ボクの始まり。

 リリスは神に背いた。

 リリスはイヴより前に神が創造した人類最初の女性であったが、アダムに従順であることを拒んで楽園を飛び出し、住み着いた地で悪魔と情交を重ね、おびただしい悪霊を産み落とし、「サタンの妻」へと堕ちて行った。

 楽園に戻るよう願ったアダムの為に、天使を遣わし説得を試みた神にも逆らい、逆鱗に触れたリリスは、下半身を蛇の姿に変えられ、一日に一〇〇人の子を産み、一〇〇人の子を失うという苦しみを与えられた。

 そして失意の中自ら命を絶ったという彼女が、ボクにはとてつもなく哀れで、それでいてとてつもなく愛おしい存在に感じてしまった。


 ボクは魅せられた。


 ほんの暇つぶしだった。

 何の気なしに検索した『女悪魔』の一覧がリリスを導き出し、ボクを夢中にさせた。


 そんな心の隙を嗅ぎ付け悪魔が忍び寄ってきたのかもしれない。


 この悪魔には度々襲われる。抗うと死を招く恐れもあるが、そんなことは決してしない。そうなる前に潔く降伏し、ボクはこの悪魔に身を委ねる。

 睡魔は突然やってくる。そのタイミングはある程度予測済みだ。自室にある一人掛けのソファに凭れ、読書の最中に落ちるように目を閉じた。

 眠りはそれ程深くない。右耳の方からテレビから流れる音が聴こえた。半開きにしている入口ドアの外から、隣りの部屋で母が観ている時代劇の立ち回りの音が届いていた。

 そこまではいつものことだった。


「……くん、……くん」

 左耳の方から女性らしき優しい声が聴こえた。その方向には外気や光りを取り込む窓しかなく、二階に位置する自室を右手のドア以外、外部と繋ぐ通路はない。人の声がすることはあり得ない。ボクは我に返り、声の主を確かめるべく目を開こうとした

 すると突然何かがボクの目を強く圧迫し、眠りは瞬く間に深度を増した。

 外部の音は聴こえない。

 夢の中は今座っているソファから見る自室の景色をそのまま再現していた。だが現実と違うのはその部屋にはボク一人ではなく、声が聴こえた左斜め前に一人の女性が立っていること。現実世界でそのような事態に陥れば慌てふためくのだろうが、その存在が非現実的であることを認識しているから、ボクは至って冷静だった。

 栗毛色をした長い髪の女性は、黒いマントで全身を覆っていた。その上からでも細身であることを窺わせ、長身で背筋を伸ばし、凛とした佇まいをして口元を僅かに緩ませていた。


「たっくんはずっと前から私のコト好きだったんでしょ?」


 鋭く尖った顎を従えた唇が動き、ボクを諭すように、耳打ちするように優しく囁いた。隙のない輪郭が、その容貌を美しいと認識させるのに、まるで仮面舞踏会で装着するアイマスクのように目元は黒くぼかされていて、声の主をはっきり確認できなかった。

「うん」

 それなのに、ボクは躊躇いもなく、誘われるようにその問いを肯定した。

「それじゃあ、これからいいコトしよ」

 その反応を期待していたのかもしれない。淫らな夢を想像してボクはその続きを待った。

 マントの中から現れた右手の指先が首元で結ばれた紐を素早く引く。身体の前が左右に勢いよく割れると、マントは女性の背後にするりと滑り落ち、黒い編み目の肘まである手袋をした細く長い両腕が姿を現わした。中の着衣もマントと同様黒く、滑らかな質感を窺わせ光り輝いていた。身体に優しく纏わり付く様子からして、細身であることは確定的だった。それだけでボクの心が騒いだ。彼女はゆっくり歩を進めると目の前に立ち、微笑みを湛えながら、ゆっくりと跪いた。

「たっくんの精液、私にたっぷり飲ませてね」

 彼女はボクの返事も聞かず、ファスナーを下げ、男性器を引っ張り出した。彼女の手の感触が、まるで現実世界で握られているように伝わってくる。

 これは夢だと理解していた。でも女性の言いなりに事を進めようとボクは静観していた。たとえ肌触りがリアルでも、これから肉体が交わったとしても、それは夢であり、決して現実ではない。夢の中の女性であればボクの精子が彼女の胎内に届くことはない。何のリスクも起こらないと判断し、その行為を引き続き容認した。

 女性は亀頭の辺りを軽く握り、陰茎を上下にゆっくり摩擦し始めた。扱いに優しい気遣いが伝わってくる。それだけで、ボクの生殖器は堰を切ったように勃起のための血流速度を早めていく。

 夢の中なのにそれだけで恍惚状態に陥った。ボクは目を閉じ女性の指先の動きを堪能していた。するとしばらくして男性器全体が温かく湿った空気に包まれる異変を感じ、ゆっくり目を開ける。

 勃起物全体が何の障害も受けずに女性の口内に埋まっていた。亀頭の先端が喉奥でぶら下がる突起物に触れている感覚は、何とも言えず不思議だった。欧米人に比べれば大した大きさではないと認識している持ち物でも、膨張した状態で女性の口に容易く納まるなどとは考えもしない。半開きにしていた口元を優しく閉じ、そのまま顔を引いて陰茎の表面をなぞると、男性器は歓喜で小刻みに脈打った。股間に当たる女性の鼻息も微妙に移動し、ボクの高揚感を更に煽る。亀頭が出口に近づくと女性は唇をきつく絞り、陰茎よりも繊細な感覚を持つその表面を、その形状を、寸分の狂いもなく模るように強く唇を滑らせた。

 自らの顔を上下に動かすことでこのルーティーンを何度も繰り返した。すぐ終わると思ったから正確に数えてはいない。頂点を極めそうになるとその感覚を察知して引き延ばそうと動きを緩めた。

 ここに至るまでに女性が口で奉仕してくれた経験は多くはないが何度かあった。しかしそれらの何れも筒状の手の平の動きがフォローしている状態。最終的には口というより、ボクの代わりに女性の手で自慰行為をしているにすぎなかった。しかし彼女は違っていた。唇と舌先で亀頭の敏感な部分を、強く、時には優しく弄び、快楽を絶頂の高みへと誘ってくれた。

 ボクの感情を完璧に把握している。

 慌ただしい動きでしか味わえないその瞬間を、ボクは女性の唇の中で穏やかに迎えた。

 こんな施しは経験がなかった。時間に限りがある風俗嬢でもこの技術は持ち得ないだろう。

 とはいえこれは夢に過ぎない。ボクが抱く行為への不満が作った集大成の行為なのかもしれない。

 迸りは思いの外回数を重ね、その度に彼女の喉が動いた。

 女性はボクの精液を全て飲み干した。

 夢の中でリアル以上の快感を味わった。

 放たれた残骸は外気に触れることなく清められ彼女は恍惚の表情を浮かべた。


(こんな清々しい後味は絶対にあり得ない。)


 ボクは心の中で、目覚めた時の憂いを想像していた。これ程の陶酔感を得て、着衣(下着を含む)が清潔感を保っているはずがない。

 だがボクは夢を中断せず、女性の行為に更に身を任せた。


「今度は私の膣内(なか)にちょうだい」

 徐に立ち上がると、女性は想像通り交わりを求めた。

 女性は着衣を全て剥ぎ取り、裸体をボクの前に臆面もなく晒した。それは透き通るように白く、光を放つように輝き、濡れていた。スタイルは一見大いに扇情的で艶めかしいと感じるのだが、胸の膨らみ、腰の張り、尻の肉付き、一つ一つの曲線は洗練され、まるで均衡のとれた彫刻のように、優しく弧を描き、過度に主張せず、それでいて女性らしい包容力のある豊かさを感じさせた。

 かつては豊満で弾力に富んだ扇情的な肉体を求めた。しかし歳を重ねた現在、そんな情熱的なスタイルの持ち主は、精神的、肉体的、何れの観点からも手に余ると感じるようになった。控えめに艶めかしい色香を漂わせる、

華奢なのに、一本芯の通った一見弱々しい肉体を美しいと定義づけている。

 現代風に例えるなら、『豊かさを大いに兼ね備えたスレンダー美女』というところか。

 それも女性経験が少ないボクの妄想が生んだ究極の理想像であることは否めない。まあ、それは夢の中の夢の女性像であるから致し方ないのだろう。


 女性はボクの上に跨った。

 女性器の周りには頭髪と同じ色の林が生い茂っていた。それは決して荒れ野ではなく、程よく手入れされているようにも見えた。

 腰を目の前に突き出し、二本の指をV字に開いて自ら性器の内部をボクの目の前に露出させた。ソコは外見の美しさとは裏腹に驚くほど艶を失った小豆色で埋め尽くされていた。半開きの膣口から呼吸に合わせて腹部に力を入れる度にまるで別の生き物のように蠢くグロテスクな膣内部が顔を覗かせ、粘液を送り出していた。

「フフ、私のココ醜いでしょ?」

 不敵な笑みを浮かべ、女性は微笑んだ。

 彼女の思惑通り、そんな興醒めしそうな姿形にでさえ、任務を果たして余韻に浸るボクの昂りは素早い反応を見せ、瞬く間に次の欲望を求めて再び勢いを増していく。

 その様子を見た女性は躊躇うことなく性器の中心を亀頭に押し当て、一気に身体を沈めた。

「あっ・・・」

 思わず声が漏れてしまった。膣内(なか)の蠢きが信じられないくらいリアルに脳を刺激した。まるで侵入した陰茎が何かに握られ深淵に引きずり込もうとしているように感じられた。

「中で何かが・・・」

「すごいでしょ?みんなが驚くの『こんな感覚は初めてだ!』って・・・」


『みんな』って誰だ・・・?


 ふと沸いた疑問も、得も言われぬ快感があっさり吹き飛ばしてしまう。

 ボクの上の女性は一つ一つのを噛みしめるように身体を上下に動かし、そして微妙に腰を振った。本当の時間は分からない。でも最初に吐き出してからそう長くは経過してない。

 再び爆発しそうな高揚感を目の前にしていた。

「ま、また・・・」

 思わず呻きが漏れた。

「またいっぱい出そうなの?いいわよこのまま膣内(なか)で果てても・・・」

 二度目にもかかわらず、迸りは勢いを増し、脈打つ度に蠢く内壁は、次の吐き出しを容易く誘発させた。量は最初よりも多いと感じた。

 役目を終えた男性器を咥えたまま、女性もしばらく余韻に浸っていた。その間も膣内は蠕動を止めず、尿道に留まる残骸を根元から搾り出し、全てを体内に納めた。

 女性は片足を上げて男性器を引き抜き、ボクの身体を離れると、外気に晒され粘液に濡れた陰茎を丁寧に舌で舐め上げた。

 最後に火照りを残す亀頭の先端に口付け、何やら含みのある笑みを浮かべた。


「それじゃあまた。現実世界で待ってるわね」


 その声に促され彼女を見つめると、黒くぼかされていた目元がはっきり表れ、その素顔がはっきり見て取れた。


(あなたは……!)


 驚きの視線はすぐ様向きを変えた。

 背中に付いた大きな翼を勢いよく広げ、脚はまるで鳥のような鉤爪。直後女性の姿は消え、窓の外で、鳥の羽ばたきが聴こえた。


 あれは間違いなくリリスの姿だった。

 そして間違いなくあの女性(ひと)は……。


 美しいリリスにボクは夢の中で弄ばれ、彼女の胎内に精を放った。

 しかし、あくまで非現実的な出来事。年甲斐もなく淫靡な空想で夢精してしまったと、反省しながらもその余韻に浸っていた。

 ボクは目を開け、精液塗れの下半身を想像して下着の中を覗きこんだ。

 ところが残骸特有の異臭どころか、粘液が放出された形跡は一切見当たらず、役目を終え、男性器が完全収束に向かう前の中途半端な昂りを晒しているだけだった。


 確かに二度射精した。

 それなのに精液は跡形もなく消えていた。

 ボクは『あの女性(ひと)』の顔をしたリリスに本当に犯され、精を授けてしまったのだろうか?


 それともあの女性(ひと)はリリスなのだろうか?

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