1-9 少女とご子息と郵便屋

 軽々と坂を上って、アーリアは商店街に近い自分の店へ向かっていった。


 商店街は第三層と呼ばれる山の最下段にある。

 第一層は神官や政に関わる人が住む場所。

 第二層は裕福層が住む場所。

 第三層と山裾やますそが市井の臣が住む場所でもあり、神が宿る山の始点である。


 山の頂点を含む第一層から第三層の神殿前まで曲がりくねった一本道が走っていて、精霊祭せいれいさいはここが舞台となる。


 太陽が沈んだら、天姫てんひめを連れた仮面の行列がこの道をゆっくりと上っていくのだ。

 観客は仮面の者達にレモン酒を渡したりして、少しでも長く天姫を留まらせようとする。

 天姫が立ち止まった場所にいれば、幸福がやってくると伝えられていた。


 押し寄せる人の波をジグザグに避けながら、アーリアは道を進んでいった。

 広場を挟んで左右に伸びる商店街の店々は、どこも外に露店を出して、祭りで鳴らす小さなベルやうるわしい面立ちの仮面や色鮮やかな食べ物を売っている。

 世界中から精霊祭を観に来た人々が、露店の中にこの地域特有の味を見いだして群がっていた。

 商店街の通りは、行列が歩く大通りと交わっている。

 だから商店街にも多くの観光客が押し寄せるのだ。


「天姫の行列が始まる前に、店じまいしなきゃ」


 いつもの年なら天姫のことなど無視して店を開き、少しでもお金を稼ごうとするが、今年は特別だ。

 イルマの天姫姿が披露ひろうされるのだ。


(――イルマ)


 人が少ない道の端っこで従姉を思い出したとき、秋風が丸くなった枯れ葉を巻き上げてアーリアの背に触れる。

 背筋がすっと寒くなって、彼女は振り返った。

 神殿まで続く長い道は、色とりどりの人混みに隠れている……。


(なんだろう、嫌な予感がする。……こんなに良い日なんてないはずなのに)


「気のせいよ。あまりに色んなことが順調だったから、不安になっているだけよ」


 アーリアは気を取り直して商店街から伸びる枝道に入り、夕焼け色でひたひたに濡れた石畳を歩いていく。

 細道の途中に、花々で彩られた由緒正しきアウラート酒造があった。

 二階建ての店の戸を開くと、無垢木のカウンター前に座っている青年が顔を上げた。


「おかえり、アーリア」


 ふんわりとした笑みで迎え入れてくれたのは、店番を頼んだ幼なじみのエンツォだ。

 物腰に気品があり、優しい口調なので若い女の子に人気がある。

 彼の家は都でもっとも大きな製紙工場を経営していて、作られた紙は神殿に納められるほど品質が良いものだった。


「さすがに神殿のお酒に選ばれると違うなぁ。お酒は、あっという間に売れて、銀貨が十枚になったから私の金貨と取り替えておいたよ」


 エンツォはおっとりと言いながらペンを置いた。


「ありがと」


 お礼を述べながら棚の中のお土産みやげ用のお酒が完売していることに気がつき、頭の中で単純計算して今日の売り上げが金貨一枚とちょっとだと知る。


「ふふふ」


 エンツォが、メモ帳を見ながら満足げに含み笑いをしている。


「何を書いていたの?」

「紙で世界征服できないかと思って、計画書を書いていたんだよ」

「……そう、なの」


 彼は優しい口調で変わったことを言う。

 少しだけ妄想癖が強いのだ。

 製紙工場を継ぐ予定だが、本当は作家になりたいことを仲間達は知っていた。

 しかし彼が書きたいものは神殿が禁書にするような内容である。


「製紙工場同盟を結び、紙の流通を操作して品薄にさせ、各国の情報が行き渡るのを抑制するとか」


 とりとめのない妄想をエンツォは楽しそうに話す。


「だけど、紙がないなら布に書くでしょ?」

「アーリアは、時々頭が良いなぁ」

「時々は余計よ」

「でね、私もそこを考えたんだよねぇ。布には大きく文字を書かないと、何を書いているか分からないから、情報制限はできるんじゃない?」


 まったく物騒なことを考えると思いながらアーリアは口を開く。


「紙を制限したら、郵便屋さんに怒られるわよ」


 と、言ったとき、店のドアベルがリーンと高く鳴った。


 振り返ると、郵便局の深緑の制服を着たレオンが、金髪を緩く振って入ってくる。

 配達途中でトラブルでもあったのか髪がぐっしょりと濡れていた。

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