雪の降る日に出会った彼女

夏木

エンドロールはまだ来ない


 俺は不老不死だ。


 もう何年もいや何百年?

 自分だけ残されるのが嫌になって、目の前で人が死んでいくのが嫌で。

 死にたくて死にたくて手を尽くして。それでも死ねなくて。

 俺は死ぬことを諦めた。

 人と関わるのを辞めた。



 死ねないなら、別にやることはない。

 毎日毎日、移りゆく人をただ見ている。喜び、悲しみ、恨み、怒り。色んな感情をぶつけて支え合って、老いていく人々を、干渉するまけでもなく、ずっと老わず死なずの俺が見ているだけ。


 時折、軽い気持ちで命綱無しの屋上ダイブをやっては、今日も死ねないなーって思うだけの退屈な日を送っている。


「俺って何だろうなぁ……俺は生きていていいのか……何していたらいいのか……」


 雪が降り積もる中、何度目かわからない問いを不法侵入してみた夜の学校で考える。結局答えが出たことはないけれど。


 町の方では温かい家族と温かい家で団らんしているであろう家庭が見える。

 今更嫉妬はしないが、見るたびに自分と比較しては存在意義を問うばかりだ。


「んとこしょ。今日は雪へ落ちてみるか」


 また階段を降りるのも面倒くさくて、フェンスをよじ登り、下へ落ちないぎりぎりの場所に立つ。


 ひんやりとした空気が顔を撫でれば、同時に風をよく通してしまうくたびれた服の中も冷たさが増す。


 校舎は四階建て。

 雪が積もっているから多少衝撃は緩和される。あんまり高くないから、滑空時間は短く、すぐに地面に落ちるだろう。


 さて、と一歩踏み出したとき、誰もいないはずの屋上唯一の扉がガチャガチャと音を立てて開かれた。


「ダメですっ! 死んじゃダメ!」


 珍しい甲高い声に振り向けば、コートにマフラー、耳当てに手袋なんていうこれ以上にない防寒装備をした女が一人。明らかに俺を見て叫んでいる。


 まさか人がいるなんて思ってもいなかったから、飛び降りる足が自然と止まった。


「ダメです! 絶対ダメ! きゃぁ!」


 雪の中を走ってどうにか俺に踏みとどまるよう訴えてきたが、この女、鈍くさい。

 すぐに雪に足を取られて転んで、動かなくなった。


 ……あれ、本当に動かないぞ。

 まさか、死んだ?

 雪で転んだから?


 数秒どころじゃない。数分間全く動かない。

 さすがに動かなさすぎて、再度フェンスを乗り越えて女に近づく。

 しゃがんで生死を確認しようとした途端、女は勢いよく起き上がった。


「……ぐっ!」

「痛いっ! ごめんなさいっ!」


 女の後頭部が俺の顔面にクリーンヒット。不死身であっても痛みはあるんだ。鼻がじんじんする。


「そうだ! 死んじゃダメですよ!」


 女は思いだしたかのように、顔面を押さえる俺の手をとって言った。

 その目は真剣で真面目で。建前で言うんじゃなくて、本気で言っているようだ。


 そりゃ目の前で飛び降りようとしている奴がいたら、そう言うだろうな。俺も何回か言われた気がする。

 スルーして飛び降りたこともあるし、その時は一旦中止して後日飛び降りたりしたこともある。だいたい半々ぐらいかな。気分でやってるから。


「ダメ、ですよ……死んだら、ダメです……嫌なこともあるでしょうけど、それ以上に良いこともあります。だからっ!」


 女の手も声も体も震えていた。そして泣いていた。

 泣かれながら止められるのは初めてだな。というか、顔にも頭にも雪をくっつけたままだし、バランスを崩してまた雪に埋もれているし。こんなに鈍くさいやつは初めてだ。


「あー……飛び降りてないし、俺ここにいるし……」


 ちゃんと生きてますよーと伝えれば、バッと顔を上げて、何故か俺は女に抱き締められていた。


「よがっだぁ。ひっく、ひっく……もう飛び降りようなんてしませんよね?」


 赤くなった丸い目で女は言う。


「……シナイヨ?」


 長く生きていたけど、変わらず嘘を着くのは苦手だ。

 変な声、変な顔で言ったら、女はムスッとした顔で俺の手を引いて立ち上がった。


「私が、飛び降りたいなんてもう思わせませんから!」



 ☆



 鈍くさい彼女の名前は、ユキ。高校卒業を控えて、地元の写真を撮っておこうと屋上へこっそり写真を撮りに来ていたそうだ。そこで今にも飛び降りようとしている俺を見て、ぎょっとしたらしい。


 いかにも貧乏くさい見た目の俺をユキは拾ったという認識だろう。


 大学へ進学し、一人暮らしを始めたユキの家に俺はずっといた。俺に家はないし、何なら戸籍もない。名前もないし、家族もいないし。それを言ったら、ユキは一緒に住もうと言ったのだ。


 そこからはもうあっという間で、全て初めての生活だった。

 暖かいご飯に、暖かい家。ユキと一緒に暮らして生活を送る。


 包丁で指を切ったり、雨の中洗濯物を外に放置してしまったり、出掛けたら財布を持っていくのを忘れたりと、鈍くさいけど明るく前向きな彼女は、俺に初めてを沢山くれた。


 春には二人で桜を見に行った。

 そこで食べた手作りの弁当は、冷えていたけどいつもより美味しかった。


 夏は海に行った。

 何度もいくつもの海を見ているはずだし、何なら海で溺死できるかも試したことがあるほどの場所なのに、水着を着てぷかぷか浮かんでいるだけで気持ちがよかった。


 秋には紅葉を見た。

 赤に黄色。綺麗な色の葉が落ちる並木道は人でごった返していた。

 人波に紛れて、初めてちゃんとユキと手を繋いだ。


 一巡して冬。ユキと出会った場所とは随分離れた今の家の地域には滅多に雪が降らない。それでも冷たい空気は変わらなかった。

 寒いから家ですごそうと、ユキは家で豪華な食事を作ってくれた。

 鶏肉にケーキ、そしてキラキラしたネックレスのプレゼント。

 クリスマスっていう日は、こうやって過ごすんだよと教えてくれた。



 一年、また一年。俺をあちこちへ連れて行っては、たくさん話した。

 たくさん経験した。

 たくさん学んだ。



 そして。



「私だけ年をとってしまったわね」


 無機質な音がなる白い部屋で、いくつもの管に繋がれたユキは枯れた声を絞り出す。

 ユキの顔はしわだらけなのに、俺はずっと変わらない。ユキと出会ったときと同じ見た目だ。


「ああ、そうだね。ユキだけだ」

「ふふっ……げほっ、げほっ」

「ユキ!」


 大丈夫よ、とユキは小さく笑った。


 ユキの状態が悪いことは知っている。

 命の灯火が消えかかっていることも知っている。


 ああ、何で俺はユキと一緒に年を取れないんだろうか。

 同じ時間を過ごしたというのに、俺だけ置いて行かれる。俺だけ残して、いなくなってしまう。そんなの嫌だ。俺も一緒に死なせてくれ。

 そう考えたときには、俺の手は小刻みに震え始めた。


「ねぇ、貴方はまだ、飛び降りようとするのかしら?」

「……ソンナコトシナイヨ?」

「あらあら」


 不安が顔に出ていたのだろうか。それとも平静を装って出した俺の声までも、震えていたからかユキの手が、俺の手に重ねられた。


「相変わらず嘘が苦手なのね」


 ほほ笑みながら、優しい目を俺に向ける。


「周りがどれだけ老いても、変わっても、貴方の未来は沢山あって、選択肢もいっぱいあるだろうけど、生きていてほしいわ。そうしたら、また、会えるかもしれないでしょ?」

「……それって、来世ってこと?」

「ええ。来世か、その次か、それとももっと先か。私がまた、貴方に会うまでは生きて、生き抜いて? それでその時に経験を沢山聞かせてくださいな」


 涙が頬を伝った。

 もうずっと泣けなかったのに。


 死ぬなと何度も言われた。

 でもその言葉は当たり前であって一番の願望。死にたいのに死ねない俺にとっては。


 生きてなんて言われてこなかった。

 俺が生きていても意味もなかったから、そう願う人が誰もいなかった。


 ユキは、俺に生きる楽しさを教えてくれた。

 でも、俺はユキに何も教えることはできていない。でも、次に会ったときに色々なことを教えてというのだ。

 一度きりの人生では経験出来ないことまでもを。


「また、雪の降る屋上で会いましょうね」


 ユキはその言葉を最期にゆっくりと目を閉じると、二度と開かれることはなかった。


「ああ、約束だ。俺は生きて、またユキに会おう」



 ☆



 雪の降る屋上。

 百年に一度と言われるほどの大雪で、交通網は息をしていない。

 

 真っ黒な空に、ユキからもらったネックレスをかざせば、輝きが映える。

 

 静かで白と黒の空の下に、一人の少女がふらっとやってきた。


「えっと……どちら様、で、きゃぁ!」


 少女は雪に足を取られて前のめりに転んだが、うめき声を上げてゆっくりと顔を上げた。


「どちら様、か。わからないなら、一度、ここから飛び降りてみようか?」


 屋上のフェンスをよじ登ろうとすれば、少女は慌てて立ち上がり、何度も転んでは起きてを繰り返しつつ、俺にしがみついた。


「ダメです! これから色んなお話を聞かせてくれる約束なんですから!」


 少女の顔は明るく、笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪の降る日に出会った彼女 夏木 @0_AR

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ