第2話 グレンジャー子爵家

 薄ぼんやりした冬の日ざしが、古びて薄くなっているカーテンから私の顔にさした。どうやらペイシェンスの習慣の方が勝ったようで、薄い上掛け布団の上に腕を出して指を上品に組んで寝ていた。

「ううっ……寒い」

 布団に潜ろうとしたが、お腹がぐぐぅと鳴る。

「朝食をとらないと、何もできないわ」

 頭で考えると「腹へった」なのに、言葉に出すとペイシェンス変換される。お母さんもお母様になる。便利なのか不便なのか分からない。

 記憶をたどっても、ここのメイドは赤毛のメアリーしかいない。後は、料理人のエバ、下男のジョージ、そして全てを取り仕切っている執事のワイヤット。

「貴族ってこんなものなの?」

 もっとメイドとかいっぱいいるイメージを持っていたが、それはグレンジャー家が問題を抱えているからだ。

 ペイシェンスはこの暮らししか知らないが、どうやら父親のグレンジャー子爵は法衣貴族で、領地は持っていない。

 本来なら王宮に勤めて、俸給を貰うのだが、どうやら免職されたようだ。これって滅茶苦茶、重大だと思うのに、ここの記憶はペイシェンスは詳しくない。お嬢様は俸給とか興味を持たないようだ。ただ、母親が亡くなる数年前から、メイド達が少なくなったのは覚えていた。

「つまり無給! それも、どうやら4年前ぐらいから?」

 ペイシェンスの下の弟のヘンリーは6歳。つまり、母親は4歳ぐらいの可愛い盛りの息子を置いて亡くなったのだ。まぁ、その時、ナシウスも6歳、ペイシェンスも8歳。

「まぁ、10歳ならお父様の失業もわからないかもね」

 そう、私は10歳! 若返ったというか、幼くなったというか、まぁ、お婆さんになるよりマシだよね。

 待っててもメイドが着替えさせに来ないのは明白なので、ベッドから降りる。

「これで顔を洗うのね」

 サイドボードには元は可愛い花柄だったのだろう薄ぼんやり模様が残っている陶器の洗面器の中に水差しが入っていた。

「歯ブラシは……まさか、この粗布……」

 歯ブラシの記憶はあるが、今はこの粗布で歯をゴシゴシするだけのようだ。これは早急に要改善だよ!

 ぬるくなった水で洗面を終えると、箪笥を開けてみる。二枚あるけど、きっとレースのは夏物だと思い、長袖の薄い水色の服を選ぶ。

「これって……冬物じゃないのでは?」

 一応は長袖だけど、ぺらぺらだ。これならメアリーのメイド服の方が暖かそうだけど、あちらは綿、こちらは絹みたいだ。一応は、貴族の体裁を保とうとしているのか? それか貰い物かもしれない。確か、親戚がいたはずだ。

「ええっと、下着は……ドロワーズとシミーズ……靴下は綿なのね」

 ガーターで靴下をとめて、ペラペラの一応は絹の服を着る。

「寒い!」

 何か羽織る物でもないかと調べても、箪笥にはコートしか無い。

「コートを着ては駄目なのかしら?」

 ペイシェンスの記憶が『駄目よ!』とコートに伸ばした手を引っ込まさせる。

「食堂には暖炉があるはずよ」

 寒い部屋にいてても、お腹は膨らまない。さっさと食堂に行こうとしたが、ペイシェンスに邪魔された。

『ベッドメイクをしなきゃ! 寝巻きも畳んで、箪笥にしまうのよ』

 そんなの本当ならメイドの仕事じゃないかと私はぶつくさ文句をつけたかったが、メアリーしかいないのだ。きっとメアリーは弟達エンジェルの世話で忙しいのだろう。

 ペイシェンスは貧乏貴族なので、ベッドメイクにも慣れていた。それに薄い掛け布団なので簡単だ。

 やっと許可が出たので、食堂へといそいそと向かう。この辺はペイシェンスの記憶があるので迷わない。貧乏なのに屋敷だけは広いようで、緩やかな螺旋になっている階段を降り、一階の食堂へ行った。

「おはようございます」

 父親のウィリアムが食卓で新聞を読んでいた。ちょろちょろと暖炉にも火があるので、寝室よりは暖かい。

「ペイシェンス、おはよう。もう良いのかね」

 ウィリアムは少し白髪が混ざった茶色の髪で、薄い灰色の目をしている。新聞から上げた目が、心配そうだ。

「ええ、お父様。ご心配をおかけしました」

 上品そうな父親には好感を持つけど、生活能力は全く期待できそうにない。ウィリアムもペイシェンスほどではないが、ガリガリだし、上着の袖もかなり擦り切れている。もう少し、暖かそうな上着を着せてあげたいと、ペイシェンスの記憶なのか胸が痛む。

「お父様、お姉様、おはようございます」

 弟達がメアリーに連れられて食堂にやってきた。マジ、天使!

「ナシウス、ヘンリー! おはようございます」

「お姉様、もう大丈夫なのですか?」

 上のナシウスは茶色の髪に灰色の目で、父親にそっくりだ。生活能力の無さは遺伝してもらいたくないものだ。

「ええ、ナシウス。ありがとう」

 ナシウスのほっぺにキスをする。マジ、嬉しい! ペイシェンスも止めないところをみると、毎朝の習慣のようだ。

「じゃあ、お姉様、遊べる?」

 下のヘンリーは、私と同じ金髪と青い目だ。母親に似たんだ。早死にしないようにしなきゃね。

「ええ、遊びましょう」

 ヘンリーを抱き上げて、頬にキスをする。ああ、幸せ!!

 この幸福感は長く続かなかった。

『まっず!』

 味の薄い野菜が少し浮かんでいるスープと、薄く切っても固いパン。それも一切れしか無い。ガリガリのペイシェンスにはダイエットは必要ないよ。

 それに弟達にこんな朝食しか食べさせられないなんて! 食べ盛りなのに、酷い。

 でも、ペイシェンス仕込みの上品さで、スープをゆっくりと飲む。味わうほど、味はついてないけどね。エバって料理人の腕が悪いのか、それともこんな料理しかできないほど家計が逼迫しているのか調べなきゃね。

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