2 部活動勧誘と演劇部
放課後。担任が教室を去るや否や、一人の女子生徒が疾風のごとき速さで教室を後にした。
名前はわからない。さすがに一日で全員の名前は覚えられない。ましてや席が離れている人の名前なら尚更だ。
その彼女も、きっと何か目的が定まっているのだろう。恐らく部活動に向かったのだ。仮入部期間とはいえ、入部してはいけない決まりもない。例えば俺も、すでに入部する心積もりなのだから。
その子が目についたのは、休み時間、浮かれてテンションが上がるでもなく、物怖じして一人殻にこもっているでもなく、淡々と自分の世界を築いて読書をしていたからだ。休み時間に読書をしていたのは彼女だけだったから特に記憶に残っている。
何にせよ、文学少女然としていた彼女が猫のようにピョンと駆けていった――ただし早歩きだったのが、彼女の性格を表している――のが、最初のイメージと違っていた。文芸部だと思うのだが、あんなに急いでどうするのだろうか。よっぽど読書が好きなのだろうか。
ところで、山崎は「俺は絶対帰宅部だから!」、と力強く宣言して、一直線に颯爽と学校を去って行った。
口調や表情から、部活より優先すべき何かがあるのだとわかった。それが何かは追々聞いていけばいいだろう。もしも話してくれるなら、だが。無理に聞き出す必要もあるまい。
みんな存外に、自分のやりたいことを決めている。それが不安を掻き立てる。
「や。颯斗」
教室を出ると、同じ中学校の友人、岸田太一が向かいの壁に寄り掛かっていた。
「どうした。太一」
「たいした用じゃないけど、演劇部の部活動紹介、凄かったなあって。感想をね」
太一はのんびりとした性格で、あまり表情も変わらないタイプだ。その太一が、今は妙に楽しげだった。純粋な好奇心を感じる。
「歩きながら話そうぜ。勧誘の様子とか見てみたいし」
そう促してから横並びになって、少しだけゆっくりとした足取りで階段を下りていく。
ちなみに一年生は四階。二年生が三階で、三年生が二階だ。
いちいち四階まで上るのは案外に億劫である。これも一年生の試練か。高い階層の教室最高、などと喜ぶ年齢でもない。小学校のころの無邪気さが懐かしい。
「どう思った、演劇部のこと」
「そうだね」
言葉を選ぶように、太一はちょっとだけ視線を上げながら、
「結構厳しい部活なんじゃないかって、そう思った。峰岸先輩は『道楽』、なんて言ってたけど、そんな雰囲気じゃなさそうだよね。妥協とか、そういうのなさそうって言うか」
「なんとなくわかる」
「でも同時に、あんな凄い人と一緒に劇ができるのは貴重な体験だと思う」
「同感だ」
厳しくて上等。目指すなら高い方がいい。
中学のときがバスケ部だったから、スポ根が染み込んでいるだけかもしれない。けど、それはきっと前向きで、今後に活きてくる経験でもあるはずだ。
階段を降り切ると、昇降口にはそれほど人が多くない。ただ、立ち止まっている生徒が何人か見受けられた。みなげんなりとした顔をしている。
遠くから祭りのような喧騒が聞こえてくる。昇降口は勧誘禁止なため、校門までの道に部活動勧誘がひしめき合っているようだ。
昇降口の真ん中から体育館へと伸びている渡り廊下にも、何人もの生徒が立ち尽くしている。体育館で行われている部活を覗いている者も多いが、外の勧誘に辟易している方が圧倒的大多数だ。
俺たちも渡り廊下に立って覗いてみる。東門に百人以上はいるんじゃないかというほどたくさんの人がごった返していて、バーゲンセールのような大騒ぎになっていた。
校門は東西両側にある。西側を見ても、やっぱり人でごった返していた。校外に出るだけで一苦労だろう。
一年生がもみくちゃにされ、帰るのも叶わず、一歩前に進めば勧誘が飛び込んでくる。断ったら、餌を狙う猛禽類のごとき別の部活動勧誘に襲われる。それが繰り返されて大渋滞を引き起こしている。
「これは恐ろしいなあ」
そう呟くと、隣から覗き込んでいる太一が鷹揚に頷いた。
「一人で帰るのは大変そうだね」
「何を他人事みたいに」
「結構他人事だよ。僕は、こういうのを受け流すのは苦手じゃないから」
太一はのんびり屋のマイペースだが、裏返せば他人が気にならないということ。強引に来られてもどこ吹く風で跳ね返しそうだ。
そもそも太一は人の波を潜り抜けるのが得意である。コツは教わったのだが、感覚的なものが大きくて参考にならなかった。とにかく人と人の隙間を見つけるのが得意なのだ。
「さあて。それじゃあ、僕は部活動勧誘を冷やかしに行ってこようかな」
「まったく、悪趣味だなあ」
太一は校舎の中へと戻って行き、まだ傷もシワもないピカピカの革靴に履き替えて、校舎の外へとのらりくらり出て行った。
「良さそうな部活が見つかったら顔を出してくるよ。まだ僕は、候補はあるけど、決めたわけじゃないからね」
太一のことだ。好奇心旺盛だから、所属できなくとも色々な部活に顔を出すくらいはしそうだ。
どうやらこの学校、部費の問題があるから複数所属はご法度だけど、他の部活に顔を出すことには寛容らしい。しっかりと所属部活に顔を出せば、休みの日なんかには他の部にも参加してもいいとのこと。
となると、演劇部も人手が欲しければ太一を引きずり込むことができるわけだ。
今からでも約束を取り付けておこうか。
そう思って口を開こうとした瞬間――
「演劇部、本日活動中です! 是非、部室までどうぞ!」
曇りのない朗らかな女子生徒の声が、遠くから耳に飛び込んできた。
聞こえた方を向くと、声の雰囲気と違わぬ快活さでビラを配る女子生徒を視界にとらえた。距離は、昇降口から何十メートルも離れている。
恐ろしいのは、どこから声がしたのか、はっきりとわかったことだ。
どの方向から、なんて曖昧なものじゃない。どこから聞こえてきたのか、それがわかる。
範囲ではなく、点で。ピンポイントで、どこから聞こえてきたのかが理解できたのだ。
声量? いや、それだけじゃない。大声で勧誘している部活動はザラで、混濁としている。
それらを貫いて、人の注意を惹きつける。
声量も確かに凄まじいが、声を届ける何かしらの技術を、確かに感じ取ることができた。
「……ははっ」
思わず歓喜の笑いがこぼれてしまった。峰岸先輩の部活動紹介と近しいほどの、言いようのない昂奮が再び込み上げてきた。
「凄いね。運動部の野太い大声の中でも、合間を縫って聞こえてくる」
感嘆の声を太一が洩らす。昇降口に残った生徒たちも、このときばかりは演劇部の方を注視していた。
「スカーフの色……二年生だね」
「よく見えるな」
「つまり、一年後には颯斗もこうなるわけだ」
「……そうなってるといいなあ」
ちょっとだけプレッシャー。凄い人たちの集う部活に入るっていうのはこういうことかと、改めて山崎が言っていた『演劇部、部員集まらない説』の意味を噛みしめる。
「この勧誘、逆効果じゃないかな」
ドキッとして、太一の方をゆっくりと窺った。
おいおい、山崎と同じことを言うじゃないか。まるで俺の心を見透かしてきたかのようなタイミングだったので、何となしに半笑いになってしまった。
「演劇部の人たち、本気だってわかるから。部員四人だよね。なるほどね」
「うちのクラスのやつと、同じこと言ってるよ」
「誰が見てもそう思うんだよ」
「そういうことだな」
太一はポンと俺の肩を叩いて、
「ま、何かあったら手伝いくらいはするからさ。頑張って」
手伝ってくれる。俺が確認するより先に、太一の方からそう言ってくれた。察してくれたのだろうか。実にありがたい話だ。
「ありがとう。そのときは頼むわ」
「うん。それじゃあ、また明日」
「おう。またな」
手をひらひらと振って、太一は雑踏の中に溶け込んでいった。
それを見送ってから、俺は踵を返して校舎の中へと戻っていく。
演劇部の勧誘に近づいてみたくもあったが、この昂奮冷めやらぬうちに、すぐにでも部室に飛び込みたい気分だった。
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