第3話 カティヤとファーンヴァース(2)

 照りつける夏の日差しに目を細め、カティヤは再びフードを目深に被った。波に洗われて平らになった岩の上を歩き、少し離れた岩影にいるファーンヴァースのところまで行くと、彼は思念で語りかけてきた。


『君の心に私を入れてくれれば、簡単なのだが……』


 拒否の意思を感じ取って、ファーンヴァースは続ける。


『ドラゴンの目は通常の視力では見えないものを視ることもできる。例えば、におい、生命力、感情などだ。それらを統合的に捉えると、〝気配〟になる。まずはいつもどおり、ドラゴンの視力を得るのだ』


 言われたとおりに、カティヤは一度目を閉じて竜語を口にした。


『ファーンヴァース、我に竜の瞳を』


 竜語はそれ自体が魔法の言葉である。あらゆる生物に通じるだけでなく、ドラゴンの力を持って発せられれば、それだけで事象を伴う。竜騎士は絆を結んだドラゴンから力を借りて、この竜語魔法を行使できる。


 カティヤの発した竜語は魔法となって、言葉どおりの効果を発揮した。目を開くと彼女の瞳は緑からファーンヴァースと同じ赤いルビーのような色に変わっている。だがその瞳で見る景色は普段とまるで違っていた。


「ちょっ……なにこれ!?」顔を歪ませ、倒れそうになった彼女をファーンヴァースが両肩を掴んで支える。


 カティヤの目には、無数の色と光の混沌しか見えない。様々な色は川のように流れるものもあれば渦を巻くものもあり、煙のようにモヤモヤと濃くなったり薄くなったりしているものもある。七色の光が彼方から降り注ぎ、そこらじゅうで火花を散らしている。目の前にいるはずのファーンヴァースさえ認識できない。やがて上下感覚を失い、世界がぐるぐる回転し始めた。頭痛と吐き気に襲われる。


「やば……吐きそう……」


『アウラの気配に集中しろ。それ以外は無視すればよい。君が彼女の気配に集中してくれれば、それを手がかりに私が調整しよう』


 ファーンヴァースを信じ、奥歯を噛み締めて頭痛と吐き気に耐えながら、カティヤは集中した。気配と言われてもわからないので、記憶の中のアウラをとにかく思い出す。


 ――彼女と最後に会ったのは三年前、カティヤが正式に白竜騎士となるため、スケイルズ諸島を離れて南のファランティア王国へと旅立った日だ。


 桟橋まで見送りに来てくれたアウラは珍しく織布のドレスを着ていた。立体的な刺繍が胸元を飾る新しい青のドレスは彼女の瞳と似た色で、輝く金髪ともよく合っている。スケイルズ諸島を象徴する白い波模様が織り込まれたマントを肩に掛け、王族が好んで用いる海蛇竜シーサーペントを象った金細工のブローチでとめていた。尖った串に絡み付きのたうつ海蛇竜シーサーペントは生き生きとして素晴らしい出来栄えだ。


 自分では似合わないと思っているのか、アウラは気恥ずかしそうだった。おかしな部分があるとすれば、ごつい革の剣帯と無骨な剣くらいなのに。


「よく似合ってるよ、アウラ。その剣さえなければ完璧なレディだったのに」


 からかわれたと思ったのか、アウラは男のように腕を組み、少女のように頬を膨らませてそっぽを向いた。


「お世辞はいらない。父様がカティヤに見せてやれって言うから、仕方なく……このドレスのほうが間違ってる」


 まっすぐに伸びた金髪が潮風にさらさらと揺れる。彼女の髪は太陽と潮の香りがした。二人は姉妹も同然だが、血縁はないので髪も目も体格も違う。カティヤは細く華奢な身体つきで、赤い髪は短く、硬くてツンツンしているからよく少年に間違われた。今も服装は男物で、長袖長裾のチュニックの上から固く煮詰めた革を鱗型にして結び付けた胴鎧を身に付けている。この手の込んだ品は養父エイリークから頂いた物だ。腰には片手剣と短剣、投げナイフなど物騒な武器が吊るしてあり、背負い袋には小型の盾も乗っている。一方でアウラはカティヤよりも背が高く、男には及ばないものの肩幅もあって腕が長い。一足先に女性的な身体つきへと成長しつつあり、だからこそ、青いドレスが似合っていた。金髪は腰に届きそうなほど長く、普段は一本に編んでいる。


 潮風にあおられた金髪を手で押さえながらアウラは口を尖らせた。「あーあ、わたしもカティヤみたいに短くできたらなぁ……」


 子供の頃はカティヤと同じく、アウラも短く切っていたのだが、成長するにつれて父王はそれを許さなくなった。


「そのほうが、お姫様って感じで良いよ。シーリもきっと、アウラみたいな子だったと思うな」


「嫌味禁止。それにわたしはシーリみたいに弱くない。わたしなら、たとえ夫でも悪い奴なら追い出して女主人になってやる」


「確かに! もしそうなったら、あたしも呼んでよね。ケツに一発お見舞いしてやる!」空を蹴ってカティヤが笑うと彼女も笑った。ひとしきり笑い合ってから少し真面目な声音で言う。「もし本当に困ったら、本当に呼ぶんだよ?」


「カティヤもね。これで知るなんて、嫌だからね」


 アウラは首元から桃色のハート型をした貝殻の首飾りを取り出して見せた。「うん」と、カティヤも同様に首飾りを出す。二人は貝殻同士を軽く合わせてから服の下に戻した。


「……それじゃあ、行くね。ファーンヴァースを待たせてるから」


 カティヤが別れを告げると、アウラは一瞬ぐっと口元を結んだ。涙を堪えたのだと分かると、ふいに涙が出そうになって目に力を込めて耐える。


「うん。それじゃあ、またね」と、アウラは笑顔で言った。目元にうっすらと別れの涙を浮かべて――。


『十分だ。カティヤ』


 ファーンヴァースの声で、カティヤは思い出から現実に戻った。灰色のローブを着た白髪のファーンヴァース、岩だらけの海岸、ラーウスたちが隠れている岩屋、青い海と空。少し色褪せて見える以外は問題なさそうだ。


 自分の手に視線を落とすと、貝殻の首飾りから一筋の煙のようなものが出ている。それは途切れ途切れになりながらも、風に流されることなく、空中に線を描いていた。岩屋の中に入ってから再び出て、戦場跡のある南へ伸びている。


『この煙みたいなのが、アウラの気配ってこと?』


『そうだ。今見えているものは、その首飾りに残留していた気配だが。本人のものはもっとはっきり見えるはずだ』


 そこまで聞くと、カティヤは可視化したアウラの気配を辿って走り出した。

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