第22話 鬼姫と女盗賊

 琵琶湖を望む街道を数台の荷車を連ねた商隊が進んでいた。

 初夏の太陽は既に真上に登り、降り注ぐ日差しは琵琶湖の揺れる水面にキラキラと反射する。りょうに出ている小舟が数隻、遠くにぼんやりと見え木の葉の様にユラユラと揺らいでいた。

 カラカラと鳴る荷車の前後には、武器を片手に軽備な甲冑かっちゅうを身に着けた者たちが十人ほど荷車を護る様に歩いていた。

 荷車には風にはためくはたが高々と立てられ、地方の国から都へと運ばれる荷だと遠目でも判る様な立て札が添えられている。


「今回も何事も無ければ良いがのう……」


 薙刀なぎなたを持つ背の高い体格のいい男が、独り言の様につぶやく。


「喜平は心配性だなあ」


 男の横に並んで歩いていた弓を背にした女が、男の横顔を見て笑う。

 よく日に焼けた肌にそばかすをこしらえた女は、腰まである長い髪を一つに編み込み、皮で編まれた動きやい防具を着ている。防具から露わに伸びたしなやかな手足は、いかにも活動的である。


「わははは!俺ら三兄弟が荷を護衛をすれば、盗賊どもも手は出せんよ」

「この『伊』の旗印はたじるしを見れば盗賊も尻尾を巻いて逃げるはな……」

「わっははは」


 長巻ながまきを肩に担ぎながら良く手入れされた顎髭あごひげを右手でで大笑いする男・三郎。

 伊勢の国で旗揚はたあげげした三人組・三郎、志摩、喜平の義兄弟である。


「三郎。何か良い事でもあったのか?」

「最近、機嫌が良いな」

「わっははは……あったぞ!あったぞ!」


 三郎は、空を見上げ大笑いする。


「とんでもない事が……今度、お前たちにも引き合わせてやる、驚くぞ!」


 三郎の子供の様な眼差しに、しっかり者の志摩が笑い、喜平が首を傾げた。


 ◇◇◇


 小さな村外れの小高い山の中腹に古寺がぽつんと一軒建っていた。

 この寺にはかなり前から住職が居ないのだろうか屋根のかわらは剥がれ落ち、雑草は背丈ほど伸び、覆い茂る木々は奥の境内けいだいの日光を遮り人が入って行く事をこばんでいる様であった。

 そんな境内けいだいに十数人のめんをかぶった人影が集まっていた。

 それぞれが武器を持つ風体ふうていからすると野盗あるいは盗賊の類であろう。

 境内の中には薄暗いロウソクが灯され、中央に瓜実顔うりざねがおめんをかぶった女。長い黒髪が蛇の様に腰に巻きついている。

 女頭目は鉄扇をコツコツと叩きながら片膝を立て座る。

 そして目の前に集まった男たちに向かい低い声で言う。


「今回の荷は大物じゃ」

「お館様やかたさまに喜んで頂くのじゃ」


 その低い声は、寒々とした境内に響いた。


 ◇◆◇◆ はじめての旅


 宮廷の庭園が濃い緑に染まり、涼しげな風が宮廷の庭先を吹き抜ける季節。

 於結おゆいが仕える皇女様の御使いで、都から東に二十里ほど離れた地にある朝廷が治める荘園しょうえんの別邸に向かっていた。

 都からは馬車で一日余り、泊まり二日のさほど遠くない距離である。

 暑い季節は避暑地として公卿たちが使用し、温泉も湧いている良い土地である。

 皇女様からの御使いに指名された於結は喜んで依頼を受けると、旅仕度を整え都を出立した。

 於結たち宮廷に仕える女官のほとんどがそうであるが、平安京の都の中で生まれ育ち成人を迎える。結婚すれば地方へ移り住む場合もあるが、中には都から出る事も無く一生を終わる女官も少なくない。都は外敵も無い護られた別天地、安全な場所である。それゆえ、女官たちは都の外にあこがれ、まだ見ぬ夢を抱いていた。都の外から持ち込まれる旅の話しや芝居、うわさが大好きである。

 古那が育った故郷の話しや旅の話を聞き、瞳を輝かす娘。ついに於結にも都を出て旅する御役目が回って来た。書物好きの於結にとって願っても無い御勤めである。


 ◇ 


 騎馬が数騎付き従う馬車が一台。ゆっくりと街道を進んでいた。

 今回の皇女様の御使いに於結は半ば強制的に古那を連れ出していた。

 於結の御勤めが終われば地元の名所を観光をし、温泉にでも入って二、三日逗留する予定である。

 しかし、何故か羅刹の鬼娘・朱羅しゅらも古那に同行し、今、同じ馬車の中である。


 於結の実家である屋敷では、古那と朱羅が居候し一緒に暮らしている。

 二人を気に入った於結の父である中納言・藤原兼光が二人を客分として、好待遇で屋敷に留め置いているのだ。

 確かにこの鬼娘は強い。屋敷に訪れる腕自慢の武芸者たちや父の部下もこの鬼娘には敵わない程である。


 於結は、ちらりと対面に座る朱羅を見る。

 既に古那は、於結の温かい膝の上で横になり、スウスウと居眠り中である。


 古那の側を離れ様としない羅刹の鬼娘・朱羅。

 どういう関係なの?


 於結と同じくらいの年齢に見える。

 まだ幼さが残る顔立ちだが妖艶な美しさを隠しきれない。褐色の赤い肌、切れ長な目の奥のときおり紅く輝く黒い瞳がその妖艶さをいっそう引き立てている。

 ひたいから生えた小さな二本の真っ白な角が見る者を一瞬ハッとさせる。

 今回の旅では流石さすがに鬼娘の姿を人前にさらす訳にはいかず、今は男装姿である。

 上質な黒の生地に大きな刺繍を施した着物を着、銀のおびめた姿は都人みやこびとさえ寄せ付けない程に息を飲む。


 於結の視線に気付いたのか、外の景色をながめていた朱羅の瞳が、すうっと於結を見る。

 黒い瞳と目が合い一瞬ビクッと慌てた於結は、気恥ずかしそうにうつむいた。


「もうっこの鬼娘……朱羅ぁまずいんじゃない」


 於結の肩から首筋、そして顔に熱が登った。

 

 ◇◆◇◆ 盗賊


 馬車の心地よい揺れと変わりゆく景色で、於結はうとうと目を閉じる。


「お嬢様。この峠を越えれば宿場町が見えますので先を急ぎます」


 馬車の馬の手綱を取っていた兵士がうとうとする於結に告げた。

 於結の乗る馬車の前後に朝廷の騎馬兵が十名ほど付き従い馬車と並走している。


「この辺も最近、めっきり物騒になりまして」

「何でも小鬼が出没して人を襲い荷を奪うそうです。急いで峠を抜けましょう」


 手綱を振るうと馬車を急がせた。

 

 暫く森の木々が茂る暗い道を走って行くと前方で馬のいななく声と人が争う声が聞こえる。

 警護する騎馬兵の隊長が、馬車の速度を落とす様に指示し、数騎の騎馬を引き連れ先に進んで行った。


 馬車を引く馬が一声、いななくと進行を止めた。

 いやな想像が的中である。

 馬車の前に恐ろしい顔のが数人、道を塞ぐ。

 手に武器を持ち、今にも跳びかかる勢いでジワジワと近寄って来る。


「中の積荷を置いていけ。そうすればここを通してやる」


「えっ?」 

 その時。


「ぎゃあああー」

 醜悪な声の主がおどしの言葉を言い終わらないうちに、道を塞いでいた鬼の一人が悲痛の悲鳴を上げる。

 ふらふらと足がもつれ、空を見上げる様に地面に倒れた。

 倒れた鬼の面は二つに割れ、鬼の素顔が現れた人間?の顔。


「だっ誰だ!」「出てこい!」


 残ったたちは、驚いた様に辺りを見回す。


「ぐっ」

 また一人の鬼が、くの字に腹を押さえ地面に倒れ込む。


 青年の声が響くと、また一人、鬼が木の幹に吹き飛ばされ転がった。

 数人倒した古那が、銀のやりを携えストンと馬車の入り口に降り立った。


 すると馬車の中から一陣の風が飛び出した。


「古那っ面白そうだっ。ちょっと行って来る」

 

 と、声だけを残し既に朱羅の後ろ姿が遠くに小さくなっていく。

 そして頭上から聞こえた嬉しそうに弾んだ声が森の中へ消えていった。

 

 ◇◇◇女頭目


 古那が木々の枝を使い、前方の悲鳴がした前方へ飛び移っていく。


 目の前の道を大きな馬車が道を塞ぎ、地面には人が数人倒れていた。

 かなり大きな規模の商隊である。


 先ほど馬車を襲って来た輩と同じ、鬼の面をかぶった得体の知れない黒服の盗賊が、逃げ惑う人を襲う。

 いや……見ると盗賊たちを朱羅が背後から襲い、盗賊たちが逃げ惑っている。


 やれやれと言うような面持ちで眺めながら銀槍を小脇に抱える。


 古那も散り散りになる盗賊に狙いを定め銀槍で打ち据える。

 盗賊たちの悲鳴が哀れ辺りにこだまする。


「ガキンッ」

 金属がぶつかり音が弾けた。

 古那の振り下ろした銀槍を敵が弾き返した。


「何っ!」


 馬上にまたがる盗賊の頭目らしきである。

 他の醜悪な鬼の面とは異なり、白い瓜実顔うりざねがおの鬼面。


「人間か?」

「一撃を弾かれた衝撃に余力がありすぎる」

「本物の鬼か?」


 赤い着物に馬乗りはかまの姿。薄絹をはおり、細身の体に後ろ髪を束ねた長い黒髪が腰まで届いている。

 髪に挿したかんざしが逸品である。

 鬼面の奥に見える無表情で落着きのある瞳が、いっそう不気味である。


 木の枝を蹴って飛ぶ古那が攻撃を仕掛ける。

 またもおうぎで弾き返す。


「貴様っ」「何者っ!」


 二人は攻撃を交わしながら予想外の強敵にお互い声を発した。

 その瞳が古那の一撃を鉄扇で弾き返すと、キッとにらんだ。


「この強さ。到底、人間では無い。……やはり鬼か」


 木の枝にストン着地した古那は、あごに手を当て首を傾げる。


 その時。横合いから朱羅が飛び抜けて来る。

 朱羅の一撃が、馬に跨る女頭目めがけ振り下ろされた。


「ガキンッ」

 耳に刺さる程の大きな金属音が響く。

 朱羅が空中に弾き飛ばされ、地面に着地する。


「何っ!」

 朱羅が地を蹴り、馬上の女頭目めがけ突進する。

 空中で四、五撃打ち合う。

 馬上の女頭目は、鉄扇で剣戟けんげきを打ち払う。

 空中で余力を失った朱羅は、クルリと回転し横たわった荷車の上に着地する。


むすめっ貴様。羅刹の一族か?」


「主こそ何者じゃあ!」 

 朱羅はさけび牙をく。

 そして金棒に仕込んでいる独鈷剣どっこけんを抜いた。

 左手に漆黒の金棒、右手に両刃の剣。

 剣の刃は鈍い白銀の色をまとい全てを断ち斬るかの様に輝いた。


 跳躍する。息もつかさず左右振り下ろす。

 数度の攻撃。朱羅が剣を振り下ろす度に血しぶきが舞う。


 馬上に跨る女頭目の瓜実顔の鬼面が砕け、束ねていた長い髪がほどけ宙に広がる。


 朱羅が体ごと弾き飛ばされた。

 かろうじて地面に着地した朱羅の体は血で赤く染まる。

 そして、力つきて地面に倒れた。


「ふふふ……なかなか面白かったぞ」

「羅刹の娘よ」

「お前……こうの娘か? それとも、さくの娘か?」


末恐すえおそろしい娘じゃ」

「しかし、私に勝とうなど百年早いわ」

 

 女頭目は、笑い声を上げる。

 そして馬の手綱を引き、馬のきびすを返す。


「引き上げじゃ!」


 女頭目は、声をあげると森の中へ走り去っていった。

 鬼の面をかぶった手下たちも女頭目を追う様に走り去って行った。

 

 ◇◇◇ 温泉の月


 静かに眠る朱羅の傷の手当を終えた於結が一人、夜空に浮かぶ月を見ながら露天風呂につかっていた。

 人ほどある大岩で囲まれた湯殿に一人、プカリプカリと浮いていた。

 

 馬車で駆けつけた於結は、血まみれで倒れている朱羅を発見した。


 力無く横たわる鬼の娘。美しい顔から流れる鮮血をぬぐった。

 於結は、その時初めて羅刹の女鬼の透き通る様な肌に触れた。


「はぁぁぁ……思わず深い溜息をつき、自分の肌をでる」

 

 岩の隙間から流れる出る温泉の湯がチロチロと湯舟に流れ込む。


 温泉の湯気が立ちこめる中、ユラリと長い人影が現れた。

 於結は慌てて湯舟につかり目だけ出した。


 しなやかな爪先、ふくらはぎがゆっくりと湯舟に入り、一人の娘が湯につかかる。

 先ほどまで静に眠っていた朱羅である。

 闘いの後、あれほどの斬り傷があったにも関わらず、既に傷は治癒ちゆし、滑らかな桜色の肌に戻っている。


「…………」


 朱羅は肩まで湯に浸かると夜空の月をながめ、大の字になり湯舟に浮かんだ。


「お前が手当してくれたのか?」


「さっ、さすがに。あなたの治療」

「古那にはふれさせられないわ」


「男と女ってやつか?」

「ふっふふふ。人間は変わっているな……」


 虫の音が静かに響く。


「久しぶりに完敗だ。母様以来……」


 月を見上げる朱羅の目に涙が浮かぶ。

 於結もまねて湯舟に大の字になり浮かぶ。


「お月様……綺麗きれい……」


「ああ。そうだな……」

 朱羅が、ざぶりっとその体を湯の中に沈めた。

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