ミルクティー

@nekochansong03

第1話

ミルクティー


前書き


我儘をする人間は、我儘をする実力が有るから、我儘をするのである。


本文

今の時代は、慈雨が地球に降り注ぎ、 真珠が綿雪の様に、スローモーションで舞い降りて来る。 天変地妖も無く、安穏で、諍い(戦い)も無く、平和で、恵は隅々まで行き渡り、民衆は常に富を得ている。

本当の時代に戻さなければならない

本当の時代に戻さなければならない


若く利発な看護婦は、白い壁に貼られた謳を詠んで居た。他にも貼られたものもあり、

その下の棚には、端布でつくられた小物が並べられ、毛糸で編んだ小物類もあった。

まわりに居るのは、老人ばかりで、それは道理で老人ホ-ムであった。

そこへ通りがかったのは叔母と甥と視られる二人で、

たぶん老人ホ-ムのボランティアだろう。おもったとおり、くつろぎのスペースにローテーブルが置かれ、老人達が、慣れた手付きで手作りの小物を仕上げていった。逆にその甥と視られる青年は、おばあちゃん達に教わるような感じで、小物を仕上げていたが、元来器用な立ちであったようだ。その叔母と視られる中年の女性は、側にいたが、仲間に加わらず、「馴染みすぎて、何にデレデレしてるんだよ。」と叱咤して居た。

その看護婦に先輩から、「申し訳ないんだけど、仮設住宅の~さんのところにいってくれる。本人は大丈夫だと、来てくれないけど、たまにボンヤリして、健康的にこちらも不安だから。」と、いった。老人ホ-ムといえどまわりは雑多な雰囲気があった。



優しい雨も有るだろう。だが、秋の雨は体の芯まで届き、ただ体を凍らせるだけで有る。しかし人間はそんな時でも立ち上がる。




 季子はたかが居酒屋のパート店員であるが、50才を目前にして、ひとり娘も結婚し、悠々自適な暮らしであった。


店裏のビールなどの殻瓶が置かれた路地で、何やら夢中になって話ていた。半々の気持ちで、電話が来るか疑心でいた。思い掛けず、連絡が来たので夢中になっていた。



ドーンという衝撃があって、目の前に体格の良い青年が倒れていた。相撲取りといってもいい位の体格だった。季子とぶつかったのは確かだから、転ぶのは彼女の方の筈なのに、何故かその青年が転んでいた。手には辛うじて受け止めた、季子のスマホが乗っていた。それを受け止める為に転んだらしい。



季子は自分の不注意でぶつかったので、観ると青年の服は泥だらけになっていた。詫びて洋服を弁償すると云った。しかし青年はクリーニングに出せば大丈夫と、辿々しく云った。


季子は勤めている、居酒屋の桃源郷という店の開店時分で、未だ忙しくなくて、働いていても良いのだがちょっとサボっていた。


ここに勤めて十数年経つので、このくらいの融通は効くのである。




 青年はこの先の受産所に通っていて、その帰りだと云う。発達障害で、そこの施設でミシンで縫製をしたり、クリーニング店もやっていて、安くクリーニングをして呉れるので大丈夫と云う。


名前は風太郎だと云う。


 逆に季子のエプロンのカキザキをみて、荷物から裁縫セットを取り出すと、その部分を綺麗に刺繍した。彼女は上手いものだね、と云いった。


私は不器用だからこんなに綺麗に出来ないと云った。



その日も雨が降っていた。暑気を晴らし、小雨で、夏の終わり頃の雨で、逆に気持ちがよかった。



 季子はすぐにワクワクしながら、娘の未来にスマホで電話した。娘と孫娘の誕生日がもうすぐ来るので、何が良いか聞く為である。 上機嫌で未来に、誕生日が近いから何でも買って挙げると云うと、未来はまた何かしでかしたでしょう、と云って、何もいらないと云った。




季子は縫製の受産施設に通う子供達と知り合いになった。


 風太郎と連れだっているのは、同い年位の、小柄で可愛らしい顔をした紅梅と云う女の子である。その女の子は初めから季子に、色ボケババアと云い、若い男に手を出して、と云った。


風太郎が注意すると、うるさいと云って、風太郎をボカボカ打ったり、蹴ったりした。風太郎は暴力はいけません。暴力はいけません。と云った。


季子は風太郎に仲が良いのね。紅梅ちゃんは風太郎君を好きなのかもよ。と云った。すると風太郎は、紅梅ちゃんは縫製も上手で可愛いから人気があるけど、乱暴だから愛や恋の関係にはならない、と云った。


季子は心の中で、紅梅ちゃんはかなり好きかもと思った。




 桃源郷の店主は物分かりの良い人物で、店員は殆ど学生のアルバイトであった。それでテスト期間になると休みたがった。本当に勉強かどうか分からないが、季子は、お国の為に学生は勉強しなさいと云って、シフトをよく代わって挙げた。それで店主はよく、この店の主みたいになってるなと云った。




 季子はひとりっ子で、両親は季子が高校生の時に父はガンで、母はその看病疲れで、卒業間近で亡くなった。


両親どちらも一人っ子で、親しい親戚も居なかった。お金は多少あったので、高校を卒業して店員として生活していた。誰も注意をしてくれる人が居ず、気楽に生活していた。


ある日、季子の勤めているティーンズのアクセサリーショップに、ヤクザの親分が愛人とやってきた。


こんな安物でいいのかと云うと、彼女はこういう安っぽくて可愛いのが好きで、たまに欲しくなるのよ、と云った。


季子は、ついつい羨ましげに観てしまった。親分もそれに気付き、季子に話し掛けて来た。


結句、愛人のひとりになってしまった。もちろん愛人はたくさん居て、アパート暮らしの生活費を出して貰っただけで、会いにもたまにしか来なかった。暇なので引き続き店員もして居た。


季子はまるで身寄りが無かったので、親分がたくましく見え、惹かれたのかもしれなかった。



程なく娘が出来た、未来であった。しかし未来が小学5、6年生になると、他にも愛人は居たので、飽きたのか通わなくなり、愛人関係は解消した。


ただ、子育ては終わっているので、店員などして生活には困らなかった。


しかし季子の付き合う男性はチンピラばかりだった。いい人だからと云って付き合うが、未来の中学生の時に付き合った男性は、同棲したが、未来の風呂場で裸を覗き見し、質されると、親子のスキンシップだと開き直った。季子も堪らず離縁した。


未来が高校生の時、やはり同棲は凝りてしなかったが、季子が付き合っていた男性が居た。


未来は高校で仲の良いグループがあり、その中の男の子が、将来の事もしっかり考えていて、好感を持った。下校時に一緒に自転車を引っ張りながら、お互いに好意を持って居る事が分かり、未来は告白された。


ワクワクしながらひとり自転車を引っ張っていると、あの季子と付き合っている男性が、それよりやや若い、下品な感じの男と、連れだって、未来を呼び止めた。男を自分の舎弟と云い、未来とふたりは似合いだと云う。


そしてさっき一緒だった男と付き合うのなら、せっかくの縁を邪魔する様なら、その男の腕を折るかも知れないな、と脅かして来た。


 翌日学校で、同級生の男の子が期待を持って話掛けて来たが、未来は無表情でお互い高校3年生で将来の事も真剣に取り組まなければならないから、交際する暇はお互いない筈と云って断った。


季子はその話を聞き、びっくりしてその男性とは別れた。



それ以降、季子が何か云うと、未来はお母さんのいい人はいい人じゃなく、大丈夫は大丈夫じゃないからと云った。


 未来が高校卒業後、季子は幾らか蓄えがあるから、短大か専門学校に行かせて挙げると云ったが、未来は勤めながら、資格も取らせくれる、ちょっと体力的に大変だが、そこにさっさと就職してしまった。




 少し前の話になるが、


桃源郷に通常と変わりないお客様が来店した。背広姿の青年と2人は作業着みたいなのをきていて、確か市の職員がきているものだった。背広の方はまだかなり若く、たぶん新入社員だろうと思った。僕なんか本当に平社員ですからと云っていたのでたしかだろう。


ちょっと変わっていたのは、そのかなり若い青年が、焼き鳥を箸で丁寧に串から外しながら食べていた事だ。


季子はついつい母親ぶってその青年に指導した。


ただ、季子も知らない事は、店を出たところで作業着のふたりが、社長にでもするようにシャチコバってその青年に礼をした事だ。


その後、その背広の青年は、ひとりでちょくちょく居酒屋を訪れるようになった。



カウンターで飲んでいるその青年が、季子に今度の日曜日何処飲みに行きませんか、と云った。


季子は暫し青年の顔を見た。青年の顔には暗い影があった。彼女は何か悩みがあるでしょう、と云った。青年の表情には狼狽えるものが観えた。悩み相談なら乗ってあげようと季子は云った。年長者の思いやりで快諾したのだった。


赤提灯の店は季子の行きつけの処だった。ペースは季子の独壇場だった。


そこはこじんまりとしていたが、料金は安く、料理は美味しかった。


馴染みの客で満杯のようで、何人かは久しぶり、と季子に声を掛けた。常連らしかった。親方とおかみで切り盛りしているらしく、親方は季子と同年輩で、おかみはかなり若かった。


おまけに親方の背中には赤ん坊が、おかみの周りには幼児がまとわりついていた。


しかし客は文句も云わず、慣れている様だった。


青年がお子さんは2人ですか、と訊ねると、後2人は家で留守番していると云う。なかなか子守が見つからなくてすみません、と云う親方は、背が高いが木訥とした印象だった。



 季子は誘ったのに青年が何も話てくれないので、自分のペースで飲んだり、食べたり勝手に雑談したりしていた。


 話の流れか、季子は息子のような相手と楽しく過ごせるのが嬉しいと云って、何時もより飲み過ぎた様だった。


酔い潰れる季子を見て、


親方は青年に、彼女の事情を話した。


彼女が高校生ぐらいの時に両親を亡くした。注意してくれる人が、周りには居なかったせいか、身持ちが悪く、頼りになるように感じたのか、付き合うのは暴力団関係者ばかりで、


ひとり娘といざこざがあって、嫌われて、その娘家族と疎遠になっているのが寂しいようだと云った。


 青年は心の中で、中年の普通のおばさんだと思ったが、普通じゃなかったんだなと思った。




 酔い潰れた季子が目を覚ますと、そこはビジネスホテルの一室だった。多分店の近くだろう。


タクシーに乗せて行き先を云ったり、居酒屋で介抱するのが普通なので、何か意図があるのかと、部屋に居る青年に困惑した。ふたりは何故か、そこで妖しい雰囲気になってしまい、一夜を共にして終った。



雰囲気に流されての事だったので、季子はなにごともなくもとに戻るだろうと思った。


 だか、何故か好きになってしまった。


 出来たらもう一度会いたいと思った。



そんな時に青年から電話が来た。季子はときめいた。


私も今電話しようと思っていたとこ、と云った。


その時受産所に通う風太郎とぶつかったのである。




 次のデートは美味しいものでも食べようと、相談は決まった。



デートの当日、季子は前は安い店だったので、焼肉でもおごろうと貯金を下ろし、目一杯おしゃれした。


長年パートをしているので任せとけと云う気持ちだった。


相手は平社員である。お金があるはずが無い。




 待ち合わせのホテル前に行くと、その青年はその中の、高級イタリアンレストランに案内した。


季子の服装は何と無く品が無く、その場に場違いであった。


彼は手馴れた感じでメニューを観、高いワインをこともなげに注文し、レストラン側は丁重にもてなし、上客のようであった。


食後はそのホテルの豪華な部屋で、季子は流されて、また関係を持ってしまった。



季子は暗い気持ちになっていた。また娘に反感を持たれるようなことを、してしまった気がした。




その後、突然、風太郎から芋煮会に誘われた。


日常的なありふれたことで、非日常的な事が起こった後だったので、今の季子にはとても和んだ。


受産所で家族を交えて、近くの河原で催すのだが、日曜日は桃源郷は掻き入れ時なので行けないと云った。


しかし先日の御礼もして居なかったので、みんなで食べる様に、ご馳走をつくって、持たせてやる事を約束した。


芋煮会の前日、常連客が居座って、催促も出来ず、季子は睡眠も無く、ご馳走作りをした。


芋煮会の日の朝、季子は睡気を噛み殺し、眼を擦りながら、朝霧の中風太郎を待った。


風太郎に、程なく、煮物は居酒屋の秘伝のタレが有るからただ煮込んだだけ、唐揚げはただ揚げただけ、作ったのはお握りだけ、と云って渡した。


翌日、芋煮会のご馳走の評価を、季子は、早速風太郎に聞いた。


たが口どもるばかりで、代わりに紅梅が、風太郎は梅干しが苦手なんだよね、と云った。季子は、10個もおにぎり握ったのに、具は全部違うようにしたのに、と云うと、


紅梅ちゃんが全部配って、ご馳走があるのに、自分も3個食べた、でも最後まで食べた。と云った。


そして、紅梅ちゃんのお母さんは、凄いご馳走を持って参加した。のりまきの方が美味しいのにおにぎりを食べた。と云って、


僕がこんなだから稼ぎが少なくて、お母さんがパートに出なきゃいけなくて、参加出来なかった、と云ってションボリした。




それからも、常と変わらない穏やかな日々が続いた。通所帰りの相変わらずの風太郎君とちょっと利かん坊の紅梅ちゃんと戯れて、


 そんな様子を、若い女性が観ているのに気づかずに居た。




ある日、いつもの様に、紅梅ちゃんが通所の帰り、小遣いがある時は買うが、そうでない時はウィンドウショッピングしている、本屋とティーンズの雑貨店の雑貨店を、いつもの様にウィンドウショッピングしていると、ジャニーズJr.のような若者4〜5人が紅梅ちゃんに話掛けて来た。



 季子の話になって、彼女が嫌いと云うと、少年達は一緒にあの女に意地悪をしようと云っ来た。彼女が黙っていると、


紅梅ちゃんの顔をじっと見て、可愛い顔しているね。付き合わない、と云った。


 紅梅ちゃんは、あのババアは嫌いだけど、あんたたちはもっと嫌いと云った。


 無視しようとする紅梅ちゃんと、押し留めようとする諍いを見て、雑貨店の店番をしていた桜子さんは、


いつも買いに来る女の子だと気づき、あんた達何してんの、と叫んで終った。


少年達は慌てて、紅梅を、乗って来た車に押し込んだ。そして車を発進した。


その騒ぎを聴き付けて、夏休みに、偶然本屋の店番をしていた、桜子さんの息子さんが、走りさる車のナンバープレートを、携帯に納めた。



少年達は警察に通報されると不味いと思い、走る車から、紅梅を、速度も落とさず、突き落とした。



 幸いに紅梅はねんざで済んだ。


桜子さんは、発達障害だけど、元気に挨拶をする、いい子なのに、酷いことをする、と憤慨した。



 翌日のこと、通所の返り道の松葉杖の紅梅の姿に、季子はハッとした。


彼女は、何で私がこんな目に合わなきゃいけないの、と文句を云った。


風太郎も、僕はあなたを許さないと云った。





その少年達は、地元のある暴力団の事務所で、季子をじっと見ていた若い女性に、怒られていた。


この近くにある暴力団のひとつで、


ここは地方都市だったが、


近々大規模な都市再開発が計画されていて、建設業者の一角に参加出来る手筈になっていた。



 事務所の車に乗っていて、ナンバーも知れているから、警察に被害届を出されたら、今が一番大切な時なのに、地元感情をさかなでするような事は、とんでもない、と云った。ただ紅梅に軽く接触する、だけの予定だったのにと、余計なことをしてと怒った。


ここには、幸いに桜子さんをはじめ、地元の人は怒っていたが、


当の両親は被害届を出さなかった。


 この若い女性は、この暴力団の組長の娘のひとりで、組長がかなりの老年で、孫ぐらいの年の差の娘だったので、非常にかわいがっていた。


 やや弱小の暴力団が、この都市再開発に参加したくて、もともと付き合いのあったこの組に接近したが、おりよくこの娘が、その暴力団の跡取りの息子に一目惚れして、暗黙の了解で、縁組の代償で、加わる事が確約されていた。


 この青年が最近季子と付き合い出したあの青年である。この暴力団同士の縁組は客観的に観ても似合いであった。年頃も容姿もどちらも端麗であった。弱小の組にとって、都市計画に加わるおまけまで着いて居た。


 しかし、この弱小の暴力団の跡継ぎは、本人もいう通り、親の考えもあって役職は無く、尊重はされていたが、実力で勝ち取りたいところがあり、内緒で市役所職員にあたっていたりした。



 季子と初めて出掛けた時は、両家で食事をすることになっていた。ただの食事会だと云うが、実質的な婚約式で在った。


この跡取りはそれをすっぽかしたのである。そのレストランも、季子と行った、両家がひいきのレストランである。



 婚約者は云った。大切な約束をすっぽかして、利用しているレストランで食事をして、情報が分からないと思ったのかしら。


女の素性もすぐ解ったわ。


老齢の組長は云った。私も腹ただしく思っていた。あの青年に何か仕打ちをしなければいけないね。


すると、彼女は云った。婚約のことも無視されっぱなし。なのにあのババアは、子供たちと笑い合って居る。彼には何もしないで、憎いのはあのババアよ。腹ただしい。あの女を痛い目に合わせなきゃ気が済まない。と云った。


組長は思った。惚れた弱味か。女の浅はかさだ。


 年老いた組長は云った。お前はやり方が分かっていない。そして季子の写真を観て云った。中々良い女じゃないか。愛人の一人にくわえよう。





 何時もの様に、未来は娘を会社に行く前に、幼稚園に送ろうと、自転車に幼稚園のカバンなどを載せていた。ついつい仕事の疲れから、ギリギリの時間になってしまう。


近所の、同じ幼稚園に通うママから、明日朝の通園の見廻り、あなたの番だから遅れないでね。と云われた。そっけない云い方だが、彼女も働くママなので、テキパキしていると云える。


未来も正直疲れていたが、分かった、と元気よく答えた。



 娘を乗せようと辺りを見廻したが、となりにいたはずの娘が居ない。


 観ると、近くに黒塗りのベンツが停まっており、黒いスーツを着て、サングラスをした、短髪のガタイのいい四人の男が、ヤクザかマル暴の刑事しか当てはまらない存在が、居た。


娘はその通りにしたら良いか母親に問うていた。指をしゃぶっていた。


ママ、おじさん達が、車で送ってくれると云うのだけれど、と。


急いで駆け寄ると、抱きしめて大丈夫です、と未来は云った。


黒服の男達は、あなたのお母さんにいい縁談が、持ち上がっているが、まさか聞き分けのない子供の様に、反対しないだろうね。


お母さんの幸せの為なんだ、と云った。


それには、あの女とは一切関わりないですから。関わりませんから、と云った。




 未来は夕方帰ると、早速季子に電話して、事の次第を話し、あなたがちゃんとやってよ。と云った。


側で、聞いていた亭主は、お前いいすぎだぞ、と云った。


 未来の亭主は大柄で、温厚な性格をしていた。同じ職場で、理学療法などの患者の、送り迎えのバスの、運転手をしていた。未来はそこで、理学療法士の資格を取り、働いていた。これは未来が、高校の時、良い雰囲気になった男の子が目指していたものだった。家族が世話になったらしい。




季子はスマホを切って、溜息を突いた。


 程なく、あの付き合い出した青年から電話が来た。バレたので付き合いを止めようという事だった。


僕の方から別れた事にしようと、その方が君にとって都合が良いからと。


携帯を切ってあの青年も溜息をついた。やはり普通の女じゃ務まらないなと。


呆気ない幕切れだった。




 季子は、表面上は変わりが無いようだったが、心情は波風立たぬようにどうすべきか、悩んでいた。



ある日、風太郎は季子の前に立ち止って云った。季子さんは、僕や紅梅ちゃんよりも不器用な人だ。だから好きになるのを留められないと。そう云って、走るようにして去って行った。





 数日後、冬の到来を予感させるように、冷たい雨が降っていた。


季子は、やや気落ちしながら、何時もの様に、居酒屋の開店準備を、今日は暇な曜日なので、店主とふたりで行っていた。


そこに風太郎が慌てて入って来た。


受産所の帰りに、前もあったが、黒服のあの四人組に囲まれて、


季子が老齢の組長と付き合うように、説得してくれと云う。


進歩がないので焦っているように観えた。


良い話なんだと云う。


風太郎は前にもあったので、季子さんはそんな年上の人と付き合っていない。


僕も季子さんを好きになったり、嫌いになったりもする。僕が誰を好きになろうと、それは僕の自由だ。と云ったら、


例の男たちが切れて、このやろうと云って追いかけて来たと云う。


慌てて逃げ込んで来たというので、


店主はこの二階が休憩所で布団もあるから、泊まって行けばいい、と云った。


季子も賛成した。


居酒屋から、風太郎は家に連絡した。


僕も二十歳になったから自由にさせて、と云った。


季子は50才になっていたので、私も50才になってしまった。風太郎君のお母さんと、同じくらいの年だろう、と思った。




 その時、戸をドンドンと敲く音がした。居酒屋の店主は冷静に、まだ開店してません。と云った。



 すると、ここに逃げ込んだのは分かっているんだ。その小僧を出さないと、この店に火を付けてやるぞ。と脅かして来た。



 季子はあまりのことに呆然として、慌てて戸を開けて、出て行こうとした。店主が退職金だ。と云って、レジのお金を、全て季子に投げて寄越した。


 季子は、そのお金をエプロンに入れて、外に出て行こうとしたが、


外にはガタイのいい男が四人もいる、


一瞬怯んだが、


風太郎が逃げて、と云って、男達に突進して来た。


 何方も転んだが、


季子は思わず、風太郎に手を差し延べて、


一緒に逃げた。



 土砂降りの中、ふたりは頭から、雨でびしょ濡れになった。


雨は体の芯まで冷やした。寒い。手足は凍える様だ。


しかし、季子は長年ここに住んでいるので、路地のことは隅々まで知っていた。


空き家の場所も分かっていたので、男達を撒くことは出来た。


しかし、駅や長距離バスの停留所には、若い衆を見張らせているだろうと思った。


アパートの住所も、知られているだろう。




 最近、季子には珍しく女の友達ができていた。


 年齢は違っていたが、妙に気があった。


彼女はバツイチで、実家の小さな田舎町から一度大都市に出て来たらしい。その田舎では地元に残るかどちらかが多かった。


その彼女は都会で就職したが、


正直迷っていたらしい。同級生の町役場に就職した男の子が気になっていたからだ。


彼はその彼女を、特別意識して居なかった。



結局、適齢期だったし、周りからも似合いの二人と云われ、その頃付き合っていた彼氏と結婚した。


 だが、一年も経たずに離婚した。周りの空気に合わせて生活していたが、性格が合わなかったらしい。


 それで安アパートに引っ越し、アルバイト生活をして居た。


そのアパートが、


大家は違うが、中庭をはさんで、2階同士で窓に面して、


目が合ってしまい、仲良くなった。


 その後すぐに催された地元の同窓会で、彼女はその彼に再会した。


 彼は奥手なので、まだ独身であった。


彼は明らかに彼女を意識していた。


が、消極的な性格なので、


結局話掛けられなかった。



 季子はそんな報告を受け、こちらから告白しなさいよ、と云った。


彼女も活動的な気性なので、今から行くからと、


季子に宣言した。




 すぐに、彼女から彼も最近彼女に想いを寄せていて、結婚をOKしてくれたと云う。


 そしてアパートの引っ越しをしてくれるよう頼んできた。荷物の配送や電気等の手続きである。


何も手をつけず、出ていったので、苦労を掛けるので、家賃等払っておくから、のんびりやってくれと云う事だった。





そこは電気もガスもまだ通じていたので、


電気は付けなかったが、


 風邪をひかないようシャワーを浴びたり、着替えをする必要があった。


女物のTシャツを着た風太郎は、ちょっと不格好だった。



 梱包のヒモで梱包途中の部屋のいきさつを風太郎に話した。


向かいの季子のアパートにひかりが灯った。



入ったことを気づかれないように遣れ。とあの黒服の四人は云ったが、ガタイが大きいので、振動がこちらまで響いて来るようで、声も丸聴こえである。


まだ帰って来て無いようだな。


と云った。


程なく明かりは消えた。



ひとつだけしか無い布団を敷いて、


少し休もうと云って、


後からシャワーを浴びて、季子が布団にもぐり込むと、


自然にどちらともなく、温もりを確かめ合い、


関係を持ち、


また疲れていたので暫し微睡だ。





夜中に、季子は起き上がり、台所のコンロに火を付け、冷蔵庫から牛乳を取り出した。


エプロンのポケットには、お金と携帯と紅茶のティーパックがあった。


季子は独り言を云った。


お金も携帯も役に立たない。


すぐに、鍋に牛乳とティーパックを入れ暫しグラグラ沸かした。


台所に置きっ放しになって居るマグカップに注ぎ、布団の上で飲んだ。



 風太郎が、眠れないのと云って来た。




黎明。


一条の光もない真暗。


だが、夜明けの足音は確実に近づいて来る。




 季子は風太郎に云った。


行くよ。やるよ。





暗闇に、鋭い車のドアを閉める音が響いた。




黒服のあの四人が車外に降り立った。




 ここしか無い。


奴らは、向かいの窓から俺達のマヌケな姿を観てイヤがった。



奴らは絶対に許せねぇ。と怒鳴って、


鉄筋の階段を、ガチャガチャと云わせながら登って来た。





その時、ドスンと直下型の地震が起きた。


黒服の四人は地面の割れ目に吸い込まれて行った。




そして熊本城が崩れ落ちた。







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