第75話 渓谷に向かう旅
高瀬雪穂は赤く燃えるような紅葉を見上げる柏木奈乃をフレームに切り取った。
視界一面を占める紅葉に目をクリクリさせて、ポカンと口を開けている奈乃ちゃんはとても可愛い。
フォトモデルをしていることを忘れているのかしら?
ええ、ええ!
とっても可愛いわ! 奈乃ちゃん!
今日の奈乃ちゃんは白のブラウスにVネックのクリーム色のニットセーター。グレーのフレアスカートは珍しくロング丈だった。山道を歩くためスニーカーを履いている。
長い髪の上にちょこんとグリーンのベレー帽ををのせていた。
パールのピアスといつものイヤーカフ。
今日はいつもより大人っぽいかな。
カメラマンのオーダーを忘れて紅葉に見とれている奈乃ちゃんをカメラに納める。
これは作品にならないわね。
久しぶりの撮影旅行。ライブや文化祭で色々忙しくて色々あったけど、今日は奈乃ちゃんとの二人だけの時間を共有する。
夜は素敵な旅館を予約した。奈乃ちゃんに気に入って貰えたら嬉しいのだけど。
撮影スポットに選んだのは紅葉が美しいことで有名な渓谷。県外まで電車を乗り継いでの小旅行。
有名な観光地だけあって人が多い。
モデル撮影に向いていないロケーションだけどそれは仕方ないわね。
本当の目的は奈乃ちゃんとのお泊まりだから。
一応ちゃんと撮影できるように小さな折り畳みできる脚立を持ってきた。40センチ程度の高さだけど、角度をつけることで結構他の観光客をフレームから外せる。
あるいはモニター角度を変えてローアングルにしたりして、奈乃ちゃんと紅葉だけをフレームにいれたりする。
逆に観光客に埋没する奈乃ちゃんを撮ったりもした。ファインダーを見ずにこっそりモニターを見ながらシャッターを押す。
ファインダーを見ていないだけで誰も撮影をしているとは思わない。
撮影をしていると気づかれると変に遠慮されて不自然な写真になる。
「えい!」奈乃ちゃんが突然小さく飛び跳ねるように動いた。
え? 何をしているのかしら?
とても可愛いのだけど?
「あっ、取れた!」
何度か飛び跳ねた後、奈乃ちゃんは私を見て得意気に笑う。
あまりにも可愛かったので、とりあえずシャッターを押した。
奈乃ちゃんは楽しそうに私に走り寄る。
「ほら!」
奈乃ちゃんは両手をお皿のように広げて私の顔の前に差し出す。
小さな紅く色づいた紅葉の葉っぱが一枚手のひらの上にのっていた。
「可愛いでしょ?」
「そうね、可愛いわ」
得意気に笑う奈乃ちゃんはとても可愛かった。
「あげる」奈乃ちゃんはイタズラっぽく笑いながら紅葉の葉を私に渡してきた。
えっと、宝物にすればいいのかしら?
また奈乃ちゃんは私から離れて飛び跳ねはじめた。
近くを通り過ぎる人達が、驚いたように見ていく。
こんな可愛い子が楽しそうに飛び跳ねていたら何事かと思うわよね。
奈乃ちゃんが楽しそうで嬉しいわ。悪目立ちするほどはしゃぐ奈乃ちゃんに困惑しながらもシャッターを切った。
「取れないー」奈乃ちゃんがふくれっ面をして私を見てくる。
「どうかした?」
「葉っぱを二枚片手で取るの。できない!」
何故そんな事するの?
「マンガでやってたの!」
聞いてみると少年マンガの主人公が練習のために片手で落ち葉を何枚も掴むシーンがあるらしい。
……奈乃ちゃん、少年マンガ読むんだ?
私は左手だけカメラから離し、近くに舞っていた落ち葉を掴む。そしてそのまま別の落ちてくる葉っぱを掴んだ。最初に掴んでいた葉っぱが手から離れる前に、二つ目の葉っぱを掴むだけだった。
別に難しくないわよ?
私は左手を奈乃ちゃんの前に差し出して手を開いた。ちゃんと葉っぱが二枚手のひらの上にある。
奈乃ちゃんは一瞬真顔になる。
あれ?
すぐに奈乃ちゃんは笑顔になって、「すごいすごい! 雪穂ちゃんできるんだ!」と楽しそうにはしゃいだ。
……私、何か失敗した?
夕方、暗くなる前にタクシーで予約していた旅館に向かう。
有名な観光地なだけあって近くの旅館は取れなかった。渋滞する道をかなりの時間をかけて宿に到着した。
「え? 高そう……」奈乃ちゃんが風格のある旅館の外観に気圧されていた。
奈乃ちゃんとお泊まりするんだもの。これくらいはね。
実際には空室がなかなか見つからなくて、キャンセルで見つけたのがここだけだったのだけどね。
広い和室に通される。
奈乃ちゃんは部屋に温泉があるのにも驚いていた。
「お風呂が広い!」
「二人で入れそうね」
「え?」
「一緒に入ろうね」私は奈乃ちゃんに微笑みかける。
奈乃ちゃんは一緒にお風呂に入るのが恥ずかしいのか不安そうに私を見上げる。
これまで奈乃ちゃんと一緒にお風呂に入ったことはない。せっかくの温泉付きのお部屋だもの。
今日こそは奈乃ちゃんとお風呂に入りたい。
「あ……、うん……」
旅館の夕食は部屋でとった。
「この牛肉おいしー!」ご当地の高級牛肉に奈乃ちゃんのテンションが上がっている。
「この前のホテルの牛肉とどっちが美味しい?」
「ん?」奈乃ちゃんは思い出そうとするように首をかしげる。
一つ一つの仕草がとても可愛い。
「わかんない!」そう言って笑う。
とても可愛いわね!
川魚が食卓に上がっている。色が変わるまで煮てある鮎だった。
「雪穂ちゃん、鮎食べないの?」
私たちの地元は海鮮物が特産であまり川魚は食べない。
奈乃ちゃんは鮎を頭ごと骨まで食べ終わっていた。
「川魚ってあまり食べないのよね。滅多に見ないでしょ?」
「あ、うん。でも旅行とかで県外行った時に食べたこと無いの?」
「旅行自体あまりしないから」
家族旅行なんてしたことあっただろうか?
奈乃ちゃんが真顔になる。
え? 奈乃ちゃん、どうかした?
「あ! 雪穂ちゃんともっと色んな所に行きたい! また撮影旅行つれてって!」慌てたように表情を変えた奈乃ちゃんは、そう言って楽しそうに笑う。
「ええ。勿論よ、奈乃ちゃん」
食事を再開する。
恐る恐る鮎の背を身取り一口食べてみる。思ったより生臭くなくて、甘くて美味しかった。
「そうじゃなくて、頭からかぶりつくの!」
え? ムリ。
「もー」奈乃ちゃんは私の鮎を箸でつまむと、「はい!」と言って鮎の頭を私の口元に差し出してきた。
……食べないとダメかしら?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
柏木奈乃は山一面の紅葉に見とれていた。
今日は泊まりがけで県外の紅葉で有名な山に来ていた。
渓谷沿いに遊歩道が整備されていて、観光客でごった返している。
シャッター音がした。
え? 今撮った? 私、お口開けてなかった?
今日の雪穂ちゃんもカッコ良かった。
黒のチノパンに歩きやすそうなスニーカーは山歩きしやすそう。白に黒のデザインが入ったパーカーの上に灰色のジャケットを羽織っていた。
いつものカメラを入れる大きなメッセンジャーバックに、背負ったデイバックには小さな脚立をバンドで止めている。
文化祭のとき雪穂ちゃんと少し気まずくなった。そして雪穂ちゃんはなんだか余裕がない。
何か力になれないかと思ったけど、雪穂ちゃんは私に弱みを見せることを嫌った。
雪穂ちゃんはカッコいいのよね。無駄に強がってるけど。
雪穂ちゃんを元気づけたい。私が楽しそうにしているだけで雪穂ちゃんが喜ぶなら、私は楽しそうにするよ?
落ちてくる葉っぱを片手で二枚取ることに挑戦する。昔読んだ少年マンガのワンシーン。
取れない!
ついむきになる。
他の観光客の注目を浴びたけど気にしない。ここにいる人たちは私のことなんか知らないし、気付かないだろうから。
「できない!」私はむくれて見せる。
本当に取れないことにむくれているわけじゃない。
雪穂ちゃん、こういうの好きでしょ?
雪穂ちゃんは何と言うこと無しに、無造作に片手で落ちてくる葉っぱを二枚掴んだ。
……できるんだ……。
雪穂ちゃんはスポーツもできるし、勉強もできる。おまけにスッゴい美人で……、何で私みたいなのとお付き合いしてるのかな……。
宿はとても素敵な旅館をとってくれた。
お部屋の中に温泉が引かれている大きなお風呂があった。
「一緒に入ろうね」雪穂ちゃんがにこやかに誘ってくる。
え?
裸を見られたくない……。
「あ……、うん……」
今日も私は断れない。そんな事は覚悟して撮影旅行についてきたんだから。
私とお風呂に入るだけで雪穂ちゃんが元気になれるのなら、私は我慢するよ?
私はもう子供じゃないんだから……。
夕食はお部屋でとった。
私たちの地元では珍しい川魚のお料理が出た。
雪穂ちゃんは鮎を不審そうに見ていて箸をつけない。
山の方に行ったら鮎の甘露煮くらいわりと見るよね?
「旅行とかで県外行った時に食べたこと無いの?」
うっかりと尋ねたら、
「旅行自体あまりしないから」そう返された。
失敗した……。
雪穂ちゃんが不安そうな顔をする。
「あ! 雪穂ちゃんともっと色んな所に行きたい! 」私は気付かないふりをしてはしゃいで見せる。
「はい!」鮎の頭を雪穂ちゃんの口元に差し出した。
困った顔の雪穂ちゃんは可愛かった。
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