第36話 予知夢? それとも……
11月22日 火曜日 15時30分
私立祐久高等学校 保健室
#Voice :
不甲斐ない。
俺は、何をやっているんだ。
浅い眠りから覚めたとき、チャイムが鳴っていた。ベッドに仰向けのまま、首を回した。保健室の壁に掛けられた時計を見た。
「掃除時間までも、サボってしまったのか……」
俺は、無力感に囚われていた。
情けない姿になったきっかけは、2時間目後の放課に、鹿乗と話したことだ。
はじめは他愛のない雑談だと思った。
だが、鹿乗はこう切り出した。
「飯野から聞いた。萩谷のタブレットパソコンはおまえが預かっているのか?」
単刀直入というか、前振りも愛想もない。いきなりのど直球だ。鹿乗らしいといういえばそうだ。だが…… 直後、俺の中で深刻な変化が起きた。
「すまない。変なアプリがインストールされていたんだ。信じてくれないかも知れないが、頭痛がひどくて、あのとき、何か起きたのか、記憶が途切れ途切れにしか残っていない」
俺は詫びた。
自信な記憶を手繰りながら話した。なぜ、俺は謝っているのか? 胸の奥が濁る罪悪感は、何だ? 疑問を感じた。
「言い出したのは木瀬なんだが…… 萩谷のタブレットパソコンには危険なアプリがインストールされていたらしいんだ。画面を見ると、頭痛がひどいとか……」
鹿乗が、言葉を探しながら、言いにくそうに遠回しな説明をした。
いつも頭ごなしに決めつけで話すくせに、鹿乗の様子が微妙だ。
その直後だ。
俺の脳裏に、2週間前の記憶が突然に蘇った。フラッシュバックとかいうヤツだろうか? まるで走馬灯のように、俺が何をやったのかを見せられたんだ。
あのとき――
緋羽から紙袋を預かってしばらくだった。
紙袋の中から光が漏れていることに気づいたんだ。
電源を切り忘れたのか? そう思い、紙袋を開けてタブレットパソコンを取り出して…… そこから、俺の記憶は曖昧になった。
夜の大講堂舞台裏倉庫に、青木と広田を呼び、『キュービットさん』をした。
なぜ、夜間に校舎に忍び込んだのか? 俺は俺の行動を説明できない。
なぜ、あんなことを願ったのか? 俺は俺に恐怖した。
そうだ。あのアプリの画面には……
「あなたの心の奥底にある言葉を教えてください」
そう、表示されていた。
俺は、なぜあんなことを……
「飯野緋羽と親友になりたい。名倉は、緋羽の想いに真面目に答えていない。不憫だから、俺は緋羽の隣に立ちたい」
違う。
名倉が、緋羽との腐れ縁的な関係を疎ましく感じているのは、知っていた。
緋羽も、自分が飽きられていることを知っている。
だから、俺が…… なんで、俺なんだ。
俺も緋羽のことが好きだった。
明るくて屈託も裏表もない人懐っこい緋羽のことが、好きだ。名倉よりも、俺の方が緋羽の隣に似合うと思っていた。しかし、それは、心の奥底に閉じ込めていた。言えるはずがないだろう。
だが、あの、呪いアプリは、俺の秘めた思いを看破していた。
十円玉に似せた円形カーソルが走った文字を、目でたどった。
「な」「く」「ら」「あ」「し」「ゆ」「き」「を」「け」「す」「い」「い」「の」「ひ」「わ」「を」「あ」「た」「え」「る」
―― 名倉葦之を消す。飯野緋羽を与える。
ぞっとした。
だが、あのときは、真面目に受け取っていなかった。変なアプリのせいで、つい、うっかり恥ずかしいことをしゃべってしまった。青木や広田に笑われる。
その程度の認識だった。
そして、アプリのことすら、忘れていたんだ。
あのあと、木瀬と名倉が死んだ。
警察に事情聴取もされた。
だが、あのアプリのことを思い出せたのは、鹿乗に話をされた時だった。
そして、俺は、あまりに大きい罪悪感に、なす術もなく打倒された。何をやっているんだ、俺は―― ベッドで寝返りを打ち、毛布にくるまった。
◇ ◇
緋羽が泣きながら走っていた。靴も脱げて、黒いソックスのまま、コンクリートの階段を駆けあがった。赤錆びたフェンスを潜った。小柄だから、フェンスにできた小さなほころびを潜り抜けた。
夢か……
すぐに、これが夢だとわかった。
俺は、いま、保健室のベッドにぶっ倒れているはずだ。
だが、夢だと気づいても、夢は覚めない。
ソックスを砂まみれにして緋羽は、走った。
見覚えのある場所だった。
学校の裏の雑木林。ため池だ。
小高い丘の南斜面を切り崩す形で、私立祐久高校の校庭がある。
大昔、戦国時代は、お城だったというから、そんな立地なんだろう。
その裏手は、沢を土手で埋めて農業用水のため池が作られていた。
夢の中の緋羽は、農業用水の水門に向かっていた。
水門を開閉する機械を備えた管理橋が、ため池の中に突き出していた。
農繁期が終わったいまは、水門に繋がるハンドルには鎖が巻かれていた。
緋羽は、汚れたソックスを脱ぎ捨てた。制服の上着も脱いで、白いブラウス姿になって―― スカートを翻して、跳んだ。
小さな身体が、冷たい水面に落ちた音がした。
◇ ◇
11月22日 火曜日 16時40分
私立祐久高等学校 保健室
#Voice :
跳ね起きた。心臓がどくどくと鼓動を叫んでいた。
「な、なんだ? いまの……!?」
緋羽が、ため池に身投げした? いや、夢だ。
「やっと気がついたね。何か、悪い夢でもみたのかい?」
菅生先輩が、笑っていた。
続けて、通知音がふたつした。
菅生先輩が、スマホを取り出して、「あっ?」と声を漏らした。
通知音は、俺のスクールバッグからも聞こえていた。そう、ぶっ倒れたまま起きない俺のために、教室から届けられていた。
なにっ!?
鹿乗から、LINEでメッセージが届いていた。
『飯野緋羽を探している。飯野の居場所を知っていたら、いますぐ教えて欲しい』
俺は、いま見たばかりの夢を思い出した。まさか? まさか?
まさか、そんなことが…… あまりのできごとに戸惑う。
だが、菅生先輩が笑って言う。
「行ってあげなさいな。キミなら間に合うかもしれないよ」
「はい!」
俺は、スマホだけを握りしめて駆け出していた。
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