天蓋の向こうに荒野あり

はる

1 目覚め

 温かな羊水の中で目を覚ました。むやみに明るい。ゆらゆらとした光の中で、僕はゆっくりと手を前へ伸ばした。気泡がつと立ち昇る。何かつるりとしたものに手が触れた。気持ちいい。途端に、ぷしゅんと音を立てて、感覚が消える。機械音が聞こえて、羊水の体積が減っていくのを感じた。眠い。ここはどこ。

「起きた?」

 はじけるような声がすぐ近くで聞こえた。羊水のなくなった容器の中に横たわっていた僕は、上体を起こして右隣を向いた。明るい橙色をした癖っ毛で長髪の、14歳くらいの少女がこちらをにこにこと見ている。

「……君は」

「僕はカラン! アンドロイドだよ。よろしくね」

 少年なのだろうか。……って、アンドロイド? どういうこと? 笑顔で手を差し伸べてくる。握手かな、と握り返すと、「違うよぅ、ここから出たいでしょ?」と引き上げてくれた。

 そこは何もない部屋だった。僕が入っていたのは、豆の鞘のような形をした人工カプセルだった。やばい。何も分からない。

「カランさん、ごめん、僕」

「あ、分かった、いくつか確認させてもらうね。まず、自分の名前わかる?」

「……」

「オッケー! 大丈夫だよ! とりあえずここから出よっか! あー! 落ち込んじゃった! よしよし! なでなで! 外、景色きれいだよ! そうだね、そうなるよね!」

「うう、ごめん……」

「君が謝る必要なんかこれっぽっちもないよ。……歩ける?」

 右足を恐る恐る出してみる。重心を移し、体重をかける。足はまだまだ小さかった。13歳くらいかな。僕は成長期前みたいだ。

「うん、大丈夫」

「しんどくなったら言ってね。……ここはちょっと安全じゃないかもしれないから、僕らの今いる家まで行こうか。出口はこっちだよ」

 手をひいてもらい、よちよちと歩きはじめる。濡れているけれど、簡易的な服を着ていたのはよかった。これで裸なら連行される宇宙人みたいだったところだ。

「……あの、カランさん、僕の名前って」

「あ! ごめんね、気がつかずに。君の名前はフィーリア。フィーリア・スタニスワフだよ」

 大きく丸い目をくりくりとさせて、カランが微笑んだ。

「綺麗な名前だね」

「……ありがとう。君は僕のことを待ってくれていたの?」

「それが、偶然通りかかっただけなんだ。そしたらカプセルが開きつつあったから、慌てて側に寄ったってわけ。最初から待ってたわけじゃなくて申し訳ないけど……」

「そんな!……ねぇ、僕もアンドロイドなの?」

 カランは一瞬静かになって、ぱっと笑顔を僕に向けた。

「君は人間だよ。僕が保証する」


 カランの言うとおり、外の景色は不思議な美しさに満ちていた。近景には白いブロック状の建物や、中世西欧風の建物、バラックじみた建物がところ狭しと並んでいる。遠くに目をやれば、摺りガラスのような曲面の壁が町を覆っていて、はるか上のほうは透明ガラスに変化し、陽の光を通している。ドーム状のガラスに取り囲まれた、様々な特色を持った町というのが、高台から見下ろした時の、僕のいる世界の特徴らしかった。

外光に満ちた道やダクトだらけの暗い道を通り抜け、やがてアルミサッシのドアの前にたどり着いた。周囲は薄暗く、ふと見上げると、数メートル上のトタンの隙間から、白い陽の光が漏れていた。

「どうぞ」

 中に案内され、小さな階段を下りていく。橙色の燈が天井に点々とくっついている。

「僕の他にアンドロイドは2体いて、みんなで一緒に暮らしてるんだ」

 とカランはにこやかに話してくれた。

「ユウとアンジェっていうんだ。2人ともいい奴だよ。きっとフィーリアもすぐ友達になれると思う」

「……そうかな」

 なんだか緊張する。僕は人見知りをする性質みたいだ。

「ふふ、大丈夫だよ。君はいい人だから」

「そうなの?」

「僕から見たら、だけどね」

 彼はカプセルに入る前の僕のことを知っているのだろうか。だからいい人なんて言えるのかな。僕が何者なのか、どんな性格の人間なのか一番分かっていないのは、僕自身である可能性がある。だとしたらそれはあまり良くないことのような気がした。彼から何か、僕自身のことを訊けないだろうか。

「……カラン、」

「着いたよ!」

 彼が無邪気に声を上げたのと、僕が今浮かんだ疑問を口にしようとしたのは同時だった。

「ん? なんか言った?」

「……ううん、大丈夫」

 記憶を失う前の僕を知っていますか、と訊けばいいだけ。でも少し込み入った質問だから、落ち着いた後にしようと決めた。

 カランは木目の印刷された鉄製の扉の前に立ち、埋め込まれた番号錠に触れてそれを解除した。扉は自動で右にスライドした。2人で中に入ると、扉はやはり勝手に閉まった。

「2人とも、ただいま!」

「遅いよ、カラン。……大丈夫だった?」

「とこで油売ってたんだよ。異常でもあったのか?」

 カランが奥のほうに声をかけると、すぐさま2つの声が飛んでくる。

「えへへ、ごめんね。実は、お客さんを連れてきたんだ」

 カランの体の影から、僕はそっと前に出た。

 玄関の先にはすぐに8畳くらいの部屋があった。そこには黄緑色の短髪の、15歳くらいの少年が正座をして座っていて、もう一人の鴉の濡れ羽色をした髪の16歳ほどの少年は、片膝を立てて座っていた。

「あ……えっと、はじめまして。僕、フィーリアといいます。ちょっと記憶喪失になってるみたいなんですけど、喋ったりするのは全然大丈夫なので、仲良くしていただけたら嬉しいです」

 ぺこりと頭を下げる。顔を上げると、2人ともぽかんとした表情になっていた。あれ、やっぱり記憶喪失って初対面で言わないほうが良かったかな……やっちゃったかも……。

 でも、そういうことではないみたいだった。

「カ、カラン……? お前、こいつをどこで」

「西ゲートから東に120メートル行ったところにカプセルが出現してたんだ」

「ちゃんと人間、なんだよね……?」

「カプセルの上部にモニターがあったよ。確かに生体反応を示していた。こっちでも確認済みだよ」

「んでもって、なんで今なのかは分かったのか?」

「……それは分からなかった。どこを探しても今発動した理由や根拠については表示がなかったよ。残念ながら」

「くそ、なんで博士はそこを曖昧にしたんだ。あいつのことだ、何か裏があるはず」

「アンジェ、単に説明し忘れという可能性も忘れちゃいけないよ。博士ならやりかねない」

「確かにな。最後の方モーロクしてたしな」

「こら。お口が悪いですよ」

「あの、えっと……」

 僕がおずおずと口を開くと、3人は一斉にこっちを見た。人見知りの僕は、思わず下を向いてしまった。

「……お役に立てられるか分からないですけど、カプセル内部の左に印字されていた言葉があって」

「何!?!? それを早く言わんか」

「フィーリアくん、アンジェは生来口が悪いんだ。気にしなくていいからね。……なんて書いてあったか、分かる?」

 ユウが優しい口調で訊いてきたので、僕は頷いた。

「分かるよ。……Springって書いてあった。泉かなって」

「Spring……」

「なんで?」

 カランが首を傾げた。

「さぁ。博士の考えることは僕にはさっぱり」

 ユウが両手を上げて首を振る。

「ま、何かの手がかりの一つだろうな」

 アンジェが顎に手をやって眉根を寄せた。

「あいつのことだ、カプセルの羊水を泉に見立てた、訳のわからんただの連想ゲームとかかもしれないが。もしそうだったら墓場に行って文句言わねぇと」

 カランが温かい目でアンジェを見、僕に耳打ちした。

「博士は僕らを造り出した、いわば親みたいな人なんだ。もう随分前に死んじゃったけどね。情報をひとつ付け加えるなら、彼のお墓に一番行っているのはアンジェだよ」

「そうなんだ」

 僕はアンジェを見た。への字口で腕を組んでいるけれど、怖い人じゃないんだろうな。

「ごめんね、ほったらかして会話しちゃって。ねぇアンジェ、ユウ、彼の質問に答えることにしない?」

 カランが2人に呼びかけた。ユウとアンジェが頷く。

「そうだな」

「それがいいね」

 注がれる視線。僕はちょっと考えて、

「あなたたちはアンドロイドだとカランさんから伺ったんですけど、それは詳しくはどういうことなんでしょうか」

 と質問した。

 アンジェは意外そうな顔をした。

「はじめの質問がそれなのかよ」

 ユウは微笑んだ。

「僕らのことを知ろうとしてくれてるんだね。……カラン、説明してあげて」



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