酒に咲け 肴に咲かない ラブコメなし ~高2でハタチ、飲みたガールの酒好き坂隙さん~

六畳のえる

第1章 燻製イカとグレフルサワーと坂隙夕映

1杯目 空き教室での遭遇

「な、なんでこんなところでお酒飲んでるの?」

「まあ、ここにお酒があるから、かな」


 夕方たまたま空き教室に入ったら、カップルがキスをしていた、なんてのを経験したことはあるだろうか。あるいは、誰かがいじめをしてるシーンを目撃したことは?


 放課後の誰もいない教室、そこは良い意味でも悪い意味でも絶好のハプニングチャンス。だから、俺みたいな人もひょっとしたら世界中のどこかにはいるのかもしれない。


 夕方たまたま空き教室に入ったら、ちょっと気になっていた女子が、燻製イカを口にくわえてグレープフルーツサワーの缶を手に持っているのを見た人も。



 ***



「だから、『その問題について話し合う』を英訳するときにdiscuss about the matterとすると間違いなわけだ。discussが他動詞だから前置詞は要らないわけで……」


 昼食後の英語の授業は眠い。内容についていけないわけじゃないけど、満腹の後はアルファベットが踊って見える。もっとも、歴史だったら肖像画が踊って見えるし、数学だったらPやQが踊って見えるから、科目は関係なさそうだ。



 高校2年生の5月というのは、3年間の中でも結構中だるみの時期だと思う。1年生のような新鮮さもなければ、3年生のような受験への焦燥感もない。

 うちの竹葉ちくよう学園は文化祭も修学旅行も秋だし、GWも終わった今、ワクワクするイベントもしばらくなし。


 火曜日という「まだまだ今週も長いな」感も手伝ってか、春の残り香のような陽気に誘われて、なんとなく教室全体がボケーッとした雰囲気。


 俺、葦原あしはら南瀬みなせもそんな中の1人だった。



「ポイントは自動詞でも他動詞でも使われる単語だ。例えばagreeなんかは……」


 後ろから3番目、うっかり寝てもまあバレないだろうけど、睡魔に抵抗はする。


 眠気覚ましにキョロキョロしていると、斜め左前、窓際席の彼女が目に留まった。


 窓の外、晴天の空を、ぼんやりと、でもじっと見ている。半分くらい開けた窓から風が遊びに来て、白のオーバーブラウスと学年カラーであるワインレッドのリボン、そしてライトグレーのスカートをふわりと揺らした。


 隣じゃなくて良かった、気になる彼女に、視線に気付かれることはない。


 坂隙さかすき夕映ゆえ。文理選択をした今年のクラス替えで、初めて同じクラスになった。名前順ならこんなに近くなってなかったと思うと、担任のくじ引きに感謝だ。


 ビターなチョコレートのような、ダークブラウンのミディアムヘア。軽くパーマを当てていて、空気を閉じ込めたみたいにふわふわしている。



 彼女はクラスの中でも、割と不思議な存在だ。


 まず、見た目からしてだいぶ違う。顔立ちがなんというか、オトナっぽい。

 切れ長だけどどこか優しさも感じられる目、先端に向けて綺麗にカーブする鼻、赤々と色付いた口紅要らずの唇。167センチという俺と5~6センチしか違わない身長、胸は控えめだけどスレンダーなスタイルも相俟って、大学生っぽい印象だ。クラスでも、「20歳でも通る」なんて褒める声が聞こえる。


 そして、どこの女子グループにも入っていないのも珍しい。オシャレ、音楽好き、オタクと様々なグループが点在するクラスにおいて、まるで北極星のようにどこにも属していない。それでも孤高というわけではなく、色んなところから声をかけられ、ゆるりと絡んでいる。息苦しさを感じているであろう一部の女子からしたら羨ましいに違いない。



 もちろん、男子からの人気だってかなりのもの。


「俺さ、この前坂隙さんに声かけられちゃったよ」

「マジで! 何話したの?」

「この落ちてた消しゴム、田村君のじゃないかって」

「ただの確認じゃん!」


 こんな会話があるくらい、綺麗で自由な彼女のことが気になる男子勢は多い。


 皆が毎回話題を変えて彼女のツボを探りながら話しかけていて、それを見ているうちに、俺もまた彼女、坂隙夕映のファンになってしまったらしい。


 ただ、そんな彼女が高校生活を超絶謳歌しているかというと、そうでもない気がする。確か部活にも入ってないと、4月の自己紹介で話してたような気がする。斜め後ろから見る彼女はなんとなくアンニュイな雰囲気を醸し出していて、俺はむしろその独特の空気にも興味を引かれていた。



 坂隙さんが見ている方向に視線を合わせ、俺も空を眺めてみた。窓を開け放した畳の部屋で大の字になるように、ポツリポツリと小さな雲が気持ちよさげに漂っている。


 彼女は今、どんなことを考えているんだろうか。そんな空想にふけっているうちに、俺は次の構文小テストの範囲を聞き逃し、あとで誰かに聞こうと決めたのだった。




「おーい、牧野」

「ん? どしたのー、葦原」


 放課後、男女4人のおしゃべりに割って入る。呼ばれた彼女は、マスカラたっぷりの目をパッチリ開けながら、くるりとこっちを振り向いた。


「生物の課題プリント。日直だから集めに来た」

「あ、やば! 忘れてた!」


「あーあ、やっちゃったね。浅野先生からの追撃プリントに期待」

「まずいまずい! 体調悪くてできなかったってことにしようかな」

「いやいや、先週から1週間も体調悪いってなんだよ!」


 大騒ぎしている牧野とグループ一同を見ながら、ついつい坂隙さんと比べてしまう。

 クラスの上位カーストである女子グループでリーダー的なポジションの牧野は、結構盛ったメイクで1~2歳は上に見えるけど、坂隙さんはほぼナチュラルメイクで今の牧野より年上の印象だ。



「あー、じゃあさ、うち弟いるから、『やってたんだけど、ケンカして机の上に置いてたプリント隠された』ってことにしようかな!」

「おっ、それナイスアイディア!」


 彼女の名案に、場は即座にどっと沸く。このまま全員で言い訳大喜利が始まるかと思いきや、特に良いネタがなかったのか、そのまま牧野は「葦原、今の理由伝えて!」と俺に向き直った。


「ごめんなさい、すぐ出しますって言っておいて。ちゃんと明日の朝イチで提出すれば、課題追加は回避できる気がする!」

「おう、一言添えておくよ」


 そう返事をして席に戻る。椅子に座りながら教室を見回したが、さっきまで左斜め前にいた坂隙さんの姿はない。もう帰ってしまったのだろう。ううん、少し残念だ。



「南瀬、南瀬。お前、牧野と何話してたんだよ!」


 鞄を背負った状態で勢いよく駆け寄ってきたのは、俺の親友で「南瀬・北原の南北コンビ」とセット扱いされている北原きたはら優吾ゆうごだった。「目に髪がかかるの、ジャマじゃね?」といつも言ってくる優吾は、今日も短髪の黒髪で爽やかな印象だ。身長も俺より5センチは高く、180に届きそうだった。


「いや、日直だから生物の課題プリントを集めてんだよ」

「そっか……ぐぬぬ、距離が縮まってなくて安心したけど、話せるだけでも羨ましい……」


 右手を強くグッと握る優吾。坂隙さんのことも気になるらしいけどあくまでファンのような感じらしく、彼のド本命は牧野だった。



 爽やかな男子がクラスの女子に片思い中。それだけならいいんだけど、こいつときたらなあ……。


「はあ、いいなあ。牧野と理科室で生物の授業……もし牧野が微生物サイズだったら、『ラブ・プレパラート』って題してステンドグラスの上に置いた牧野をカバーグラスで撫でてくすぐってあげるのに。なあ、南瀬」

「世界で一番難しい同意を求めるな」

 まず「もし牧野が微生物サイズだったら」っていう仮定は何なんだよ。


「もう少し大きい掌サイズだったら、分銅と一緒に上皿てんびんでシーソーさせてあげるんだ。そのままピンセットで優しく摘まんであげる、最高だね。あ、でもあれなのかな、人間を摘まんだピンセットで分銅持つのは酸化の影響とか考えるとマズいのかな?」

「事例がないから判別できないっての」


 優吾の妄想はどこか人とズレている。男子高生がする、もっと直接的なヤツを遥かに飛び越えて謎の想像の羽を広げては、すぐに俺の理解の追いつかない領域に行ってしまう。


「じゃあ俺、今日は先帰るわ! 南瀬、いつか牧野にプレパラートの話題を振る時も、さっきの俺の話思い出して興奮したりするなよ」


 よく分からない注意をしてドアに向かった優吾は、その場で他の友人数名と合流し、昨日のアニメの話を大声でしながら外へ出ていく。

 牧野達もいつの間にか消え、人が少しずつ減っていく教室で、俺も殴り書きで日誌を書き始めた。



「……っし、出しに行くか」


 提出忘れを除く全員分のプリントを入れたクリアファイルに入れて廊下に出る。まっすぐ歩いていると、1階の中庭から歌が聞こえてきた。


「こーどーくーを あいーしてはー」


 コーラスも加わったアカペラなので、2階のここまでよく響く。


「……バランス悪いな」


 俺はそれを、数ヶ月前まで入っていた部活の歌を、複雑な気持ちで聞いていた。




「えっと、理科準備室は、と」


 間もなく時刻は17時。日が伸びたとはいえ、この時間になるとさすがに空は少しずつオレンジを溶かしていた。


 北校舎に向かう渡り廊下を素通りし、階段を上がって3階に行く。そういえば、いつも職員室にしか行かないから、理科準備室なんて行くのは初めてだ。浅野先生専用の席があるんだろうか。


 南校舎3階の西側、一番端。廊下を少し折れる、奥まった部屋。くすんだ銀色のドアノブが、引き戸のクラス教室とは全く違う部屋であることの証だ。


 何の教室札もかかってないけど、多分ここだよな。


 コンコンッとノックしてドアノブを回し、すぐに入る。


「浅野先生、プリントを——」


 部屋に入り、クリアファイルを胸の前に持ってきた俺の目に飛び込んできたのは、浅野先生でも、はたまた他の先生でもなかった。



「…………え?」

「………………は?」


 茶色い厚地のカーテンと白いレースカーテンが風で揺れる部屋に、教室机を2×2でくっつけたらしい大きなテーブル。テーブルの上には、青のギンガムチェックのテーブルクロスがかかっている。


 そこに座っているのは、クラスメイトの坂隙さかすき夕映ゆえ


 黄色っぽい柔らかそうな燻製イカを口にくわえながら、どう見ても「サワー日和びより」と書かれている、酒らしき缶を手に持っていた。

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