第19話 死別

 早いものでノースデンで生活を始めて1年が過ぎようとしていた。


 その生活は開始当初こそ穏やかなものであったが、クロムの症状は段々と、そして確実に悪い方向へと転がっていった。それに伴い、テルルの病状も悪化していったのである。


 最初は時々、何か思い出したかのように弟子であり暗殺未遂事件の第一発見者であるモンステッラの文句を言うようになった。今まで高潔な父が他人の悪口を言うことなど聞いたことのなかったセレンは大いに戸惑い、一体、父の身に何が起こっているのか理解が追いつかなかった。テルルがたしなめても一向に修まる気配はなく、まるで別人のように人が変わっていった。


 状況は悪化の一途いっとをたどる。

 クロムは何かに取りつかれたかのように、強い言葉を使うようになった。それは最早、罵倒と言っても良いたぐいのものであった。愚痴のように続くその暴力的なまでの言葉は、次第に行動にも表れるようになっていく。


 クロムは言語障害の悪化だけでなく、精神的にもすさんでいき、家で暴れることが増えた。更にアルコールの量も増えていったため、家の外でも喧嘩や狼藉に及ぶようになり、衛兵のお世話になったことも多い。


 クロムはひたすら、ジオナンド帝國を呪い、モンステッラを罵倒し続けた。

 そしてその幻影と戦うかのように狭い家の中で大剣を振り回して荒れ狂った。

 その表情は鬼気迫るものがあり、とても尋常とは思えない。

 かつてのクロムの姿の知る者なら、皆等しく困惑したことだろう。


 テルルは寝たきりになることが増えたので、セレンが懸命になって介護した。

 彼女は話すことすらつらい状態に陥っていたため、最早クロムの暴走を止めることなどできようはずもなかった。

 クロムが働かなくなったので、ノースデンに来た当初に稼いで貯めていたお金や、これまで手をつけていなかったメリッサから持たされたお金を崩すことで何とか日々の糊口ここうをしのいだ。ただ、それはクロムの酒代にも変わっていったので、蓄えはどんどんと少なくなっていった。


「お、おん、おのれッ! モ、モンステッラぁ! こんの忘恩の徒がぁ! し、死ねぇ! 死ねぇ!」


「よよよ、よくも、お、俺をハメてくれたなぁぁぁぁ! き、き、貴様だけは、ゆ、許さんぞぉぉぉ!」


「おおおお俺の後釜を狙ったんだな? そ、そ、そうなのだろう。こ、このう、う、う裏切り者がぁぁぁ!」


 このような罵倒が1年近くも続いたのだ。

 セレンは疲弊し精神をすり減らしていった。

 何を信じて良いのかさえ見失い、セレンもクロムの吐く毒におかされていく。

 まだ幼く、純粋に騎士としての正義に幻想を抱き、クロムを尊敬していたセレンがまともな精神状態を保てなくなるとどうなるか?

 クロムを無条件に盲信もうしんし、モンステッラに憎悪の念を抱くようになるのは当然の成り行きであった。


 そしてしくもセレンが11歳の誕生日を迎えたその日の夜、クロムは家で大剣を振り回していた際に急に頭を押さえたかと思うと、うめき声を上げてパタリとその場に倒れ込んでしまったのである。

 テルルと共に部屋の隅で震えていたセレンであったが、クロムが突然倒れ伏したことに驚き、メリッサがくれた治癒薬を口に含ませたが効果は見られなかった。

 セレンは慌てて街の医者のもとへと駆け込んだが、クロムを診察した彼から告げられた言葉は無慈悲なものであった。


 その医者は遺体の埋葬などを依頼する葬儀屋のチラシのようなものをセレンに手渡すと、そそくさと帰って行った。恐らく街の厄介者であったクロムと関わりになることを避けたかったのかも知れない。


 薄暗く狭い部屋を静寂が支配した。


 セレンはテルルをベッドに寝かせた後、クロムの遺体を支え、何とかベッドに横たえた。まだ小さいセレンがクロムの大柄な体躯たいくを持ち上げるのは容易ならざることであったが、せめて安らかに眠ってもらおうと考えてのことであった。

 涙は出なかった。大好きだったクロムがあっけなく死に、その無実を証明して帝國へ帰ると言う目標がついえたのにもかかわらずだ。

 セレンはノースデンでの荒みきった生活が自分の心にも影を落としていたことに気付き、自嘲気味に笑った。


 心は驚く程に落ち着いていた。


 だが、やることがある。

 絶望しても明確な目的があれば生きられる。

 テルルとジオナンド帝國に帰ることと、何より仇であるモンステッラを討ち果たすことだ。セレンの心に小さな火が灯る。


 セレンはテルルに、明朝に遺体を埋葬してもらえるよう手配するむねを伝えた。

 それを聞いて彼女は何かを言いたげにセレンをジッと見つめた。

 何とか上半身を起こそうともがく彼女の背中を手で支えて起こしてやるセレン。


 体を起こしたテルルはセレンにあることを告げる。

 それはセレンにとって思いもよらない言葉であった。

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