野先輩も本気にはせず、止めようとはしなかった。彼が完全にフェンスを越えても、君野先輩は焦った様子も無く怠そうに髪をいじった。

「フラれたからって自殺?ダサ」

 つまんない男ばっかり告白してくるんだからさ、と彼女は小さく嘆いた。

「そうです、自殺なんて間抜けのすることだ。あなたは間抜けじゃない、国語のテストで五十点も取ったではないですか!」そしてトイレで泣いて、さらにはおしりが拭けなかったんでしたか?

 そんな卑劣な煽り文句を言ったのは俺ではない。唐突に屋上の扉を開けて出て来た男、仲睦正志の言葉である。

「何しに来た」と俺が問う。

「何だか面白そうなことが起こる予感がしたもので」ニヒヒヒヒと仲睦が悪魔のような笑顔を見せた。

「あら、友達も来ていたの?悪友コンビが揃ったわね」と君野先輩が笑った。

「こんなやつ友達なものですか」

俺はそう抗議した。仲睦とは仕事上の仲間であり、決して友達などと言った馴れ合いの関係を結んでいるわけではない。仲睦は小さい悪魔のような顔をしている割に、非常に顔が広いという人間として摩訶不思議な現象を起こしている稀な悪魔人間である。俺が恋愛検察官として被告人の悪歴情報を集める際に、仲睦の顔の広さを頼ることがあった。

「死んでやるぞ、本当に死んでやるからな!」

 俺のことを放って置くな!と言いたげに、真面目そうな男がフェンスの向こうで騒いでいる。

「もう、死ぬならさっさと自殺してよ。」

君野先輩が心底面倒くさそうに言った。すると、「これは自殺じゃないぞ」と真面目そうな男が頭のおかしいことを言い始めた。

「これは自殺じゃない、『恋殺』だ。犯人はお前だ、君野木実!」

 『恋殺』??

はい?なんだそれ?と我々は思った。

「ほーら、面白くなって来たじゃないですか」と言ったのは仲睦だけである。



○三黒紗伊子の見聞 二


 部活が始まって準備運動とランニングを終えると、私達陸上部走り高跳びメンバーは器具を取りに体育倉庫へやって来ました。体育倉庫の砂ぼこりが私の鼻をムズムズさせて、さらには私が御汁粉における小豆くらい絶大な信頼を寄せている陸上部の二年生、宇佐銀子先輩の鼻さえもムズムズとさせます。

「この砂ぼこり、巨大扇風機を使って全部吹き飛ばせないですかね」

「紗伊子、それじゃ悪化するだけだよ」と銀子先輩は笑います。その時、バスッと私の肘に何かがぶつかる音がしたのですが、気が付いた時にはもう手遅れでした。

「ああー」

 棚からカゴごと床に落とされた大量のソフトテニスボールたちが、脱走するハツカネズミのようにポムポムわらわら、ポムわらポムわらと体育倉庫の隅々へと逃げて行きます。

「紗伊子って時々そういうことするよね」

 ブルーマットを持ち上げた状態で止まっている銀子先輩がそう言いました。

「ごめんなさい、あんこ先輩」私はそう、しょんぼりとしてブルーマットを下ろしました。

「あ、違う違う、怒ってるんじゃなくて、けっこう運が悪いよねって話!」しかも私はあんこじゃなくて銀子だし、御汁粉には入ってないし!

 チョピッと頭に可愛いチョップが飛んで来ました。あは!うは~!と、ドジをしたことに今さらながら照れつつ、私は散らばったソフトテニスボールを集め始めました。銀子先輩や駆けつけたテニス部の人達に助けられ、何とか全部回収できたのでした。

「遅れたぶん、急ぐよ!」

 銀子先輩はそう言って「せーの」と声をかけると、私と二人でブルーマットを持ち上げます。そして抜き足、差し足、急ぎ足でスタコラサッサと歩き出しました。グランド脇の花壇と校舎の間を、ブルーマットを持った二人が通ります。時おりサッカーボールや野球ボールが足元に転がって来るので、銀子先輩は一々止まってボスッと蹴り戻してやります。

「まるでボール拾いさせられている気分になるわ!だいたい、どうして陸上部はグランドの奥の奥で練習しなきゃいけないの!?」プンスカぷんすか!と銀子先輩が文句を垂れます。そんな先輩がとても微笑ましく、私はつい、体操着のポケットから銀色の拳銃を取り出していました。ブルーマットから両手を離すわけにはいきませんので、今回は片手だけで構えます。そして銀子先輩の無防備な背中へ、バキューンと弾丸を撃ち込むのでした。

「ん?」と銀子先輩は首を傾げます。「何か一瞬、重くならなかった?」と、顔だけ振り向かせた銀子先輩がブルーマットの上を見ました。

「気のせいじゃないですかね~」と私はとぼけてみました。

 するとその時、足元がツンッと突っ張ったまま動かなくなり、私は前のめりに倒れてしまったのでした。自分で自分の靴ひもを踏んだようです。

「ぎゃあ!」私が地面に突っ伏します。

「きゃっ」と銀子先輩が私のせいで尻もちを突きました。

「んああああああああああああっ」

「え、え?・・・待って、そんな野太い叫び、乙女が出していい声じゃないよ!?」と銀子先輩が驚いて私の方を見ました。



○先輩の見聞 二


死んでやるぞ、そう喚いている真面目そうな彼は、『恋殺』についてこう語った。

『恋殺』とは、無意味に、且つ狡猾に人を恋に貶め告白させたあげく、バッサリと切り捨てることで相手を精神的に追い詰め、死に追いやることを指すらしい。本当はもっと「そんな真面目そうなメガネをかけておいて、よくこうも汚い言葉を吐けるな、同じメガネ男子として軽蔑せざるを得ない!」と言いたくなるような、憎しみが込められた罵詈雑言と共に『恋殺』について語られたが、要約するとこんな感じであろう。

「クソどうでもいいわ」

君野木実先輩は真面目そうな男の言葉、その全ての思いを、この一言で片づけた。

「あっひゃっひゃっひゃ」と俺の隣で仲睦が悪魔らしく笑った。

 いやしかし、こうも引き止められない自殺現場があるだろうか。真面目そうな彼も思っているはずだ。こんな奴らの前で死んでも意味がないのではないか、と。君野先輩にも結局、1ミリたりとも興味を持たれないままなのではないか。死してなお、名前すらも覚えてもらえないのではないか。そんなの虚しすぎる、という予感がよぎったに違いない。少なくとも俺だったらそう感じるはずだった。

「もう一度言う」と真面目そうな男が叫んだ。「私は恋に殺される、犯人はお前だ!君野木実!」

「ハッ、別にそれでもいいよ。その『恋殺』とかいう馬鹿げた罪で警察に捕まることもないでしょうし。

いっそのこと、これから告白して来る奴ら全員、恋殺してやろうかな。そしたら私は絶対に逮捕されない殺人鬼として名を馳せるわけだ。イイネ、気持チガ良サソウ」

 その力のない乾いた笑顔を見ると、どうも言葉が出なくなる。所詮、俺の口から出て来るのは阿呆な物言いばかりだ。君野先輩の抱える青と灰色が混じった様な心を、満たしてやれる言葉なんか持つわけがない。

 それは俺だけでなく、君野先輩を「好きだ」と言った真面目そうな男も同じだろう。

「どうしてこう、報われないんだ」真面目そうな男はそう嘆いた。

「あなた、報われるほど何かしたんですか?」仲睦が聞いた。

「ずっと、ずっと、好きだった。いつも木実さんのことばかり考えていたのに」

「想うだけじゃあ駄目なんですよ」仲睦が言った。

「じゃあどうすれば良かったんだ!?」

「そんなの私が知るわけないでしょ。別に私は君野先輩に恋してないですから」

 すると、今までずっと立ったままだった君野先輩が唐突に歩き出し、口論を始めた二人を断ち切る。そして先輩は真面目そうな男を睨みながら、フェンスの方へ進んでいく。

 その時、俺は何か嫌な予感がした。

 君野先輩はフェンス越しに真面目そうな男と向き合ったかと思うと、ガシャンッと激しい音を立ててフェンスを蹴った。そして言うのだ。

「どんなことしたって、お前は報われなかったんだよ。私は、お前が好きじゃないんだから」

 その痛烈な言葉により真面目そうな男は腰が抜けたのか、屋上の縁にへたり込んで座った。しばらく男は下を向いてぶつぶつと何かを言っていたが、誰にも聞き取れなかった。

「死ぬなら死ねよ」と君野先輩は言った。

だが、次に瞬間、君野先輩はフェンスの上から手を伸ばしていた。君野先輩は軽い身のこなしで一瞬にしてフェンスを登り、身体の胸のあたりまで乗り上げたのである。俺と仲睦は顔を見合わせた。仲睦の悪魔のように尖っている目が、今は珍しく見開かれていた。

「死ぬか?」

問いかけて手を差し伸べる君野先輩に笑顔はない。でも、ぶっきらぼうな彼女の心の底にしまってあった優しさが今、彼に向けて放たれているのを、俺は感じた。

 真面目そうな男は、何が起きているのかわからないといった様子だったが、「はは」と力なく笑うと君野先輩の手を取った。そして言うのだ。

「ありがとう」

 ぐっと、真面目そうな男は力いっぱいに君野先輩を下へと引っ張った。真面目そうな男が表情を崩して不器用な笑みを見せた。強引に、君野先輩の伸ばした腕がフェンスの向こう側へと持って行かれる。真面目そうな男はそのまま屋上の縁から何もない空中へと足を踏み入れた。君野先輩には、何が起きたかわからなかった。ただ、身体がその男の方へ引っ張られ、落ちて行く。真面目そうな男の両足が屋上を離れると同時に、君野先輩の身体がズルズルとフェンスの上を滑り超えていく。

「だから、嫌な予感がしたと思ったわけですよ。」

 俺はそう言いながら、すでに体の半分以上がフェンスを越えている君野先輩の両足にしがみ付いた。すると下へ落とされそうな君野先輩の動きがガクンと急に止まり、その衝撃で真面目そうな男の手が君野先輩の手から離れた。男は悔しそうにして叫んだ。

「んああああああああああああっ」

 そしてそのまま、真面目そうな男は地面へと落ちて行ったのだった。

 君野先輩と俺はそのままの格好でしばらく呆然としていた。やがて君野先輩の頬からぽたり、ぽたりと涙が落ちて、屋上の縁を少し濡らした。

 しかし、それもわずかな間であった。君野先輩は制服の裾で涙を拭うと、逆さまになった顔でフェンス越しに俺を見て言う。

「君のボサボサな髪の毛がずっと私のおしりにあたってるんだけど。すごくチクチクする。」

「失敬」と俺は謝って、君野先輩の両足を掴んでいた腕をほどいた。するとその時、「あ」と先輩が声をあげた。「なんだよ、あいつ生きてんのかよ」

 死ねっ!

そう君野先輩は叫んだ。そして跳ねるように身体を起こしてフェンスの上から屋上の床に飛び降りたのだった。



○三黒紗伊子の見聞 三


靴ひもを踏んで転んだ私の前で、ボッフンと激しい音がしました。驚いて前を向くと砂ぼこりにまみれた視界の中、ブルーシートの上で人がボヨーンと跳ねているではありませんか。そして、その跳ね上がった人がもう一度ブルーシートに背を付けた時、私は唇を噛みしめたくなるような感情がぷつぷつと滲み出てきたのです。ブルーシートで横たわっている真面目そうな男の人の顔が、先ほど校舎で先輩に教えてもらったターゲットの人だったからです。私はサッと屋上を見上げると、唯一無二の絶対ヒロイン君野木実先輩が、フェンスの上でお布団のように身体を半分に折って引っかかっていました。

「え、この人、上から落ちてきたの?」

 銀子先輩が青い顔をしてそう聞きました。

「そう、みたいですね」

「ねえ、大丈夫?」ねえ、ねえ、と銀子先輩は動揺しながらも、目を閉じて横たわる真面目そうな男の人に声をかけます。反応がないことに不安を覚えた銀子先輩が、口元に耳を当てます。

「良かった、息はあるよ。気絶しているだけみたい」

 銀子先輩は胸を撫で下ろします。その間にも、騒ぎを嗅ぎつけた他の生徒達がわらわらとブルーシートのまわりに集まってきました。「私、先生呼んで来る!」と言う誰かの声が聞こえて来ました。

「それにしても、お手柄だね、紗伊子!」

 銀子先輩にそう言われて、私は転んだ状態のままキョトンとしました。

「紗伊子がテニスボールばら撒いたり、靴ひもを踏んで転んだりしていなかったら、この男の人は助かってなかったよ!」銀子先輩はまるで自分達がこの真面目そうな男の人を助けたかのような口ぶりで、喜んでいました。

「はは」と私は力なく笑いました。「とりあえず、死んでなくてよかったですね」

 そう言った後にすぐ、私は無意識に表情を曇らせました。銀子先輩は気が付いたに違いありません。私のひどく落ち込んだ顔と、チッと漏れてしまった舌打ちに、人並み以上の注意力を持つ銀子先輩が気付かないはずないのです。でも銀子先輩は、特に何も言いはしませんでした。

 私はなんとなく、ポケットにしまってある銀色の拳銃を体操着の上から撫でました。そして漏れそうになる溜め息を、今度こそ抑え込むのです。



○先輩の見聞 三


 俺が君野先輩と入れ替わるようにフェンス際に近づいて下を見ると、ボフボフと柔らかそうなブルーシートの上で、真面目そうな男が横たわっている姿が見えた。ブルーシートのまわりに群がる人々の小さくも大きくもない混乱具合、まるで「味噌汁を飲む人型ロボットを見てしまったよ」というくらいの混乱の様子から、彼が死んでいないことは確かなようだった。ブルーシートに群がる人々の中には、何故か地面に寝ころんでいる三黒さんの姿もあった。

 ここで俺は推察する。三黒さんの銀色の拳銃が人間にどのような影響を及ぼすのだろうかと。三黒さんに撃たれたあの真面目そうな男は、数分後には自ら命を落としかけた。そう考えた時、俺はぞわぞわと肌が震えるのを感じた。しかし、すぐにそれは治まる。三黒さんが、そんな物騒でムゴイことする人ではないと知っているからである。三黒さんは御餅のようにモチモチな白い肌と、クルクルと天真爛漫にくねる黒髪ショートカットを持つジャパニーズガールだ。さらには武力の「武」の字も感じられないスレンダーな体つきである。実は腹の内では、バイオレンスな思考に溢れ、「人の涙でカップラーメン作ってやりますヨ!」というような野蛮な心の持ち主ではない。事実、すでに三黒さんから三十四回も撃たれている俺に命の危機が訪れたことはない。

「それは、あなたがそう思いたいだけなのでは?」

 不意に後ろから仲睦が言った。「あなたが彼女に撃たれているから、悪い意味ではないと思い込みたいだけなんですよ。彼女、三黒紗伊子は危険です。近くにいれば、いずれあなたも痛い目に遭いますよ。」

 それを聞いて俺は頬を膨らせた。

「仲睦、お前は心が廃っているからそんな考え方しかできないのだ。そもそも人の不幸で飯が食えるお前こそ悪魔人間ではないか」

「いやだなあ、言いがかりですよ。私は面白いことが好きなだけです。面白いことを起こそうとすると、どうしてか人が泣いているだけですよ」

「兎にも角にも、三黒さんは安心安全だ。」

「さあ、どうですかね。一応、気を付けといた方がいいですよ。親友からの忠告です。」

「お前なんか親友なものか」

「ひどーい」

 そこで会話は終わった。俺がもう一度、下の様子をうかがっている内に仲睦は屋上から消えたのであった。

 君野先輩の姿も、いつの間にか消えていた。しかし、俺が屋上を出て階段を下りていくと、君野先輩はすぐに見つかった。二階から一階に下りる途中の踊り場で、大の字になって寝転がっていたからである。もう少しでスカートの中が見えそうだった。

「何をやっているんですか?」と俺は聞いた。

「世の男どもを破滅に導いてやりたくてね。」

「それは大層な野望ですが、それと大の字に寝転がることに何の因果関係が?」

 俺の質問には答えず、君野先輩は踊り場にある窓の外を見た。

「この窓ガラスを割ったら、お前は怒るか?」

 唐突な質問だったが俺は特に深く考えることはしなかった。

「俺は怒りませんよ。先生が怒ります。」

「なるほど、君は良い奴だな」

「先生だって、良い人ですよ」

 ははは、と笑うと、君野先輩はむくっと上半身を起こし、「下がれ下がれ」と言うように俺を手で追いやった。そして俺がいた場所に人差し指を立てて、スルルルルーと指を滑らせた。

「やはり君は良いね」君野先輩は俺を見た。

「私ね、人の足跡に触れると、その人が四カ月以内に私に告白して来るかどうかがわかるんだ。どうやら君は、私に告白しないらしい。」

「そんなの当たり前ですよ」そう言いつつ俺は少し驚いた。こんなタイミングで君野先輩から超能力を明かされるとは思わなかった。しかし、大の字に寝ころんでいた理由に納得している自分もいた。二階から一階に下りるこの階段は全学年の生徒から一番頻繁に使われる階段だ。告白して来る人を調べるにはうってつけの場所であろう。「だけど、言ってしまって良かったんですか?超能力って、能力を知られた人には効かないんですよ?」

「良いの良いの、こんなドウデモイイ小さな超能力が効かなくたって、好きじゃなければフルっていう結果に変わりはないもん」

 たしかにそうか、と俺は思った。「しかし、何故四ヶ月以内限定なのでしょう。」

「知るわけないでしょ。」

 自分のことなのに「知るわけない」とは、どうなんだ。そうは思ったがしかし、新潟に住む婆ちゃんの言葉を思い出す。「自分や世間のことを知っていると言えるほど、あたしゃ長く生きていないね。」そう、小学生の時分に言われた。婆ちゃんでそうなんだ、俺らなんて社会の常識さえわかってないのだろう。

「俺だけ君野先輩の超能力を知っているのもバツが悪いので、俺も超能力を教えます。」

「別にいいのに」

「別にいいのは、俺も一緒です。俺の超能力は、先輩風を吹かすと、自分の背後からその後輩に向かって本当の風を起こす能力ですから。」

「まじで、知る必要性が皆無な超能力だこと」

二回ほど留年でもしない限り、と君野先輩は軽く笑った。

「それはともかく、これから忙しくなりますね。毎日のように恋愛裁判ですよ、きっと。何せ夏休みをはさんだら文化祭ですから。好きな人と後夜祭のキャンプファイヤーを見て、それからダンスを踊るなんて風習があるもんだから、皆して彼氏彼女を作る。そしてすぐ別れていくんだ。まるで十円のチューイングガムですよ。少し遊んで、味がなくなったら、すぐにポイッと気軽に捨てるんですよ。そして大した恋でもないくせに恨み辛みが尾を引いて、周りを巻き込んで猿蟹合戦を始めるんだから馬鹿馬鹿しい。」

 そう豪語する私を見ながら、君野先輩はケラケラと笑った。

「私は待っているだけだから、気楽っちゃ気楽よ。忙しいのはむしろ君だろ。いろいろ個人情報を握らなきゃならないんだからね。まあ、今日みたいのが続いたら、私もすごく面倒臭いけど。『恋殺』なんて、馬鹿馬鹿しいことをよく思いついたもんだ。」

 ま、いい恋愛裁判を期待しているよ。そう言って君野先輩は立ち上がると、階段を上って自分の教室に入って行った。

 昇降口を出ると先生たちがざわざわと騒いでいる様子がうかがえた。これは明日、事情徴収されるだろうなと俺は思った。

「まあ何にせよ、君達のおかげで助かったよ」と、集まった先生たちに声をかけられている三黒さんの姿が見えた。

「なんだ、やはりヒーローじゃないか」

そう呟くと、「そんな大げさなものじゃないですよ」と謙遜する彼女の姿が目に浮かぶのであった。





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