有斗君と桐須さん

キョウ・ダケヤ

第一話 Re ボーイミーツガール

 会話の邪魔をしない、心地良いBGM。

 最小限の動作と声量で統一された、規律正しきウェイター達。

 お連れ様をお待ちの間に。と出された良い香りがすることだけが解る、温かなハーブティー。

 どれもが初めて出会う体験。そして、その全てが僕と彼女の差を示しているようだった。



 ティーカップに口をつけたところで、ひとまず落ち着こうと首を回す。ついでに周りも見渡すが、他のお客さんはいないようだ。

 彼女は電車に乗り過ごしてしまったらしく一時間ほど遅れるらしい。注文も好きにしていいから待っていて欲しい。とハーブティーを持って来たウェイターから告げられた。

 思い出に浸るくらいの時間はありそうだ。他人の目を気にする事も今はないし、しばらくネクタイを緩めてゆっくりさせてもらおう。

 鞄は隣の椅子の上に置いてもマナー違反にならない、よな。


 《新進気鋭の天才ヴァイオリニスト》《神の左手》《彼女の音楽は寿命を伸ばす》などなど。

 待ち合わせ相手こと、桐須織鶴がこの五年で得てきた評価は、日本音楽界の歴史を変えた。近年では左利き用のヴァイオリンを愛用するなど、ヴァイオリニストとしての常識すらもぶち壊してきた。

 今や、世界の〜と言えばクロザワでもミトリでもなく《Orizuru》であることは間違いない。

 これでヴァイオリニストとしての経歴は十年に満たないのだから、天才と形容するより他はないだろう。

 そんな訳だから活躍は至る所で目にする。しかし会うのは彼女が海外に飛び出してから初めてだ。

 いくら旧知の中であるとは言え、緊張しない訳がない。


「ごめんね、遅くなっちゃって」


 意識的に伸ばした背すじが崩れ、本来の猫背が顔を出した頃。ここ何年かは今日のお天気ニュースが如くメディアから流れ続けてきた声に慌てて振り向く。

 そこにいたのは、気品ある大人なパーティドレスに、登山用リュックを合わせる不可思議な女性。

 あぁ、間違いない。久しぶりでもそう思えるのは、彼女の声を聞くたびにテレビに齧り付くせいか。それとも、未だ彼女と過ごした思い出を忘れられないからか。


 「おっそいわ」


 緩む頬を隠すように、視線を外すのが僕の精一杯だった。しまった。ネクタイを解いたままじゃないか。




「本当ごめんね。昨日日本に帰ってきたんだけど、時差ボケかなぁ。まいったまいった。あ、マトリョーシカ買ってきたよ。あとで渡すね!しかし久しぶりだねぇ。ふふ。カークジェラー?

 あれ、まだ何にも頼んでないじゃん。先に頼んでて良かったのに。そういうワンコっぽいところ、付き合ってた頃から」


「まてまて、ちょっと落ち着け。ツッコミどころが多すぎて処理が追いつかねぇよ。

 久しぶりに会ったんだからさ。もっとこう、あるだろうがよ!」


 話を遮られたのが気に入らなかったのか、期待した反応じゃなかったのか。

 彼女はぷいっと、そんな擬音が聞こえるかのように――いや、本当にそう言っていたかもしれないが――そっぽを向く。

 ちょっと強めの口調で話すとすぐこうだ。変わらない。


「お前本当にOrizuru 、なんだよな?」


「何よそれ。あ、バカにしてる? ちゃーんと本人ですっ!」


「いやだってさ。雑誌に、これぞ大和撫子。これぞクールビューティーって書いてあったからさ。」


「へっへーん。演技も上手になったでしょ!

 実は大道芸人やってた時の君のキャラ設定、使わせてもらってるんだよ。光栄に思いたまえ!」


 ケタケタと笑いながら、彼女は背負っていたリュックを肩だけで脱ぎ捨てる。次いで、ステップを踏むように足で椅子を引き、スカートで穏やかな波をつくりながら優雅に座る。

 所作の美しさに、これが正しい作法かと一瞬錯覚してしまった。


 これこそが一雁高空の、いやこの場合は一鶴高空の極地とでも言うべきか。

 普通であれば許されない行為が認められる、喜ばれる人間は間違いなくいる。

 そしてその資質は芸術家にとって必須条件なのだ。

 彼女のとの出会いがそれを教えてくれた。そして今、改めて痛感した。


 大きく息を吐く。

 久しぶりの再会だからって、何を話そうかあれこれ考えていた僕は、やっぱりどこまで行っても普通で。これが本物との差なんだろう。

 しかしまぁ。一方的に別れを告げた彼女が、無惨にも振られた僕に気を遣ってくれた事もまた事実だ。

 さらにお世辞まで言ってもらったんだ。これ以上突っかかるのも野暮だろう。

 僕も一つくらい喜ばせてあげなきゃ、筋が通らないはずだ。


「おかえり。あと、ハラショーだよ」


 彼女は一瞬だけ目を見開くと、屈託のない、満面の笑みを浮かべた。

 それは五年ぶりに見る、とても可愛らしい、絶対に守りたいと思わせるような笑顔だった。

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