【完結】異世界遭難者管理課の活動報告

空廼紡

西園寺万里の場合

第1話 異世界生活は大変です

 万里まりが中庭を歩いていると、突然頭上から大量の水が降り注がれ、万里の身体をびしょびしょにした。


 今日は快晴。雨雲もなく、万里がいた世界でいうであれば、降水確率0パーセント。天気雨にしては多すぎるし、今空を見上げても空は真っ青。どこをどう見たって雨雲どころか雲の欠片もない。


 またか、と溜め息を零しそうになるのを堪え、元凶である人たちを見上げる。睨み付けてしまうのはご愛敬だ。


 万里の頭上には建物の窓がある。その二階の窓から三人の令嬢が万里を見下ろしていた。その中の一人がバケツを持っており、そのバケツから水滴がポタポタと落ちている。令嬢達はびしょ濡れになった万里を見て、クスクスと嗤っている。



「あらあら、ごめんあそばせ?」



 それだけ言って令嬢達はさっさと顔を引っ込めた。



(自分は高貴な身分って言っておきながら、やっていることは庶民と大差がないじゃない。それが自称高貴な身分な人たちがやること? ほんと、頭が足りてないこと)



 苛めの主格である令嬢達に呆れ二割、侮蔑八割の気持ちを抱きつつ、堪えていた溜め息を盛大に吐き出した。



(あんな行動を見ていると人間って生まれじゃないんだなって、つくづく思うわ)



 ぶるりっと身震いをする。



(とりあえず、殿下が来る前にここを去ろう。人目を避けて保健室に行って換えの服に着替えないと)



 周りに王子とその配下がいないことを確認し、万里はそそくさとその場を去った。





 ある日のこと。万里は突然異世界にやってきた。本当に突然だった。土手の上で足を滑らせ、そのまま滑り落ちてしまった。土手の下の道に落ちると思っていたら、落ちたのは全く見知らぬ場所。しかもこの国の第一王子スターリーの前で、転び落ちたのだ。


 普通なら護衛に「何奴!?」と捕獲されるところだ。実際に捕獲されそうになった。だが、それをスターリーが制止し保護してくれた。


 混乱状態だった万里を宥め、万里の話を聞き、異世界から来たことを信じてくれた。異世界に帰る方法を探してくれると約束してくれ、陛下達にも話を通してもらい、正式に城で保護してもらうことになった。


 一応この世界には廃れたものの魔法があるらしく、魔法の力で異世界に帰れる方法があるかどうか調べてくれる、とスターリーが言った。


 それだけなら、幸先の良い異世界生活が始まっただけだろう。実際に最初は良かっし、万里もラッキーだと安心していた。


 だが、それは過去の話。雲行きが怪しくなったのは、スターリーが貴族が通う学園に万里を通わせた方がいいと両陛下に進言したのが切っ掛けだった。


 曰く。帰れるのか分からないし、もし帰れたとしてもその間はこちらの世界にいるからこの世界のことを学ばせたほうがいい。そういう理由を述べていた。


 最初、それなら家庭教師を付けさせた方がいいのでは、と思った。異世界から来たというだけで、何も取り柄もない少女。王家が保護してくれているが、それを除けば身寄りのない非力な人間である。


 王家との繋がりはあるが、所詮赤の他人である。しかも身寄りがない。帰れる方法がなかった場合、貴族の家に養女として出すという案があるが、引取先も万里の扱いに困ってしまうのが目に見えている。いくら王族の申し出とはいえ、貴族の子でもない子供。嫁ぐにしてもある種の問題を抱えているし、だからといって無碍に扱うこともできない。その可能性が見えているのに、養女に出すのは忍びない。


 それならば王家の庇護の元、この世界の知識を身につけ、ゆくゆくは城から出て自立した方が本人のためだ、と結論付けられた。


 万里もそこは同感だ。貴族の生活なんて性に合わないし、元々は庶民の出。いくら異世界とはいえ、貴族の養女になるのは勘弁したかった。万里の国には貴族という身分はないが、貴族が厄介なのは漫画とゲームで知っている。だから必要以上に関わり合いたくなかった。


 両陛下もそう言った。だがスターリーは頑なに自分の意思を押し通そうとした。


 違和感を抱きつつも、結局スターリーの熱意に折れて万里は貴族が通う学園へ、特例として入学することになった。


 このとき自分も折れず応戦しとけばよかった、と思うも後の祭り。スターリーは自分が保護した人だから責任がある、という名目で万里の許へやってきては状況を確認する。


 それだけなら良いが、その頻度が多すぎた。休憩時間の度にやってきて、仕舞いには昼食も一緒に摂ろうとする。


 スターリーには婚約者がいる。昼食は婚約者と一緒に摂ってほしい、婚約者を優先にしてほしい、と初めは言った。


 だが、スターリーは聞かなかった。


 婚約者には話を付けてある、それに君が心配で堪らないんだ。


 等々と言い訳を並べて、万里を傍にいさせようとした。


 それが心配なのではなく、執着なのだと気付いたのは、遠回しにしていた牽制がだんだんと直接的になってきだしたからだった。


 その頃から高位令嬢たちから虐められるようになった。


 初めはそのこともあり、スターリーにそれとなく注意をした。だが、スターリーは頑なに譲らなかった。むしろ心配だからなるべく沢山一緒にいると言い出したのだ。


 万里は一応スターリーの名の下に保護されている身。スターリーは物腰柔らかく見える人だが、機嫌を損なったら万里を放逐する可能性だってある。異世界で放逐されたら確実に野垂れ死んでしまう。だから万里はそれ以上強く言えなかった。


 それが原因で初めは何かと気遣ってくれていた人もいたが、だんだんと数は減っていき万里は孤立していった。こればかりは万里もしょうがないと思った。触らぬ神に祟りなし、なのである。


 ただ、女子からの苛めは納得できない。とくに自分からスターリーに近寄ったことがないのに、「殿下に近寄る尻軽女」と呼ばれていることに関して、心の底から納得できない。猛抗議したいがグッと我慢だ。スターリーに知れたら何されるか分かったものではない。


 

 ――あの方が万里様の学園入学を推していたのは、結局は自分のためだったとうわけです



 スターリーのことをそう解説したのは、スターリーの婚約者であり、公爵令嬢であるエムロードだった。


 スターリーの執着に気付いた万里が取った行動は、婚約者であるエムロードに弁明するために両陛下に頼んでエムロードとのお茶会を申し込むことだった。


 万里の状況と気持ちを理解してくれたエムロードは、今までのスターリーの行動を解釈した。



 ――本来なら、貴女には家庭教師を付けさせるだけにして、学園に入学しなければ貴女の負担を減りますし、貴族になるつもりがなければ学園に入っても無意味。それなのに貴女を無理矢理入学させた。つまり、殿下は貴女を囲いたかったのでしょうね。いえ、囲もうとしている、というのが正しいですわね


 ――貴女が学園に入れば、貴族の子女子息はこう勘違いするでしょう。異世界の少女は貴族の養女になるつもりだ、と。そしてそこに殿下が頻繁に来るとなると、周りがこうも思うでしょう。殿下は異世界の少女を貴族の養女にして娶る気だと。それが殿下の狙いですわ


 ――つまり、外堀を埋めようとしているのです。不幸なことに貴女には後ろ盾になってくれる身内がいない。殿下はそれを分かった上で行動していますわ。貴女の意思を無視して


 ――貴女を側室にするつもりか正室にするつもりか。いずれにせよ大問題に繋がることは確か。私からも両陛下にこの事をご報告しますわ。これはさすがに傲慢が過ぎます。きっと両陛下も危惧してくださるでしょう。大丈夫、あの方たちは殿下のことを愛しても甘やかすぎません


 ――私もできるだけのことはします。外堀を埋めるのは別に構いませんが、本人の意思を無視するのはいただけませんわ。ちゃんと告白して良い返事をしてもらってから囲いなさいという話です。私がいるから告白しないというのならまだ誠実……いいえ、私がいるというのに貴女を囲もうとしている時点で不誠実ですわね


 ――貴女は殿下を好いていないというのに、どうしてこのような行動を……バレたらむしろ嫌われてしまう可能性があるというのに。いえ、他の男に取られないようにするためですわね。取られるにもなにも、ねぇ?



 徐々に悪口になってきたが、万里は同意しかなかったので頷くだけだった。


 エムロードは出来た人だった。その後、すぐ両陛下に報告してくれて対策を考えてくれた。


 両陛下は万里の気持ちも聞き、息子が申し訳ないと謝ってくれた。今更学園を中退することは出来ないけれど、出来るだけのことはすると言ってくれた。強く言ってもいいから、という言葉も頂いた。


 両陛下はスターリーを呼び出して、エムロードも含め今後の話し合いの場を設けさせた。


 まず万里を一人にさせなければいいだろう、と傍にはエムロードが一緒にいるように手配することになった。


 異性であるスターリーよりも同性であるエムロードが一緒にいるほうが、万里の精神的に良いし周りの目も気にせずにすむ。そうスターリーに説得して、渋々とした面持ちだったが一応了承を貰った。必要以上に接触するなとは言っていないので、そこを踏まえて了承したのだろう。


 両陛下から、皆から王太子に選ばれるように実績を積みなさい、とたまにではあるが公務を命じるようになった。学園にいないときもできたので、そのときだけ心が穏やかになった。


 こうして多少環境がマシになったが、それでもエムロードが先生に呼ばれたり、他の用事があるときは一人になることが多い。その好きを見て、高位令嬢たちが虐めをしてくるのだ。


 そして何故かそのタイミングでスターリーが通りかかる。そしてこう言うのだ。

 


――私が傍にいれば、このような目には遭わせないというのに



 暗に、私を遠ざけるからこのような目に遭っているのだ、と言われたような気分になった。実際にそう遠回しに言われたのかもしれない。


 何せこれが一度二度ではなく、何度もあるのでエムロードとこんな仮説を立てた。


 スターリーはエムロードと万里を引き離すよう手配して、万里を監視し万里が虐められるのを待ち、あたかもたまたま通りかがった風に見せかけて万里を救った演出をしているのではなかろうか、と。


 万里が自分に惚れさせようと、そういう策を講じている可能性がある。現にエムロードも呼び出しを食らったとき、些か違和感を覚えたこともあったという。


 その可能性が上がったとき、背筋がゾッとした。そして、スターリーのことを心の底から気持ち悪いと感じた。


 気持ち悪い、近寄りたくないと思っていても、両陛下の理解を得ても保護者なのは変わりなく、むしろ下手に刺激しない方がいいと両陛下とエムロードに言われているので、遠ざけたくても遠ざけられない現状だ。



(今日は学園にいる日だから、今も近くにいるかもしれない。早く保健室に)



 水を被らせるのは何回もあるため、エムロードが保健室に替えの制服を置かせてもらえるよう手配してくれている。とりあえず早く保健室に行かなければ。


 中庭はよく手入れされているが、一部だけ生け垣で作られた迷路がある。その迷路は入り込んでいるため出入り口が何カ所もあり、保健室に近い出入り口もある。生け垣は背が高い人でも視線が遮るほどの高さがあり、万が一があった場合人を撒くことも可能だ。人通りが少なく、連れ込まれる心配もない。場所にもよるが二階から全体図が見える場所があるので、先生達が定期的に迷っている生徒がいないか確認しているため容易に悪いことができない。


 生け垣に入り迷路を駆け足で進む。道筋は大丈夫、地図は頭に叩き込んでいる。ふと、足音に違和感を抱いた。



(足音が一つ多い……?)



 ここは静かな場所だ。それ故に音も拾いやすい。


 一応万里に合わせているようだが、どうしても遅れが出てしまうのかワンテンポ遅い。


 エムロードかと思ったが、彼女ならすぐ自分に話しかけるはずで、尾行のような真似はしない。それに彼女の足取りは軽やかだ。こんなに重くない。



(まるで男性の)



 そこまで考え、察した。その瞬間、背筋が凍り付く。



(スターリーか!)



 もし彼であれば、撒かないといけない。それにはまず、走り出しそうな足を叱咤しなければ。走り出したら彼も走り出す。追いつかれたら面倒だ。角を曲がったところで一気に走りだして、三股ある道のどれかに身を潜めよう。


 駆け足のまま逃げるのにちょうど良さそうな道を思い出す。一番良さそうな場所はすぐそこの角。馳せる心臓を抑えつつ、その角を曲がった。


 そのとき、生け垣の中から誰かに腕を引っ張られた。



「――っ!」



 悲鳴が上がりそうなったが、口を抑えられたため声が上がることがなかった。暴れようとしたが、耳元で囁かれた。



「静かに。見つかるわよ」



 知らない女の声だった。誰かは知らないが、匿ってくれるみたいなので大人しくした。


 冷静になって自分が通ったと思われる生け垣に視線をやる。万里が通り抜けた後のはずのそこは乱れていなく、まるで綺麗に剪定し終わった後のように整備されている。


 おかしいと首を捻って、そして気付いた。生け垣が動いていることに。正確には生け垣は動いていない。万里が通り抜けた後を修繕しているかのように枝が伸びているのだ。


 足音が聞こえる。生け垣の間から見えた足音の主は、思っていたとおりスターリーだった。生け垣で顔はよく見えないが、雰囲気や身長、そして髪の色で彼だということが分かる。


 スターリーが一旦立ち止まる。表情は見えないが、小さく舌打ちしたのが聞こえて走り出した。


 足音が遠くなる。女性が口を抑えていた手を離して、万里を解放した。安堵から盛大な溜め息をついてその場に座り込む。



「あなた、逃げる才能があるわね」



 女性が言う。



「でも、時には無理矢理道を切り開いて逃げるのも定石よ」



 万里はそこで初めて女性を見上げた。

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