法華経 化城喩品
釈迦牟尼仏は、諸々の「比丘」、「出家者」に告げた。
過去、無量、無限なほど幾不可思議阿僧祇劫もの昔、その時、大通智勝仏という名前の仏がいた。
その(大通智勝仏の)国の名前は、好成である。
劫の名前は、大相であった。
諸々の「比丘」、「出家者」よ、大通智勝仏の(肉体の)死後、以来、とても大いに遠い昔になっているのである。
例えば、「三千大千世界」に有る地を、仮に、ある人が
また、千の国土を通り過ぎたら、また、一点を下に落とす。
このようにして、転々として、地による
あなた達の心において、どうであろうか?
このようにして通り過ぎた諸々の国土の数を、計算する役人、もしくは、計算する役人の弟子が、最後まで知ることができ得るか? 否か?
(諸々の「比丘」、「出家者」は釈迦牟尼仏に答えた。)
でき得ません。
世尊(、釈迦牟尼仏)よ。
(釈迦牟尼仏は、諸々の「比丘」、「出家者」に告げた。)
諸々の「比丘」、「出家者」よ、点じたり点じなかったりした、例え話の人物が通り過ぎた国土を粉々にし尽くして
私(、釈迦牟尼仏)は、仏の知見の力によって、この遠い昔のことを、今日のことであるかのように観察することができるのである。
その時、世尊(、釈迦牟尼仏)は、くり返し、この意義を話したいと欲して、詩で説いて言った。
私(、釈迦牟尼仏)が、無量、無限なほど幾劫もの過去の世のことを思い出すと、大通智勝仏という名前の「仏」、「両足尊」がいた。
ある人が「力」によって「三千大千世界」を
このようにして、転々として、この諸々の
このようにした諸々の点じた国土と点じなかった国土をまた粉々にし尽くして
一つの
この諸々の微細な
大通智勝仏の(肉体の)死後から、このように、無量なほどの劫なのである。
(私、釈迦牟尼仏は、)仏の「無礙の智」、「妨げられない智慧」によって、この大通智勝仏の(肉体の)死、および、(大通智勝仏の弟子である)声聞と菩薩を、今、大通智勝仏(の肉体)が死んだかのように見ることができるのである。
諸々の「比丘」、「出家者」よ、まさに、知るべきである。
仏の智慧は、清浄であるし、細かく複雑で絶妙であるし、「無漏である」、「煩悩が無い」し、「無所礙である」、「妨げられない」し、無量の劫に通達している。
釈迦牟尼仏は、諸々の「比丘」、「出家者」に告げた。
大通智勝仏の(肉体の)寿命は、五百四十万億那由他劫であった。
その大通智勝仏は、
しかし、諸仏の仏法は、目前に現れなかった。
このように、一小劫、そして十小劫まで、結跏趺坐して、身心が不動であった。
しかし、諸仏の仏法は、なお、目前に現れなかった。
その時、「忉利天」の諸々の天人達は、先んじて、大通智勝仏の為に、菩提樹の下に、高さ一由旬の「獅子の座」、「仏の座」を敷いた。
大通智勝仏は、この「獅子の座」、「仏の座」で、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を得ることができた。
大通智勝仏が、この「獅子の座」、「仏の座」で坐禅していた時、諸々の梵天は、一辺が百由旬の一面に、多数の天の華を雨のように降らした。
良い香りの風が、その時、吹いて来て、しぼんだ華を吹き飛ばして、更に新しい華を雨のように降らした。
(諸々の梵天は、)このようにして、絶えず、満十小劫、大通智勝仏に捧げものを捧げた。
(さらに、諸々の梵天は、)大通智勝仏(の肉体)が死ぬまで、常に、この天の華を雨のように降らした。
四天王天の諸々の天人達は、大通智勝仏に捧げものを捧げるために、常に、天の太鼓を打ち鳴らした。
その他の諸々の天人達は、満十小劫、天の音楽を奏でた。
(さらに、天人達は、)大通智勝仏(の肉体)が死ぬまで、同様の捧げものを捧げた。
諸々の「比丘」、「出家者」よ、大通智勝仏は、十小劫、坐禅して過ごすと、諸仏の仏法が目前に現れて、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を成就した。
その大通智勝仏には、未だ出家していない時に、十六人の子達がいた。
その大通智勝仏の長男の名前は智積と言う。
大通智勝仏の諸々の子達には、各々、種々の珍しい
(大通智勝仏の子達は、)「父である大通智勝仏が『阿耨多羅三藐三菩提』、『無上普遍正覚』を成就でき得た」と聞くと、皆、所有していた珍しい
諸々の母達は、泣く泣く、従って、この大通智勝仏の子達を送った。
その祖父である転輪聖王と百人の大臣、および、その他の百千万億人の国民は、皆、共に、(大通智勝仏の子達を)囲んで、従って、道場である菩提樹の下に至った。
皆ことごとく、大通智勝仏に親しみ近づきたいと欲して、
大通智勝仏に捧げものを捧げ、恭しく敬い、尊重し、ほめたたえ、
菩提樹の下に到着し終わると、頭を大通智勝仏の足につけて敬礼して、
仏の周りを右回りに三周するという敬礼をし終わると、一心に合掌して、大通智勝仏を仰ぎ見て、詩をうたって、言った。
大いなる威徳がある世尊、大通智勝仏は、「衆生」、「生者」を仏土へ渡すために、無量なほど幾億年も坐禅して、仏に成ることができ得た。
(大通智勝仏は、)諸々の願いを既に十分に備えている。
善いかな。
(大通智勝仏の)「吉」、「善さ」は無上である。
仏は、とても希有なのである。
(大通智勝仏は、)一度に十小劫も坐禅して、身体、手足を静かに安らげて不動であった。
その大通智勝仏の心は、常に、あっさりとしていて、未だかつて散乱したことが無い。
(仏は、)最終的に、永遠に、(悪を)寂滅させている。
(仏は、)「無漏の」、「煩悩を無くす」仏法に安住している。
今、大通智勝仏が安穏として仏道を成就したのを見て、私達は、善い利益を得て、大いに喜んでいる。
「衆生」、「生者」は、常に、苦悩している。
(生者は、)盲目的であるし、導師がいない。
(生者は、)苦を無くし尽くす「道」、「真理」を知らない。
(生者は、)解脱を求めることを知らない。
(生者は、)「長夜」、「輪廻転生」で、「悪趣」、「悪行による状態」を増やしてしまう。
(生者は、)諸々の天人達の数に入ることができなくなってしまう。
(生者は、)闇から闇へと入っていってしまう。
(生者は、)長い間、「仏」という名前、言葉を聞くことができない。
今、大通智勝仏は、最上の、安穏とさせてくれる「無漏の」、「煩悩を無くす」仏法を得ました。
私達、および、天人、人は、最大の利益を得ることができるのです。
このため、皆ことごとく、頭を地につけて敬礼して、無上に尊い者である大通智勝仏に「帰命」、「帰依」します。
その時、大通智勝仏の十六王子達は、詩で、大通智勝仏をほめたたえ終わると、大通智勝仏に「法輪を転じること」、「法を説くこと」を勧めて請い願って、皆ことごとく、このような言葉を言った。
大通智勝仏の説法は、安穏とさせてくれる所が多いはずです。
諸々の天人、人をあわれんで、利益をもたらしてください。
(大通智勝仏の十六王子達は、)くり返し、詩で説いて言った。
「世雄」、「仏」は、無双であるし、比類無い。
(仏は、)多数の幸福をもたらす善行で自らを荘厳に飾っている。
(仏は、)無上の智慧を得ている。
願わくば、世間のために、説法して、私達、および、諸々の「衆生」、「生者」を仏土へ渡して解脱させてください。
そのために、仏の智慧を分別して、現して示して、得させてください。
私達が仏を得たように、「衆生」、「生者」も、また、そうなりますように。
仏は、「衆生」、「生者」の心の奥深くの思いを知っています。
また、(仏は、)生者の所行と道を知っています。
また、(仏は、)生者の知力、欲望、願望、および、幸福をもたらす修めている善行、前世の所行を知っています。
仏は、生者の、ことごとくを知り終わると、「無上の法輪を転じる」、「無上の仏法を説く」はずです。
釈迦牟尼仏は、諸々の「比丘」、「出家者」に告げた。
大通智勝仏が、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を得た時、十方の各方向の五百万億の諸仏の世界は(東西南北と上下の)六種類(の方向)に震動して、それらの国々の中間、「幽冥の所」、「冥界」、太陽と月の威光が照らすことが不能な所が、皆、大いに明るくなった。
その中の「衆生」、「生者」は、各々、相互に見合うことができ得て、皆ことごとく、このような言葉を言った。
この中に、どうして、たちまち、「衆生」、「生者」が生じたのか?
また、その国の、諸々の天人達の宮殿、(大梵天にある)梵天の宮殿までも、(東西南北と上下の)六種類(の方向)に震動した。
大いなる光が、あまねく照らして、あまねく世界に満ちて、諸々の天人達の光よりも勝っていた。
その時、東方の五百万億の諸々の国土の中の、(大梵天にある)梵天の宮殿を、光明が照らして、日常の明るさの倍の明るさになった。
(東方の)諸々の梵天は、各々、このように思った。
今、宮殿の、光明は、未だかつて無い。
どんな「因縁」、「理由」によって、この相が現されているのか?
この時、(東方の)諸々の梵天は、集まって来て、共に、この事について協議した。
この集まっている者達の中に、救一切という名前の一人の大いなる梵天がいて、(東方の)諸々の梵天達の為に、詩で説いて言った。
私達の諸々の宮殿の、光明は、未だかつて無い。
これは、どんな「因縁」、「理由」による物であるのか?
共に、これを探求するべきである。
「大徳」、「仏」が天に生じたのか?
仏が世間に出現したのか?
この大いなる光明は、十方をあまねく照らしている。
その時、(東方の)五百万億の国土の諸々の梵天は、宮殿と共に、各々、衣の
また、諸々の天人、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽といった、人と、人ではない者達が、大通智勝仏を、恭しく敬って、囲んでいるのを見た。
また、大通智勝仏の十六王子達が大通智勝仏に「法輪を転じること」、「法を説くこと」を請い願っているのを見た。
すぐに、(東方の)諸々の梵天は、頭を大通智勝仏の足につけて敬礼して、幾百、幾千周も大通智勝仏の周りを回って敬礼して、天の華を大通智勝仏の上に、まき散らした。
その、まき散らされた天の華は、須弥山のように、高く蓄積された。
(東方の諸々の梵天は、)大通智勝仏の道場である菩提樹にも捧げものを捧げた。
その菩提樹の高さは十由旬であった。
(東方の諸々の梵天は、)天の華を捧げ終わると、各々、宮殿をこの大通智勝仏に捧げて、このような言葉を言った。
ただ、私達をあわれんで、利益をもたらしてください。
捧げた宮殿を、願わくば、受け入れてください。
その時、(東方の)諸々の梵天は、大通智勝仏の前で、一心に、声を同じくして、詩をうたって、言った。
仏は、とても希有であり、会うのが難しい。
(仏は、)無量の功徳を備えている。
(仏は、)一切(の生者)を救って護ることが可能である。
(仏は、)天人、人の大いなる師である。
(仏は、)世間をあわれんでくれる。
十方の諸々の「衆生」、「生者」は、あまねく、皆、利益をこうむる。
私達は、五百万億の国から来ました。
(私達が、)深い禅定の楽しみを捨てたのは、仏に捧げものを捧げるためです。
私達の前世の、幸福をもたらす善行は、宮殿を、とても荘厳に飾っていますが、今、宮殿を仏に捧げます。
ただ、願わくば、あわれんで、受け入れてください。
その時、(東方の)諸々の梵天は、詩で大通智勝仏をほめたたえ終わると、各々、このような言葉を言った。
ただ願わくば、大通智勝仏よ、「法輪を転じて」、「法を説いて」、「衆生」、「生者」を仏土へ渡して解脱させて、涅槃への道を開いてください。
その時、(東方の)諸々の梵天は、一心に、声を同じくして、詩で説いて言った。
「世雄」、「両足尊」、「仏」よ、ただ願わくば、法を演説して、大いなる「慈悲」、「思いやり」の力によって、苦悩している「衆生」、「生者」を仏土へ渡してください。
その時、大通智勝仏は黙って、これを許した。
また、諸々の「比丘」、「出家者」よ、東南方の五百万億の国土の諸々の大いなる梵天は、各自、宮殿を光明が照らす未だかつて無い光景を見て、歓喜して、心が踊躍して、希有の心が生じて、各々、集まって来て、共に、この事を協議した。
その時、この集まっている者達の中に、大悲と言う名前の一人の大いなる梵天がいて、諸々の梵天達の為に、詩で説いて言った。
どんな「因縁」、「理由」によって、この事、この相が現されているのか?
私達の諸々の宮殿の、光明は、未だかつて無い。
「大徳」、「仏」が天に生じたのか?
仏が世間に出現したのか?
この相を未だかつて見たことが無い。
共に、一心に、探求するべきである。
千万億の土地を通り過ぎても、光を尋ねて、共に、この光の原因を探し求めるべきである。
多分、これは、仏が世に出現して、苦しんでいる「衆生」、「生者」を仏土へ渡して解脱させているのである。
その時、(東南方の)五百万億の諸々の梵天は、宮殿と共に、各々、衣の
また、諸々の天人、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽といった、人と、人ではない者達が、大通智勝仏を、恭しく敬って、囲んでいるのを見た。
また、(大通智勝仏の)十六王子達が、大通智勝仏に「法輪を転じること」、「法を説くこと」を請い願っているのを見た。
その時、(東南方の)諸々の梵天は、頭を大通智勝仏の足につけて敬礼して、幾百、幾千周も大通智勝仏の周りを回って敬礼して、天の華を大通智勝仏の上に、まき散らした。
まき散らされた天の華は、須弥山のように、高く蓄積された。
また、大通智勝仏の菩提樹にも捧げものを捧げた。
天の華を捧げ終わると、各々、宮殿をこの大通智勝仏に捧げて、
このような言葉を言った。
ただ、私達をあわれんで、利益をもたらしてください。
捧げた宮殿を、願わくば、受け入れてください。
その時、(東南方の)諸々の梵天は、大通智勝仏の前で、一心に、声を同じくして、詩をうたって、言った。
神聖な主である仏よ、「天の中の天」、「神の中の神」、「真の神」である仏よ、迦陵頻伽のような美しい声で「衆生」、「生者」を思いやる者である仏よ、私達は、今、仏を敬礼します。
仏は、とても希有である。とても長い時間に一度、出現する。
百八十劫も空しく仏無しで過ぎた時、「地獄、餓鬼、畜生」という「三悪道」は(悪人で)充満したし、諸々の天人達の数は減少してしまった。
今、大通智勝仏は、世に出現してくれました。
仏は、「衆生」、「生者」の為に、(正しくものを見る)眼を作ります。
仏は、世間のものが最終的に帰って行く所の者です。
仏は、一切(の生者)を救って護ります。
仏は、「衆生」、「生者」の父です。
仏は、(生者を)思いやり、利益をもたらす者です。
私達は、前世の幸福をもたらす善行によって、今、大通智勝仏に会うことができ得ました。
その時、(東南方の)諸々の梵天は、詩で大通智勝仏をほめたたえ終わると、各々、このような言葉を言った。
ただ願わくば、大通智勝仏よ、一切(の生者)をあわれんで、「法輪を転じて」、「法を説いて」、「衆生」、「生者」を仏土へ渡して解脱させてください。
その時、(東南方の)諸々の梵天は、一心に、声を同じくして、詩で説いて言った。
大いなる神聖な者である仏よ、「法輪を転じて」、「法を説いて」、「諸法」、「全てのもの」の相を現して示して、苦悩している「衆生」、「生者」を仏土へ渡して、大いなる喜びを得させてください。
「衆生」、「生者」が、この仏法を聞けば、「道」、「真理」を会得するか、もしくは、天に生じるので、(地獄といった)諸々の「悪道」は(悪人の数が)減少するし、忍耐強く善行を行う者は利益を増やすことができます。
その時、大通智勝仏は、黙って、これを許した。
また、諸々の「比丘」、「出家者」よ、南方の五百万億の国土の諸々の大いなる梵天は、各自、宮殿を光明が照らす未だかつて無い光景を見て、歓喜して、心が踊躍して、希有の心が生じて、各々、集まって来て、共に、この事を協議した。
どんな「因縁」、「理由」によって、私達の宮殿に、この光が有るのか?
この集まっている者達の中に、妙法と言う名前の一人の大いなる梵天がいて、諸々の梵天達の為に、詩で説いて言った。
私達の諸々の宮殿を、光明の、非常な威光が照らしている。
これは、「因縁」、「理由」が有る。
この相を探求するべきである。
幾百、幾千劫を過ぎても、この相を未だかつて見たことが無い。
「大徳」、「仏」が天に生じたのか?
仏が世間に出現したのか?
その時、(南方の)五百万億の諸々の梵天は、宮殿と共に、各々、衣の
また、諸々の天人、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽といった、人と、人ではない者達が、大通智勝仏を、恭しく敬って、囲んでいるのを見た。
また、大通智勝仏の十六王子が、大通智勝仏に、「法輪を転じること」、「法を説くこと」を請い願っているのを見た。
その時、(南方の)諸々の梵天は、頭を大通智勝仏の足につけて敬礼して、幾百、幾千周も大通智勝仏の周りを回って敬礼して、天の華を大通智勝仏の上に、まき散らした。
まき散らされた天の華は、須弥山のように、高く蓄積された。
また、(南方の諸々の梵天は、)大通智勝仏の菩提樹にも捧げものを捧げた。
(南方の諸々の梵天は、)天の華を捧げ終わると、各々、宮殿を、この大通智勝仏に捧げて、
このような言葉を言った。
ただ、私達をあわれんで、利益をもたらしてください。
捧げた宮殿を、願わくば、受け入れてください。
その時、(南方の)諸々の梵天は、大通智勝仏の前で、一心に、声を同じくして、詩をうたって、言った。
仏は、会うのが、とても難しい。
諸々の煩悩を打ち破った者である仏に、百三十劫を過ぎて、今、一度、会うことができ得た。
諸々の飢え渇いていた「衆生」、「生者」が、法という雨によって満たされているのは、未だかつて見たことが無い。
無量の知恵者である仏は、「三千年に一度、咲く」と言われる優曇波羅華のように会うのが難しい。
今日、仏に会えた。
私達の諸々の宮殿は、(仏の)光をこうむって荘厳に飾られている。
大通智勝仏よ、大いなる「慈悲」、「思いやり」で、ただ願わくば、宮殿という捧げ物を受け入れてください。
その時、(南方の)諸々の梵天は、詩で大通智勝仏をほめたたえ終わると、各々、このような言葉を言った。
ただ願わくば、大通智勝仏よ、「法輪を転じて」、「法を説いて」、一切の世間の諸々の天人、魔、梵天、「沙門」、「出家者」、バラモンといった皆に、安穏を獲得させて、仏土へ渡して、解脱でき得させてください。
その時、(南方の)諸々の梵天は、一心に、声を同じくして、詩をうたって、言った。
ただ願わくば、天人と人の無上の尊い者である仏よ、
「無上の法輪を転じて」、「無上の法を説いて」、
「大いなる法という太鼓を打ち鳴らして」、「大いなる法を説いて」、
大いなる法螺貝のラッパを吹いて、
大いなる法という雨をあまねく、雨のように降らして、
量り知れないほど無数の「衆生」、「生者」を仏土へ渡してください。
私達は、皆ことごとく、仏に帰依して、深遠な「音」、「仏の教え」を演説してくれることを請い願います。
その時、大通智勝仏は、黙って、これを許した。
西南方から下方までの梵天も、また、同様であった。
その時、上方の五百万億の国土の諸々の大いなる梵天は、皆ことごとく、とまっている宮殿を、光明の威光が照らす未だかつて無い光景を自ら見て、歓喜して、心が踊躍して、希有の心が生じて、各々、集まって来て、共に、この事を協議した。
どんな「因縁」、「理由」によって、私達の宮殿には、この光明が有るのか?
この集まっている者達の中に、尸棄と言う名前の一人の大いなる梵天がいて、諸々の梵天達の為に、詩で説いて言った。
今、どんな「因縁」、「理由」によって、私達の諸々の宮殿を、威徳の光明が照らして荘厳に飾って、未だかつて無いのか?
このような妙なる相は、未だかつて見聞きしたことが無い。
「大徳」、「仏」が天に生じたのか?
仏が世間に出現したのか?
その時、(上方の)五百万億の諸々の梵天は、宮殿と共に、各々、衣の
また、諸々の天人、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽といった、人と、人ではない者達が、大通智勝仏を、恭しく敬って、囲んでいるのを見た。
また、大通智勝仏の十六王子が、大通智勝仏に「法輪を転じること」、「法を説くこと」を請い願っているのを見た。
その時、(上方の)諸々の梵天は、頭を大通智勝仏の足につけて敬礼して、幾百、幾千周も大通智勝仏の周りを回って敬礼して、天の華を大通智勝仏の上に、まき散らした。
まき散らされた天の華は、須弥山のように、高く蓄積された。
また、大通智勝仏の菩提樹にも捧げものを捧げた。
(上方の諸々の梵天は、)天の華を捧げ終わると、各々、宮殿を、この大通智勝仏に捧げて、
このような言葉を言った。
ただ、私達をあわれんで、利益をもたらしてください。
捧げた宮殿を、願わくば、受け入れてください。
その時、(上方の)諸々の梵天は、大通智勝仏の前で、一心に、声を同じくして、詩をうたって、言った。
善いかな。
救世の神聖な尊い者達、諸仏は、三界という牢獄から、つとめて、諸々の「衆生」、「生者」を救い出すことが可能です。
普遍の智慧がある天人と人の無上の尊い者である仏は、「群萌」、「生者」をあわれんで、甘露のように甘い法への門を開いて、一切の(生)者を広く仏土へ渡すことが可能です。
昔、量り知れないほど無数の劫、空しく時が過ぎて、仏が未だ出現しなかった時、
十方は、常に、闇であるし、暗かったし、
「三悪道」(の悪人)は増長してしまったし、
「阿修羅道」も、また、(悪人が)盛んであったし、
諸々の天人達は、「うたた」、「とても」減って、死んで、多数が、「悪道」に堕ちてしまったし、
仏に従って仏法を聞くことができなかったし、
常に、悪事を行ってしまったし、
色形、力、および、智慧、これらが皆、減少してしまったし、
罪業の因縁のために、安楽、および、安楽な想いを失ってしまったし、
邪悪な見解によるものに留まってしまったし、
善い規則を知らなかったし、
仏の化の導きをこうむれず、常に、「悪道」に堕ちてしまった。
仏は、世間(を正しく見る)眼を作る。
(仏は、)とても長い間に(一度、)出現する。
(仏は、)諸々の「衆生」、「生者」をあわれんで、世間に出現して、超越して、(無上普遍)正覚を成就する。
私達は、とても喜んでいます。
また、(上方の梵天以外の)他の一切の生者達も、(大通智勝仏が仏に成ったという)未だかつて無いことを喜んで、ほめたたえています。
私達の諸々の宮殿は、(仏の)光をこうむって、荘厳に飾られています。
今、宮殿を、大通智勝仏に捧げます。
ただ、あわれんで、受け入れてください。
願わくば、この功徳を、一切(の生者)に、あまねく及ぼして、私達(、上方の梵天)と「衆生」、「生者」が皆、共に、仏道を成就できますように。
その時、(上方の)五百万億の諸々の梵天は、詩で大通智勝仏をほめたたえ終わると、各々、大通智勝仏に言った。
ただ願わくば、大通智勝仏よ、「法輪を転じて」、「法を説いて」、多数の安穏をもたらしてください。多数の(生)者を仏土へ渡して解脱させてください。
その時、(上方の)諸々の梵天は、詩で説いて言った。
仏よ、「法輪を転じてください」、「法を説いてください」。
「甘露のように甘い法という太鼓を打ち鳴らしてください」、「甘露のように甘い法を説いてください」。
苦悩している「衆生」、「生者」を仏土へ渡してください。
「涅槃」、「(悪の)寂滅」への道を開示してください。
ただ願わくば、私達の請願を受け入れて、大いなる細かく複雑で絶妙な「音」、「仏の教え」をあわれんでください。量り知れないほど無数の劫、修習してきている仏法を説明してください。
その時、大通智勝仏は、十方の諸々の梵天の請願、および、十六王子の請願を受け入れて、即時、「三転十二行相」、「四諦」、「苦集滅道」という「法輪を転じた」、「法を説いた」。
「三転十二行相」、「四諦」、「苦集滅道」は、(仏ではない)「沙門」、「出家者」、バラモン、天人、魔、梵天、他の世間のものには、「転じることが不可能な法である」、「説くことが不可能な法である」。
「三転十二行相」、「四諦」、「苦集滅道」とは、次のような物である。
(この世の全てのものは、)苦しみである。
(執着によって、)苦しみを集めてしまっている。
苦しみを滅ぼすことができる。
(「八正道」という)苦しみを滅ぼす道がある。
また、(大通智勝仏は、)「十二因縁」という法を広く説いた。
(「十二因縁」とは、次のような物である。)
「無明」が、「行」の原因である。
「行」が、「識」の原因である。
「識」が、「名色」の原因である。
「名色」が、「六入」の原因である。
「六入」が、「触」の原因である。
「触」が、「受」の原因である。
「受」が、「愛」、「愛着」の原因である。
「愛」、「愛着」が、「取」の原因である。
「取」が、「有」の原因である。
「有」が、「生」の原因である。
「生」が、「老死」という憂悲、苦悩の原因である。
「無明」が滅べば、「行」も滅ぶ。
「行」が滅べば、「識」も滅ぶ。
「識」が滅べば、「名色」も滅ぶ。
「名色」が滅べば、「六入」も滅ぶ。
「六入」が滅べば、「触」も滅ぶ。
「触」が滅べば、「受」も滅ぶ。
「受」が滅べば、「愛」、「愛着」も滅ぶ。
「愛」、「愛着」が滅べば、「取」も滅ぶ。
「取」が滅べば、「有」も滅ぶ。
「有」が滅べば、「生」も滅ぶ。
「生」が滅べば、「老死」という憂悲、苦悩も滅ぶ。
大通智勝仏が天人、人の大衆の中で、この法を説いた時、六百万億那由他の人が一切の「法」、「もの」を「受」しないことによって諸々の「漏」、「煩悩」から心が解脱することができ得て皆、深い妙なる「禅定」と三明六通を得て「八解脱」を備えた。
第二、第三、第四の説法の時、千万億恒河沙那由他の「衆生」、「生者」達も、また、一切の「法」、「もの」を「受」しないことによって諸々の「漏」、「煩悩」から心が解脱することができ得た。
この時より以後、諸々の声聞の段階の者達の数は、無限なほど、はかり知れないほど無数になった。
その時、大通智勝仏の十六王子は皆、まだ幼かったため、出家して「沙弥」、「未成年の出家者」と成った。
(大通智勝仏の十六王子は、)諸々の「根」、「能力」が利発で、智慧が聡明で、(前世で)既にかつて百千万億の諸仏に捧げものを捧げてきていて、清浄に仏道修行して、「阿耨多羅三藐三菩提」、「仏に成ること」を求めていて、共に大通智勝仏に言った。
大通智勝仏よ、この諸々の幾千万億もの量り知れないほど無数の高徳な声聞の段階の者達は皆、既に声聞の段階を成就しています。
大通智勝仏よ、私達の為に、「阿耨多羅三藐三菩提の法」、「仏に成るための法」を説くべきです。
私達は、聞き終わったら、皆で共に、修学します。
大通智勝仏よ、私達は、仏の知見を得ようと志願しています。
(私達の)心の奥深くの思いは、大通智勝仏、御自身が明らかに御存知のはずです。
その時、(祖父である)転輪聖王が率いている者達の中の八万億人は、大通智勝仏の十六王子が出家するのを見た。
また、八万億人は、自身の出家を、求めた。
転輪聖王は、八万億人の出家を許した。
その時、この大通智勝仏は、「沙弥」、「未成年の出家者」に成った十六王子の請願を受け入れて、二万劫が過ぎ終わると、「四衆」、「出家者の男女と在家信者の男女」の中で、「妙法蓮華」、「教菩薩法」、「仏所護念」という名前の、この大乗経を説いた。
大通智勝仏が、この経を説き終わると、十六王子である十六沙弥は、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」のために、皆、共に、受持して、読んで、通達して利益を得た。
大通智勝仏が、この経を説いた時、十六菩薩である十六沙弥は、皆ことごとく、信じて受け入れた。
声聞の段階の者達の中にも、また、信じて理解する者達がいた。
幾千万億種類もの、その他の「衆生」、「生者」達は、皆、疑惑を生じてしまった。
大通智勝仏は、この経を八千劫、説いて、未だかつて止めたことが無かった。
大通智勝仏は、この経を説き終わると、静かな部屋に入って、八万四千劫、禅定に留まった。
この時、十六菩薩である十六沙弥は、大通智勝仏が静かな部屋に入って静かに禅定しているのを知って、各々、法座に昇って、説法した。
また、十六菩薩は、八万四千劫、「四(部)衆」、「出家者の男女と在家信者の男女」の為に、妙なる法華経を広く説いて分別して、各々、皆、六百万億那由他恒河沙の「衆生」、「生者」達を仏土へ渡して、利益を教示して、喜ばせて、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を志して求める心を起こさせた。
大通智勝仏は、八万四千劫を過ぎ終わると、三昧より起きて、法座へ行って、安らかに、「
この十六菩薩である十六沙弥は、とても希有なのである。
十六菩薩には、諸々の「根」、「能力」があって、仏法に通じて利益を得ているほどである。
十六菩薩は、智慧が、聡明である。
十六菩薩は、(前世で)既にかつて幾千万億の数もの量り知れないほど無数の諸仏に捧げものを捧げてきている。
十六菩薩は、諸仏の所で、常に、仏道修行してきている。
十六菩薩は、仏の智慧を受持して、開示して、「衆生」、「生者」をその仏の智慧の中に引き入れている。
あなた達は、皆、何度でも、十六菩薩に親しみ近づいて捧げものを捧げるべきである。
理由は何か? (と言うと、)
もし、声聞と「辟支仏」、「独覚」と諸々の菩薩が
釈迦牟尼仏は、諸々の「比丘」、「出家者」に告げた。
この十六菩薩は、常に、この妙法蓮華経を説くことを願った。
十六菩薩が各々化して導いた六百万億那由他恒河沙の「衆生」、「生者」は生から生へ十六菩薩と共に生きて、その十六菩薩に従って仏法を聞いて、ことごとく皆、信じて理解した。
(十六菩薩の一人であった私、釈迦牟尼仏は、)この因縁によって、四万億の諸仏に会うことができ得て、今も尽きることが無いのである。
諸々の「比丘」、「出家者」よ、私、釈迦牟尼仏は、今、あなた達に語る。
この大通智勝仏の弟子である十六沙弥は、今は、皆、「阿耨多羅三藐三菩提を得て」、「無上普遍正覚を得て」、「仏に成って」、十方の仏国土で、現在も、説法していて、幾百千万億もの量り知れないほど無数の菩薩と声聞がいて、眷属としているのである。
その十六沙弥のうち二人の沙弥は、東方で、仏と成っている。
一人目は、阿閦仏という名前であり、歓喜国にいる。
二人目は、須弥頂仏という名前である。
十六沙弥のうち二人の沙弥が、東南方の二人の仏である。
一人目は、獅子音仏という名前である。
二人目は、獅子相仏という名前である。
十六沙弥のうち二人の沙弥が、南方の二人の仏である。
一人目は、虚空住仏という名前である。
二人目は、常滅仏という名前である。
十六沙弥のうち二人の沙弥が、西南方の二人の仏である。
一人目は、帝相仏という名前である。
二人目は、梵相仏という名前である。
十六沙弥のうち二人の沙弥が、西方の二人の仏である。
一人目は、阿弥陀仏という名前である。
二人目は、度一切世間苦悩仏という名前である。
十六沙弥のうち二人の沙弥が、西北方の二人の仏である。
一人目は、多摩羅跋栴檀香神通仏という名前である。
二人目は、須弥相仏という名前である。
十六沙弥のうち二人の沙弥が、北方の二人の仏である。
一人目は、雲自在仏という名前である。
二人目は、雲自在王仏という名前である。
十六沙弥のうち一人の沙弥が、東北方の仏であり、壊一切世間怖畏仏という名前である。
十六沙弥のうち第十六番目が、私、釈迦牟尼仏であり、「娑婆」、「この世」で「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を成就して仏に成った。
諸々の「比丘」、「出家者」よ、私達、十六人の仏が、十六沙弥であった時、各々教化した幾百千万億恒河沙もの量り知れないほど無数の「衆生」、「生者」が、私達に従って仏法を聞いているのは、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」の為である。
この諸々の「衆生」、「生者」には、今でも声聞の境地に留まっている者がいる。
私、釈迦牟尼仏は、常に、この諸々の人達に、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を教化している。
この諸々の人達は、この法によって、徐々に、仏道へ入る。
理由は、何か? (と言うと、)
仏の智慧は、信じることが難しいし、理解することが難しい。
釈迦牟尼仏達が、その十六沙弥であった時に化して導いた幾恒河沙もの量り知れないほど無数の「衆生」、「生者」が、あなた達、諸々の「比丘」、「出家者」なのであるし、また、私、釈迦牟尼仏の(肉体の)死後の未来、来世の声聞の弟子なのである。
私、釈迦牟尼仏の(肉体の)死後、ある弟子は、この経を聞くことが無くて、菩薩の所行を覚知せず、自ら「所得している功徳によって悪を滅度した」という誤った想いを生じてしまって「涅槃」、「煩悩の寂静」に入ってとどまってしまう。(しかし、)
私、釈迦牟尼仏が他国で仏に成って更に釈迦牟尼仏とは異なる名前でも、この人は、「悪を滅度した」という誤った想いを生じてしまっていて「涅槃」、「煩悩の寂静」に入ってとどまってしまっていても、この他国で仏の智慧を求めて、この経を聞くことができ得る。
仏乗によってのみ、真の「悪の滅度」を得ることができるのである。
(仏乗以外に)更に他の乗は無いのである。(実は、声聞乗、独覚乗は仏乗の一部なのである。)
ただし、諸仏の「方便」、「便宜的な方法」の説法を除く。
諸々の「比丘」、「出家者」よ、もし仏が「真の『涅槃』、『悪の寂滅』をもたらす時が到来した」と自ら知れば、
また、仏の弟子達も、また、清浄で、信じて理解する力が堅固で、「
仏は、諸々の菩薩、および、声聞達を集めて、菩薩、独覚、声聞の為に、この経を説くのである。
世間には唯一無二の仏乗だけが存在していて、仏乗によってのみ真の「悪の滅度」を得ることができるのである。
唯一、仏乗のみが真の「悪の滅度」を得させるのである。
「比丘」、「出家者」よ、まさに、知るべきである。
仏は、「方便」、「便宜的な方法」で、「衆生」、「生者」の性質に深く入って、その生者の志が「小法」、「中途半端の法」、「矮小な物」を願ってしまっていて、生者が「五欲」、「五感の欲望」に深く執着してしまっているのを知って、これらの生者のために、「涅槃」、「煩悩の寂静」を説く。
これらの人達は、「涅槃」、「煩悩の寂静」を、もし聞けば、信じて受け入れる。
例えば、空しく、地平線で道が絶えていて果てが見えず、無人で、恐ろしい場所である、五百由旬もの険しい困難な悪路の道があって、
この道を通り過ぎて、珍しい宝の場所へ至ろうと欲する、多数の者達がいて、
聡明で智慧に明らかに通達していて、険しい道の通じていたり塞がっていたりする相を善く知っていて、人々を率いて導いて、この難所を通り過ぎたいと欲する、一人の導師がいるような物なのである。
率いられている人々は、途中で、怠けて、心を後退させて、導師に言った。
私達の疲れは極限に達しているし、恐ろしいので、前進することが不可能です。
前途は、なお遠いです。
今、後退して、元に戻りたいと欲します。
導師には諸々の「方便」、「便宜的な方法」が多数あって、導師は、このように思った。
これらの人々は、あわれむべき人々で、どうして、大いなる珍しい宝を捨てて、後退して、元に戻りたいと欲するのか?
導師は、このように思うと、「方便」、「便宜的な方法」の力で、険しい道中の三百由旬を過ぎたあたりに、一つの仮の城を化生させて作って、人々に告げて言った。
あなた達、怖れることなかれ。
後退して元に戻ることなかれ。
今、この大いなる城の中で休むことが可能であり、思い通りに休むことができる。
もし、この城に入れば、快く安穏となることができ得る。
もし前進して宝の場所へ至ることが可能になったら、この城を去ることも、また、可能である。
この時、疲れが極限に達していた人々は、心が大いに歓喜して、未だかつて無いことをほめたたえて、言った。
私達は、今、この悪路の道を免れて、快く安穏となることができ得る。
ここで、人々は、前進して、仮の城に入って、「既に仏土へ渡り終わった」という誤った想いを生じてしまって、安穏な想いを生じた。
その時、導師は、この人々が既に休むことができ得て疲れが無く成ったのを知ると、仮の城を隠して、人々に語って言った。
あなた達、城を去って、来なさい。
宝の場所は、近くにある。
向こうの大いなる城は、私が化生させて作った物で、休ませるためだけの物なのである。
諸々の「比丘」、「出家者」よ、仏も、また、同様なのである。
私、釈迦牟尼仏は、今、あなた達の為に、大いなる導師と成って、諸々の生死の煩悩という悪路の道は険しく困難で長く遠いが、脱出して去るべきであるし、仏土へ渡るべきであると知っている。
もし「衆生」、「生者」が、ただ、唯一の仏乗を聞けば、仏にまみえることを欲しないし、仏に親しみ近づくことを欲しないので、仏は、このように思った。
仏道は、長く遠く、長い間、精勤して苦しみを受けて、成就することができ得るのである。
仏は、この生者の心が、ひるむし、弱いし、下劣であるのを知って、「方便」、「便宜的な方法」の力で、途中で休ませるために、(声聞乗と独覚乗という)二つの「涅槃」、「煩悩の寂静」を説いた。
もし「衆生」、「生者」が(声聞乗と独覚乗という)二つの境地に留まってしまったら、仏は、その時、生者の為に、このように説く。
あなた達は、所作を未だわきまえていない。
あなた達が留まっている(声聞乗と独覚乗という)境地は、仏の智慧に近いのである。
得ている「涅槃」、「煩悩の寂静」を観察して数えて量れば、得ている「涅槃」、「煩悩の寂静」は真実の「涅槃」、「悪の寂滅」ではないとわかるはずである。
声聞乗と独覚乗とは、仏が「方便」、「便宜的な方法」の力で、唯一の仏乗を三段階に分別して説いただけの物なのである。
例え話の導師が、休ませるために、大いなる仮の城を化生させて作ったような物なのであるし、
例え話の導師が、例え話の人々が既に休み終わっているのを知ると、例え話の人々に告げて、このように言うような物なのである。
宝の場所は、近くにある。
この仮の城は、真実の物ではない。
私が、仮に一時的に化生させて作っただけの物なのである。
その時、釈迦牟尼仏は、くり返し、この意義を話したいと欲して、詩で説いて言った。
大通智勝仏は十劫、道場である菩提樹の下で坐禅したが、仏法は目前に現れず、仏道を成就することができ得なかった。
諸々の天人、龍王、阿修羅達などは、常に、天の華を雨のように降らして、この大通智勝仏に捧げた。
諸々の天人は、天の太鼓を打ち鳴らしたし、多数の「伎楽」、「音楽」を演奏した。
良い香りの風が、しぼんだ華を吹き飛ばして、更に新しい好い華を雨のように降らした。
大通智勝仏は、十小劫を過ぎ終わると、仏道を成就することができ得た。
諸々の天人、および、世の人々は、皆、心が踊躍した。
この大通智勝仏の十六人の子達は、皆、その千万億人の眷属と共に、大通智勝仏を囲んだ。
大通智勝仏の十六人の子達は、共に、大通智勝仏の所へ行って至ると、頭を大通智勝仏の足につけて敬礼して、大通智勝仏が「法輪を転じること」、「法を説くこと」を請い願って、言った。
神聖なる獅子である仏よ、法という雨で、私達、および、一切の生者を満たしてください。
仏に会うのは、とても難しい。
仏は、とても長い時間に一度、現れる。
仏は、「群生」、「生者」を悟らせるために、一切のものを震動させる。
さて、東方の諸世界の五百万億の国の梵天の宮殿を、(大通智勝仏の)光が照らしたのは、未だかつて無いことであった。
(東方の)諸々の梵天は、この相を見て尋ねて行って、大通智勝仏の所に至って、天の華をまき散らして捧げて、また、宮殿を捧げて、大通智勝仏に「法輪を転じること」、「法を説くこと」を請い願って、詩で、ほめたたえた。
大通智勝仏は、時が未だ到来していないことを知っていたので、請願を受け入れたが、黙って坐禅していた。
(東方以外の)三方、および、「四維」、「四隅」と上下の諸々の梵天も、また、同様で、天の華をまき散らして、宮殿を捧げて、大通智勝仏に「法輪を転じること」、「法を説くこと」を請い願って、言った。
仏に会うのは、とても難しい。
願わくば、大いなる「慈悲」、「思いやり」で、甘露のように甘い法への門を広く開いて、無上の「法輪を転じてください」、「法を説いてください」。
無量の知恵者である仏の、大通智勝仏は、この人達の請願を受け入れて、この人達の為に、種々の法、「四諦」、「十二因縁」を説いて言った。
「無明」から「老死」へ至るが、「老死」の原因は「生」なのである。
このような生者の過ち、患いを、あなた達は、まさに、知るべきである。
この法を説いた時、六百万億垓の者達は、諸々の苦しみの境地を無くし尽くして、皆、阿羅漢に成った。
第二の説法の時、幾千万もの「恒(河)沙のような」、「ガンジス川の砂のように無数な」者達も、また、「諸法」、「全てのもの」を「受」しないことによって、阿羅漢に成ることができ得た。
これより後、「道」、「真理」を会得した者の数は量り知れないほど無数で、幾万億劫、数えても、最後まで数えることは不可能なほどであった。
その時、大通智勝仏の十六王子は、出家して、「沙弥」、「未成年の出家者」と成って、皆、共に、この大通智勝仏に大乗の法を演説することを請い願って、言った。
私達、および、従者を営んでいる人達は、皆、仏道を成就したい。
願わくば、仏のように、無上の清浄な慧眼を得たい。
大通智勝仏は、十六人の子達の心と前世の所行を知って、無量の因縁、種々の諸々の譬喩で、「六波羅蜜」、および、諸々の神通の事を説いたし、真実の法、菩薩の所行と道を分別して、「恒(河)沙のような」、「ガンジス川の砂のように無数な」詩である、この法華経を説いた。
この大通智勝仏は法華経を説き終わると静かな部屋で禅定に入って、一心に一箇所で八万四千劫、坐禅した。
この諸々の十六沙弥達は、大通智勝仏が禅定から未だ出ていないのを知って、幾億もの量り知れないほど無数の生者達の為に、仏の無上の智慧を説いたし、各々法座に坐って、この大乗経を説いた。
十六沙弥は、大通智勝仏の(肉体の)死後、仏法を説いて、仏法の化の導きを助けた。
十六沙弥の各々が仏土へ渡した諸々の「衆生」、「生者」は、六百万億恒河沙いた。
この大通智勝仏の(肉体の)死後、これらの諸々の仏法を聞いた者達は、諸々の仏土にいて、師と共に生きた。
この十六沙弥は、仏道修行を十分に備えて、今現在、十方で各々「無上普遍正覚を成就することができ得ている」、「仏に成ることができ得ている」。
その時の仏法を聞いた者達は各々、諸仏の所にいる。
それらのうち、声聞の段階に留まっている者達は、仏道によって、徐々に教化されていく。
私、釈迦牟尼仏は、十六人の仏達の数に入っているのである。
かつても、また、あなた達の為に、説法したのである。
このため、「方便」、「便宜的な方法」で、あなた達を引き入れて仏の智慧へ向かわせているのである。
私、釈迦牟尼仏は、この
慎んで、驚きや恐れを懐くなかれ。
例えば、遠い、地平線に絶えていて果てが見えない、有毒生物が多い、飲食物が無い、人には恐ろしい場所である、険しい悪路の道のような物なのである。
幾千万もの無数の人達が、この険しい道を通り過ぎようと欲している。
その道は、とても空しく、長い。
五百由旬の道を通り過ぎた先に、一人の導師がいる。
導師は、理解力が強いし、
智慧が有るし、
心が決定的に、はっきりとしているし、
険しい道にいるし、
多数の困難から生者を救う。
人々は、皆、疲れて、導師に言った。
私達は、今、力が
ここで、後退して、元に戻りたいと欲します。
導師は、このように思った。
この人々は、とても、あわれむべき人々で、どうして、後退して、元に戻りたいと欲して、大いなる珍しい宝を失おうとするのか?
導師は、ただちに、「方便」、「便宜的な方法」を思いついて、神通力で設けて、大いなる仮の城を化生させて作った。
仮の城は、諸々の建物で荘厳に飾られている。
仮の城の周囲には、庭園の林が有る。
仮の城には、水路の流れ、および、水浴びできる池がある。
仮の城には、何重もの門がある。
仮の城には、高い建物がある。
男女は皆、仮の城に満たされた。
導師は、この仮の城を化生させて作り終わると、人々を慰めて、言った。
恐れるなかれ。
あなた達は、この城に入って、各々、思い通りにできます。
人々は、入城すると、皆、心が大いに歓喜して、安穏な想いを生じて、自ら、誤って、言った。
既に仏土へ渡り終わることができ得た。
導師は、人々が休み終わったと知ると、人々を集めて、言った。
あなた達、前進しなさい。
これは化生させて作った仮の城でしかないのです。
私は、あなた達の疲れが極限に達して、途中で、後退して、元に戻りたいと欲する場面を見ました。
そのため、「方便」、「便宜的な方法」の力で、仮に、この城を化生させて作ったのです。
あなた達は、今、精進に勤めて、共に、宝の場所へ至りましょう。
私、釈迦牟尼仏も、また、同様なのである。
私、釈迦牟尼仏は、一切の生者の導師と成って、諸々の求道者が、途中で、怠けて、生死の煩悩の諸々の険しい道から仏土へ渡ることができない場面を見た。
そのため、「方便」、「便宜的な方法」の力で、休ませる為に、(声聞乗と独覚乗という二つの)「涅槃」、「煩悩の寂静」を説いて、言った。
あなた達は、苦しみを滅ぼした。
所作を皆、既に、わきまえている。
仏は、大衆が「涅槃」、「煩悩の寂静」に到達して皆、阿羅漢を会得したのを知って、大衆を集めて、大衆の為に、真実の法を説く。
諸仏は、「方便」、「便宜的な方法」の力で、(唯一の仏乗を三段階に)分別して、三乗と説く。
しかし、実は、唯一の仏乗だけが存在するのである。
休ませる場所、境地とするために、声聞乗と独覚乗という二つを説いたのである。
今、あなた達の為に、真実を説く。
あなた達が得ている「涅槃」、「煩悩の寂静」は、真実の悪の滅ではないのである。
仏の一切の智慧の為に、まさに、大いに精進する心を起こすべきである。
あなた達、仏の一切の智慧、「十力」などの仏法を証して、仏の三十二相を備えたら、(仏に成ったら、)それが、真実の悪の滅なのである。
諸仏という導師は、休ませる為に、「涅槃」、「煩悩の寂静」を説くのである。
諸仏は、大衆が既に、この「涅槃」、「煩悩の寂静」で休み終わったのを知ると、仏の智慧へと引き入れるのである。
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