トモボシ
小説大好き!
第1話
少年はいつも顔を俯かせていた。自分に自信が持てず、周りと関わることを怖がっていた。
学校ではいつも一人で本を読み、そんな少年に声をかけてくれる人などいなかった。
――少年は、独りぼっちだった。
「はぁ……」
溜息を零す。
少年――ヒロトは、独りぼっちでいたいわけではなかった。みんなと一緒に喋って、みんなと一緒にサッカーを、鬼ごっこをしたいと思っていた。
「僕も、友達が欲しいな……」
ぼそりと呟いた言葉は、夜の空へと溶けていく。
肌寒さに体を震わせながら、下を向く。彼は、こんな自分が好きではなかった。
そろそろ家に戻ろう。そう思った時。
「あ、流れ星」
空を一筋の光が駆け抜ける。
流れ星に願い事をすると、その願いは叶うらしい。
ヒロトは、一つの願い事をする。
――友達が、できますように。
流れ星は、静かに消えていった。
それを見届けて、今度こそヒロトは、家の中へと戻っていった。
「ヒロトー! 学校行こうぜー!」
突然家に向けて発された大声に、ヒロトは飛び上がる。
「……え? え??」
学校に行く準備をしている途中だったヒロトは頻りに疑問を浮かべながら、窓から外を見る。
そこには、知らない少年が鞄を背負って立っていた。
「あ、ヒロト、早く準備しろよ! じゃないと遅刻するぞ!」
こちらに気づいた少年は笑顔で大声を上げる。
ヒロトはわけがわからなかったが、遅刻しそうなのは事実だったので、慌てて準備を済ます。
「行ってきます!」
家を出ると、変わらず少年は家の前で立っていた。
「ほら、早く行くぞ!」
少年はヒロトの手を取って走り出そうとする。
「ちょ、ちょっと待って。君は誰なの?」
「誰って……酷いなぁ。君が昨日願ったじゃないか」
昨日願った……?
まさか、と、ヒロトはとある予感が浮かび上がる。
そんなヒロトの予感を置いて、少年はこちらを振り返ると、パッと明るい笑顔を浮かべて答えた。
「オレは、君の友達のホシノだよ!」
あまり言ってる意味がわからなかった。
「ほら、オレが誰かもわかっただろ。それじゃあ……」
ホシノは改めてヒロトの腕を掴む。
そして。
「遅刻する! 走るぞ!」
先程よりも全力のダッシュをするのだった。
キーンコーン――
チャイムの音が響き、教室が騒がしくなる。
昼休みだ。
「よしヒロト、遊ぼうぜ……って」
ホシノがすぐさまこちらに駆け寄ってくるが、すぐに呆れた顔になる。
「……なんで本を開けてるんだよ」
ヒロトは既に本を読み始めていた。
「……だって、遊ぶ人が誰もいないし」
ぼそりと呟いたヒロトに、ホシノが溜息を零す。
かと思うと、彼はヒロトの腕を掴み、今にも教室を飛び出そうとしている男子たちのもとへ駆け出す。
「みんな、オレとヒロトも混ぜてくれ!」
「ちょ、ちょっとホシノ、みんな困るよ……」
「大丈夫、心配するな」
ヒロトは、ホシノとは逆側に抵抗する。
ホシノはそれをものともせずに男子たちのもとへと進んだ。
ヒロトは、何を言われるのか怖くて下を向く。
――どうせ、僕みたいな人は誰も入れてくれない。
「二人も入りたいのか? いいぞ、一緒にやろう!」
「……え?」
耳に入った言葉に驚きヒロトは顔を上げる。
男子たちは笑いながら、ヒロトとホシノを手招きしていた。
「な、心配する必要ないだろ?」
ホシノはこちらを向いて、ニシシと笑う。
その笑顔に、ヒロトもつられて頬があがる。
そしてヒロトは自分でも男子たちに言った。
「僕も混ぜて!」
「おう、いいぞ!」
「よし、じゃあヒロト、ここを読んでくれ」
国語の時間。先生に教科書の続きの音読を指名される。
「彼女は、『やめて』と叫ぶと――」
教室はシーンと静まり返っており、ヒロトの声は大きく響く。
ヒロトは、自分の声がみんなに聞こえていることが怖かった。失敗したら、みんなに笑われてしまう。そう思うとだんだん声が小さくなっていって。
「ヒロト、もういいぞ」
すぐに、先生に終わっていいと言われる。
ヒロトは情けなかった。多分、先生は自分の読み方があまりに下手だったから、声が小さかったから、止めさせたのだろう、と思った。
「次は、ホシノ、続き読んでくれ」
次に呼ばれたのは後ろの席のホシノだった。
ホシノは立ち上がる瞬間、ヒロトの肩をつつく。振り返ったヒロトの目には、不敵に笑うホシノの顔が浮かんだ。
「ビルの上へと駆けあぎゃったじょうじょは!」
「ぶふっ!」
噛みまくったホシノに、ヒロトは思わず吹き出してしまった。
静かな教室に響くヒロトの失笑はかなり大きく、ヒロトはすぐに顔を俯かせる。みんながどう思っているのかを確認する勇気が出ず、ただ黙っていた。
「ははは! ホシノ、お前噛みすぎだろ!」
最初に声を上げたのは、クラスで一番人気のある男子だった。
彼が声を上げるのを皮切りに、次々とホシノを笑う声が聞こえる。でもそれはホシノを責めている声には聞こえなかった。どちらかと言えば、ホシノを励ますというか、そういう風な声に聞こえる。
ヒロトは顔を上げた。みんなの顔は、ホシノを馬鹿にするようなものじゃなくて。
「それにしても、ヒロトもナイス。お前が笑ってくれたから、堪えずに済んだぜ。結構、ギリギリだったからな……」
最初に声を出した男子が、ヒロトに声をかける。ヒロトがそれにしどろもどろに答えようとしていると、再び後ろからつつかれる。ホシノだ。
振り向くと、ホシノは悪巧みが成功したとでもいうかのような顔をしていた。
その顔に、ヒロトはホシノの真意を察する。ホシノは誰も間違いなんて気にしないって言いたいんだろう。
――ああ、本当に。本当に、誰もホシノの間違いを気にしていない。
ホシノが初めてヒロトの前に現れてから一週間がたった。
「ヒロト、今日の音読の声よかったな。練習でもしたのか?」
授業が終わり、先生がヒロトに向って言う。
ヒロトは思いがけない言葉に驚くが、言われた内容を理解すると嬉しくばる。
「ありがとうございます!」と先生に言うと、そのままホシノに知らせるために駆け出した。
「ホシノ、先生に褒められた! 今日の音読聞きやすかったって!」
「ホントか!? よかったじゃん!」
「うん、ホシノのおかげだよ!」
「いや、ヒロトが頑張ったから先生はヒロトをほめたんだぞ」
そんな会話をしていると、ヒロトは後ろの方で男子たちが集まり始めるのを感じる。
今は昼の長い休み時間、外で遊べる時間だ。
「みんな、僕とホシノも混ぜて!」
「おう、今日はグラウンドの日だからサッカーするぞ!」
ヒロトはホシノの腕を引っ張って男子たちのもとへと駆け出す。
そこに周囲の反応を怖がり、自分に自信を持てず俯いていた少年はもういなかった。
そんなヒロトを見て、ホシノはそろそろかなと思う。
「……? ホシノ、どうしたの?」
「ううん、何でもない。それより、みんな待たせてるし早く行くぞ」
ホシノはヒロトを追い越し、逆に引っ張っていく。
「うん!」
最初とは違って、ヒロトはその勢いに逆らわずに、一緒に走った。
――コンコン。
突如、部屋の窓が叩かれるような音が響き、ヒロトは眠気眼をこすりながらカーテンを開け外を見る。
既に深夜と言える時間で、外は真っ暗だ。そんな暗闇の中に彼はいた。
「ホシノ――」
思わず叫びそうになるが、ホシノが口元に指をあてて「しー」とやっているのを見て、慌てて口を押える。幸い両親が起きてくる気配はなかった。
静かに窓を開ける。
「こんな時間にどうしたの? 怒られるよ?」
「ごめんごめん、ちょっと話がしたくて。外にこれる?」
ヒロトは一瞬考えたが、すぐにホシノに「うん」と返事を返す。
「でも、暗いし遠くには行けないよ」
「大丈夫、玄関前で話したいだけだから」
そう言うと、ホシノは玄関の方へと歩いていった。
ヒロトはそれを見ると、しっかりと窓と鍵を閉めてから、抜き足差し足で玄関の方へと向かう。
音が鳴らないよう、慎重に扉を開けると、既にホシノは外で待っていた。
外に出て、扉を閉めると、ホシノがヒロトに気づいて振り返った。
「ありがとう、出てきてくれて」
「ううん、それはいいけど……こんな時間に一体どうしたの?」
「……」
ホシノは話しづらいことがあるかのように少し俯いて押し黙る。
いつも元気なホシノにしては珍しいその姿に変な感じを覚えながら、ヒロトはホシノがしゃべりだすのを待った。
街灯の灯りだけが仄かに暗闇を照らす。空には、星が瞬いていた。
ホシノが顔を上げる。
「ヒロト、君はオレの正体に気づいているよな?」
「……うん。多分だけど」
ホシノが現れたタイミング。そして、誰でも知っている「流れ星」にまつわるおまじない。
「君は……ホシノは、流れ星だよね」
「うん、正解」
ホシノは満足そうに頷いた後、また少し表情を陰らせる。
嫌な予感が浮かび上がる。
「一週間前、オレは君の願いを叶えるために現れた。ヒロトの、『友達が欲しい』という願いにこたえるために」
「だから、ホシノは僕の友達として僕の前に来たんだよね」
「うん、そして……ヒロトの願いはもう、叶った」
「それは、だって君が僕の友達として来てくれたから――」
「ううん、そうじゃなくて」
ホシノはヒロトの言葉を遮り、彼の目を見つめる。
そこに浮かぶ眼差しは、真剣そのもので、真っ直ぐにヒロトを貫いた。
「ヒロトはもう、オレ以外の友達がたくさんいる」
「…………」
なんとなく、ホシノが何を言おうとしているのかがわかった。
それは、嫌な予感にピッタリあてはまるもので。
でも、ホシノが言おうとしていることを止めることはできなかった。
「ヒロトには友達ができて、ヒロトの願いは叶った。だから、だからオレはもう――」
視界がぼやけてくる。
「帰らないといけない」
――ああ、やっぱり。
ホシノは、僕の願いを叶えるための存在で。だったら、願いを叶えたら消えるのが普通なのだろう。
溢れる涙を止めることは叶わなかった。
「いつ、帰るの……?」
「今日中に」
ヒロトが部屋を出る前に時計を見た時、既に時刻は十一時半を過ぎていた。
本当にもう、すぐに帰るのだろう。
まだホシノとお別れしたくない。彼は、ヒロトにとって初めての友達で、同時にこの一週間自分を見守ってくれた心強い親みたいな存在で。
あぁそうか、とヒロトは思う。ホシノはただの友達じゃなくて、無条件に与えられた保護者のようなもので、だから流れ星の願いはホシノを友達として判定しなかったんだ。
そして、ヒロトが自分の力で友達を作れるようになった今、親離れをしないといけない。
本当は嫌だけど。まだ、一緒にいたいけど。
――でも、これが最後だったら。
ヒロトは俯けてしまった顔を上げる。
視界が涙でぼやけているせいで、ホシノの表情はよくわからない。でも、毅然と構えてその顔を見る。
今日が最後だというのなら。今この瞬間が最後だというのなら。
――せめて最後は、心配させずに行かせたい。
「ホシノ」
ヒロトは涙を拭き、ホシノの顔を見る。暗くて見えにくいけど、ホシノの瞳も潤んでいるように見えた。
「一週間、ありがとう。もう大丈夫だから、心配しないでいいよ」
ホシノは目を大きく見開く。そして穏やかな表情を浮かべてヒロトを見つめた後
――いつものようにパッと明るい笑顔を浮かべる。
その笑顔は、暗い夜闇の中でも輝いていて。
「分かった。……ヒロトも、一週間、ありがとう。楽しかったぜ」
ホシノはそう言うと、最後に大きな笑みを浮かべ――瞬きした瞬間に、ホシノは姿を消していた。
「行ってきまーす!」
いつもホシノが来る時間帯に、ヒロトは家を出る。既にこの時間に家を出ることは習慣になっていた。
教室に入り、最近よく遊ぶ人たちに挨拶をしていく。誰も、ホシノのことには触れない。
ホシノが現れた時もそうだったが、みんなの中にホシノの記憶は残っていないらしい。ホシノは本当に、流れ星が叶えた不思議な存在だったのだろう。
いつも一緒にいたホシノがいなくなり、少し寂しさを感じる朝の会を終え、一限目の授業に入る。一限目は国語だった。
「『そうして二人は川辺へと座った』――次はヒロト、読んでくれ」
先生に指名され、ヒロトは立ち上がる。
「『少年が『行かないで』と言うと、彼女は――』」
教室内はしんと静まり返っており、音読をするヒロトの声は良く響く。
この一週間、ヒロトはしっかりと音読することができていた。でも、それは後ろのホシノが心強くて、安心できたからだ。
ホシノがいなくなった今、徐々に前の自分が鎌首をもたげ始め、徐々に声が小さくなっていこうとする。
――頑張れ、ヒロト。
ホシノの声が聞こえた気がした。
「――きゃのじょは、『ごめんなさい』と言ってちゃち上がろうとし」
「ぶふっ」
最初に笑ったのは、前にヒロトに話しかけた男子だった。
彼の笑いを皮切りに、教室が笑いに包まれる。どこからも悪意は感じられない。みんな、純粋に笑っているだけだ。
こんな風に笑われるのは存外、悪いものではなかった。
「おいヒロト、なんだ今の嚙み方は! 面白過ぎるだろ!」
「いやー、ごめんごめん」
――ね、心配する必要ないでしょ?
胸中で呟く。
どこかで、ホシノが笑っているような気がした。
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