第40話 なあ、俺だって、ささやかな革命くらいやってもいいんだろう?

11月23日 木曜日 14時40分

私立祐久高等学校 小教室 C


#Voice :青木あおき 郁吏いくり


 チョークを持つ指が震えた。

 方程式が解けない。


 いまは、数学の補修授業中だ。

 希望した生徒が集まり、補習授業を受けていた。

 俺は指名されて、前に出た。自信があった。

 

 なのに……


 黒板に書き連ねた数式を見なおす。

 何かが違う。

 符号か? マイナスの付いたカッコを外す際は、符号を逆にする。合っている。

 分数か? 分数が掛かったカッコを開いた際に、掛け算をミスったか? いや、ちがう。


 どこだ? どこかが違う? どこなんだ。


 笑いが漏れる。

 背後にくすくす笑いを感じる。ひとり黒板向かう俺は、いま、蔑みと哀れみの視線を浴びている。


「あ、時間がないから…… 萩谷、代わりに解いてくれ」

「はい」


 数学教師の声。萩谷の声。萩谷が椅子を引いて立つ音。ゆっくり上靴の歩む音が近づいてくる。俺は、俺の心臓の音を聞いていた。


「青木、すまなかった。席に戻ってくれ」 

 数学教師が、俺の肩を叩いた。

 敗北感が、俺の心臓を串刺しにしていた。


 黒板から顔をあげると、すぐとなりに萩谷がいる。無表情に近い。間近で見ると、物凄い美少女だと再認識させられる。白い手が伸びてきた。俺はチョークを手渡した。


 萩谷は、俺が書いた数式のほとんどを消した。

 そして、両辺に、28を掛けた。


 あ…… 気づいた。

 俺は、分数のついたカッコを最初に開いて計算した。数式が複雑になり、途中で式を書き間違えた。ようやくミスに気づいた。


 萩谷は、共通公倍数を両辺に掛けて、分数を消してから計算を始めた。

 方程式がいきなりきれいになり、簡単に解いてしまった。


 俺は、黒板の前で長々と醜態をさらしたことを、再認識した。


 悲しみが俺を支配した。



 ◇  ◇



 小学生の頃、俺は神童と呼ばれていた。

 中学生では、常に学年上位にいた。


 だが、いまは違う。


 このクラスには、鹿乗と萩谷がいる。

 才色兼備の典型的事例みたいな顔をして、いまも、俺から評価を奪い去った。

 この美男と美少女のペアが、クラス委員で特進枠だ。

 生徒会にも所属し、学園の支配階級にいる。


 俺は、その特権階級から零れ落ちた。

 悲しみが俺を支配していた。


 それだけじゃない。

 鹿乗はピアノが弾ける。

 一学期が始まって間もなくの頃だ。音楽の時間、急用で先生が不在になり、自習になった。突然のことで誰も自習の用意なんてしていない。


 そのとき、鹿乗がふいにピアノを弾き始めた。

 以来、鹿乗は女子たちの羨望や憧れを集めている。


 萩谷もだ。

 小動物のくせに、水泳の授業では豹変する。

 チビのくせに、スタイルが良い。美少女なのは顔だけじゃない。

 さらに、自由形のタイムはとんでもなかった。インターハイを目指している先輩達までも、うわさを聞きつけて見学に来ていた。


 俺は、音痴で、運動音痴だ。

 ルックスもごく普通。筋肉もなければ、才能もない。

 勉強だけが取り柄だった。


 そのたったひとつの美点までも奪われた。俺は、ただの一般生徒に格下げされた。


 悲しみが俺を支配していた。

 俺は、支配される側のただの何もない普通の生徒にされた。


 だが……

 野入がやばいアプリを持って来たんだ。


 俺たちは、下校時刻を過ぎたくらい大講堂舞台裏倉庫で、キュービットさんをした。はじめはこんなジョークアプリなんてお笑いだと思っていた。


 なのに――


 『あなたの心の奥底にある言葉を教えてください』


 俺は血走った眼で、「キュービットさん」の画面を見詰めていた。

 そうだ。

 あのとき、俺は―― 俺の中で、理不尽に抑圧されていた本当の俺が、目を覚ましたんだ。


「鹿乗を潰してやりたい。俺たちを見下し、不当に支配する生徒会のヤツラを悲惨な目に遭わせたい」

 俺は、迷わず、そう答えた。


 鹿乗の他人を見下す眼は許せない。

 萩谷もだ。あいつは俺を同情の眼で見ている。内心は哀れんでいるはずだ。

 籠川もだ。生徒会書記がなんだと―― 生意気な口をきくな。

 そして、やつらのボス、星崎は倒さねばならない敵だ。


 そう、俺は、俺だけのために革命を始めるんだ。

 

 俺だけの、俺のためだけの、ささやかな革命だ。

 なあ、それくらい許されても当然だろう?

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