法華経 信解品

 その時、「慧命」である須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目犍連は、釈迦牟尼仏より、未曾有の法と、釈迦牟尼仏が舎利弗に「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」して仏に成る予言を授けたのを聞いて、希有な心が起きて、歓喜して、心が踊躍して、座より起立し、衣服を「偏袒右肩」に整え、右ひざを地に着けて、一心に合掌して、身をかがめて、恭しく敬って、釈迦牟尼仏の尊顔を仰ぎ見て、釈迦牟尼仏に言った。


 私達は、僧の上位の座に居て、年長になって行って、自ら、このように思っていました。


 「涅槃」、「寂静の無上の境地」を既に会得した。

 務め、あたるべきものは、もう無い。


 再び、精進して、「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を求めていませんでした。


 世尊(、釈迦牟尼仏)は、昔から、法を説いていて、既に久しいですが、

私達は、それらの時に、座にいても、身体が疲れてだるくなって、ただ、くう、無相、無作を思っていただけでした。


 菩薩の法で、神通に遊戯することや、

仏国土を清浄にすることや、

「衆生」、「生者」に仏道を成就させることを、

心で、喜んだり、願ったりしていませんでした。


 なぜか?


 世尊(、釈迦牟尼仏)は、私達を三界から脱出させてくれて、「涅槃」、「寂静の無上の境地」の証を得させてくれました。


 また、今では、私達は、既に年老いているので、

仏が菩薩に「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」を教化することについて、

一念も、好んだり、願ったりする心を生じていませんでした。


 私達は、今、仏前で、声聞に「阿耨多羅三藐三菩提」、「無上普遍正覚」して仏に成る予言を授けるのを聞いて、心が、とても喜んで、未曾有になることを得ています。


 今になって、突然、希有の法を聞くことができ得るとは思っていませんでした。

 深く自ら喜んで、大いなる善い利益、量り知れない珍しい宝を獲得できました。

 求めていなかったのに、自然に得ることができました。


 世尊(、釈迦牟尼仏)よ、私達は、今、例え話を説いて、この意義を明らかにしたいと願っています。


 例えるならば、ある人が、幼い時に父を捨てて逃げて、十年、二十年、五十年、久しく他国に住んで、大きくなって、貧しくて困窮して、四方へ奔走して、衣食を求めて、徐々に、めぐっていって、偶然、もとの国へ向かうような物なのです。


 その父は、以前から、子を探し求めていましたが、見つけることができ得ていませんでした。

 父は、ある都市の中に留まっていました。

 その父の家は、大いに富んで、財宝が、金、銀、瑠璃るり珊瑚さんご琥珀こはく、「頗梨」、「水晶」の宝珠など、量り知れないほど無数でした。

 その父の諸々の倉庫には、ことごとく皆、財宝が満ちあふれていました。

 少年の従僕、家臣、補佐する役人、役人、国民が多数いました。

 ゾウ、馬車といった乗り物、牛、羊(といった家畜)が無数にいました。

 財物を出し入れして商売して利益を増やして、経済力、影響力、権力は、あまねく他国に及んでいて、商人も、また、とても多数いました。


 時に、貧しくて困窮している子は、諸々の集落をめぐって、国、地方を経歴して、ついに、その父が留まっている都市に来ました。


 父は、常に、五十年間余り、子と、子との離別を思っていました。

 しかし、未だかつて、他人に向かって、子の事を話しませんでした。

 ただ、心に悔恨を懐いて、自ら、このように思っていました。


 年老いて、財物が多数、有る。

 金、銀、珍しい宝が、倉庫に満ちあふれている。

 (しかし、)子がいない。

 一旦、死んでしまえば、財物は散逸してしまう。

 (しかし、)委ねて付属させる相手がいないのである。


 このため、慇懃に、常に、子を思っていて、また、このように思っていた。


 私は、もし子を見つけることができ得たら、財物を委ねて付属させて、落ち着けて、喜べて、憂慮することが、もう無くなるのに。


 世尊(、釈迦牟尼仏)よ、そのとき、困窮している子は、賃金をもらって雇われながら、転々として、偶然、父の家に来た。

 門の側に立って、遥かに、その父を見ると、獅子の座に腰かけて、宝の台に足を乗せていた。

 諸々の聖職者バラモン、貴族クシャトリヤ、商人バイシャが皆、恭しく敬って、囲んでいた。

 幾千、幾万の価値の真珠の「瓔珞」、「ひも状の飾り」で、その身を荘厳に飾っていた。

 役人、国民、少年の従僕が、手に「白払」、「害虫を払うための毛がついた棒である払子」を取って、左右に、そばに仕えて立っていました。

 宝のヴェールで覆われていた。

 諸々の華のはたを垂らしていた。

 香水を地にまいていた。

 多数の名華をまいていた。

 宝物を羅列して、出し入れして、取ったり与えたりしていた。

 これらのように種々に荘厳に飾られていて、威徳があって、特別に尊重されていた。


 困窮している子は、父が大いなる勢力を有しているのを見て、恐怖を懐き、ここへ来たことを後悔して、ひそかに、このように思った。


 父は王である。また、父は王と等しい。

 ここは、私の能力が買われて物を得ることができるような場所ではない。

 貧しい里へ行くに越したことは無い。

 店や、力の見せ場が有る地ならば、衣食をたやすく得ることができるだろう。

 もし、ここに長く留まっていたら、私は脅迫されて強制的に酷使される目に会うかもしれない。


 このように思うと、走って、去った。


 時に、金持ちである父は、獅子の座から、子を見かけて、我が子だと認識できて、心で大いに喜んで、このように思った。


 宝庫に所蔵している私の財物を付属させることができる相手が今、いた。

 私は、常に、この子を思ってきた。

 この子を見つける手段が無かった。

 しかし、突然、自分から来てくれた。

 私の願いが、かなった。

 私は、年老いたが、なお、子を貪欲なまでに惜しんでいるので、傍らにいる人を派遣して、急いで追いかけさせて、連れて帰らせよう。


 その時、父の使者は、走って行って、とらえた。


 困窮している子は、驚愕して、怨み言を言って、大いに喚いた。


 私は罪を犯していません!

 なぜ、とらえられる目に会うのか?!


 父の使者は、この子をとらえて、いよいよ急いで、強制的に連行して、連れ帰った。


 時に、困窮している子は、自ら、このように思った。


 無罪だが、とらえられた。

 きっと死刑になるのだろう。


 とても、おそれて、悶絶して、足が動かなくなって、地に倒れた。


 父は、遠くから、これを見て、使者に言った。


 この人を強制的に連れて来るなかれ。

 冷水を顔にかけて、目をさまさせなさい。

 また、会話するなかれ。


 なぜか?


 父は、子の志や意思が未熟である、と知った。

 (父は、自身が)豪貴なので、子が難色をしめす、と自ら知った。

 (父は、自分の)子である、と明らかに知った。

 しかし、「方便」、「便宜的な方法」のため、他人には「我が子である」と言わなかった。


 父の使者は、子に語った。


 私(、使者)は、今から、あなたを解放する。

 「随意に」、「思うがままに」、去りなさい。


 困窮している子は、喜んで、心が未曾有になることを得て、地面から起き上がって、貧しい里へ去って、衣食をさがし求めた。


 その時、金持ちである父は、子を誘惑して引き寄せたいと欲して、「方便」、「便宜的な方法」を設けて、姿や容色が憔悴していて威徳が無い者、二人をひそかに派遣した。


 (父は、密使に、このように言った。)


 あなた達、彼の所へ行って、ゆっくりと言いなさい。

 「この都市に働ける場所が有って、今の二倍の給料をあなたに払いましょう」と。

 彼が、もし許せば、連れて来て、働かせなさい。

 (彼が、)もし「どんな仕事ですか?」と言ったら、このように言いなさい。

 「あなたを汚物掃除に雇います。私達、二人も、また、あなたと共に働きます」と。


 時に、二人の密使は、困窮している子をさがし求めた。


 (二人の密使は、)困窮している子を見つけることができ得ると、

上記の事をつぶさに述べた。


 その時、困窮している子は、給料を前払いで受け取ると、

すぐに、二人の密使と共に、汚物掃除の務めについた。


 父は、子を見て、思いやって、子の様子をさぐった。

 また、別の日に、窓から、家の中から、遠くから、子を見ると、体は、痩せていて、憔悴していて、汚物、塵にまみれて、「瓔珞」、「ひも状の飾り」を外し、繊細な柔軟な上等な服を脱ぎ、荘厳な飾りを外していた。

 そして、粗末な垢や皮脂で汚れた衣服を着て、身が塵や土にまみれて、右手に汚物掃除の器具を持っていた。


 (父が来ると、子は)畏怖する様子であった。


 (父は、)諸々の作業員に、このように言った。


 あなた達、精勤して働いてください。

 だるそうにして、怠けるなかれ。


 (父は、)「方便」、「便宜的な方法」で、子に近づいた。


 そして、(父は、子に、)また、このように言った。


 ちょっと、そこの君、あなたは、ずっと、ここで、働いてください。

 余所へ去らないでください。

 (その代わりに、)あなたへの報酬を追加しましょう。

 (追加報酬には、)諸々の、日用品の、盆、器、米、麺、塩、酢などが有ります。

 「ありえない」と疑わないでください。

 また、老人の使用人も、いますよ。

 (あなたに、老人の使用人も)支給しましょう。

 安心してください。

 私は、あなたの父のような者なのです。

 憂慮しないでください。

 なぜか? と言うと、私は年老いていて、あなたは若いからです。

 あなたは、常に、勤務中に、だましたり、怠けたり、怒ったり、怨み言を言ったりしないでください。

 あなたには、そういったことをしているのを見かけたことは全く無いですが。

 他の作業員には、これらの諸々の悪行が有ります。

 (あなたは、)今から、以後は、私から生まれた子のような者なのです。


 時に、金持ちである父は、「あざな」、「別名」を作って、与えて、子に名づけて、養子にした。


 その時、困窮している子は、この待遇に喜んだが、なお、自ら、このように思っていた。


 (私は、)客人、使用人、下賤な人間である。


 このため、二十年間、常に、汚物掃除をさせた。

 この二十年が過ぎると、心が通い合って、信頼しきった様子で、難色をしめさないで出入りするようになった。

 しかし、住所は、なお、もとの場所であった。


 世尊(、釈迦牟尼仏)よ、


 その時、金持ちである父は、病気になって、「遠からず死ぬだろう」と自ら知って、困窮している子に言った。


 私には、今、金、銀、珍しい宝が多数あって、倉庫に満ちあふれている。

 そのうち、いくつか、出し入れしてください。

 あなたは、私の宝について、ことごとく知ってください。

 私は、このように思っているのです。

 まさに、この思いを体感してください。

 なぜか? と言うと、今、私と、あなたは、一心同体なのです。

 よろしく、用心して、財産を無くさないようにしてください。


 その時、困窮している子は、教えを受けて、金、銀、珍しい宝、および、諸々の倉庫が所蔵している多数の物を知って理解した。

 しかし、怖れて、気持ち一食分すらも(報酬として)取らなかった。

 しかも、その住所は、もとの場所のままであった。

 未熟な心も、また、捨てることが未だ不可能であった。

 (しかし、)さらに、少しの時を経ると、父は、子の心が、ようやく通じ終わって落ち着いて大いなる心を成就して自ら以前の心をいやしむようになった、と知った。

 (父は、)命が終わろうとする時に臨んで、子に命じて、親族、国王、大臣、貴族クシャトリヤ、商人バイシャを集めた。

 皆ことごとく、集まり終わると、(父は、)自ら宣言した。


 諸君、まさに、知ってください。

 この子は、私から生まれた、我が子なのです。

 某都市で、私を捨てて逃走して、五十年間余り、下僕として他人に酷使されて辛く苦しみました。

 そのもとの「あざな」、「別名」は、何々です。

 私の名前は、何々です。

 昔、もとの都市にいたとき、憂いを懐いて、探し求めていました。

 突然、この間、偶然、この子に会うことができ得ました。

 この子は、実の我が子なのです。

 私は、実の父親なのです。

 今、私の所有している一切の財物は皆、子が所有しています。

 以前、出し入れしていた物は、子が知って理解しています。


 世尊(、釈迦牟尼仏)よ、


 この時、困窮していた子は、父の、これらの言葉を聞いて、大いに喜んで、心が未曾有になることを得て、このように思いました。


 私は、もとから心で願い求めていなかったのに、今、この「宝蔵」、「蓄積されている宝」を自然に得るに至った。(「宝蔵」には「仏法」という意味も有る。)


 世尊(、釈迦牟尼仏)よ、大金持ちである父は、如来(、仏)の例えなのです。

 私達は皆、仏の子のような者なのです。


 如来(、釈迦牟尼仏)は、常に、説いてくれました。


 私達は、(仏の)子なのである。と。


 世尊(、釈迦牟尼仏)よ、私達は、「三苦」、「苦苦、壊苦、行苦」、「苦しみによる苦しみ、快楽が壊れる苦しみ、諸行無常による苦しみ」のせいで、生死の中で、諸々の熱く焼かれるような苦悩を受けて、迷い惑って、無知で、「小法」、「中途半端の法」、「矮小な物」を願い愛着していました。

 今日、世尊(、釈迦牟尼仏)は、私達に思考させて、「諸法」、「全てのもの」について空虚に議論して戯れるという汚物を除去してくれました。

 私達は、仏法の中で、精進につとめて、「涅槃」、「寂静の境地」に至ることができ得ました。



 一日の対価をこの仏法から既に得終わって、心で大いに喜んで、自ら「満ち足りている」と見なして、このように、自ら思い、言った。


 仏法の中で、精進につとめたので、広大な多数の所得を得ることができた。と。


 しかも、世尊(、釈迦牟尼仏)は、以前から、私達の心が粗末なものへの欲望に執着して「小法」、「中途半端の法」、「矮小な物」を願いもとめている、と知っていたので、

(私達の心を)見ても許して捨て置いて、「あなた達には、まさに、如来(、仏)の知見、『宝蔵』、『仏法』の分け前が有る」と分別して説きませんでした。

 世尊(、釈迦牟尼仏)は、「方便」、「便宜的な方法」の力で、如来(、仏)の智慧を説いていました。

 私達は、仏より、一日の対価として「涅槃」、「寂静の境地」を得て、「大いなる物を得た」と見なして、この大乗を志して求めていませんでした。

 私達も、また、如来(、仏)の智慧によって、諸々の菩薩のために、大乗を開示して演説していました。

 しかし、自らは、この大乗を志して願いもとめていませんでした。

 なぜか? (と言うと、)

 釈迦牟尼仏は、私達の心が「小法」、「中途半端の法」、「矮小な物」を願いもとめていたのを知って、「方便」、「便宜的な方法」の力で、私達に応じて、仏法を説いていたからです。

 しかも、私達は、「私達は、真の仏の子である」と知りませんでした。

 今、私達は、まさに、(「私達は、真の仏の子である」と)知りました。

 世尊(、釈迦牟尼仏)は、仏の智慧を惜しみなくあたえてくれます。

 なぜか? (と言うと、)

 私達は、昔から、真の仏の子であるからです。

 しかし、「小法」、「中途半端の法」、「矮小な物」だけを願いもとめていたのです。

 もし私達が大いなる心境を願い求めていたら、釈迦牟尼仏は、私達のために大乗法を説いてくれたはずです。

 今、(釈迦牟尼仏は、)この法華経を説いた中で、唯一の仏乗を説きました。

 そして、(釈迦牟尼仏は、)昔、菩薩達の前で、「小法」、「中途半端の法」、「矮小な物」を願いもとめている者である声聞を非難したことがありました。

 仏は、実は、大乗で、(声聞も独覚も菩薩も)教化します。

 このため、私達は、「もとは願い求める心が無かったのに、今、法の王(である仏)の大いなる宝を自然に得るに至った」と説いているのです。

 仏の子のように、まさに得るのに相応しい者は皆、既に、この(仏乗という)宝を(いつのまにか)得ているのです。


 その時、摩訶迦葉は、くり返し、この意義を説きたいと欲して、詩で説いて言った。


 私達は、今日、釈迦牟尼仏の言葉の教えを聞いて、歓喜して、心が踊躍して未曾有になることを得ています。

 釈迦牟尼仏は、「声聞も、まさに、仏に成ることができ得る」と説きました。

 無上の宝の山を、求めていなくても、自然に得たのです。

 例えるならば、幼子が、幼いときに理解が無くて父を捨てて逃げて、遠く他の土地へ行って、五十年間余り、諸国をめぐり流れているような物なのです。

 父は、憂慮して、四方を探し求めました。

 父は、子をさがし求めて、疲れると、ある都市に留まって、家を建造、建立して、まさに、自らの喜びを欲しました。

 その家は、巨額の富をあげました。

 諸々の金、銀、硨磲しゃこ碼碯めのう、真珠、瑠璃るりが多数ありました。

 象、馬、牛、羊、乗り物、土地、仕事、少年の従僕、国民が多数、存在しました。

 物を出し入れして商売して利益を増やして、経済力、影響力、権力は、あまねく他国に及びました。

 商人がいない所が無いほどになりました。

 幾千、幾万、幾億の大衆に、囲まれて、恭しく敬われて、常に権力者に愛顧されていました。

 群臣、豪族は皆、共に、主要人物として尊重しました。

 諸々の縁のため、往来する者が多かった。

 このように富豪であった。

 しかし、年老いて行って、ますます、憂いて、子を思った。


 朝から夜まで一日中、このように思った。


 死ぬ時が、まさに至ろうとしている。

 愚者である子は、五十年間余り、私を捨てている。

 倉庫に所蔵している諸々の物は、どうなってしまうのか?


 その時、困窮している子は、地方から地方へ、国から国へ、衣食を探し求めていました。

 所得が有ったり、所得が無かったりして、飢餓で痩せて、体に皮膚病が生じていた。

 徐々に経歴して、父が留まっていた都市に来た。

 金で雇われて、転々として、ついに、父の家に来た。

 その時、金持ちである父は、門の内側で、大いなる宝のヴェールを設けて、獅子の座に処していた。

 眷属に囲まれて、皆が、そばに仕えて護衛していた。

 また、金、銀、宝物を計算して、財産を出し入れして、証書に注記している者もいた。

 困窮している子は、父が豪貴で尊くて威厳があるのを見て、思った。


 父は、国王であるか、王と等しい。


 (子は、)驚き怖れて、自ら不思議に思った。


 なぜ、ここに来てしまったのか?


 (子は、)ひそかに、自ら思って、言った。


 私が、もし、長く留まっていたら、強迫されて強制的に酷使される目に会うかもしれない。


 (子は、)このように思い終わると、走って去った。


 貧しい里を試しに、たずねてみて、雇ってもらおうと欲した。


 金持ちである父は、この時、獅子の座にいて、遠くから、子を見つけて、黙っていたが、子であると認識した。

 そして、使者に命じて、追わせて、とらえさせて、連れて来させた。


 貧窮している子は、驚いて、喚いて、迷って、悶えて、足が動かなくなって、地に倒れた。


「この人は私をとらえた。きっと、殺される目に会うんだ! どうして、衣食を必要として、私は、ここへ来てしまったのか?!」


 金持ちである父は、子が愚者で、見識が狭く未熟で、父の言葉を信じず、父であると信じないのを知って、

「方便」、「便宜的な方法」で、他人を直視しない、(背などが)短い、低い地位の(服装の)、威徳が無い他の者を派遣した。


 (父は、使者に、このように言った。)


 あなた達は、あの人に、このように言いなさい。

 「諸々の汚物掃除に雇いましょう。今の倍の給料をあなたに支払いましょう」と。


 困窮している子は、この使者の言葉を聞いて、喜んで、ついて来て、汚物掃除をして、諸々の家を浄化した。


 金持ちである父は、窓から、常に、子を見て、思った。


 子は、愚者で未熟で、矮小なものを願って、矮小な事をす。


 このため、金持ちである父は、粗末なあかまみれの衣服を着て、汚物掃除の器具を持って、子の所へ行って、「方便」、「便宜的な方法」で近づいて、話して、精勤につとめをなすようにさせた。


「既に、あなたの報酬を増やすことを決めました。また、足に油を塗ってあげましょう。飲食物を充足させましょう。敷物を厚くして暖かくなるようにさせましょう」


 (そして、)このように苦言した。


 あなたは、精勤につとめなさい。


 また、穏やかに話した。


 あなたを、我が子のように扱います。


 金持ちである父には、智慧が有って、ようやく子を家に出入りさせることができた。

 二十年、経つと、家の事をとりしきらせた。

 金、銀、真珠、「頗梨」、「水晶」といった諸々の物の出し入れを示して、皆、知らせた。

 (しかし、子は、)なお、門の外に処して、草の屋根の庵に留まって、自ら、取るに足りない事を思っていた。


 私には、これらの物が無い。


 父は、子の心が、ようやく明らかに広大になると、財物を与えたいと欲して、親族、国王、大臣、貴族クシャトリヤ、商人バイシャを集めた。

 これらの集まってくれた者達に、このように説明した。


 この子は、我が子なのです。

 私を捨てて、五十年間、他所へ行っていました。

 この子を見つけてから、今まで、既に、二十年です。

 昔、ある都市で、この子を失ってしまいました。

 あまねく、色々な場所へ行って、探し求めていました。

 ついに、ここへ来ました。

 全ての私の所有物、家、国民は、ことごとく、この子に付属させて委ねます。

 思い通りに、用いなさい。


 子は、思った。


 昔は、貧しかったし、心も未熟であった。

 今は、父の所で、珍しい宝、および、家といった一切の財物を大いに獲得できた。


 (子は、)とても大いに喜んで、心が未曾有になることを得た。


 仏も、また、同様なのです。

 (仏は、)私達が矮小なものを願っていたのを知って、未だかつて「あなた達は仏に成る」と言ってくれませんでした。


 そして、(仏は、)私達が「諸々の『無漏』、『煩悩の無い境地』を得て、『小乗』を成就している、声聞の弟子である」と説いていました。


 仏は、私達に、このように説くように命じていました。


 「『最上の道』、『無上の真理』を習って身につけた者は、まさに、仏に成ることができ得る」と。


 私達は、仏の教えを受けて、大いなる菩薩のために、諸々の因縁、種々の譬喩、いくつかの「言辞」、「言葉遣い」で、無上の「道」、「真理」を説きました。

 諸々の釈迦牟尼仏の弟子達は、私達から、法を聞いて、日夜、思考して、精勤に(無上の真理を)習って身につけました。

 この時、諸仏は、その人達に「授記しました」、「仏に成る予言を授けました」。


 「あなたは、来世、まさに、仏に成ることができ得る」と。


 一切諸仏の秘蔵の法は、菩薩のためだけに、その真実が演説されます。

 しかし、私達のためには、その真実の重要な法は説かれませんでした。

 例え話の困窮している子が、父に近づいて、諸々のものを知るといえども、心で「もらえるようにしよう」と願わないような物だったのです。

 私達は、仏法により「宝蔵」、「蓄積されている宝」を説くといえども、自らは、願って志しませんでした。例え話の困窮している子と同様だったのです。

 私達は、内心の煩悩を滅ぼして、自ら思いました。


 「満ち足りた」と見なそう。

 この唯一の事(、煩悩を滅ぼす事)が終了したので、更に他の事をする必要は無いだろう。


 私達は、仏国土を浄化することや、「衆生」、「生者」を教化することをたとえ聞いても、全く喜びませんでした。

 なぜか? (と言うと、)


 一切の「諸法」、「全てのもの」は皆ことごとく、くうであるし、寂静であるし、「無生無滅」、「実は、生滅することが無い」のであるし、「無大無小」、「実は、優劣が無い」のであるし、「無漏」、「実は、煩悩が無い」のであるし、「無為」、「不変の真理」なのである。


 このように思って、喜びを生じませんでした。


 私達は、輪廻転生して、仏の智慧に良い意味で貪欲に執着していませんでしたし、仏の智慧を再び願って志していませんでした。

 そして、自ら、仏法について、このように思っていました。


 (仏法を)究めている。

 私達は、輪廻転生して、くうの法を習って身につけて、三界の苦悩のうれいから脱出することができ得て、「最後身」、「輪廻転生しない最後の生身」の「有余涅槃」、「煩悩を寂滅した境地にいて、肉体だけが残りとして有ること」に留まっている。

 釈迦牟尼仏の教化によって、「道」、「真理」を会得して、空虚ではない。

 「釈迦牟尼仏の恩に報いることが既にでき得ている」と見なす。


 私達は、諸仏の弟子達のために、「菩薩の法で仏道を探求しなさい」と説くといえども、

しかし、(私達は、今まで)長い間、菩薩の法を願っていませんでした。


 導師である釈迦牟尼仏は、私達の心を見ても捨て置いて、最初は、「真実の利益が有る」と勧めて説きませんでした。


 例え話の金持ちである父は、子の心が未熟であるのを知って、「方便」、「便宜的な方法」の力で子の心を懐柔して調伏して、その後で、一切の財宝を付属させて委ねました。

 仏も、また、同様なのです。

 (仏は、)希有な事を現して、矮小なものを願う者達を知ると、「方便」、「便宜的な方法」の力で、その心を調伏して、その後で、大いなる智慧を教えるのです。

 私達は、今日、心が未曾有になることを得ました。

 以前から所望していたわけではないのに、今、自然に得たのです。

 例え話の困窮している子が無量の宝を得たような物なのです。

 世尊(、釈迦牟尼仏)よ、

私達は、今、「道」、「真理」を会得して、果報を得て、「無漏法」、「煩悩が無い法」で清浄な「見る眼」を得ました。

 私達は、輪廻転生して、仏の清浄な戒を守って保持して、初めて、今日、その果報を得ました。

 法の王である仏の法の中で、長い間、修行して、今、「無漏の」、「煩悩が無い」無上の大いなる果報を得ました。

 私達は、今、真の声聞であるのです。

 仏道の言葉を一切のものに聞かせます。

 私達は、今、真の阿羅漢であるのです。

 諸々の世界で、あまねく、天上でも、「魔」、「天魔波旬」の「第六天」、「他化自在天」でも、梵天の「大梵天」でも、まさに、供養を受けるのに相応しいのです。

 世尊(、釈迦牟尼仏)の大恩とは、希有な事によって、私達を、思いやって、教化して、私達に利益をもたらしてくれていることなのです。

 幾億の無量の劫でも、誰が、報いることができるのか?

 手足となって仕えて、頭頂で礼拝して、一切のものを「供養しても」、「捧げても」、全て、報いることは不能なものなのです。

 また、ガンジス河の砂のように無数の劫の間、頂戴して、両肩で担って負って、心を尽くして恭しく敬っても、

また、美味な飲食物、無量の価値の宝の衣、および、諸々の寝具、種々の薬、「牛頭栴檀」、および、諸々の珍しい宝でも、「塔廟」を建てても、地に宝の衣をしいても、

ガンジス河の砂のように無数の劫の間、これらのようなものを「供養しても」、「捧げても」、また、報いることは不能なものなのです。

 諸仏は、希有です。

 無量の、無限の、不可思議な、大いなる神通力があります。

 「無漏です」、「煩悩が無いです」。

 「無為です」、「不変の真理、そのものです」。

 「諸法」、「全てのもの」の王です。

 未熟な者のために、未熟さを忍耐可能で、凡人に取り組んで、「随宜に」、「相手に応じて」、法を説きます。

 諸仏は、法において、最も無上に自由自在です。

 諸々の「衆生」、「生者」の種々の欲望と願い、および、意思力を知っています。

 随所で、任務にあたって、無量の例え話で、生者のために、法を説きます。

 諸々の「衆生」、「生者」が前世に植えた善の種である善行に応じて、

また、成熟した者、未熟な者を知って、

種々に「数えて」、「量って」、分別して、知り終わると、

唯一の仏乗という仏道を、「随宜に」、「相手に応じて」、(三段階に分けて別個であるかのように)三乗と説きます。

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