従妹

spin

美しくなった従妹

 二〇一七年九月某日。

 船のタラップで感じた九月下旬の島の空気は冷ややかだった。克文かつふみは夏の服装で来たことに一抹の後悔を覚えた。

 九六歳の祖父の訃報があったのが、昨日の朝だった。それから今朝の新幹線まで時間に追われて過ごしてきた。引き受けていた仕事を深夜までかかって終わらせると、今日はいつもより一時間ほど早く起きて、早朝に横浜の家を出て、昼の直江津発の船に乗った。

 小木港の階段を降りると、妹の軽自動車が待ち受けていた。克文は後部座席に乗り込んだ。妹は喪服姿である。

「その格好寒そうだね」

 車に乗り込むと、妹は言った。

「ミスったね。やっぱこっちは涼しいわ。会うの何年ぶりだっけ?」

「最後に会ったのがお祭りのときだね。あれは二〇一五年だったから、二年以上になるね」

 妹は車を出した。

「そうか、僕は毎年帰ってるんだけどね」

「お盆の頃でしょ。私は旦那の実家に行ってるから会えないのよね」

 今や二児の母となった妹は、二年前よりも太ったように見えた。それだけでなく、白髪も増えた。要するに所帯じみてきた。

「それは妻としての務めみたいなものだからね」

「そうね。結婚とはそういうものよ。ときに兄さんはどうなの? 今、彼女は?」

「いない。特に婚活はしてない。やってるのは出会い系アプリだけだね」

「出会い系アプリか。それくらいしか出会いのチャンスもないのか」

「まあ、そうだね」

「え~、じゃあ普段は全然女性と話してないってこと? というか、女性に限らず、話す人いるの?」

 克文は行きつけのスナックで女性と交流を持っていることを話した。

「スナックかぁ~」

 妹はそれ以上言葉を繋がなかった。克文は妹の子供――りく(小一)と有紀ゆき(二歳)――のことを訊いた。子供は今や妹の生活のすべてと言っても過言ではないだろう。

「二人とも順調に育ってるよ。そうね、やっぱり二人目は、まあ楽というか、一度経験してることだから、あまり不安はないね」

 克文は自分が小一の頃を思い出していた。あの頃は親の苦労なんて思いも寄らなかった。学校と友達と親、そして小さな町がすべてだった。小さな町でも子供にとってはいろいろと遊べるものである。ガチャポンしたり、駄菓子屋に寄ったり、川で釣りをしたり、野球をしたり。妹の子供も同じように遊ぶのだろうか?

「そういえば、朋恵ともえ来てるよ。兄さん、長いこと会ってないでしょ?」

「……ああ、そうだね。たぶん最後に会ったのは、僕が高校生の頃だから二五年くらい前だね」

「曽祖母さんの葬式のときか。あのときはまだ子供だったからたぶん兄さんのこと覚えてないんじゃないかな」

「だろうね。僕もほとんど記憶にないよ」

「会ったらびっくりするよ。綺麗になったから」

 妹はそう言うと、ルームミラー越しに笑いかけた。


 実家で喪服に着替えた後、克文は妹の車の運転で町はずれにある火葬場に着いた。焼き場では、ちょうど祖父が荼毘に付された後だった。遺族が火葬炉から取り出された遺骨を囲んでいた。その輪から外れて、数珠を手に拝んでいる喪服姿の若い女性がいた。細身で背が高く、垢抜けた雰囲気だった。

 妹はその女性に「朋恵、兄さんが着いたよ」と声を掛けたが、朋恵は熱心に拝んでおり、妹の声が聞こえないようだった。妹は三回ほど朋恵の名前を呼んだが、反応がないので、自分の方を向いて両手を挙げるジェスチャーをした。

 克文は今、話しかけるべきではないと察した。朋恵が周りの声が聞こえないか、もしくは無視するほどまでに死者への祈りを捧げていることに感心した。たとえ大往生であれ、人の死には厳かなものがある。彼女の態度はそれに相応しいと思えた。


 斎場に移動した後、僧侶の読経、焼香、遺族の挨拶という流れがあった。その後、食事の席になった。そのとき、克文は朋恵と向かい合わせの席になった。克文はそわそわした。

「はじめまして、ですよね?」克文が口を開く前に、朋恵はアイコンタクトして言った。

「えっと、実は前に会ったことあるんですよ。まだ朋恵さんが子どもの頃ですけど。曽祖母さんの葬式で」

「あ~、そうでしたか。それはちっとも覚えてないです」

「僕はおぼろげながら覚えてますけど、まあ、事実上の初対面ですね」

 克文は朋恵の顔に血筋を感じていた。それはたとえば、片方だけ二重の目元に現れていた。そういう見た目の共通点に親近感を感じた。

 朋恵が編集プロダクションで教材の編集の仕事をしていて、北品川に住んでいるというのは初めて知った。彼女の家は克文の家からそう遠くなかった。克文はたまに五反田に飲みに行っていたが、そのことを話した。

「五反田近いですよ。私もよく飲みに行きます」

「お酒好きなんですか?」

「好きですよ。というか、飲み会が好きなのかな。一人では飲まないです」

「僕は一人でも飲みます。最近は、一人で飲むことのほうが多いですね」

「え~、そうなんですか。確かに男の人は、立ち飲み屋さんとかでよく一人で飲んでますよね」

「僕もその中の一人です」

「そういうのって楽しいんですか?」

「……まず飲みたいときにぶらりと行けるというのがいいですよね。連れ立って飲みに行こうとしたら、相手に連絡して、店や時間を決めたり、食べ物とかも相談しないとならないでしょ。そういうのがないのは魅力ですね」

「それはわかります。だけど、飲んでるとき会話はないんでしょ?」

「まあ、たまに知らない人と話しすることもありますけど、ほとんどないですね。でも、それでもいいんですよ。たぶん年取ったせいですね」

「年を取ると人と会話しなくてもよくなるってことですか?」

「……必ずしもそういうわけではないですが、たぶん単に酒が好きだから、でしょうか。それと中年男性というのは一人で飲んでいてもまったく違和感ないと思うんですよね。それは、年取ることのメリットかもしれないですね」

「ああ、女性はそうはいかないですよね」

「女性の一人飲みは少ないですね。特に赤ちょうちん系の飲み屋って客のほとんどは男性ですから、女性一人がハードル高いのはわかります」

「でも、いいですよね。安いし。彼氏が好きなんで、私もよく行きます」

「そうなんですか。じゃあ、もしかしたら会ってるかもしれないですね」

「ですね」

 克文は五反田の店の名前を三つ挙げたが、そのうちの一つに朋恵が行ったことのある店があった。そこは一人客もいるが、カップル率が高い印象があった。

「彼氏さんはいい店知ってるんですね」

「〈いちはし〉は私が見つけた店なんですよ」

 朋恵はそう言うと破顔した。その表情は、通夜の席には似つかわしくなかったが、非常に惹かれるものがあった。

「へぇ~、なるほど。あそこは女性比率高いですからね。それに対して、その向かいにあるやきとん屋は――」

 魅力的な女子と喋ったのは何時以来だろうか、と克文は思っていた。性的な魅力はあるが、立場上、どうかなるということは考えにくいため、むしろ、妹のような存在だった。それは朋恵も同じかもしれない。血縁のない男性よりも話しやすいところがあるのではないだろうか、と克文は考えた。

「お従兄さんは、ずっと横浜にお住まいなんですか?」

「もう十五年以上横浜に住んでますね。今の家は越してきてからまだ一年も経ってないですけど。学生の頃は、八王子に住んでました」

「佐渡に帰る予定はないんですか?」

「佐渡に移住ということなら、ないかな」

「そうなんですか。私は何年かに一回くらいしか佐渡に来てませんけど、最近は田舎暮らしにも魅力を感じています」

「田舎には田舎の良さがありますよね」

「子供は田舎で育ったほうがいいんじゃないかなって思います」

「じゃあ、将来佐渡で暮らしたらいいじゃないですか?」

「こっちで仕事があるなら考えますね」

 克文はどこでも仕事できたので、移住は可能だった。しかし、それを避けたいのは、人間関係、正確には女性関係の問題だった。田舎に戻ったところで女性と交際できる可能性は低い。横浜にいれば、出会いはないことはない。今年の冬に最後にデートした相手は、大阪出身の四四歳の女性だった。バツ二だったり、母親が自殺していたり、借金があったりと、いろいろとネガティブな情報が出てくる子だった。その人とは三回目に会って以来やたらとLINEで連絡してくるようになったが、それは克文を辟易させた。

「若い女性というだけで、仕事はあるでしょう」

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