第28話 真核細胞の呪い
11月18日 金曜日 12時50分
私立祐久高等学校 屋上
#Voice :
「残酷って思います」
萩谷さんは、可愛いお弁当箱を手に、静かに押し殺したような声で、そうつぶやいた。
「食事って、呪いの儀式だって、思ったこと、ありませんか?」
萩谷さんが静かに問う。
「いや、ない。食べなきゃ生きていけない。そもそも、大人たちは食べるために働いている。俺たちも将来の就職のために勉強している。それは萩谷だって知っているだろう」
鹿乗くんが答えた。少しイラっとしてる? そう感じた。
「うん。知ってる。食べなきゃ生きていけないの。でも、これはなに?
お弁当っていう名前のきれいな欺瞞であって、
本当は―― 私たちは、他の生き物の死骸を口に詰め込んでいるの」
鹿乗くんが、ちょっと驚いた顔をした。聡明で理詰めで考える彼にしても、この発想はなかったらしい。まあ、育ち盛りの男の子には、ご飯について悩む理由はないものね。
「私たちのお口が死骸を求めるのも、ミトコンドリアがそれを欲しているから。そう、言いたいのかな?」
私が応えて見せた。
「はい。死骸を口に詰める呪われた行為を、お食事マナーや、清潔できれいな食器や、美しい彩や、さまざまな食文化でごまかしているの。
だから、食事マナーを破ると、怒られる。だって、呪われているから……」
確かに、そうだね。
私は納得した。
私たち人間は動物と違うもの。調理という過程を経て、食事をしている。食事は、宗教的な価値観や禁忌とも密接に結びついている。
例えば、江戸時代までのわが国では、仏教的な教えから、公には動物は食べちゃダメだった。でもね、ウサギは数えるとき、1羽、2羽……と数えるでしょ。ウサギは動物じゃなくて、「鳥」として数えているの。だから食べてもいい。そういう、おまじないが、昔はあったの。
萩谷さんのいうことは、ある意味、正しいわ。
でも、私たちは呪いのアプリの話をしたかった。
はぐらかされた気がする。
もう一度、萩谷さんの表情を良く観察した。
繊細に整った美少女。しかも、虐められてるせいで感情を押し殺すくせがあるだけに、表情を読み取るのが難しい。
くすりと萩谷さんが嗤った。
私が表情を読もうと、目を凝らしているのに気づいたみたい。
「ウインナーは、特に残酷ですよね」
萩谷さんは、左手にお弁当箱を持って、すっと、立ちあがった。
「豚さんの身体をバラバラにして、挽き肉にして、お塩やスパイスと混ぜてから……」
スカートの上から、指先を揃えて手刀にした右手を、自らの下腹に当てた。
「羊さんのお腹を割いて、内臓を抉り出して、その腸管を塩漬けにして、さっきの豚さんの挽き肉をぐりぐり詰めるんです。空恐ろしい悪魔の儀式みたいでしょ」
萩谷さんは、右手の手刀でお腹から胸へと撫であげた。
「私、ときどき、そんな夢を見るんです。首を落とされて、手足をもがれて、お腹を裂かれて、内臓を全部出されて、それから骨を抜かれて、切り身にされるの」
「そうしたら、パン粉をまぶして天ぷらにするのか?」
げんなりした顔で鹿乗くんが応えた。
「うん。生醤油でお刺身も良いけど、三枚におろしたら天ぷらもありですね」
萩谷さんは、うなずいて笑うの。
ゾクリとするほどに透きとおった可愛らしい微笑みだった。
萩谷さんの強さって、これだったのか。
そう感心した。
萩谷さんは、虐められていたけど、毎日、遅刻することもなく登校して、クラス副委員長の役割もちゃんとこなしていた。もちろん成績も学年2位をずっとキープしていた。
だから、いじめのうわさは聞いていたけど、大丈夫だって思っていた。
私が、浅はかだった。私たち生徒会が、もっと、早く手を差し伸べるべきだったと後悔した。
「私たちは、ミトコンドリアと共生を始めた20億年前に呪われてるのかも、知れないです。ATPっていう命の金貨を求めた代償に、他者の死骸を口に詰め込む儀式が必要になる―― そんな凄惨な呪いに」
萩谷さんが嗤う。
いじめられる学校生活を続けるうちに、成績優秀な美少女は、そんな呪いの概念を考え出したらしいの。自分ひとりが孤独にいじめられている訳じゃない。誰もが、いいえ、真核細胞を持つ生物すべてが呪われているんだと、妄想じみた呪いを編み出して、心の傷を舐めていたの。
「呪いのアプリも、いじめも、きっと、同じと思います。幸せが欲しかったら、誰かの死骸を食べなきゃいけない。私はみんなにいっぱい齧られちゃったから、少しくらいは、取り戻したいです」
思わず聞き入ってしまったけど、私は萩谷さんに会いに来た本当の目的を、何とか切り出した。萩谷さんの手を取って、用意して来た鈴を手渡した。
「あの、これは?」
怪訝そうに小首をかしげる萩谷さんに、用意してきたセリフを棒読みでも良いからしゃべった。
「この鈴は萩谷瑠梨さんのもの。悪いモノからきっと遠ざけてくれるから、いつも持っていてっ!」
「えっ? だって、これは……」
「あげます。食べることは幸せだけど、誰かに気持ちをもらうことも幸せだと思うの。だから、これ、受け取って」
捲し立てた。
萩谷さんって、ぼんやりしているようで意外と防御が堅い。言葉で言いくるめようとするなら、難攻不落かも知れない。
「そうですね。気持ちは目に見えないから、こうして何かに気持ちを乗せるんですね。それなら、わかります。ありがとうございます」
萩谷さんが笑った。やっと、素直に笑ってくれた気がした。
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