4章 繋がり――心と心

1 これってデート?

「幸村くん」


 水曜日の部活終わり。下駄箱に向かうと、一緒にいた神崎が少しだけ恥ずかしそうにはにかんで俯いた。萌えポイント高い。


「土曜日の午後、空いてる?」


 どこか既視感のある質問。二週間ほど前、神崎と喫茶店に行ったときと同じ誘い文句だ。否応なしに期待が高まっていく。


 あれからもう二週間か。部活が楽しかったからあっという間だったけど、あの日のことは、割と鮮明に覚えている。貴重な体験でした。


「空いてるけど」


 照れくさくて、「けど」なんていう意味のない含みを持たせてしまった。


「その……」


 もごもごと、神崎が口ごもる。恥ずかしがり屋と言えど、ここまでくぐもっているのは初めてかもしれない。自分が神前織江の妹だと告白した、あのとき以上だ。


「あぁ……うぅ」


 何度も呻ってから、神崎は意を決したようにキッと顔を上げた。


「動物園か水族館、もしくは遊園地、行かない?」

「……おお」


 返答に窮した。

 え? どういうこと?

 どこか行こうと誘われるのは期待していたし、実際そうなんだろうと思っていた。

 でも、動物園か水族館、それとも遊園地か、だって?


 それじゃあまるで……デートじゃないか。


「だ、ダメ……?」

「いや……ダメじゃないけど……」


 しゅんと小さくなった神崎にオロオロしてしまう。

 とりあえず、神崎の言葉足らずなその真意を確かめないと。


「どうしたんだ突然。遊びに行きたいのか?」

「うん。そう」

「動物と触れ合いたい?」

「動物は、私の興味、なんだけど……」


 神崎は案外と自分の意思を示すタイプだ。「こうしたい」、と意思表示できるのは神崎の美点だろう。なんだかんだで幹事とか向いていそうだ。将来は神崎が部長で、俺が副部長ということになるのだろう。神崎的には不本意かもしれないが。


「動物、俺も好きなんだよね」


 休みの日は動物の動画を見て癒されたりしている。特に猫が好きだ。けど、動物園にいるような、例えば虎とかライオンのような普段触れ合えない動物を直に眺めるのも好きである。


「そ、そうなんだ。よかった」


 少し慌てた様子の神崎。俺が動物好きなのが問題だったのだろうか。でも、その可能性を考えて遊園地も候補に入れたのではないのだろうか。うーむ。神崎の考えが読めん。


「遊びに行くことに意味があるのか」

「そう」


 そういえば、今日は御厨さんはいないわけだけど、もうすでに二人で計画を立てていたりしたのかもしれない。てことは、実は遊園地で決定済み?


「何人で行くんだ?」

「あ、あの、その」


 更に慌てふためく神崎。舞台上でこんな調子だったら事故もいいところだぞ。


「実は……」

「実は?」


 あらぬ方を向いては、チラチラと俺の方を窺う。なんだこれ。めっちゃかわいいじゃん。セクハラ承知で言わせてくれ。抱きしめたい。


「実は……二人で行きたい、んだけど」

「……え?」


 再び思考が停止した。


 え? どういうこと?


 俺と二人で? え? それ、デートじゃん。マジで?


 神崎はもしかして、俺のこと……。

 一発、自分の頬を自分でバチンと叩く。


「ふぇ!?」


 ビクン、と神崎が跳ねあがった。そりゃそうだ。普通に考えて俺の行動は不審だ。


「大丈夫、気にしないでくれ。蚊が止まってんだ」

「え、あ、うん。そうだね。もうすぐ夏、だもんね」


 適当に話を合わせてくれる神崎。考えるのを放棄したのかもしれない。

 いやあ、危ない危ない。勘違いしちゃダメだぞ、俺。いい話には裏があるんだ、絶対。


「二人きりなんて、どうしたんだ。御厨さんとか、先輩たちとか、いいのか」

「うん」


 神崎はカクン、と深く頷く。脳が揺れそうなほど力強く大きな振りかぶり方だった。


「理由、聞いてもいいか」

「あ、ええと」


 相変わらず口ごもりながら視線を彷徨わせている。何だか悪いことをしているような気分になってきた。


「いや、別に詰問してるとか、そんなんじゃないんだ。ただ単に理由を聞いてみたくて」


 そう言うと、少しだけ胸をなでおろした様子で、神崎は一つふぅっ、と息を吐いた。


「デートの練習、してみたいの」


 ……今、なんて言った?


「れ、練習……?」

「そう」


 練習。練習だと。

 練習したい理由。それは、後々のためである。となると、いつかデートする予定があるということ。


 なぜだかそれは、あまり面白くないことのないようにも思う。ファン心理なのか、おいていかれる焦燥感なのか。本当は喜ぶべきことのはずなのに。


「好きな人、できたとか?」

「違う」


 神崎は淡々とした調子でかぶりを振る。余裕が窺えるのが、どうにも裏をかいてしまい、不安となって心を押して沈み込んでいく。


「違うから、練習したい」

「どういうこと?」


 言葉を選ぶように、神崎は訥々と言葉を紡ぐ。


「恋人がいたら、どうだろうって。ロミオとジュリエットは、デートしたりしないけど、経験しておくに損はないと思って」

「恋人……」


 恋をしなくても、恋愛劇は演じられる。峰岸先輩も言っていた。命を懸けるほどの恋愛など、舞台の上でしかできないと。だから想像で、妄想で補う。そこに説得力を持たせる。共感を促す。

 ただし、俺たち演者が実感として覚えておいて損はない。そういうことなのだろうか。


「幸村くんは、デートの経験、もしくは予定、ある?」


 神崎の問いに、ふっと現実へ引き戻される。


「いや、今のところないな」


 お互い、過去に恋愛経験がないことは確認しあっている。だが、数週間もあれば何があるかわからない……かもしれない。


 パッと関係が変わるわけじゃなくて、俺の知らないところで誰かと関係を育んでいるのかもしれない。例えば太一だって、俺の知らない女子との親交もあるだろう。太一に彼女が出来たら、祝福するけど、ちょっと焦りもするかもしれない。


 だから神崎も……。


「それじゃあ、お願いして、いい?」

「ああ、もちろん」


 断る理由などない。繰り返すが、女子と一緒に出掛けるのはとても喜ばしいことである。それが二人きりならば尚更のことだ。


「じゃあ、土曜日に。天ヶ崎水族館でいい? 入館料は千円ちょうど。少し高いかな? 変えてもいいんだけど……」


 水族館、と言われてビックリした。小学生のときには、両親によく連れていってもらったものだ。イルカショーやペンギンショー、アシカショーといった定番なものから、クラゲがゆらゆらしている様をボーっと眺めるのも大好きだった。


 中学に上がってからは、水族館に行く機会はめっきり減った。中二のとき、太一と一緒に行った以来だろうか。実に二年ぶりである。最近ではネットの動画で十分に癒されるので、そういうのも足を遠ざける一因になっていたのかもしれない。


「オッケー。大丈夫だ。天ヶ崎水族館な」

「九時でいいかな。早い?」

「いや。全然。問題ないよ」

「それじゃあ九時に、天ヶ崎駅バス停前の時計台前で待ち合わせでいい?」


 八時二十分から朝のHRがあるんだから、休日だろうと九時なら早くもなんともない。むしろ遅いくらいだ。これは過言か。


 ちなみに、天ヶ崎水族館が九時に開館だということは知っている。昔、一度だけ行ったことがあって、開館前から並んだから覚えている。


「それじゃあ、お願いします」

「いえいえ、こちらこそ」


 二人して頭を下げて、笑いあう。


「じゃあ、今日は用があるから、また明日」

「おう、また明日」


 パタパタと去っていく神崎を見送って、姿が見えなくなってから、腕を下駄箱に押し当てズリズリとへたり込んでしまった。


 なんだアレ。かわいすぎるだろ。ちくしょう。


 恋人でもなんでもないけど、神崎はかわいらしい。そんな子とデートだと? 嬉しくないわけがない。こちとら恋愛経験ゼロの童貞なんだ。煩悩の数は優に一〇八を超えている。


 その夜から金曜日の夜まで三日間、必死に天ヶ崎水族館の予習を、念入りに、綿密に、きめ細かに、徹底的に、余すことなく行った。


 動物の豆知識なんだりも頭に入れ、なんならデートの必勝法なんかも勉強した。それを披露することが必ずしも正解とは限らないけど、頭の片隅に置いておくことはきっと大事だ。何かしらで咄嗟に役立つこともあるやもしれん。損はないはずだ。


 金曜日の夜、ほとんど眠れず眼が冴えっぱなしだったのは言うまでもない。

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