妄想 夜は短し歩けよ乙女

夏秋冬

妄想 夜は短し歩けよ乙女


読みたくても高騰していてなかなか読めない幻の絶版本を、読んだことのない人が、タイトルとあらすじと、それから読んだことのある人からのぼんやりとした噂話だけで想像しながら書いてみた


改変


読みたくても社長のアホな発言がいつまでも気になってしまって買えない角川文庫の本を、読んだことのない人が、タイトルとあらすじと、それから読んだことのある人からのぼんやりとした噂話だけで想像しながら書いてみた



【妄想 夜は短し歩けよ乙女】


事前情報

京都大学と思われる大学や周辺地域を舞台にして、さえない男子学生と無邪気な後輩女性の恋物語を2人の視点から交互に描いている。諧謔にあふれる作品で、ときに現実を逸脱した不可思議なエピソードを交えている。古典文学や近代詩からの引用が多く、タイトルは吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』冒頭(いのち短し 恋せよ乙女)からとられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AF%E7%9F%AD%E3%81%97%E6%AD%A9%E3%81%91%E3%82%88%E4%B9%99%E5%A5%B3



 美咲は金曜の深夜に何をするともなく過ごしていた。と言うより、暇を持て余していた。長崎から京都の大学へやってきたが、コロナの為に講義はオンラインで、学校に行ったのは数えるほどでしかなかった。

 勉強はできても友達はできない、サークルに入ろうと思っていたがそれも叶わない、飲食店や他の商店が店を閉めている状況では学生向きのアルバイトの口もなく、狭い部屋での一人暮らしが始まっただけだった。奨学金と言う名の借金で今があるはずなのに、何もしていない自分に焦りを感じていた。

 この部屋にテレビは無い。あるとだらだら見てしまうから。代わりにテーブルの上のノートPCからSpotifiでアメリカのフォーク・ミュージックのプレイリストを垂れ流していたが、それにも退屈していた。

 美咲はPCをシャットダウンし、実家から持ち込んだアコースティックギターを爪弾く。小路に面して開け放った窓の枠に腰掛けて無造作にコードをアルペジオでつなぎ、曲の断片のようなものが生まれないかと期待したが、それも叶わなかった。師走になったことを告げる肌寒い空気が4階の小さなワンルームの暖気と入れ替わり、かすかに金木犀の香りが忍び込んでくるだけだった。

 窓の外には密集した家屋に明りの灯った窓が幾つも見え、そこには誰かの暮らしがあった。郷里と同級生たちが懐かしく、家族や友人たちとおしゃべりがしたいと思ったが、帰省もままならず、親友たちに泣きながら見送られて出帆してきたことを思い出すと愚痴めいたことを吐き出すのも気が引けた。

 勉学も大事だが、美咲が大学で思い描いていたのは音楽サークルに加わることだった。高1からギターを始めて少しづつ弾けるようになり曲も数曲作った。2年生の途中から軽音楽部に入部したけれど、すでにクラブの人間関係は固まっていて、趣味の合う音楽仲間を見つけることは叶わなかった。

 それでもインターネット上に架空のレーベルをでっちあげて4曲入りのカセット・アルバムをこれもでっち上げた。そして、文化祭の日に校内のもう使っていないゴミ焼却炉の横で勝手に弾き語りライブを行い、そこに来てくれた友人にそのカセットを配った。3本だけ。その友達だけが美咲を長崎から京都に送り出してくれた。

 あと何ヶ月このような生活が続くのだろうか。

 美咲は思い出す。以前、Youtubeで聴いた哲学者の國分功一郎と経済学者である斎藤幸平の対談番組で、國分氏は「暇こそが大事」と言っていた。興味深い対談だったが、今の自分には「暇が大事」ということは理解できない。河原町蛸薬師の丸善で買った氏の本『暇と退屈の倫理学』は面白かったが途中まで読んでそのままになっていた。

 その時、ふと気付いた。あのYoutubeの番組はラジオのアップロードだったはず。違法なのか合法なのかは気にしなかったが、確かにそうだった。そして今はスマートフォンでラジオが聴けることも思い出した。ラグの上に座り込んでスマートフォンを取り出し、App Storeからradikoのアプリをダウンロードする。暇つぶしにはなるだろうと思って。

 radikoの『ライブ』欄には見知らぬラジオ局が並んでいて、『KBS京都』という地元局らしい放送局の名前があった。そして、その局をタップして番組を聴き始めたが、なんだかそれは妙な番組で、特殊音楽紹介家と名乗る人物がゲストで出演しMCと和やかに会話しているが、彼らが流す音楽は美咲が今まで聴いたことのないものばかりだ。

 これは何?アルゼンチン音響派って?

 ラジオを聴きながらMCと特殊音楽紹介家のことをすぐさま検索する。MCはNHKの朝ドラの音楽も担当したことのある著名なミュージシャンだったが美咲には見知らぬ方であった。興味の赴くまま番組のことをTwitterで検索すると、数人が番組のハッシュタグをつけてつぶやていて、それはリアルタイムで聴いていることを告げるつぶやきたちだったが、この人たちが今どこかで同じ番組を聴いていると思うと、何か不思議な感触があった。美咲は「初めて聴いてみました」とハッシュタグをつけてつぶやいて、久しぶりにTwitterを使ったことに気付いた。

 その中に番組で流れる曲に対してリアクションしている人物が一人だけいた。美咲はその人物のプロフィールを覗いて見る。アイコンにはひっつめ髪で悪いロックンローラーのように口の端を歪めた女性がいて、吉田アキコと名乗るその人物のプロフィール欄を見てドキリとした。


 アキコはイヤフォンから流れてくるアルゼンチン音響派のギター演奏に耳を傾けていた。澄んだ冬の空気に弦のひとつひとつの音が共鳴するように感じられて、ハッシュタグと共に

「アルゼンチンのギター、心地良い」

とだけつぶやいた。

そして辿り着いた烏丸紫明の交差点で一枚写真を撮って

「紫明通」

とツイートした。


 美咲が覗き見た吉田アキコのプロフィールには

  烏丸大学3回生爆音部部長/夜の散歩者

とあった。同じ大学の人だ。何かのサークルの部長らしい。爆音部とは?そして夜の散歩者というのは江戸川乱歩だったような気がするがちょっと違っている気もする。そして「固定されたツイート」に貼り付けられているYoutube動画をタップした。

 それは、京都のどこか、蔵のようなライブハウスで彼女と思われる女性が演奏している動画で、艶のあるカーキのシャツに黒いハイウエストのロング・レザースカートを纏った彼女が一人でアコースティックギターをかき鳴らしていた。が、その音はアコギのものとは思われず、ゆがみひずんでいるのを通り越してノイズになっている。よく見ると彼女のギターには雑にピックアップが埋め込まれていて足元にはエフェクターが数十も並んでいる。長い髪を振り乱しながら彼女は叫ぶように歌う。


  資本主義を加速して その末路が見たい

  資本淘汰の種の根源 その始まりを問う


そしてサビと思われる部分では


  地獄が見たけりゃヤフコメを見ろ

  地獄が見たけりゃヤフコメを見ろ

  あんたの隣に地獄はいるぞ


と連呼していた。そして最後には


  何も見ないで70まで平和に暮らせ!


と叫んでアンプの上に飛び乗りそこからギターを持ったたまジャンプしたかと思うと、並べたエフェクターの上に着地し、電気回路は「ギッ!」という断末魔を上げて沈黙し演奏は終わった。まばらな拍手と共に映像はフェイドアウトしたのだった。

 格好良かった。スカートであんなとこからジャンプしたのはハラハラしたが、そのドキドキさえも格好良かった。

 しかし何なのだ京都。ラジオでは特殊音楽家が聴いたこともない音楽を放送し、大学の先輩は特殊音楽を演奏している。何なのだ京都?

 番組では相変わらず見知らぬ奇妙な音楽が紹介されていて、dj sniffのなんとかかんとかという曲が流れていた。dj sniffという名前は聞いたことがある。京都精華大学の先生だったような。その音楽は奇妙ではあったが、何故か美咲の琴線に触れた。美咲は自身のアカウント名Misakiから

「dj sniff、知らない曲だしなんだか分からないけれど、でもイイ」

とハッシュタグと共につぶやいた。


 ラジオからはdj sniffのターンテーブルとは思えないターンテーブルの演奏が聞こえてきて、アキコはdj sniffに一度会ったことを思い出していた。神宮丸太町のクラブに行くと入り口傍の物販エリアに彼はいて、アキコは思わず

「いつもTwitter見てます」

と声を掛けた。

 そして、その夜の演奏もターンテーブルによるターンテーブルから出てきたとは思えないような音を出していた。

 帰路、Twitterを見るとdj sniffが、ネット上でしか話せない人たちとフィジカルな会話ができて良かった、みたいなことをつぶやいていていて、「人たち」の中にはアキコも入っているような気がして何だか嬉しくなったのだった。dj sniffは京都精華大学で講師になっているはずで、一度潜り込んで講義を聞いてみたいと思っていたが、このコロナの時勢で清華大学に行っても空振りするだけだろう。

 そんなことを考えながら

「dj sniffは良いな」

とTwitterにつぶやくと、なんだか同じように「イイ」と、Misakiというアカウントが言っている。それもなんだか嬉しくなってハートをポチリとタップした。

そして辿り着いた交差点で写真を撮り

「烏丸今出川」

とつぶやいた。


 美咲のスマホにはさっきのツイートの数瞬後にベルが灯り「吉田アキコがあなたのツイートをいいねしました」という通知が届いた。

 美咲の指は思わず動いて、先のアキコ先輩のつぶやきに

「わたし烏丸大学の一回生です。同じ大学です」

と引用RTしてしまっていた。そして一拍置いてから「FF外から失礼します」という枕詞をつけるべきだったと悔いた。


 アキコのTwitterの画面ではベルが灯り、RTがあったことが知らされた。その文面を読んで、初めて番組を聴いたとつぶやいていた子のはずだと思ったが、深くは考えずに

「女子が自分の個人情報をSNSでつぶやくのは感心しないね後輩よ」

と返した。返したけれど0.5秒で後悔した。説教臭いやん。

 ライブハウスで演奏させてもらえるようになって何が気に入らないかというと、おじさんのバンドマンが

「パンクなんて聴いてないでプログレを聴きなさい」

みたいなことを言ってくるのが鬱陶しくて仕方なかった。そのくせ突っ込んで訊くとCANもAMON DULLⅡも知らない。その程度の知識でなぜ人を導こうとするのか?

 はっきり

「もう結構です」

と言えるキャラクターだから最近はそれもなくなったが、陰でガタガタ言っているらしい。知ったことか。

 でもそういうのって相手を下に見てるからなんだろうな。おじさんは、若い女は何も知らないと思っているのだろう。そしてわたしも今、後輩にそんな態度をとってしまった。でも仕方ない。ツイ消しは恥。


 美咲は戸惑った。何なのだ先輩。自分はプロフィール欄に個人情報を大っぴらに掲げているではないか。女子ではないの?シングルコイルを木ネジで雑に止めたアコギを鳴らしていたのはあなたではないの?謎だ。まぶたの裏、浮かんだハテナ。美咲は吉田アキコ先輩の謎を究明するべきだという意欲がもりもりと湧いてきた。

 先輩のツイートを遡る。番組ハッシュタグをつけたつぶやきの合間に短い地名のコメントが付いた暗い街路の写真が幾つか挟まっている。謎だ。更に遡る。すると「ラジオを聴きながら」というツイートがあった。これも謎だ。

 更に更にツイートを遡る。先輩はなんだかずっと怒っていた。

「森友学園の関係者は面を洗って出直してこい!」

「東京オリンピックはSOLで破壊してしまえ!」

「造形大はまぎらわしい名称変更をするな!」

「今年のM1グランプリはマジカルラブリーを全力応援!」

最後のツイートはお笑いのことだろう。怒ったり笑ったり忙しい人だ。

 と、ここまできて、ん?となった。美咲の頭の中の回路で火花が散った。夜の散歩者?さっきまでの写真は?順番に見てみると、大谷大学、紫明通り、相国寺、同志社大学、烏丸今出川とある。烏丸今出川の交差点は美咲のいるこの部屋のすぐ近くだ。そしてピンときた。さっきまでの地名は烏丸通に沿って北から順番にある。先輩は烏丸通りを南に向かって歩いているのだ。きっとラジオを聴きながら夜の散歩をしている。烏丸今出川のツイートは10分前だ。今から追いかければどこかで遭遇できるかも知れない。謎を究明するには本人に会った方が早い。

 しかし学校に行くことも憚れるような、コロナで自宅待機の時節に見知らぬ人と会うのはどうなのか、2秒考えたが衝動は止まらなかった。

 美咲はダウンジャケットを急いで羽織ってマフラーを巻き、スマートフォンとイヤホンを装着して、もしも先輩に会えたら名刺代わりになるようなものはないかと狭い部屋を見回して郷里から持ってきた物をひっつかんでドアを飛び出した。そして階段を2段飛ばしで駆け下りた。

 烏丸今出川の交差点に立って南を見下ろし、早くしないと、と焦っていたが、もう息がきれていて、マスクが苦しい。それでも小走りで南に向かって走り出す。左手には京都御所の森が長く南に続き、暗い静けさを携えていて、まばらに車が通過するだけで街路を歩く人は誰もいない。でもこの冬の澄んだ空気にはウィルスがいるのかも。沈むように溶けてゆくように二人だけの空が広がる夜に、美咲と先輩だけがこの通りにいるかのようだ。


 アキコはKBS京都の前で写真を撮ってツイートした。番組は、ささやくような声の女性ボーカルが歌う曲で終わろうとしている。そして、さっきのTwitterでの後輩を思った。やっぱり怒っているだろうか。初めて番組を聴いたとツイートしていたはずなのに。初心者に厳しい経験者ほど醜い者はないのに。

 初めて自分が番組を聴いたことを思い出す。それは親と喧嘩して家を飛び出し、夜の町を徘徊している時に出会ったのだ。そして今も同じ。さっきも

「今のご時世にGO TOなんて馬鹿げてる」

と私が言ったのを聞いて父親は

「お前が苦労もせずに大学に行けるのは何故だかよく考えなさい」

と言っていたが、我が家の家業が旅館業なのは分かっている。中学生の頃から家の仕事を手伝っていたのだから。愛する母よ愛する父よあいそがつきてもまだつきない。

 あのMisakiという後輩ともし会えたら話がしたい。謝るのか、言い訳をするのかは考えていなかったけれど、何かしら話している内にその糸口は見つかるのではないかとも思った。

 しかし会うことがあるのだろうか。こんなコロナの時代に同じ大学と言えどもMisakiという下の名前しか分からない。彼女が名乗り出てくれなければ一生出会うことはないだろう。でも、もし会えたら爆音部に勧誘できないだろうかとも思ったが、アキコが自称しているだけで、そんなものは存在しないようなものだけれど。そんなことを夢想して、甘い記憶に酔い痴れて 夢を見ながら漂っていく。


 5分前にアキコ先輩がKBS京都の前を通過した写真が上がる。美咲は息が苦しくなって運動不足を呪い、少しペースを落としてそれでも速歩きになって進む。

 右手にKBS京都が見えた。ラジオはもう特殊音楽の番組は終わっていて、オールナイト・ニッポンが始まっている。さっきまでここでMCとゲストの特殊音楽紹介家はマイクに向かっておしゃべりをしていたのだろうか。不思議だ。その少し先には平安女学院があって、烏丸丸太町の交差点がある。

 歩きながら、先輩と会えたら自分はどうしたいのだろうかと考えたが、とにかく話がしたいのだと思えた。それは誰でもいいから言葉を交わしたいという欲求だったけれど、先輩の仲間に加わることができれば何かが自分の中に生まれるという予感だった。何か創り出そう、非常識の提案、誰もいない場所から直接に、そんなことができる気がしていた。でもこれはぜんぶ自分の勝手な思い込みだということも意識していた。

 前方に烏丸丸太町の交差点が見えてきた。京都御所の南の端はここで終わり、遠目に見ても交差点は急に明るくなっている。そこに一人の人物が立っていて角のマクドナルドに両手を掲げているのが見えた。そして胸元に手を引き寄せる仕草はスマートフォンを持っているのだろう。その瞬間に

「マクド」

というコメントと共に黄色いマックフライポテトの色をしたMの看板の写真がアキコ先輩のTwitterに投稿された。間違いない。美咲は急いで走り出した。

 その人はライダースの革ジャンの襟から出したグレーのパーカーのフードをすっぽりかぶりマスクもあって顔は分からなかった。でもデニムのスキニー・ジーンズとブーツ、そのシルエットから女性であることは確かだ。ここで迷っていたら後悔する。でもこんな夜中にTwitterでたった一言の言葉を交わしただけの人間が追いかけてきて怪しいかも知れない、それもコロナで極力人と会うことを控えろと言われている時期に、と美咲は今更思った。思ったけれど、私遅かれ早かれ後悔するから何でもいいよもう何でも。


 アキコが烏丸丸太町でマクドの写真を撮ってツイートしていると、女の子がKBS京都の方から猛然と走ってきた。高校生くらいだろうか。ぜいぜい息をさせながら膝に手をついて、汗をかいた顔に髪がへばりついている。そして、その体制で上目遣いにこっちを睨んでいる。ジョギングという風にも思えない。ダウンジャケットを着込んでマフラーをしてるランナーなんて見たことがない。二人が遠目に向かい合い対峙する微妙な時間があった。

 わたしのことを誰かと間違っているんじゃないだろうか。だからあんな風にこちらを睨めつけているんじゃないだろうか。そう思い、アキコは顔を見せれば解決するのではないかと彼女を見つめてフードを脱ぎマスクを外した。


 美咲が、息があがって声も出せずにいると、アキコ先輩はこちらを見つめフードを脱いだ。すると長い髪がこぼれ落ち黒髪の乙女が出現した。あのステージで振り乱していた黒髪。そして優しくこちらに向けて微笑んだ。何か言葉を待つように。


 アキコがその女の子から目が離せないでいると、やがて彼女は息を整えながら姿勢を正し、ほんのりこちらに微笑みかけた。そしてその後、彼女ははっきりこちらに小さくペコリとお辞儀をした。誰だろう。知り合いだっただろうか。

 その時アキコの頭の中に妄想が広がった。さっきのMisakiちゃんがわたしのツイートを遡って夜の散歩をしていることをつきとめ追い掛けてきたのだったら。だったらさっきの返信の言い訳をしなければ。

 でも走ってきた彼女はくるりときびすを返し、また北へ歩いて行ってしまった。そんなことあるわけがない。まだ見ぬ後輩がわたしを追い掛けて来るなんて。それでもアキコは自分の妄想を良いものだと思い、その続きを夢想しながらまた烏丸通りを南に歩き始めた。


 咲子は、勇気がでなかったわけではないと思った。でも先輩の笑顔を見られたことで気が済んだのは確か。

 もしも先輩がコロナだったら私は病気になって故郷の家族や友人は心配するだろう。私がコロナだったら先輩にうつすことになる。どちらも大切な人を思ってのことで、世間の空気に抗えなかったわけでもないし、恐れたのでもない。少しでも気がかりな気持ちがあるならやめておいた方が良い。

 大して関心もないが来年の夏には東京でオリンピックがあるらしい。その頃になればコロナもおさまっているかもしれないからなんとしてでも大学で先輩を探し出そう。爆音部とやらに入部するのも悪くない。そして、わたしは二十歳になっているから先輩と一緒にお酒を飲めるかも知れない。その時には、週末の街角朝まで言葉をかわそう、そうなればと願う。そして、あの時わたしは先輩のことを追い掛けたのだということも告白しよう。長い夜を過ごそう。

 美咲はそんなことを思い、ポケットに入れたカセットテープをカチャカチャいわせながら静まりかえった夜の京都を北に向かって歩いて行った。



おしまい

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妄想 夜は短し歩けよ乙女 夏秋冬 @natsuakifuyu

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