第81話 私の大好きなお姉様……ナシウス視点

 私はナシウス・グレンジャー。グレンジャー子爵家の嫡男になるのかな。何故、そんな自信無さげな名乗りなのか? それは家がとても貧しくて子爵家と言って良いものか分からないからだ。

 お父様のウィリアム・グレンジャー子爵は前は王宮でアルフレッド王様にお仕えしていたそうだ。ごめん、覚えてないんです。私は今9歳で、どうやらお父様が免職になったのは5年前みたいなので、4歳の私は何があったのか知らない。

 優しかったお母様が6歳の時に亡くなられたのも、ぼんやりとした記憶になっている。私はその時、4歳のヘンリーと家に残されていたので、お葬式には行ってないのだ。

 それからは2歳年上のペイシェンスお姉様が、お母様の代わりに私と弟の面倒を見て下さっている。私やヘンリーに字や数字を教えて下さったのもペイシェンスお姉様だ。お母様は具合が悪い日が多くて、あまりお会いできなかったからね。ヘンリーはほとんどお母様の事を覚えていないみたいだ。だから、私とペイシェンスお姉様とでいっぱいお母様がどれほど優しい方だったか教えてあげている。

 でも、私もお姉様程はお母様の事を覚えていないのだ。でも、それは内緒だ。お姉様の顔が悲しそうになるのは困るからだ。


 そのお姉様が1年前に重い病気になられた。毎朝、挨拶のキスをしてくれていたのに、朝食にお見かけしなかった。

「お姉様は?」とお父様に聞いたが「風邪をひいたようだ」としか応えてくださらない。でも、愚かにも私はその言葉を信じていたのだ。そして、次の日も、次の日も、お姉様は朝食にも昼食にも、夜のお休みの挨拶にも来られなかった。

「お兄様、お姉様は?」

 6歳のヘンリーを不安がらしていけない。私は兄なのだ。お姉様が私を守って下さったようにヘンリーを守らなくては!

「風邪をひかれたようだ。きっと私達にうつしてはいけないと考えておられるのだろう」

 そう応えたが、私も信じていない言葉なので、ヘンリーの不安を拭う事はできなかった。

 そして、貧乏な我家に医師が呼ばれた。私はコソッと子供部屋から覗いて、黒い服を着た医師の後姿を見て、お母様が亡くなられた時を不意に思い出した。

『お姉様が亡くなられるのでは!』

 私は不安で眠れなかった。スヤスヤ眠るヘンリーをこれから先は私1人で育てなくてはいけないのだ。だってお父様は生活面は頼りないお方だもの。それはお母様やお姉様も言っておられた。あっ、これを盗み聞きしたのは、秘密なのだ。

 だが、お姉様は回復なされた。メアリーの晴々とした顔でわかった。医師のお陰だ。私は将来、医師になろう!

 それからお姉様は教会で生活魔法を賜り、我家を改善していかれた。生活魔法とは素晴らしい魔法だ。私も生活魔法なら良いのだが、どうもお父様に言わせると自分と同じ風の魔法ではないかとの事だ。

 でも、このところのお姉様は少し変な所もある。忙しくてうっかりなさる事が多いのだ。

「これなら王宮の女官になれるかもしれませんね」

 お姉様の生活魔法なら女官になれると思って言ったのだ。

「王宮の女官?」なのにお姉様は怪訝な顔をなさる。

「お姉様の望みでしたでしょ」と聞いたら「ええ、そうね。でも、王宮の女官になると決めるのは、学園で勉強してからですわ」と言われた。

 その通りだ。お姉様が女官で終わる方だなんて私は愚かだ。きっと、もっと大きな事を考えておられるに違いない。

「そうですね」と笑った。お姉様ならきっと女性初の大臣になられるかもしれない!

 私は図書室で、風の魔法を調べだ。攻撃魔法もあるが、治療もできるみたいだ。だが病気の治療は光魔法だと書いてあり、医師になれないのかとガッカリした。

 お姉様の生活魔法も調べた。私は魔法の事は知らないが、どうもおかしい気がしていたからだ。本を読んでも、古い物が新品になる生活魔法など、何処にも書いてない。それに、壊れた温室をなおすのは生活魔法なのか? 野菜を育てる生活魔法も無い。でも、そんな事はどうでも良い。お姉様は私の大好きなお姉様なのだ。

 それにお姉様は少しうっかりされている所もあるから、私が大きくなったら支えてあげなくてはいけない。お姉様ときたら王立学園に入学される事もうっかり忘れておられたのだ。

「1月になったらお姉様も学園に入学されるのですね。おめでたい事ですが、寂しくなります」

 1年前の12月、私がそう言ったらお姉様はびっくりされた。あれは演技では無かったと思う。

「王立学園はロマノにあるのですから、通えるのでは? だから、寂しくはありませんよ」

 私は驚いた。前に言われていた事と違うからだ。

「でも、毎日は馬を借りられませんから、寮に入ると前に仰っていたでしょ」

 ハッと思い出されたようだ。うっかりされているお姉様も可愛い。

「そうでしたね。でも、休みの日は帰ってきます」

 えっ、歩いて帰ってこられるつもりですか?

「でも、お姉様お一人では無理です」

 貴族の令嬢には侍女の付き添いが必要だ。でも、家にはメアリーしかいない。

「ナシウス、どうにかします。お姉様を信じて」

 勿論です。私はお姉様を信じます。お姉様が温室で野菜を作られるようになってから、私もヘンリーもお腹が空いて眠れない夜は無くなった。今年の冬は寒ったのに、お姉様がベッドカバーを作って下さった。

 でも、やはりお姉様が王立学園の寮に行かれる時は辛かった。心配させてはいけないから、ヘンリーと泣かないように約束していた。

「お姉様、お元気で」私は涙を堪えるのに必死で、それしか言えなかった。

「お姉様、本当に週末は帰って来てくれるの」ヘンリーは不安そうだ。ぎゅっと弟の手を握ってやる。

「二人とも元気に過ごすのよ」

 そう告げて、お姉様は馬車で王立学園の寮に行かれた。1週間もお会いできない。

「お兄様、本当に帰って来られるの?」

 ヘンリーが泣いている。私が弟の面倒を見なくてはいけないのだ。

「お姉様はきっと帰ってこられるよ」

 小さな弟を抱きしめて、慰める。この弟の勉強も私が教えるのだと思っていたが、お父様が私達の勉強を見て下さった。

 そして、1週間後の土曜日、お姉様が帰って来られた。

「お姉様!」

 私とヘンリーは階段を駆け降りる。

「ナシウス、ヘンリー、元気にしていましたか?」

 お姉様に抱きしめて貰った。私にとってお姉様はお母様と同じだ。それに、お姉様はたった1週間で2年生に飛び級されたのだ。

「お姉様はとても賢いのですね!」凄く誇りに思う。グレンジャー家は、学問の家だ。私も頑張らなくては。

 そしてお姉様はマーガレット王女様の側仕えになられた。とても名誉な事なのにお姉様は浮かぬ顔だ。何か問題でもあるのだろうか?

 この頃から屋敷に変化が訪れ始めた。初めはトイレだ。屋敷にトイレがある事を私は知らなかった。でも、本当に嬉しい。もしかして、これはお姉様が何かなさったのでは無いか? もう赤ちゃんでは無いので、オマルは恥ずかしいと思っていたのだ。

 それに王妃様からハノンも頂いた。お姉様から習っている。

 お姉様は王妃様から卵やバターや砂糖も頂き、それでお母様と作ったお菓子を作って下さった。実は私はお母様が作ったお菓子の記憶は無い。でも、こんなに美味しかったのだろうか? お父様も不思議な顔をなさっている。

 温室で育てた苺を3人で採って食べた。お姉様は5粒しか食べてはいけないと言われる。とても美味しいのに残念だ。

「苺って美味しいのですね」

 お姉様と私は驚いた。そうか、ヘンリーは貧しい暮らししか知らないのだ。前のお菓子を食べた時も興奮してうるさかった。

 私もあまり覚えてはいないが、それでも苺ぐらいは食べた記憶がある。大きくなったら官僚になって美味しい物をお腹いっぱい食べさてあげるからね。そしてお姉様には綺麗なドレスを買ってあげようと決めた。

 お姉様は賢い上にハノンがとても上手だ。音楽クラブに属されていて、青葉祭では新曲を発表される。それに退屈なハノンの練習曲に飽きていた私に楽しい練習曲も作って下さった。青葉祭に行ってみたいが、子どもは駄目なのだ。そこでお姉様はミニコンサートを開いた。お姉様の素晴らしい新曲と私とヘンリーの童謡だ。お父様も嬉しそうだ。

 私の9歳の誕生日、お姉様は素晴らしいケーキを焼いて下さった。真っ白なケーキの上に赤い苺が飾ってある。そして蝋燭が1本灯してある。私はこんなケーキを見た事がない。

「さあ、ナシウス、お願い事をしながら蝋燭の火を消すのよ」

 お姉様が何を言っているのか分からない。

「王宮学園の女子の間で流行っているのよ。さぁ、吹き消して!」

 そうなんだ! 願い事は決まっている。『家族全員が健康で過ごせますように!』と願いながら、フッーと吹き消した。パチパチ、お姉様が拍手したら、ヘンリー、父親、そしてメアリー、ワイヤット、エバ、ジョージも拍手してくれた。嬉しい!

「お姉様、こんな誕生日初めてです」

 お姉様にキスをした。この頃、少し子供っぽい気がして、キスは挨拶の時だけにしていたけど、こんな時はキスしたい。

 私とヘンリーは夏休みを楽しみにしていた。大好きなお姉様と一緒に過ごせるからだ。でも、お姉様はマーガレット王女の側仕えとして夏の離宮に招待された。ガッカリだけど、お父様はとても名誉な事だと言われるので、我慢しなくてはいけない。

 お姉様の付き添いでメアリーがいなくなった。でも、下男のジョージの見習いにマシューが雇われた。マシューは裏庭の畑仕事をしている。温室の管理はジョージだ。あそこでは高く売れる野菜を作っているから見習いのマシューは入れない。マシューはまだ若いし、私達にも畑仕事を手伝わせてくれた。午前中はお父様と勉強し、午後からはジョージと剣の稽古やマシューの畑仕事を手伝う。こうしてお姉様の留守に耐えた。

 お姉様が夏の離宮から帰って来られた。

「お姉様、お帰りなさい」とヘンリーと駆け寄る。

「ただいま」とお姉様に抱き締められた。

「2人にお土産があるのよ」

 とても綺麗な貝殻を貰った。私は海を見た事がない。

「お姉様、図鑑で調べます」

 こんな貝殻が海岸には落ちているのだ。

「この貝殻、格好良いですね」

 ヘンリーは白の刺刺の巻貝の貝殻を持って走り回っている。転けるなよ!

「私達、マシューを手伝ってトマトやナスを採ったんです」

 お姉様はマシューを知らなかった。驚いたみたいだ。でも、すぐに慣れるよね。

 残りの夏休みは一緒に過ごした。

「お姉様がいると、美味しい物が食べれるね」

 ヘンリーはお姉様がエバに作らせるお菓子や柔らかなパンに夢中だ。可愛いな。ヘンリーは未だグレンジャー家の問題には気づいてない。お姉様が部屋でティーセットに絵を描いているのも趣味だと思っているのだ。

 私はグレンジャー家の嫡男だ。お姉様だけに苦労はさせられない。でも、マシューの畑仕事の手伝い以外、何もできないのだ。せめて飛び級して早く働きたいな。


 秋学期になり、またお姉様が寮に行かれた。でも、何故か前ほどは悲しくない。お姉様には王立学園で楽しく学んで欲しいからだ。家にいると貧乏なグレンジャー家の為に忙しくされている。お姉様も10歳なのに。そうだ、もうすぐ11歳になられる。そしてヘンリーも7歳になる。何かしてあげたい。こんな時、お姉様みたいに生活魔法が使えたら便利なのに。

 誕生日には2つのケーキが出た。ヘンリーのは私の誕生日のケーキに似ていた。そしてお姉様の誕生日ケーキは梨のタルトだった。私は梨が大好きだ。それでお姉様は作らせたのだ。嬉しい!

 ヘンリーは蝋燭を吹き消すのに凄く真剣な顔をしていた。何を願ったのだろう。お姉様も願って蝋燭を吹き消したが、前から決めていたようだ。きっと家族の事だと思う。

 秋になると、お姉様は薪が足りているか、保存食は十分か? 執事のワイヤットやエバに質問しているのをよく見るようになった。去年の冬は厳しかったので、心配されているのだ。私とヘンリーにも暖かなベストを編んでくれた。

 冬が近づいた金曜、お姉様が王宮から帰ってきた。マーガレット王女の側仕えなので月に1、2回は王宮へ王妃様に会いに行くのだ。夏休みが終わってからはご褒美の卵などが入った籠が2つになった。お姉様はリチャード王子が塩を作るのを手伝ったご褒美かしらと首を捻っていた。今回は大きな木の箱があった。その中には魔物の肉がいっぱい詰まっていた。いつもは冷静なワイヤットもお父様の好物だと嬉しそうだ。これがご褒美じゃないかな? 魔物の肉はとっても美味しかった。

 冬になったけど、去年より暖かい。それに暖炉には火が付いている。午前中はお父様に勉強を見て貰うのだが、訪問客が来ると中断する。私は王立学園の1年の数学はまだお父様に教えて貰わないと無理なのだ。仕方ないから国語を自習しておこう。

 それにしてもグレンジャー家にお客様は珍しいと思っていたら、どうやら帰られたみたいだ。子供部屋に帰ってきたお父様は少し機嫌が悪いように思えた。何があったのかな? それは意外だがマシューが教えてくれた。マシューは叔母のエバに聞いたそうだ。昨日のお客様はお父様のお姉様だそうだ。私のお姉様と違って優しく無いのかな? それとも免職されたお父様を怒っておられるのかも。

 お姉様はなんと中等科に飛び級された。1年で初等科を終えられたのだ。凄い!

 冬休みは一緒にお姉様と過ごせるのが嬉しい。

「ハノンを教えるから応接室の暖炉に火を付けておいてね」

 お姉様は、応接室が暖まるまで子供部屋で美術の勉強だ。

「絵の具の余裕があれば良いのだけれど」

 家には絵の具を買う余裕は無い。お姉様は悲しそうだ。お姉様が部屋でティーセットに細密画を描いておられるが、それはワイヤットが陶器工房から注文を受けて内職されているのだ。お父様はご存知ないのだろうか?

「お姉様、学園での実技は美術、音楽、魔法実技、体育なのですか?」

 私は1年後に入学するので興味がある。それにお姉様みたいに飛び級したい。

「ええ、1年の美術はデッサンだけで合格です。でも、終了証書を貰うには絵の具を使いこなさないと駄目なのですよ。音楽は楽器を弾きこなせれば合格です。ダンスはリードが上手くないと合格は難しいですね。体育は馬術と剣術があるので努力が必要だわ」

 私は馬術と剣術の合格は無理そうだ。

「では私は学年飛び級はできそうに無いですね」

 早く卒業して働きたいのに、残念だ。

「いえ、実技は魔法実技が合格すれば、学年飛び級できますよ。魔法実技の練習の為にも早く教会で能力チェックを受けないといけませんね。お父様に話してみましょう」

 お姉様がお父様に話をされたからか、私とヘンリーは教会で能力判定を受けた。私は風でヘンリーは身体強化だった。その日はお姉様がご馳走を作らせてお祝いをしてくれた。

 それからはお姉様が何故か伯母様のノースコート伯爵家に行くことになり、冬休みなのに残念だと思った。でも、週に2度従姉妹のサティスフォード子爵夫人のラシーヌ様から馬術教師が派遣されるようになったし、モンテラシード伯爵夫人のアマリア伯母様から言われて従兄弟のサリエス卿が剣術指南に来られるようになった。

 ヘンリーは水を得た魚のように喜んでいる。そして私も来年、王立学園で体育の時間に恥をかかなくて済みそうだ。

『もしかして、これはお姉様がノースコート伯爵家に行かれたからなのか?』

 従兄弟のサミュエルが今年入学するので王立学園について教えるとお姉様は言っていらしたが、何か変だ。もしかしてサミュエルの家庭教師をされたのかもしれない。だってお姉様は凄く賢いもの。

 やっとお姉様がノースコート伯爵家から帰って来たと思ったら、冬休みは終わった。そうだ、お姉様の留守中に馬術指南の変更があったのだ。伝えなくては!

「お姉様、乗馬教師が火曜、木曜だけでなく日曜も来てくれることになりました。お姉様も乗馬訓練が続けられますね」

「それは知りませんでしたわ」お姉様、嬉しくないのですか?

「これでお姉様も馬に乗れるようになりますね」

 ヘンリーの笑顔にお姉様も微笑まれる。

「ええ、そうですね。私だけでなくお父様にも馬に乗って貰えば運動になると思いますわ」

 その通りだ。私はお父様の健康の事をおざなりにしていた。

「そうですね! 今度、馬術教師が来たらお誘いします」

「やったぁ! 父上と馬に乗るんだ」

 ヘンリーは無邪気に喜んでいる。

 お姉様は私とヘンリーにキスをして馬車に乗られた。

 私は馬車を見送りながら考えていた。お姉様が風邪をひかれて寝込まれてから1年経つ。教会で生活魔法を賜ってからも1年だ。どちらが切っ掛けなのか分からないけど、その時からグレンジャー家が少しずつ変化していったような気がする。

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