ランチタイム

 本気で人間と戦う事を決めたクトーラは、すぐさま行動を始めた。

 優れた知能の持ち主であるクトーラは、知性ある存在に対し、決してやってはならない事を知っている。

 それは時間を与える事だ。

 高い知能の持ち主は研究や開発により、様々な技術や対策を編み出す。クトーラ族もそうして外敵への対処方法を探ったし、クトーラが手伝った猿達の文明を同じように発展した。恐らく人間達も似たようなやり方をしているだろう。

 だが、見方を変えれば研究には時間が必要とも言える。原因を追求し、詳細を解析し、それが正しいかを検証しなければならないがために。もっと言えば見付けた対策を仲間に周知したり、道具が必要ならば作り出したり、材料を集めたり体制を変えたり……あらゆる事に時間が必要である。時間を与えなければ、知性の『本領』は発揮出来ない。

 短時間で文明に壊滅的打撃を与える。そうすれば自分の勝ちだと、クトーラは理解していた。

 とはいえクトーラが普段使っている地磁気浮遊は、時速百キロ程度の極めて遅いスピードしか出せない。これでは地球を一周するのに、一直線に進んでも百時間以上掛かる。ましてや世界中を巡るとなれば、一体何百日掛かるか分かったものではない。それだけ時間を費やせば、形振り構わず研究すれば対処法の一つぐらいは考え付くだろう。その一つがクトーラにとって致命的なら、敗北は必須。

 移動もまた本気を出さねばならない。そこでクトーラは特別な移動方法を使う。


【シュゥゥウウオオオオオ……!】


 全細胞で作り出した電気を用い、体内の金属元素にエネルギーを注ぎ込む。

 そして触腕から、高出力金属原子砲を放つ。

 ただしそれは六本の触腕全てから、同時にである。また攻撃時は金属元素を放つ際極めて小さな範囲に束ねていたが、此度のそれは十メートル近い幅に拡散している。

 これは金属元素ジェットという技だ。攻撃のためではなく、ジェット推進を得るためのものである。

 得られた推進力により、クトーラの身体は猛烈な勢いで加速。今までは時速百キロでと飛んでいたが、ジェットを噴出して十秒も経てばこの十倍にもなる時速一千キロもの速さが出ていた。これだけのスピードがあれば十二時間で地球を一周出来る。寄り道や蛇行も自由自在。

 勿論、北アメリカ大陸も瞬く間に横断可能だ。


【シュゥオオオオオオッ!】


 人間文明を完膚なきまでに叩き潰すために、クトーラは一直線に飛んでいく。

 ところで人間文明を『倒す』には、何をすれば良いのか?

 頭の悪い獣なら、兎に角人間をぶっ殺す、という答えを返すだろう。実際それが可能であれば、この方法も悪くない。継承者がいなければ文明は根絶可能である……だが非効率だ。時間も掛かるし、手間も多い。

 賢明なクトーラは違う。獣と違い効率的な勝利条件を設定し、その条件を満たす行動を考えられる。

 まず、文明を滅ぼすために、人間を皆殺しにする必要はない。

 というより、人間の皆殺しはクトーラでも流石に無理だ。クトーラは人間が何体いるか知らないし、何処に暮らしているかも分からない。洞窟や森に隠れられたら見付けるのは困難で、皆殺しに出来た事を確認する術もないのだから。故にこのやり方は馬鹿げている。

 では、どうすれば良いのか? その答えは文明の作りを知れば見えてくる。

 文明というのは単体で成り立つものではない。例えば一着の服を作るとして、服職人だけを用意しても服は永遠に出来上がらない。原材料を生産する麻畑、裁縫道具を作る工場やそれらを送る輸送路、道具の原材料である金属、そして労働者が必要とする食糧の生産者が必要だ。実際には安定した生活に必要な住宅の建築、それらを維持管理する技術者などもいると良い。技術が高度になれば文字の読み書き程度の知識は必要なため、教育機関も欠かせない。無論、教材を作り出す技術者も、だ。

 作り出すものが高度になればなるほど、こうした繋がりは複雑かつ長大になる。人間の文明も、基本的には同じ作りだとクトーラは見抜いていた。

 こうした技術の繋がりを絶ってしまえば、文明というのは存続が出来ない。なら繋がりは何処にあるのか? それは人間が住んでいる場所……都市である。

 要するに『文明』の象徴とも言える都市を破壊し尽くせば良いのだ。これも中々途方もない話であるが、人間を一人残らず殺し尽くすよりは遥かに現実的である。そしてこれをするのは、クトーラにとって難しくない。

 人間の文明の機器は、そのエネルギー源を電気に頼っている。電気を流せば電磁波が生じるのは避けられない。そしてクトーラは、電磁波を感じ取る事が出来る。

 大量の電磁波を出している場所を、片っ端から叩き潰す。そうすれば文明に致命的打撃を与えられるだろう……そう考えたクトーラは、自分の考え通りの行動を起こした。

 ……………

 ………

 …

 そう、クトーラは行動を起こした。かれこれ二日前に。

 この二日間でクトーラは数多の都市を破壊した。ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコ……クトーラにそれらの都市の名前は分からないが、人口の多いところは粗方破壊し尽くした。最早アメリカに、大都市と呼べるような場所はない。

 アメリカの破壊を一通り終えたため、クトーラは北上して(勿論クトーラは呼び名など知らないが)カナダに侵入した。カナダの人口は三千七百万人以上。三億三千万の人口を持つアメリカと比べれば、なんとも小さな国家だ。人口などのデータはクトーラの知るところではないが、地域一帯から放たれる電磁波の量から文明の規模・生産能力は概算出来る。遊んでいた期間を含めても僅か五日間でアメリカを叩き潰したクトーラからすれば、一日でどうにかなる程度の存在だ。

 そのため、クトーラは自分の身に迫る『危機』への対処を優先する事にした。

 食糧問題である。


【シュゥゥゥ……】


 カナダを横断中のクトーラの口から、弱々しい声が漏れ出る。人間達が聞けば希望を持ちそうなその声の意味するところは、「腹減ったなー」ぐらいのものであったが。

 クトーラは常に細胞で発電を行っており、エネルギーを消費している。この発電時の予熱で体温を維持するなど無駄なく使っているが、それでも一日に莫大な量のエネルギーを消費していく。

 つまり、たくさんの食べ物が必要なのだ。草食動物よろしく草が食べられるなら、これは大した問題ではないのだが……クトーラ族の消化管は植物を食べるのに向いていない。食べ物になるのは動物だけだ。

 クトーラが生きていた時代なら、地上にはいくらでも食べ物があった。自分達の陸上進出を阻んでいた『強敵』達、その強敵の餌になっていた動物がいくらでもいたからである。しかし今の地上に、クトーラ族の腹を満たせるほど大きな動物はいない。今の地球は、そういう環境ではないのだ。おまけにそこそこ大きな動物(馬や牛の仲間)は人間が大昔に絶滅させている。勿論人間達はクトーラ族なんて知らず、欲望のままに滅ぼしただけだが、結果的にそれはクトーラを苦しめる一因となっていた。

 では、このままクトーラは飢えるしかないのか? いいや、なんの問題もない。餌は既に見付けてある。

 他ならぬ、人間達だ。

 最初は猿の仲間だからとあまり食欲が湧かなかったが、一度食べてみれば中々味は悪くないものだった。特にこってりとした脂身(人間達は健康問題として気にしていた)が、クトーラの好みに合致したのである。他に食べ物がない事もあって今では毎日頂いている。


【シュウゥゥゥウウン……】


 お腹を空かせたクトーラは早速カナダの大都市・バンクーバーへと向かう。

 バンクーバーはカナダ、そして北米でも有数の大都市。その人口は市域で六十七万人を超えており、ビルが建ち並んだ発展した景色を形作っている。

 無論人間達も、これまで数多の都市を滅ぼしてきたクトーラを、簡単に侵入させるつもりはない。カナダ軍が出撃し、クトーラに苛烈な攻撃を加えてくる。尤も、腹ペコとはいえ満身創痍には至っていないクトーラにとって、通常兵器で攻撃してくるだけのカナダ軍など脅威とはなり得ない。そして手加減もしない。高出力金属原子砲を細かく撃ち込み、軍隊だけを一掃。町にはあまり傷を付けず撃滅する。

 邪魔者を排したクトーラは、悠々と都市バンクーバーへと侵入した。音速に近い速さでクトーラが来たため、人間達の避難は間に合っていない。わーわーと叫び、荷物も持たずに走り回る人間の姿がクトーラの眼下に広がる。とはいえ鍛え上げた競技者ですら時速四十五キロしか出せない人間の走りなど、クトーラからすればアリの全力疾走みたいなもの。悠々とその頭上に陣取った。


【シュゥオオオオオオ】


 続いて六本の触腕を大きく広げながら、走る人間達に向けて唸り声を発する。

 するとどうした事か。人間達の身体が、

 これは電磁トラクタービーム。電磁力を用い、対象を引き上げる技である。生物体には金属が含まれており、これを磁力で引き寄せる……なんて事はしていない。生物体内にある鉄分はイオン化しており、磁石にくっつくものではないからだ。

 ではどうやって引き寄せているのかといえば、強力な磁力によって大気中の空気の流れを操作する事で成し遂げている。超高出力磁力であれば、酸素などを吹き飛ばす事が可能だからだ。『トラクタービーム』と言いつつ、実態は空気搬送というのが正しいだろう。何にせよこの空気の流れにより、人間達のような小さなものを吸い込む事が可能だ。

 人間達にとっては予期せぬ事態で、浮かび上がった人間は誰もが四肢をバタつかせている。しかしその抵抗は全く意味を持たず、どんどん高度を上げていく。落ちたら死は免れない高さになると、人間達の恐怖はピークに達したようで、肺が破けそうなほどの叫びを上げ始めた。

 そして自分達の行く先にあるのがクトーラの口だと気付くと、限界を超えた叫びを発する。

 人間達にとって残念な事に、クトーラは冗談でこの行動を取った訳ではない。老若男女、幼子だろうが老人だろうがカップルだろうがクトーラは関係なく、数十の人間を口の中に飲み込んでいった。口にはオウムのような嘴があるものの、この口は人間のような『小さなもの』を噛み砕くには向いていない。仕方ないので丸呑みだ。

 飲み込んだ人間達は胃袋に入り、そこで分泌された胃液に晒される。

 巨大な怪物の肉すら消化する胃液だ。人間がそれに浸されれば、瞬く間に身体は溶けていく。尤も、頭を噛み砕かれるよりは絶命に時間が掛かるが。腹の中で過去最大の悲鳴が上がったが、分厚い胃壁はその叫びを遮断。クトーラに腹からの悲鳴は聞こえてなかった。


【シュゥオッ、オッ、オッ】


 消化した人間達から得た、タンパク質や糖が身体に満ちると空腹感が癒えていく。その感触を楽しむようにクトーラは笑う。

 しかし数十人かそこらを吸い込んだところで、飢えを癒やしきるには不十分だ。クトーラの体重は二十万トン。対して人間の体重は精々六十キロ前後しかない。これは人間と米粒(二十ミリグラム程度)の差よりも大きい。たった百粒の米粒で人間は空腹を癒せるのか? 残念ながら、答えは否だ。

 だからクトーラは次々と人間達を吸い込んでいく。百人集まれば六トン、千人集まれば六十トン……五千人も吸い込めば、人間換算で茶碗一杯分程度の食事になる。

 今のクトーラが満腹になるには、三万人程度は必要だ。バンクーバーの人口であれば、それを得る事は難しくない。丸飲みの食事は淡々と続けられた。

 人間達も無抵抗ではない。一部の人間は、自らの死を覚悟した作戦を行う。

 その作戦は身体に手榴弾などの爆弾を巻き付け、腹の中で爆破するというものだ。当然、逃げられない腹の中でそんな事をすれば自分の命を失う。アリのように自分の命に頓着しない生物はいるが、それはあくまで最終的に自分の遺伝子を残すための合理的行動。種の存続やら信仰などで命を捨てる生物は人間以外にいない。野生動物的な考えの持ち主であるクトーラからすれば、理解出来ないやり方だ。

 しかし人間は、守りたいモノのためなら命を投げ出せる。それが社会に混乱を起こす事もあったが、多くの命を守る事もあった。

 ただ、同時に人間は勘違いしていた。自分達が命を投げ出せば、何かを変えられると。


【……シュー?】


 腹の中で自爆した人間が現れても、クトーラはちょっと違和感を覚えるだけだった。

 クトーラ族の胃壁は分厚く、頑丈なのだ。クトーラ族が生きていた時代には、体長三メートル以上の甲殻類も数多く生息していた。この電磁トラクタービームは、本来そうした生き物を吸い込むのに使っていた技。この巨大甲殻類が暴れても穴が開かないよう、彼等は進化してきた。ただの爆薬では威力が足りない。

 ちなみに爆弾だけでなく、農薬などの化学物質を山ほど身に纏って飲み込まれる人間もいた。しかしこれも大きな成果を出さない。大抵の毒物は強力な胃液で分解されてしまうし、仮に体内に入り込んでも肝臓では電気分解による『解毒』が行われている。生半可なものでは効果すらないのだ。

 そして最大の問題は量。体重二十万トンもあるクトーラを死に至らしめるには、例え人間なら一グラムで死ぬような毒でも、三・三トン以上の量が必要である。計画的に飲ませるなら兎も角、即席の自爆特攻で特定の毒物をそれだけ飲ませるなんて真似は、笑い話のような奇跡が起きねば成し遂げられない。

 それでも諦めずに続ければ、もしかすると奇跡も起きたかも知れないが……人間達の目線では自爆しても駄目、毒を飲ませても駄目という結果だ。意味のある死は出来ても、無意味な死を厭わない人間はあまりいない。


【シュゥ、オッ、オッ、オッ】


 爆弾と毒を飲んだ事にも気付かず、満腹になったクトーラが上げた高笑いは、人間達の心をへし折るのに十分な威力を持っていた。

 腹を満たした後は、人間の文明を破壊する。高出力金属原子砲で逃げ惑う人間達を跡形もなく吹き飛ばす。腹を満たしてくれた事への感謝なんてない……どれだけ知能が高くとも、クトーラ族は野生の『獣』なのだから。

 北欧有数の大都市バンクーバーの住人が消え去るのに、それから一時間も掛からなかった。

 ――――軍事力は通じず、毒も自爆も意味もなさず。もう、人間の力でクトーラを止める事は出来ない。

 人間には認められないだろう。いきなり現れたイカの怪獣に、何もかも破壊されるなんて。

 決して考え方や方法を誤った訳ではない。脅威を打ち破ろうと人間は奮闘していただけ。罪業を背負う覚悟と共に禁断の力を振るっただけ。その時々で、考えられる限りの最善を選択している。しかし結果的にクトーラの関心をより引いてしまった。クトーラと穏便な対話をしていたなら、核兵器の使用を最後まで思い留まっていたなら……この結末を知っていれば他の選択肢もあっただろう。

 されど人間は全てを知っている訳ではない。全てを『正しく』選択する事など不可能だ。

 人類の繁栄はここで終わる。意図せず神をやる気満々にさせた結果、数万年の努力は跡形もなく消え去るのだ。

 何も、なければ。

 因果応報なんてものはない。この世にあるのは善や悪ではなく、様々な事象の結果に過ぎない。しかしそれ故に、神の如く力を持つクトーラであろうとも、自分の行いにより生じた結果から逃れる事は出来ない。何よりクトーラもまた、人間と同じく全てを知っている訳ではないのだ。

 クトーラの目覚めによりもまた蘇る。

 クトーラにとってもそれは想定外の出来事だった……

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