第20話 次郎長と勝蔵(二)

 尾張からの逃亡を図った次郎長たちは乙川から北上し、知多半島から脱出しようとした。

 一方、久六の子分たちはすぐに近くの陣屋へ久六が殺されたことを知らせた。それで、たちまち尾張藩の追手が次郎長を追いかけてきた。

 次郎長たちは知多半島から脱出する前に追手に追いつかれ、とうとう数名の追手と斬り合いになった。

 が、なんとか次郎長たちは虎口を脱した。この斬り合いの際、八五郎が負傷させられた。大藩である尾張藩の追跡は他藩とは比較にならない強烈さで、その後も執拗に追跡してきた。

 ここで絶体絶命となった次郎長は何を思ったか、おもむろに、知多半島のつけ根のところにある桶狭間へ行くと言い出した。

「桶狭間は今川義元公の墳墓の地だ。俺も義元公と同じ駿河人だ。どうせ討ち死にするのなら、あそこで死のう」

 これを聞いて子分たちは「尾張人の追手を相手に、そんな縁起の悪いところへ行きたくねえなあ」と思いつつも、仕方なく次郎長の言う通り桶狭間へ行って義元の墓を参拝した。

 ところが追手も次郎長たちがそんな方向違いのところへ行くとは思わず、かえってこれが追手を避ける迂回路となった。次郎長は「さすが義元公の霊験はあらたかだ」と義元に感謝した。

 うまく追手をまいた次郎長たちは、このあと東の三河へ向かった。

 危機の際の落ち着き先はいつも三河の寺津と決まっている。とはいえ清水からの逃亡先であれば寺津は遠隔地なのでうってつけだが、尾張からは近すぎる。すぐに寺津にも追手がやってくるかもしれない。そんなわけで寺津では少し休んだだけですぐに東へ出発した。それから天竜川、大井川、安倍川を渡ってなんとか数日後、清水へ帰り着いた。

 が、そもそも当初の事情が、目明しの追及を逃れるために清水から尾張へ逃げたのだ。次郎長が清水で安住できるわけがなかった。

 それで次郎長が関東の潜伏先として重宝している武州高萩たかはぎ(現、埼玉県日高市)へ向かうことにした。そこには次郎長の先輩格で昔から世話になっている「高萩の万次郎」という博徒がおり、そこでしばらく潜伏することにしたのだ。


 次郎長は地元の寺でおちょうの法事を済ませたあと、再び大政、石松、八五郎の三名を連れて清水を出発した。

 行き先は甲州である。甲州を通ってから高萩へ向かうことになるのだが、甲州塩山の三日市場に政吉という知り合いの博徒がおり、ひとまずそこへ次郎長たちは向かうことにした。

 次郎長一行は東海道を富士川まで東進し、そこから富士川沿いの駿州往還を北上していった。




 そのころ甲州では、甲州博徒の大物として復活した竹居安五郎が、すでに鰍沢の縄張りを取り戻していた。

 元は安五郎の縄張りだった鰍沢に次郎長と大熊が手を出し、それを祐天仙之助が退けたことは前々回書いた。

 しかし鰍沢の賭場は仙之助の手中に収まらなかった。仙之助が危惧していた通り、甲州へ帰ってきた安五郎がさっそく鰍沢の賭場を取り戻しにかかったのだ。

 何と言っても安五郎には、勝蔵の“黒駒一家”という武闘派集団が手駒としてある。かつて仙之助に取られた安五郎の賭場を勝蔵たちが賭場荒らしさながらの殴り込みによって取り戻した実績もある。

 が、安五郎はそういった実力行使はおこなわなかった。彼は財力と政治力を駆使して鰍沢の賭場を取り戻したのだ。

 鰍沢で水運業や商業に携わっている者の中には安五郎の古くからの知り合いが大勢いる。そういった鰍沢の有力者たちを説得して味方に取り込んだのだ。もちろんお尋ね者の安五郎が直接出向くわけにはいかないので子分たちを交渉に行かせた。そして業者間の様々な利権の調整をおこない、時には金を配るなどして彼らを納得させた。納得しない者には、黒駒一家による実力行使もチラつかせて黙らせた。

 こうして安五郎は血を流すことなく仙之助の勢力を駆逐し、再び鰍沢の賭場を手中に収めたのである。

 こういった手法は安五郎のもっとも得意とするところだった。

 しかし、そもそも兇状持ちの安五郎がこのように大手を振って甲州で活動できること自体、異常である。

 が、安五郎は甲州の役人や目明しにも金を配って逮捕されないよう手を打っていたのである。どの人間を押さえれば組織や権力を上手く把握できるか、それを隅々すみずみまで見抜く眼力が安五郎にはあった。まさに安五郎の政治力がなせる技であった。


 それ以降、鰍沢の賭場を守る用心棒として、勝蔵の黒駒一家からも何人か賭場に詰めるようになった。

 その日、勝蔵と玉五郎が賭場の様子を見に鰍沢へやって来た。そして賭場の貸し元の部屋へ行った。この場合の貸し元とは「賭場の責任者」という意味合いのもので、賭場に関わる金銭の一切を管理する人間のことである。現代の会社の感覚で言えば「支店長」と言えるだろう。

 ところがこの鰍沢の貸し元は一風変わっていた。

 若い女なのである。

 むろん若いと言っても十代の小娘であるはずもなく、ハッキリとした年は分からないものの見た目、三十手前ぐらいに見える。

 女にしては割と背が高いほうでスラッとしており、顔も掛け値なしの美人である。こういう世界の女だけあって目つきは多少キツめだが細面ほそおもてで鼻筋も整っている。しかも左目の下に泣きぼくろがあり、それが妙に男心をそそる。

 彼女は名を「おりは」という。

 後世「吃安どもやす十人衆」の一人「女無宿おりは」と異名を取る女である。

 元は浪人者の後家さんだったらしい。それを放浪中だった安五郎が見い出して拾い上げ、博徒として仕込んだ。そして安五郎が甲州へ帰って来るのに合わせて一緒に連れて来たのだった。

 竹居へ帰って来た安五郎には本妻ともめかけともつかぬ連れ合いの女が一人いて、彼女は近所に囲われていた。そしておりはもその近所に住んでいるのだが安五郎の二号さんなのかどうかは分明ぶんみょうでない。

 とはいえ、安五郎のお気に入りの女であることに間違いはなく、これだけの器量良しなので言い寄ろうとする男は相当数いたにもかかわらず、安五郎が恐ろしくて誰も手を出せなかった。


「あら、いらっしゃい、勝蔵さんに玉五郎さん。お二人が直々に来られるなんて珍しいわね。今日は何か特別なことでもあるのかしら?」

 勝蔵に対して「勝蔵さん」などと気安く声をかけられるのは安五郎を除けば、このおりはぐらいのものである。安五郎の寵愛があってこその特権だ。

「いや、おりはの姐さん。別に特段の事情はありません。いつも通り、見回りで立ち寄っただけです。何か賭場で変わった様子はありませんか?」

「大丈夫よ。いつも通り、私が呼び込んだお客さんで繁盛しているから」

 勝蔵はおりはが苦手である。というよりも、正直どう扱っていいのか決めかねる、といった心境だった。

 女だてらに賭場の貸し元をつとめるなんてこれまで見たことも聞いたこともない。

 ところがおりはがこの鰍沢の賭場を取り仕切るようになってから賭場の売り上げが倍増しているのである。「美人の貸し元がいる」という評判が多くの客を呼び、さらに彼女自身が町の有力者のところを回って集客活動をおこなっていた。特に金持ちの有力者を狙って賭場へ足を運ぶよう勧誘した。その甲斐あって賭場は繁盛し、一晩で何百両という金が飛び交うようになった。

 丁半博打の駒札には額面によって種類がいくつかあるのだが一コマ一両の「金駒」が一番上等な駒札だ。おりはがここに来てからは、この金駒を使うのが通例となり、客も金持ちが中心となった。その金駒の札は高級感を出すために漆塗りの上等な細工でこしらえてあり、「安五郎さんの金駒」として信用度が高く、賭場以外のところへ持ち込んでもこれを一両として交換できる、という評判が立つほどだった。

 もちろんこういった賭場経営の戦略を立てたのは安五郎で、それをおりはが自身の美貌と客受けの良さによって実現したわけである。鰍沢の賭場は今や一番の稼ぎ頭となっていた。

 ケンカしか取り柄がない勝蔵としては、安五郎とおりはの才覚に舌を巻くしかない。


 ちなみに、この十年ほど前に勝蔵が鰍沢へ遊びに来た時に、ここの賭場で蛇の刺青をした「箱原はこばらのおさん」という女博徒と遭遇したことがあったが、彼女はもう、ここにはいない。

 噂によるといろんなところで博打を打ちながら旅暮らしをつづけているらしい。おさんがこの世界に入ったのも牢屋で女無宿と知り合ったことがきっかけだったが彼女はその後もそういった境遇の女たちと助け合って暮らしており、男嫌いなので結婚はしないつもりのようだ、というのがもっぱらの噂だった。

 その後の彼女の消息を知る者は誰もいない。

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