9-1_あれがない

「高野倉くん……あれが……ないの」


「なにか失くしたの?」


「あれよあれ!」



『どれよどれ?』と返そうと思った瞬間ひらめいた!



「あれ!?」


「そう!」



「あれ」とか「どれ」とか言っているが、とりあえず、俺と小路谷さんの間では通じた。

小路谷さんには、妊娠検査薬を買いに行ってもらった。



新しい家は近所にスーパー、コンビニがあり、ドラッグストアもすぐ近くにあった。

10分もせずに買ってこれる距離だ。


(バタバタバタ!バタン!)

小路谷さんが全力でかけて戻ってきた。

それもどうなのか……



「買ってきた!なんか、コンドーム買うより恥ずかしかった!」


「なぜ!?」



男が買いに行ったら、店員さんは何と思っているのだろうか。

女性が買いに行ってくれた方が自然な気がする。



「ちょっとトライしてくる」


「頑張って!」



小路谷さんがトイレに入った。

言ってはみたものの、検査薬で頑張るとは!?


(ガチャ)トイレから出てきた小路谷さんが、検査結果を見せてくれるのだけれど、なんだかモジモジしている。



「結果出たの?」


「出たんだけど、それよりも、おしっこかけたものを人に見せるって、変な感じ。なんか変な性癖が芽生えそう……」



こんな時まで小路谷さんは小路谷さんだった……




『妊娠検査薬』と言っても、要するに棒。

スティック状のやつに窓が2か所ある。


2個目は反応したかどうかを見るやつなので、絶対赤い線が出る。

1個目に赤い線が出るかどうかで判断するらしい。


ちなみに、小路谷さんが持っているスティックは、2か所とも赤い線が出ている。



「小路谷さん、これって……」


「できたね」


「え!?」



小路谷さんの方を見る。

彼女は冷静だ。

こういう時は、女性の方が強いのかもしれない。



「おめでとう、パパ」



肩をポンと叩かれた。



「え!?マジなやつ!?」


「そうね。病院行ってちゃんと調べた方がいいかもね」


「そうだね」



こういう時のリアクションに本心が出て、女性はそれをよく見ているという。

俺はちゃんとしたリアクションが取れているだろうか。




本心を言えば、嬉しい気持ちもあったけれど、驚きが先にきた。


説明書とかネットの情報とかを見る限り99%の精度らしい。

思い当たる節としては、例のリゾートホテルに泊まって以来、コンドームを使ってない。

…と、いうか、無くなったので新しく買いに行ってない。


いいのだろうか、こんな簡単で。

世の中には、不妊治療してまで子供を授かりたい人もいる。

そんな中、こんなに簡単に……


一方で、子供はできないで欲しい人もいる。


妊娠検査薬とは、そう言った人の気持ちには関係なく、事実をありのままに示す。

人によっては喜びを、人によっては絶望を、単なる棒が指し示すのだ。



うちの場合は……



「高野倉くん、入籍は結婚式の日にする予定よね?その前に子供ができた場合は『出来ちゃった結婚』?」


「いや、結婚も、結婚式も、披露宴も決まってからできたと思う」


「その場合は、『結婚出来ちゃった』?」



小路谷さんがあごに指を当てながら考えていた。



「それだと、婚活頑張って成果が出た人みたいになってる」


「結婚が先に決まって、子供ができた場合の言葉はないの!?」


「それは順番的には普通のことなので、逆に言葉がないね」


「友達に聞かれたらなんて答えたらいいの!?」



身を乗り出して聞いてきた。

なぜそんなに真剣なのか。



「『普通』かな」


「またも『普通』!」


「小路谷さん、『普通』すごく好きだよね」


「普通が一番よ」



小路谷さんは喜んでくれているようだ。

俺も、嬉しいけど、何となくびっくりもしている。


俺の子供!?

俺のDNAを一部コピーした人間が世の中に誕生するってこと!?

既に俺の想像を超えていた。


やっぱりちゃんと結果を知りたい。

披露宴まであと1か月弱。

大丈夫なのだろうか。

とりあえず、小路谷さんと一緒に産婦人科に行くことにした。




事前に調べてみて驚いたことがある。

産婦人科での妊娠検査とは、尿検査、触診、内心、超音波検査の4つがメインらしい。

尿検査とは、薬局で買ってきたあの妊娠検査薬と同じことをする。


当然、陽性が出るだろう。

だって、ここで陽性出たもの。


触診は、お腹を触って、外部から子宮の様子を調べるらしい。

なんか知らないおっさん(産婦人科医)に、彼女のお腹を触られるのが嫌なんだけど……


そして、内心というのは、膣のなかに指を入れて、子宮や卵巣の状態を直接触った感覚で調べる診察らしい。

いや、これはすごく抵抗があるんだけど!?


そこで、『女医』を探してみた。

いるにはいるけど、大人気で予約が3か月待ち。


どうなってんの!?

産婦人科医とは、日々色々な女の人のあそこに指を知れる仕事ってこと!?

ちょっと、産婦人科医になってくる……


俺が産婦人科医になるのでは、小路谷さんの出産には間に合わない!

世の中の夫婦はこのジレンマに目を瞑るか、乗り越えるかしているってことか……






-----

予約して後日病院に行ったけれど、尿検査と触診(お腹を触る)と超音波だけだった。

超音波の動画を見せてもらったけれど、まだよくわからない。

ただ、医者から言われたことは『4週目ですね。おめでとうございます』ということ。



「……」


「……」



小路谷さんと顔が向き合った。



「「やった!」」



思わず手を取り合って喜んでしまった。



「本当におめでとうございます」



看護師さんが続けて祝福してくれる。

いやに看護師さんがニマニマしているので、つい顔を見てしまった。



「あ、すいません。お二人を見ていたら、つい……」


「あ、いえ……」



浮かれてるみたいで、なんかちょっと恥ずかしいじゃないか。



「未婚のカップルさんの場合、結果をお知らせしたとき、この世の終わりみたいな顔で帰って行かれる方もおられるので、お二人みたいな反応だとこの仕事していてよかったなって思えるんです」



嬉しそうに、はにかんで言う看護師さんの言葉でなんか嬉しくなった。

喜んでもらえると、こっちまで嬉しくなる。

こういうのって連鎖したらいいなと思う。



病院を出たら、小路谷さんが不機嫌だった。

俺のリアクションは不合格だったのだろうか。

意識してリアクション取ることを忘れてしまっていたし。



「看護師さん好みだった?」


「は!?」


「ニヤニヤしてたから」


「……」



この人は本当にかわいい人だ。

さっきまで一緒に手をつないで喜んでいたのに、たったそれだけでこんなにやきもちを焼いてくれている。



「なんかおいしいものでも食べて帰ろうか♪」


「あ!誤魔化そうとしている!?やっぱり!?」



どこまでもかわいい人だった。






-----

世の中、うまくいくことばかりではない。

俺はいつかそんな日が来るのではないかと思っていたことが起きていた。


それぞれの家から新しい家に物を持ってくるにあたって、俺のものは捨てられることが多いのに、小路谷さんのものを使い続けることが多いような気がしていた。


冷蔵庫は買い替えたけど、その前までは小路谷さんが使っていたやつを使い、俺のものは処分した。


洗濯機も小路谷さんのものを使うことになった。

フライヤーは俺しか持っていないけど、処分することになった。


うーん、なんかもやもやする。



「高野倉くん!洗濯機にティッシュ入ってた!」


「うあ、ごめん」


「掃除大変なんだからね!」



ティッシュは完全に俺が悪い。

一緒に洗った洗濯もの全部にティッシュクズがまとわりついていた。

それでも、なんだかもやもやしていた。


そして、気づいた。

俺たちはこれまで喧嘩をしたことがなかったのだ。


一見、いいことっぽいけど、喧嘩したときに仲直りの方法を知らないということ。

仲直りを経験していないのだ。

下手したら、糸が切れたように修復できない可能性だってあった。



「今日はご飯食べたくない」



ふいに小路谷さんがソファでふて寝しながら言った。

俺と一緒にご飯は食べたくないということか。

特別何が原因というわけではないのだけど、一緒に住むようになって急激に距離を感じ始めている。


披露宴前からこんな調子で本当にいいのか心配になってきた。

仮に結婚や披露宴を取りやめることはできるにしても、子供のことはもう後戻りできない。



「明日から、掃除は私がやるから、高野倉くんはいいから」



拒絶!?

俺の家庭内での仕事が1つ無くなった。


女の人ってこうなの?

結婚すると変わるというけれど、こんなに極端に変わる!?


急激に胸の中のもやもやは広がって行った。




いつも準備してくれるご飯は、今日はなにも作ってくれなかった。


虫の居所が悪いのか、機嫌が悪いのか、こういう時はできるだけ離れていようとリビングに小路谷さんを残して別の部屋で仕事をしていた。


1時間くらいしてコーヒーを飲もうと思って、リビングに来たら小路谷さんがソファでうずくまって泣いていた。



「高野倉くん嫌い!」



いよいよ口に出して言われるようになってしまったが、小路谷さんらしくない。

近づいて話しかけてみた。



「どうしたの?」


「嫌い!」



ソファの背もたれの方に顔を向けてしまった。


……ちょっとまて。

今日、小路谷さんが何か食べているのを見たか!?



「小路谷さん……今日、なにか食べた?」


「(ふるふるふる)」


「食欲ないの?」


「(ふるふるふる)」


「ご飯は?」



『うっ』と言って、小路谷さんがキッチンの流しに走って行った。

水を流しながらうずくまっている。

苦しそうだ。


背中をさすっていいものか……


「これって……もしかして『つわり』ってやつ?」


「ばがだだい (わからない)」



かなりきつそうだ。

タオルを渡して聞いてみた。



「食べたり飲んだりできるものは?」


「炭酸ジュースの炭酸抜き……」


「他は?」


「アイスのかき氷っぽいやつ……他は考えただけでも吐き気がする……」



完全につわりだ。

人によって食べられるものが違うというけど、よりによって砂糖水だけとか……

カブトムシのエサみたいなもんしか口にできないとなると栄養が心配だ。



「ティッシュはごめん。掃除は小路谷さんのやり方とか違ったらごめん。それは……つわりが終わってから話そう。でも、しばらくは俺がするから我慢して。ご飯はしばらく作らなくていいから、つわりに耐えて」


「ううぅ……ずっと船酔いみたいな感じ……あと、悲しくないけど、涙が出る。」



聞いただけで辛そうだ。

小路谷さんがまたソファに行って、うずくまって泣いていた。



「また、すごいつわりきたね。早く終わったらいいけど……」



頭をなでてみた。



「ううぅ…頭なでられるとムカつく。高野倉くん嫌い。でも、好きだった……」



聞けば、なんにでもムカつくらしい。

そして、訳もなく涙が出る、と。


ご飯は炊きたてのニオイがダメで、今は考えるだけでえずくレベルで気持ち悪いらしい。

口にできるものは、炭酸ジュースの炭酸なしとかき氷系のアイスのみ。

氷も大丈夫。

逆に言うと、それ以外は全然口にできない。


自分の身体の中に別の生命が宿り、身体が変化している最中だ。

変化に戸惑っていて、自分でもコントロールできないのだろう。


精神的にも不安定みたいで、イライラしていたようだ。


小路谷さんの場合、つわりが来ても面白い感じになっているけど、本人は辛そうだ。

喧嘩したときにどうやって仲直りするかは、また別の機会に考えることにしよう。

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