佐藤くんと学ぶ、異世界お勉強冒険譚~仏の顔は三度だが、俺の顔は一度のみ~

小畑 こぱん

第一章 ある日突然勇者召喚されたら?

マジでこっちのタイミング考えろ

お勉強1 玄関を開けたらそこは異世界だった

 よくあると思う。


 自分が別の世界に行って好きなことをするとか、英雄になって世界中の人間から称賛されるだとか、内政チートしてその国の経済を潤すキーマンになるとか。


 それが目を閉じて眠りに就いた夢の中での話なら、何とも微笑ましいものだろう。幼い子供が頬を淡く染め、興奮して楽しそうに親に語って聞かせる姿は、何とも可愛らしい。




「成功だ! 勇者さまがお越しになられたぞ!」

「おおおっ、これで我が国は安泰だ!」

「共に同行されるのも神に選ばれし御方達。人族に栄光あれ!!」


 言っても小学四年生くらいまでだけどな。

 良い歳こいたおっさんどもの、そんな興奮した姿を見せられたこっちの身にもなってくれ。


 一瞬にして、目の前に見知らぬ不審者どもが現れた時の俺の気持ちが分かるだろうか。

 訳分からんことを口々に叫ばれ、歓声を上げられる俺の気持ちが分かるだろうか。

 幼馴染の家に向かうために玄関扉を開けたら、こんな状況に陥った俺の気持ちが分かるか!


 瞬き一つさえ出来ずその場に呆然と佇む俺の前に、何か中世ヨーロッパとでもいうのかRPGゲームによく出てきそうな、白を基調とした煌びやかなドレスを身に纏った少女がしずしずと進んできた。


 長い柔らかそうな白金の髪をサラリと流し、柔和な面持ちで瞳を潤ませ、両手をなだらかな胸の前で握って薄桃色のふるりとした唇を小さく開く。


「私はこのソルドレイク国の王女、エミリア=リイン=フォン=ソルドレイクと申します。勇者さま、どうか貴方さまのお名前をお聞かせ願えませんか?」


 相手の名前を教えられてこちらが訊ねられたからと言って、答えなければならない義務がどこにある。


 依然得体の知れない人間に囲まれて、警戒心もなく暢気に自分の名前を言うヤツはアホである。学校の先生もよく言っていただろう、『知らない人には名前を教えちゃいけませんよ』って。


 だんまりを決め込み、こんな時に頼りになりそうな幼馴染の名前を心の中で叫んで助けを求める俺の顔を、目の前にいる少女が困惑した様子で見つめてくる。そんな顔をしたいのは俺の方なのだが。


「あの、勇者さま……?」


 エミなんたらとかいう少女に反応しない俺を、彼女が喋り始めた辺りからシンと静まり返っていた周囲のおっさんどもが顔を見合わせてヒソヒソし出す。


「勇者さまが王女さまの求めに応じにならないぞ」

「勇者さまといえども、緊張されていらっしゃるのだろうか?」


 違わい。常識的にお前らが俺の立場になって考えろ。つかヒソヒソするんならもう少し声落とせや。聞こえてんだよ。


 何となく周囲の状況や場所、俺を囲む人間の格好から自ずと答えは導き出されていく。

 よくあるアレだ。web小説ですたれることなく流行している、異世界に召喚されるやつ。魔王倒して下さいとかきょうせ……きょうは……頼まれるやつ。


 だって自分家じぶんちの玄関扉開けて出たら、天窓から光が差し込んでいる系の(多分)城の一角にありそうな荘厳な大広間。足元には複雑な模様があり、薄らとまだ淡い光を放ち続けている。

 少女以外に触れてこなかったが、この場にいるおっさんどものしている格好ときたら、やれ緑色のローブだの、やれ硬くて重そうな鎧だの、そんなんばっか。



――今までに発せられた周囲の言葉で、自分が異世界から勇者として召喚されてしまったことは明白だった。



 そんな馬鹿な、である。

 有り得ない現実は、だがしかし目の前の光景を間違いなく現実だと突きつけてくる。


 左手に握っていた筈の玄関扉のドアノブの感触が忽然こつぜんと消えた浮遊感。知らない世界へと一瞬にして放り出された、混乱と孤独感。俺のがわになって考えてくれる人間が、一人としていないことの恐怖。


 右手で握っているキャリーバッグの持ち手に力を込め、向けられる不躾な数多の視線に耐える俺は、こんな時どうすればいいかを教えてくれた幼馴染の言葉を思い出した。



『え? もし知らない世界に連れて来られたら? また変なことを聞いてきますね。神風かみかぜあたりですか? まぁいいでしょう。そうですね、取りあえずは情報を集めるに越したことはありません。訳の分からぬまま現地人の言いなりになるのは、最も悪いパターンと言えるでしょう。自分にとって利となるかそうでないか、はっきりと見極めるための判断材料が必要です』



 頭がずば抜けて良い眼鏡をかけた幼馴染の言うことを踏まえ、ゴクリと唾を飲み込み、忙しない心臓の動悸を感じながら確認のためにようやく俺は口を開いて声を発する。


「……ここはどこですか。俺は今どういう状況ですか」


 硬い声と表情を見聞きして、やっと俺の心理状態を理解したらしい。エミなんとかはハッとした顔をした後、眉を下げて説明してきた。


「そ、そうですよね。突然あのようなことを申し上げて、勇者さまはこちらの世界のことをご存知ありませんよね。まずは事情を説明いたしますので、どうぞ別室へ――」

「ここでいいです。俺が納得できる説明をして下さい」


 強制みのある誘導を遮って、はっきりキッパリとこちらの要求を突きつける。硬く平淡な俺の返答に、「お、王女さまに向かって何と言う……っ!」とか言うおっさんがいたが、それをエミなんたら……ああもう王女でいいや、王女が片手で制した。


「こちらでは座る場所もなく落ち着けないでしょう。私の部屋でしたら――」

「結構です。ここでお願いします」


 再度語気強めに遮る。



『いいかヒロシ! 瀬伊せいのような頭でっかちだけじゃ強くなれねぇぞ! 男はケンカだ、サバイバルだ! 自分が不利な状況になっても弱気見せんじゃねぇぞ! 虚勢を張れ、強く出ろ! 俺は引かねぇってことをぶつけてやれ!!』



 いつも俺を外に連れ出して、振り回してくれた幼馴染を思い出す。

 まさか彼の言ったことが役立つ日が来るとは思わなかった。そして三人目の幼馴染の言葉も。



更屋敷さらやしきはドッジボールくらいで過激過ぎー。んー、でもヒロシは振り回され過ぎだよねー。それこそ更屋敷に強気でいけばいいのにー。ノーって言える日本人になろうねー』

野村のむらの言う通りだね。ていうかヒロシは外だけじゃなくて部屋でもじゃん。更屋敷の家に行ったら強制的にゲームさせられてるし。おバカになるよ? 相手の陣地に連れ込まれたら負けじゃん?』



 ついでに最後の幼馴染のも。


 己の部屋へ、と落ち着いた鈴の音を転がすような声で誘い、俺をまんまと自分の術中に嵌めようとする魂胆が見え見えだ。より警戒心を強め、自分と相手の間にキャリーバッグを盾にガードする態度を見せる。

 そうすると最初にあったような広間の熱気は冷え切り、空間がピリリとした緊張感に支配された。


 王女が小さく息を吐き、ゆるりと頷く。


「分かりました。勇者さまがそこまで仰るのなら。ここは人族と魔族が共に存在する世界で、今や人族は魔族の脅威に日々晒されております。ここは人族が最も集い栄える国、ソルドレイク王国です。魔族を統率する魔王は、王家の秘されし祭壇に鎮座する聖剣でしか滅することができません。そしてその聖剣は勇者さま、貴方さまにしか抜くことはできないのです!」

「それで俺がそこのおっさ……ローブの人間の力で召喚されたと?」

「その通りでございます! あぁ、勇者さまは理解が早くお話の分かる御方!」


 王女は喜色に満ち、話が分かるのなら魔王を倒すことに同意してくれると疑っていない顔をしている。


 俺の現状に対する答えは想定内。よくあるやつ。

 けれどそれで納得できるかと言ったら、俺の場合だと絶対にできない。


「帰らせてくれませんか?」

「……え?」

「いやどう考えても無理ですから。大体俺、魔族とかそんなのがいる世界に生きてませんし。生まれてこっち、ゴ〇〇リくらいしか生き物殺したことないんですよ。分かります? ちょこまか動いて黒光りする飛んだらギャー!なアイツですよ。というか本当に無理。そんな時間ない。俺の勝負は絶対ここじゃない。逆にこっちが頼みますお願いします元の世界帰らせろ」

「え。え? ええ!?」


 帰りたい願望が強過ぎて、丁寧語が次第に消滅していった。


 いやもう本当に俺にそんな時間ない。今から修行して強くとかマジでない。つか時間軸どうなってんの? こうしている間にも一年とか経っていたらブチ切れて魔王の代わりに破壊するぞ!!


「さっきから聞いていれば貴様! 勇者であるとしてもエミリア王女に対して何と言う無礼な態度だ! この御方はこの国の王女殿下であらせられるだけでなく、勇者と対を為す人族の希望である聖女さまでもあらせられるのだぞ!」

「カ、カインっ!」


 声を張り上げ王女をその背に庇うように立つ、おっさんの群れから飛び出してきた銀の鎧を身につけている若い騎士。だが明らかに俺より年上の社会人で、眼光鋭く睨みつけている。


 いやうん、それは別にいい。どうでもいいから。この世界の身分制度とかマジで異世界人の俺、特別枠で関係ないだろ。


 眼鏡の瀬伊くんを思い浮かべ、カインとやらに問い質す。


「俺は俺の都合も意思も何も確認されずに勝手に召喚されました。これは明らかな人権侵害です。勇者だからと決めつけ、勇者だから魔王を倒してくれと強要する。自分のいた世界でもない、俺の味方が誰もいない中でのそれは完全に脅迫罪では? 俺の意思は関係ないとでも? 魔族に命脅かされているのは同情しますけど、俺にだって俺の人生が掛かってんですよ! マジで俺の立場になって考えろや!! こっちだって時間ねぇんだよ!!」


 瀬伊くんのように冷静になれず焦りの気持ちが爆発して怒鳴りつけた俺の剣幕に、眉を潜めギリリッと歯を鳴らすカインの後ろで王女が、「じ、時間、ですか?」と言う。


「そうだ! 俺だってこんな時でさえなけりゃ頷いたかもしれないけど、ダメなんだよ! 俺はもうこれ以上両親を失望させる訳にはいかない!」


 脳裏に浮かんでくる。母親が泣き崩れ、その肩を父親が抱いて慰めるのを。

 憐みの視線を向けられた、あの時のことを。


 そこで俺ははっきりと現実を突きつけられたのだ。

 好き勝手していた結果がこれなのだと。幼馴染たちに振り回され、遊び呆けていたツケがこれなのだと!


 時間がない。俺にはあと一ヵ月しかない!


 目を見開き驚く周囲に向けて、俺は力の限り叫んだ。



「俺は受験生だ!! センター試験まであと一ヵ月しかねぇんだよおおぉぉぉ!!!」




 彼は佐藤さとう ひろし、十九歳。

 高校を卒業して家に引き籠もっている十九歳。


 彼のステータス:受験生(一浪)



――幼馴染たちに構われ勉強する間を与えられずおバカと化し、流されるまま人生を送っていたら見事に大学受験に失敗し、両親の涙する姿を目にして反省し再起を決意してガリ勉の鬼へと進化した、十九歳である。

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