序章2 十年前の大切な約束

「天姫に選ばれることが、幸せなはずないだろ」


 レオンは突き放すように言って祭殿の階段に腰を下ろした。


「だって、だって、天姫になって王様と結婚した人もいるじゃないのっ」


 ムキになって言い返すと、彼は大儀たいぎそうにため息をつく。


「まあ。天姫になって、足が速ければ、幸せになれるかもしれないけどな」


 呟いて、彼は長めの髪を片手でクシャクシャにする。朝日に照らし出された金髪がつややかに光りながら舞う。


「イルマは絶対幸せになるの。じゃあ、わたし、祈ったから帰るね」


 そう言ってアーリアが一歩下がると、レオンが視線を上げてこちらを見つめてきた。よく見ると長いまつげがうっすらと濡れている。


 ――もう行っちゃうの?


 そんな風に涙目で訴えられた気がした。


「え……えっと」

 戸惑いながらアーリアはレオンの前に座り、……つい、ポンポンと軽く頭を叩いてしまった。

 なにがあったのか分からないけれど泣いている子を放っておけない。


「うーんと。追い駆けっこしようか? それとも縄跳び?」


 精一杯の気遣いをみせると、レオンは緩く頭を振った。

 すると彼の目から一滴の涙が落ち、頬に透き通った線を描いた。


「……どうしたの?」


 訊いてはいけない気がしたが、思わず言葉が漏れてしまう。


「……みんな、みんな、父さんに会わせてくれない……俺は父さんの子なのかな……俺は誰の子だろう」


 そこまで言って、レオンは前歯で下唇を噛みしめた。


(この子は、独りぼっちなんだ)


 なんとなくそんな風に感じた。

 彼が誰かと仲良くしているところを見かけたことがないし、仲の良い人がいると聞いたこともない。


「あの……わたし達の仲間に入る?」


 アーリアは言ってしまってから、嫌がるだろうか、と思った。

もしかしたら好きで独りでいるのかもしれない。


「えっと、わたしの仲間は……みんなとっても良いやつなの。だから……仲間になる?」


 恐る恐るもう一度問いかけると、レオンは顔から一切の表情を消して、用心深くこちらの様子をうかがってきた。


「仲間に入って良いのか? お前達は嫌じゃないのか?」


 尋問するような口調でレオンが聞く。


「嫌? 嫌ってどうして?」

「神殿の者達は、みんな俺を嫌がる。この身体に触れようともしない。姿を見ることすら拒絶する」


 レオンが神殿で受けている仕打ちを聞いて、アーリアは驚いてしまう。

神殿は、みんなに優しい場所だったはずだ。


「わたしは嫌じゃないわ。仲間達も嫌だなんて思わないわ」

「そんな嫌じゃないなんて……」

「当たり前のことでしょ」


 そう言うとレオンはわずかに目を大きく開いた。

 彼は少し考え込み、それから顔を背けて俯く。


「それなら……入ってやってもいいけど」

「じゃ、友情の誓いをしようよ!」

「誓い?」


 アーリアは右手の親指を立てて、レオンに見せた。


「お母さんが見つけた、友達の誓いの方法よ。これをすると、友情はいつまでも続くの」

「ほんとうに?」

「本当よ。わたしのお母さんとイルマのお母さんは大親友だもの」


 説明するとレオンはちょっと考え込んでから深く頷いた。


「どうやるんだよ……」

「親指と親指の腹をちゅっとあてるの。親指キスよ。さぁ、親指を出して」


 レオンは頬を赤らませ、まごまごしながら自分の親指を立ててアーリアに差し出す。アーリアは彼の親指の腹に自分の親指の腹をちゅっと付け、目を閉じた。


「レオンはわたしの友達になる」

「……俺は……あんたの友達になる」


 途切れ途切れながらも、彼は熱を持った声で告げる。


「わたし達、もう友達よ」


 無邪気にアーリアが言うと、またレオンの目から大粒の涙がこぼれた。

 涙に、酷く悲しいものを感じて、アーリアは細い腕で彼を抱きしめる。


「……あたたかい」


 肩を上げ下げして泣きじゃくりながらレオンが呟く。

 彼はアーリアの背をそっと掴んでから、激しくしがみついてきた。


 こうして友情と、友情よりも強い想いが芽吹き、彼らの周りで時は流れに流れて、十年が経ち……。

 アーリア、十六歳の誕生日。

 国の命運が、彼女の肩にのし掛かることになる。

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