3 ゲネプロ
授業を受け、部活に出て、家に帰ってはぐるぐると思い悩んで。あっという間に二週間が過ぎた。とうとう本番が週末に迫ってきた。
今週は通し稽古を毎日行った。御厨さんも、田中先輩も、菅原先輩も、毎日参加して、ともに稽古に励んだ。
そして金曜日、最後の練習日。
今日は、ゲネの日だ。
ゲネプロ。演劇の用語の一つで、ざっくり言えば、リハーサルのようなもの。
今日は朝倉先生が調光室にいて、ゲネを見守っている。本番同様に照明を操作してくれるそうだ。
照明を落とした練習も何度かしているが、ゲネともなると、緊張感が何倍も違う。焦って失敗しないように心掛ける。暗転したときに立ち位置を間違えるなど、ハプニングの予感もある。もちろん、フォローやリカバリーの意識は高く持ち続けている。
もう一つの懸念は、衣装だ。通し稽古では衣装を着て練習していたが、存外に扱いが難しかった。今まで体操着で練習していたから、ギャップがあるのだ。
中世ヨーロッパの貴族を意識した、華美で、ひらひらした布地の服。一応機能性も考慮されてはいるのだが、当然ジャージよりはるかに動きにくい。練習では派手に動いていたが、それを再現するのが大変だった。
そうやって練習を思い出すと、「俺はやれる」という自信と、「成果を発揮できるだろうか」という不安とがせめぎあい始める。
「先生に見られてると思うと、緊張しちゃって、少し恐いです」
舞台上で調光室を見上げながら思わず弱音を吐くと、二宮先輩は幼子をあやすように微笑んだ。
「それも含めて楽しみましょう。緊張するのは当然。緊張も楽しめるようになったら、演劇をもっと好きになる。今よりも、もっと」
「十分に好きなつもりですけどね」
「わかってる。伝わってるよ。でも、もっと。もっとのめり込んじゃうよ」
「それは、楽しみです」
ふと、神崎の視線に気がついて、首を横に向けた。すると、さっと神崎が目を逸らした。その胸の内はわからないが、かなり傷つく。
「茉莉也ちゃんも、大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です」
「ふふ。こういうときは、女の子のほうが度胸あるよね」
「そりゃあビビってるのは事実ですけど……」
「冗談。ごめんね。テンション上がっちゃって。さあ、頑張るぞー」
二宮先輩は非常にご機嫌だった。まだまだこの境地に辿り着くのは難しい。
女子のほうが度胸ある、か。また少しだけ、神崎との距離が開いたような気もした。ピシッと背筋が伸びていて、落ち着いた雰囲気で。慌てふためいている俺との差は歴然だ。
考えれば考えるほどネガティブになってくる。頭を振って、嫌な思考を振り落とす。
「みんな、円陣組もうか」
峰岸先輩が、舞台の真ん中に位置どってニヤリと笑った。
応えるように、川嶋先輩が嫌そうな顔をしながらも、ゆっくりと歩み寄っていった。それに続いて、全員が集合する。
俺の横には、神崎と二宮先輩が。神崎と肩を組むと、それだけで嬉しい気持ちになる。嫌そうな顔をされなかったのも嬉しかった。実に安いものだ。
「本番は明日だ。だが、練習でできないことが、本番でいきなりできるとは思わないほうがいい。今日は全力を出して、明日に備えよう。行くぞ!」
「「「「「「「おう!」」」」」」」
特に打ち合わせることもなく、全員の声が重なる。心は一つだ。
散らばると同時に、朝倉先輩から合図。ゆっくりと舞台の照明が消えていき、舞台裏が真っ暗になった。
ゲネは四時から開始。五分前に舞台裏の照明が落ち、四時ちょうどに客席の照明が落ちる。そこから一時間ほどに収まるように劇をまとめる。
舞台裏には、過去に使われた大道具や、今回の劇で使う衣装が大量に置かれている。照明が多少は差し込むし、配置は把握しているが、足を引っかけないように。
ちなみに、明日からの劇では、大道具はまったくない。小道具は仮面や剣、手紙くらのものである。それらを壊してしまっては大変で……と、いらない心配ばかりつきまとう。
「幸村くん」
下手袖に待機していた俺の後ろから、神崎が声をかけてきた。予想していなかったことだもので、驚いて絶句してしまう。
「緊張、してる?」
「……まあね。さすがに」
「私も」
「神崎も? 堂々としてるように見えたけど」
「だとしたら、それも進歩」
暗がりの中、ぼんやりとしか見えない神崎が、ゆっくりと手を伸ばす気配が伝わってきた。温かい手が、俺の手をきゅっと握る。手汗をかいていないか少し焦ってしまう。それから、どうして急に手をつないできたのだろうかと、心臓が跳ね始めた。
「……あっ」
神崎の手は、震えていた。
緊張が伝わってきた。俺だけじゃないのだ。
ああ、やっぱり、神崎には敵わないや。
こんなに震えていて、でも、俺のことを気遣って、ここまでしてくれて。
「神崎、頑張ろう。一緒に」
神崎の息を吞む音が聞こえた。神崎が顔を上げる。その表情は、薄暗さのせいでよくわからない。
「頑張ろう。一緒に」
神崎がオウム返しをする。一緒に。強調したいのだと、そう理解した。
客席の照明が落ちていく。暗闇に支配される。舞台裏の時計はまったく見えない。
一分後、シーリングとサスが点いて、川嶋先輩と田中先輩が登場してスタートだ。すぐに俺の出番もやってくる。
きゅっと、神崎が強く手を握ってきた。俺はそれを、心地よい気分で受け入れた。ただ手をつないだだけで、先ほどまでの不安が嘘だったかのように勇気が湧いてくる。
俺の出番が来る直前まで、ずっと、神崎の温もりを確かめ続けた。
少しでも俺の勇気を分け合えたのならと、そう願いながら。
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