第14話 黒駒一家、誕生(一)

 お花を亡くしてからというもの、勝蔵は人が変わってしまった。

 酒に溺れることが多くなり、時には泥酔して暴れることもある。

 ひとことで言えば自暴自棄、ということである。


(なぜ俺はあんな無茶なことをしてしまったんだ……。俺があんな無茶をしなければ、お花は死なずに済んだのだ。俺が……、俺がお花を殺したようなものだ!)

 という自責の念が、勝蔵に酒を飲まさずにいられないのだ。


 勝蔵が泥酔して暴れるたびに、その周囲にいる人間が玉五郎を呼びに行き、彼に勝蔵をなだめさせた。

 勝蔵の友人で、しかも恋女房を病気でなくした玉五郎は勝蔵の傷心を癒すのにもっとも適任者であった。玉五郎はそのつど、泥酔した勝蔵のところまでやって来てこんこんと説諭せつゆし、いつもしまいには勝蔵が涙を流して改心する、というのがお決まりのパターンだった。

 かつて玉五郎の女房が亡くなった時は、自暴自棄となった玉五郎を勝蔵が改心させたものだが、完全に立場がひっくり返ってしまった。

 しばらくそんなことをくり返しているうちに、なんとか勝蔵もお花を思う気持ちにひとまず心の整理をつけ、少しずつ以前の活力を取り戻していった。


 なにしろ勝蔵には落ち込んでいるヒマなど無かった。

 このとき勝蔵は、本当の意味で、過去の自分と決別しなければならなかったのだ。


 小池家と縁を切り、博徒となる道を選んだのである。


 縁を切る、というのはつまり、人別帳から名前を取り除かれて“無宿人”になる、ということを意味する。

 そもそも熊野神社で三井一家の連中と派手な刃傷沙汰に及んだ時点で、勝蔵はすでに博徒の世界へなかば足を踏み入れたも同然だった。そして周囲の人々も以前から安五郎の後継者となるよう勝蔵に期待していたので、これはある意味、既定路線だったと言えないこともない。

 とはいえもちろん、小池家と縁を切る、というのは勝蔵にとって一大決心が必要な重大事である。


 安政三年(1856年)七月のある日のことだった。

 真夏の太陽が西日となった夕暮れ時、若宮の小池家に家族一同が集まり、そこで勝蔵は皆に打ち明けた。

「私は無宿人となることに決めたので、家族の縁を切ってほしい」


 集まった家族は父の嘉兵衛、母のおかよ、兄の三郎左衛門、さらにその長男の長吉である。

 三郎左衛門は勝蔵と一つしか歳が違わないが早くから妻帯し、息子の長吉は今年で九歳になる。ただし長吉の母、つまり三郎左衛門の妻は二年前に病没した。それで、近々後妻を迎える予定となっている。また、勝蔵には姉が一人いるのだが、すでに他家へ嫁にいっている。


 勝蔵からその話を打ち明けられると父と兄は深刻な表情で受け止め、母は涙を流して悲しんだ。しかし子どもの長吉は事の重大さがよく飲みこめず、キョトンとした表情で大人たちの会話を眺めていた。

 勝蔵はさらに言った。

「父上、母上には多大なる恩情をたまわり、ここまで育ててもらいながらこのように親不孝なかたちになってしまったことは、まことにおびのしようもございません」


 父の嘉兵衛は、厳しい表情で無言のまま勝蔵の詫び言を聞いた。

 が、心の中では一種のあきらめに近い感情もあり、この詫び言をわりかし冷静な気持ちで受けとめていた。

 勝蔵が将来、竹居安五郎のようになってしまうのではないか?という危惧は、かなり早い時期から嘉兵衛の胸中にあった。なにしろ親類同然につきあっている戸倉の堀内喜平次が勝蔵に目をかけ、陰ながら「そちらの方向」へ導こうとしていたのだ。

 もとより喜平次が黒駒のことを考えてそのようにしている、という事情も、嘉兵衛には分からぬわけではない。

 そして実際、勝蔵が博徒の一家を構えるに当たっては、堀内家の隣りにある家屋を喜平次が提供し、さらに当面の活動資金も喜平次が提供することになっているのだ。

 小池家は長男の三郎左衛門がいずれ後を継ぎ、名主として黒駒のために働くことになる。そして次男である勝蔵も、日陰の世界ではあるが、黒駒のために働くということでは同じである。

 嘉兵衛としては、

(喜平次さんのところへ養子に出したと思って、あきらめるしかなかろう……)

 という心境だった。

 とはいえ世間では無宿人は人間扱いされず、「養子に出したと思って」などというような甘い話ではない。

 勝蔵は二度とカタギの世界には戻れないのだ。

 しかも博徒同士の抗争によって命を落とす危険すらある。

 ただし勝蔵がどこか遠い世界へ行ってしまうわけでもなく、これからも目と鼻の先にある戸倉に住み続けるのだから、会おうと思えばいつでも会える。

 といった訳で、この「親子の縁切り」は通常の縁切りとはやや事情が異なっており、どこかお互い、開き直った感じがしないわけでもなかった。


 その点では兄の三郎左衛門もおおむね父と同じ心境だった。

 しかも弟の勝蔵のことは三郎左衛門が誰よりもよく知っている。

(俺と違ってあいつは、カタギの世界で生きていけるような奴じゃない。あいつのことだから、いつかはこうなるだろうと思っていた。小池家に害を及ぼさないためにも勝蔵の籍を抜くのはやむを得ない。長男の俺はいずれ名主となって小池家と黒駒を守らねばならない。そしてあいつは、博徒という身分で黒駒を守ろうとすることだろう。おそらく、これが我ら兄弟の運命さだめだったのだ……)


 父と兄はこのような考えのもと、表向きは勝蔵に翻意ほんいをうながし、世間一般の常識として無宿人になることの非を説いたりもしたが、勝蔵があらためて決意のほどを述べるとあえて反論せず、黙って勝蔵の決断を容認した。

 が、母のおかよはただただ涙を流しつづけた。

 自分の息子から「無宿人になる」と打ち明けられ、情けないやら可哀そうやらで、とにかく悲しく、涙が止まらないのだ。

 別に勝蔵が遠くへ行ってしまうわけでもなく、ひょっとするとこれからも近所の道端でひょっこり顔を合わせることさえあるかもしれないのだが、悲しい気持ちに変わりはなかった。

「ああ、勝蔵や。なんとか思い留まれないのかい?ああ、可哀そう。本当に可哀そう。どうしてこうなっちゃったんだろうねえ……」

 と一人で泣きつづけた。


 そして幼い長吉は父の三郎左衛門に質問した。

「勝蔵叔父おじさんはこれからも黒駒の近くにいるのでしょう?ときどき遊びに行っても良いですか?」

「このたわけ者が。くだらない事を聞くな」

 と三郎左衛門は長吉を一喝した。血縁者とはいえ、息子を博徒のアジトへ遊びに行かせるなど、親として許せるはずがなかった。

 ところが長吉はこれ以降、ちょくちょく勝蔵の所へこっそり遊びに行き、ときどき小遣いをもらったりして勝蔵になつくことになる。

 そして勝蔵の影響からか、博徒にはならないものの成人したのち、竹居の中村家の人間と派手に博打を打って回るようになるのである。おそらくその影響もあったのだろう、のちに長吉は三郎左衛門の後を継がず、そのころ小池家を継ぐことになるのは、このあと後妻が産む次男の源次郎なのである。ただしこれは余談に過ぎない。




 このあと勝蔵は小池家を出て、戸倉で博徒の一家を構えた。

 前述の通り、一家創設にあたっては堀内喜平次の支援を受けたのだが、さらに竹居村の中村甚兵衛の支援も受けていた。

 甚兵衛の弟である安五郎はまだ甲州へ戻っておらず、もともと安五郎の子分だった連中は甚兵衛が陰ながら面倒をみて、竹居村を拠点として細々と活動をつづけている。

 勝蔵の一家は、この竹居の甚兵衛・安五郎の一味に加わるかたちとなった。

 これまでのいきさつからしても、こうなるのは自然な流れだった。竹居と黒駒はそれほど距離が離れておらず、すぐ近くに黒駒一家という仲間ができたことは安五郎の子分たちにとって心強かった。


 黒駒一家の構成員として、真っ先に玉五郎と猪之吉がせ参じたのは言うまでもない。

 そしてそれ以外にも、以前から勝蔵や玉五郎と遊び歩いていた近隣の無頼漢どもが、勝蔵を慕って戸倉に馳せ参じてきた。この連中も、勝蔵に早く一家を構えて欲しいと以前から望んでいた連中である。


 北八代村の綱五郎。

 歳も体格も勝蔵に近い。取柄とりえは力自慢と大メシ食らいで、丸太二本をいっぺんに振り回すのが得意技。博打はからっきし弱く、しかも遊女屋びたりで女にも弱い。もちろん頭もかなり弱いが、博徒になろうなどというやからは普通、ほぼ例外なく頭が弱いと決まっている。


 成田村の岩五郎と中川村の岩吉。

 岩五郎は大男で、岩吉は小男。歳は岩吉が勝蔵と同じぐらいで、岩五郎がやや年少。二人とも腕っぷしは強く、これまでも二人でつるんで博打は打つわケンカはやるわで、散々悪さをしてきた。

 ちなみに、この二人は共に名前の頭文字が「岩」なので、名前を呼ぶ際に紛らわしい。それで勝蔵から、

「これからお前たちは、大きい方(岩五郎)を大岩、小さい方(岩吉)を小岩と呼ぶからな」

 と勝手に決められてしまった。

 これが有名な勝蔵子分の「大岩・小岩」で、次郎長子分の「大政・小政」の向こうを張ることになる。

 大政・小政のうたい文句に「清水みなとは鬼より怖い、大政小政の声がする」というのがあるように、大岩・小岩にも「障子に映るは黒駒身内、大岩小岩の影がさす」という謳い文句がある。


 その他、きつね新居あらい村の兼吉、吉田村の房吉、肥後出身無宿の次三郎など次々と勝蔵のもとへ子分たちが集まり、十数名の人員がそろった。小さいながらも博徒の一家としての陣容は、とりあえず整った。


 これらの子分の中でも玉五郎は勝蔵の相談役として代貸だいがし的な立場に収まった。玉五郎はかつて武士だったこともあってそれなりに学もあり、勝蔵の懐刀としてはうってつけだった。

 勝蔵一家は堀内家の隣りの屋敷に住み込んでいる。いずれ早いうちに、ここで賭場を開くつもりだ。住む所と当面の資金は喜平次の世話でなんとかなったものの博徒となった以上、すぐにでも自力で金を稼げるようにならないと、たちまちおマンマの食い上げになる。

「さて、どうやって稼いだもんかな、玉五郎よ」

「親分はどういうやり方がお好みですか?」

「うーむ、やはり、昔から気安くつきあってきたお前から“親分”なんて呼ばれるのは、どうもしっくりと来ねえな」

「さっさと慣れてもらわないと困ります。親分らしく毅然とした態度を取ってもらわないと、他の子分たちに示しがつかない」

「そりゃあそうだが、やはりお前から親分と呼ばれるのは、なんとも妙な気分だ」

「まあ、それはそれとして……。とにかく我々博徒が金を稼ぐとすれば賭場を開いてテラ銭を稼ぐのが本道です。それで、この戸倉でも賭場は開きますが、おそらくテラ銭のあがりはあまり期待できないでしょう。ここは山奥で人が少ないし、しかもすぐ近くに八反屋敷(武藤家)の賭場があって客の取り合いになる。どこか他所よそで実入りの良い賭場を手に入れないとやっていけません」

「他所の賭場と言ったってここら辺じゃ、竹居一家の賭場か、祐天(仙之助)の賭場か、そのどちらしかないな。安五郎さんがいなくなってからは竹居一家が衰えて、今ではほとんどが祐天の賭場だが」

「その祐天に奪われた竹居一家の賭場を取り戻すのであれば、竹居一家の一員となった我々“黒駒一家”としても、名分は立つわけですな」

「この野郎。親分の俺をけしかけるつもりか?」

「でも親分の性分からすれば、他人に頭を下げて何かをお願いしたり、新しい賭場を育てるなんてまどろっこしいやり方よりも、力ずくで敵から奪うほうが好きでしょ?」

「ふっ。玉五郎よ。さすがに俺の性分をよく知っていやがる」

「それじゃあさっそく、祐天の賭場へ殴り込みといきますか」

「もちろんだ。祐天なんか目じゃねえ。俺が博徒の道へ入ったからには甲州一の博徒を目指す。甲州一の博徒になるということは、すなわち日本一の博徒になるということだ。富士山は日本一でかい山で、信玄公は日本一強い男だ。俺は富士山や信玄公のような男になってみせるぞ」

「じゃあ、さしずめ俺は山本勘助ってところかな。片目じゃねえけど」

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