短編小説集~現代ファンタジーの章~
夢現
僕と君の、何でもない日常の話
僕と君の、何でもない日常の話
「遅かったね。」
「・・・荷物、取りに行ってた。」
「始める?」
「・・・うん。」
いつから、何がきっかけかも覚えていない。
でも僕は、とある女子の絵を描いている。
何を描きたいかも、分からぬままに。
窓辺に頭を預けて、ぼんやりと座る彼女の姿をスケッチブックに写し取る。
経緯は何もかも覚えていないけれど、覚えているのは彼女を描くにあたって、出された条件。
───聞いて。私を。
ただそれだけ。
だから、今日も僕は聞く。時折返答しながら。彼女の語る、彼女を。
◇◇◇
「今日、先生に気になっていたことを聞いたの。」
「ああ、授業の後になんか話してたね。喧嘩?」
「他生徒と私との対応の差について教えてほしいと言ったら何でだと思うとか言われて思ったままを返したらキレられた。」
「・・・何て返したの?」
「先生の虫の居どころによるんですかね? って。」
「いやそれは怒るでしょ。」
「だってそれしか出てこなかった。」
「そもそもさ、何でわざわざ話しかけに行くの? 怒られるの、分かってたんでしょ?」
彼女は、きょとん、とした。
「だって・・・分からなかったら、知りたいと思わない?」
「本当はね、先生が何を考え、何を感じ、私をどう思ってるのかが知りたかった。でも、そんなこと聞いても教えてくれるわけないじゃない。だから、手始めにちょっとした疑問をぶつけてみたの。・・・・・私の知りたい答えは、返ってこなかったけどね。」
彼女はまだ、質問の仕方が悪かったのかなぁとか言っている。
僕にしてみれば、彼女の在り方は不思議でならない。
「何で、そんなに知りたいの?」
「わからないから。それだけ。」
ぽつぽつと、雨が降るように。
どこか、歌うように。
「わからない。みんなが、先生が、私に対して何を考え感じ、どう思っているのかが。」
「わからない。どうして他人の癖に、私のことがわかるのか。」
「わからない・・・・・私がどうしたいのか。」
「嘘。わかってるくせに。私は、どうでもいいの。」
「どうでもいいどうでもいいどうでもいい、何もかも全てどうでもいい。私の大切なもの以外、何もかも全てどうでもいい。」
彼女はふと、僕のことを思い出したかのように目を向けてきた。
「ねぇ、もし目の前に、憎くて憎くて仕方のない人がいたとして。手の中にそいつを殺せる凶器があったとしたら。」
「君は、そいつを殺せる?」
「もしも目の前に死体があったとしたら、君はどんな反応をする?」
少なくとも彼女が解答を求めていないことだけは、わかった。
「私はたぶん、理由があれば人を殺せる。目の前に死体があったとしたら、きっとまじまじ観察する。」
「だって、どうでもいいから。」
ほんの僅かな息継ぎ。彼女の口は、まだ滑らかに回り続ける。
「・・・私ね、先生も、クラスメイトも、つい最近まで人間と思ってなかったの。」
「学校という名の大きな機械を動かすための、歯車としか思ってなかった。」
「『先生』も『クラスメイト』も役割でしかなくて、私にとってはロボットに等しかった。」
「今は、先生たちも怒ったり不快に思ったりする、感情を持った人間だって知った。」
「でも私は、まだ理解してない。」
「心のどこかで、まだあれは歯車、先生っていう役割の何かとしか思っていない。」
「この世界だってそう。私は、私にとっては、この世界はニセモノ。本や、映画や、ゲームの中の世界の方が本当。」
「物語は、世界のどこかに存在する別の世界を覗き見る窓。」
「私は私が生きる世界というお話の中の、『私』という名の登場人物。」
「わかってるのに。この世界は本物だって。でも、理解はしてないの。」
いつしか彼女は、嘲笑うような笑顔を浮かべていた。
「矛盾してるでしょ? 当然だよね。だって私、1人じゃないもん。」
「2人いるの。」
「1人は、比較的まともな[私]。いい子でいなくちゃ私の存在する意味がなくなっちゃうって思ってるの。・・・人は、集団で生きる生き物だから。集団の中で必要とされなきゃ、生きてる意味がない。いらない子は捨てられるって思ってる。結局自分が大事だから、捨てられるのを恐れてる。」
「1人は、大切なもの以外どうでもいい『私』。この世界をニセモノって思ってるのはこっち。大切なものさえあればいいから、
世界ですらもどうでもいい。私ですらも、大切なものに触れるためのツールとしか思ってない。」
「でも・・・どっちの私も、私なの。違う価値観、違う見方をしているくせに、根っこのところは同じなの。」
「『私』は私のこともどうでもいい。死んじゃってもかまわない。私が悪い子でも、何でもいい。それ以前に私のこと大っ嫌いだから。でも死なれたら大切なものに触れれなくなるから、死なない程度に怪我すればいいって思ってる。・・・結局[私]と同じように、何だかんだと私のことが大事なの。」
「馬鹿みたい。」
「私の常識は、人のことを人とも思わないようなやつは人間じゃない、そんなのは化け物だって言う。」
「化け物のくせに、何で生きてるのって、すごく不思議そうにしてるの。」
「でも私は、死にたくない。死んだらそれまでだから。大切なものにこれ以上触れられないなんて、信じられない。そんなのいや。」
「ほんと、笑っちゃう。」
「清々しいぐらいに、矛盾の塊で。」
「それでいいやって諦めてるの、私。」
「・・・・・馬鹿みたい。」
ふい、と彼女は僕から視線を外し、窓の外を向いてしまった。
ず、と鼻を啜るような音がする。もしかしたら、泣いているのかもしれない。
何に、何で泣いているのかはわからないけど、1つだけわかったことがある。
彼女が求めているのは、理解者じゃない。
彼女が求めていたのは、話をただ聞くだけの傍観者だったんだって。
その点僕は最適だった。
僕は、彼女を描きたいだけ。彼女のことは、ただの被写体としか思っていない。
しかも、絵は僕の見たまま感じたままを描く。それは『彼女』が知りたがっていた、「他人から見た彼女」以外の何物でもないのだ。
僕は、紙の上に鉛筆を走らせる。
僕が絵を書き終わるまで、この僕と彼女の何でもない日常は続くんだろうな、と思いながら。
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