第10話 夏休みなのに雨

 夏の離宮へ行った次の日は朝から雨だった。午前中の勉強はいつも通りだけど、午後からはサミュエルと弟達はノースコート伯爵と室内訓練所で剣術の訓練だ。

「怪我をしない様にね」

 ノースコート港を護る騎士や兵士達と一緒に訓練するなんて無理じゃないかなと不安だけど、サミュエルはいずれはこの土地を治めるのだ。それにノースコート伯爵が付いているのだから、無茶はさせないと信じるしかない。

「お姉様はどうされるのですか?」

 ナシウスは私が退屈するのでは無いかと心配してくれている。マジ可愛いね。

「カザリア帝国の遺跡を絵画刺繍したいので、その下絵を描きますわ」

 スケッチはなかなか良い感じだ。でも、そのまま絵画刺繍の下絵にはできない。私は蔦に覆われた防衛壁と石畳を突き破って生えた大木と廃墟を上手く組み合わせたいと思っている。

 リリアナ伯母様は近在の奥様方が訪ねて来るそうで、あれこれ侍女に指図をしたり忙しそうだ。なので、私は子供部屋で絵を描いていた。

「こんな感じで良いかしら?」

 割と早く下絵は描き終わった。暇ができたので、マギウスのマントについての資料を取り出して考える。

「この魔石を付ける遣り方は指輪に宝石を付ける爪の応用で良さそうなのよね。魔石を取り替える時に少し面倒だから、少し応用したいわ。そうだわ、細密画を入れるロケットみたいにすれば良いわ」

 魔石の付け方は何とかなりそうだけど、守護魔法陣を刺繍する糸が未だ分からないままだ。

「それと防水加工も手が付けられていないのよ」

 スライム粉とガラスの原料の石英を組み合わせて、防水加工ができないかとは思うのだけど、錬金窯が無いので実験もできない。

「石英ガラスって確か光ファイバーとかにも使われていると聞いたけど……よく覚えていないわ。それに材料も無いもの。できない事より、できる事をしましょう!」

 遺跡の下絵を絹の生地に薄く描き写して、絵画刺繍の枠に張っていく。できれば夏休み中に仕上げてしまいたい。秋学期はリュミエラ王女も編入されるので、どの程度時間を取られるのか分からないからだ。

「流石に寮には入られないわよね。大使館から通われるなら、然程はリュミエラ王女と関わる時間は少ないと思うのだけど……」

 この件も考えても仕方が無い事だ。他国の王妃になる姫なのだから、コルドバ王国で厳しく教育されていると信じるよ。

 絵画刺繍の枠は長方形の大きな枠で、それを支える脚に付けて刺繍していく。

 メアリーに手伝って貰って枠を脚に固定する。これは1人ではできないんだ。枠を持つ人とそれを固定する人がいるからね。

「お嬢様、この絵画刺繍も素敵になりそうですね」

 料理のレシピを伝えに台所に行くのには批判的なメアリーだけど、刺繍には好意的だ。貴婦人の趣味に相応しいと思っているのだろう。まぁ、確かに錬金術で自転車を作るより令嬢らしく見えるよね。

 少し刺繍をし始めようかなと思っていたが、弟達が剣術訓練から帰ってきた。

「お姉様、ノースコート伯爵に筋が良いと褒められました!」

 ヘンリーが嬉しそうに報告する。

「それはサリエス卿が教えて下さっているからだよ」

 ナシウスが注意している。自信は良いけど、調子に乗って怪我をするのを心配しているのだ。賢い弟だね。

「お兄様、分かっています。パーシバル様にも教えて頂きましたね」

 あっ、ヘンリー、ちょっと危険な話題に近づいているよ。

「ペイシェンス、お茶を飲んだらリュートの練習をしよう。アルバート部長に言われていただろう」

 うん、サミュエル、そっちの話題も避けたいけど、リュートは練習しなくてはね。

 応接室では何人かの近在の御婦人達がお茶会をしている様なので、今日は子供部屋でお茶を飲む。

 サミュエル、ナシウス、ヘンリーの目が縁談について聞きたいとキラキラしているけど、私は断固として無視する。

 ノースコート伯爵家にはリュートも大中小と揃えてある。それに絵の具もいっぱいあるね。

「明日も雨なら、昼からは絵を描きましょう」

 サミュエルは乗り気では無さそうだけど、ナシウスは嬉しそうだ。ごめんね、絵の具を買ってあげれなくて。あっ、買えるんだ! バーンズ商会に貰ったお金がある。でも、出来るだけ節約してヘンリーの大学資金に貯めておきたい。

 ロマノ大学に芸術部門が新設される。変化は少しずつ浸透してきている。ヘンリーが6年生になる頃には、騎士コースから見習い騎士になる学生よりロマノ大学へ進学する方が多くなるかもしれない。

 異世界に転生してから、私はケチになった。前世でもそんなに無駄使いする方では無かった、いやバーゲンとかではかなり使っていたかも。ふう、本当に父親は秋には復職するのだろうか? そうだと良いな。絵の具代を気にしないで、弟達に絵を描かせてあげたいよ。

 私だけでなく、ナシウスやヘンリーにもリュートを習わせる。

「ペイシェンスはかなり上手くなったな」

 サミュエルの上から目線の褒め言葉が胸に突き刺さる。そう、サミュエルの方がかなり上手いのだ。

「夏休み中に猛練習するわ」

 サミュエルに鼻で笑われたよ。悔しい!


 次の日も雨だったら絵を描く予定だったけど、晴れた。うん、夏休みなんだもん。晴れている方が良いよ。

「今日は昼からは泳ごう!」

 朝食の席でサミュエルが言うと、ナシウスとヘンリーも嬉しそうに頷く。かなり勉強も真面目にしているから、泳いで遊ぶのも良いよね。夏休みだもの!

「ペイシェンスは残りなさい。サティスフォード子爵夫人が来られるから」

 ラシーヌが? 夏の離宮でのジェーン王女とアンジェラとの件かしら? 弟達と一緒に海水浴して遊びたいけど、従姉妹のラシーヌには馬術教師の派遣でお世話になっているからね。今日は諦めよう。

「わかりました」お淑やかに答えておく。

「なんだ、ペイシェンスは来ないのか」

 サミュエルは少し残念そうだけど、それってもしかして生温いジュースを冷やして貰えないからじゃ無いよね。

「サミュエル達もお茶までには帰って来なさい。アンジェラも来るから」

 これはサミュエル達は子守させられるね。ややこしい話で無いと良いのだけど。

 サミュエルと弟達は馬車で海水浴に出かけた。私は絵画刺繍をしながら、ラシーヌが来るのを待つ。夏休み中に仕上げたいから、生活魔法を使うよ。でも、細かく色を変えなくてはいけないので、生活魔法を使っても少しずつしか刺繍できない。

「まぁ、ペイシェンス。凄く速く刺すのね」

 横に座っていたリリアナ伯母様に驚かれた。何本もの刺繍針には色々な刺繍糸を膝までの長さ分だけ通してある。それで刺繍していくのだ。

「夏休み中に仕上げたいと思っています」

 今は防衛壁を刺している。この上に蔦を刺していくのだ。刺繍糸を一本取りで刺すから、なかなか進まない。それに色変えも何回もする。私は生活魔法を使っていると、集中して他の事が目に入らない。

 リリアナ伯母様だけでなく、ノースコート伯爵も私の指先から生み出される絵画刺繍を真剣に眺めているなんて知らなかった。

「サティスフォード子爵夫人がお着きです」と執事の声で私は我に返った。殆ど防衛壁は刺し終えていた。うん、これなら夏休み中に仕上るだろう。

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