心の整理整頓

絶坊主

第1話

「用事は何もなかったけれど、お世話になった人にいつか感謝の気持ちを伝えなきゃ…と、ずっと思っていたので思いきって電話しました。喜ぶと 思うので時間の あるときに電話してみてください。」


同期のボクサーだったKさんから1通のメール。


一緒に添付されていた電話番号。Sジム時代のトレーナーだったOさんの番号だった。


私は中学生の頃にプロボクサーになる!と決心して本格的にボクシングを始めた。


そして、当時のボクシングマガジンを読んでいて、あるボクサーの記事に釘付けになった。


伝説のボクサーIさん。


映像では見たことはなかったけれど、記事を読んで、正に自分のなりたい理想のボクサーそのものだった。記事の活字を自分の頭のなかで想像しながら、夢中で読んでは実際に闘っているIさんを見たくて仕方なかった。


私はある事情で4年しか時間がなかった。


どうせやるならボクシングの聖地 後楽園ホールのある東京。それも、自分の理想のボクサーIさんがいるSジムで。


そう決めていた。


初めて見学に行った時。


どういう経緯でそうなったのかわからないけれど、見学の帰りにSジムのトレーナーだったOさんのトラックでアパートまで送ってもらった。


その車中Oさんといろんな話をした。そんな事も嬉しくて、私はすぐSジムに入門した。


最初はOさんに見てもらっていた。しかし、途中からIさんのトレーナーだったSさんに変わった。


一年間プロを目指してみっちり練習した。プロになるための練習は厳しかった。


そして、実際に見る伝説のボクサーIさん。


自分で想像していた姿より、はるかに凄かった。Iさんのサンドバッグを揺らす音。


それだけでジムの空気が一変した。


1年後、テストに受かり、デビュー戦も1RKOで勝ち、新人王戦に出る事になった。


階級はJr.フェザー。


今は呼び名が変わってスーパーバンタムだけど、やっぱり私はJr.フェザーの方がしっくりくる。


同じ階級でデビュー戦も同じ時期だったKさんも違うブロックでエントリーしていた。KさんのトレーナーはOさん。


トレーナー同士のちょっとした遊び心で、どちらかトーナメントを勝ち進んだ方に、負けた方のトレーナーがガウンをプレゼントするという賭けをしていた。


でも実際、期待されていたのはKさんだった。事実、Kさんが判定で2回戦で負けた時、スポーツ新聞に、「K判定負け!」と見出しが出たくらいだった。


私はと言えば、じり貧ながらも準決勝まで駒を進めていた。


約束通りOさんから日の丸が入った白いガウンをプレゼントされた。


「お前は対戦相手に恵まれて良かったよな。運も実力のうちだよ。」


Oさんから言われた言葉。


「お前の方が勝ったのはまぐれだよ。」


私はそうとっていた。


いつかOさんを見返してやる!


これが私の原動力となった。


でも、いざ電話をかける時は緊張した。


もしかしたら、私の事を覚えてないんじゃないか・・・なんて考えていた。


「昔、お世話になった絶坊主で・・・」


「おーーーっ、絶坊主か!」


Oさんに電話するのは15年振りくらいだったけど、そんな期間がウソのように次から次へとお互い話題が出てきた。


私は失礼かと思ったけど、自分の長年思っていた事をぶつけてみた。


「正直、あのOさんの言葉はずっと残っていました。だけど、あの言葉があったから、いつかOさんを見返してやろうと頑張れたと思うんです。」


私の嘘偽りのない言葉だった。


「・・・な、俺の思う壺だったんだよ。」


私の言葉を聞いて、ひとしきり笑った後、Oさんは言った。でも、そう思えるまではすごく時間がかかった。


この人は俺の事をまぐれで勝ってきたと思ってるんだ。


俺はこの人にボクサーとして認められてないんだ。





ずっと、そう思っていた。





1時間くらい話をしただろうか。突然の電話にも関わらず、昔に戻ったかのように話をしてくれるOさんに嬉しくなった。



「本当に色々とお世話になり、ありがとうございました。」



Oさんは笑っていた。


後日、久し振りに自分の新人王の準決勝戦のビデオを見た。


もう数えきれないほど見たけれど、回りの声援に注目して見た事はなかった。



「絶坊主っ!効いてるよっ!」



「ナーイスボディーっ!」



Oさんの必死に叫ぶ声が他の人の声に混じって聞こえた。





「なんだよ、やっぱり応援してくれてたんだ・・・」





なんかそう思うと泣けてきた・・・


脱ぎ散らかしたままの自分の服を、キチンとたたんであるべき場所にしまえた。


そんな気分だった。


たまにくれるKさんのメールは、私みたいな人間にそういう気付きを教えてくれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心の整理整頓 絶坊主 @zetubouzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ