05.暴走_side02

 ワタクシに向かって薄汚いセリフを吐き捨てた女悪魔。その声は、また暴力的で野蛮な声に戻っていましたわ。千歳様の顔をしているハズなのに、女悪魔のワタクシを見る目は、まるでエモノを見つけた肉食動物のよう。

 ワタクシの姿を確認したらしい女悪魔は、サティの腹に突き刺していた手を引き抜き、ベッドから降りてこちらに向き直りましたわ。


(先ほどワタクシに助けを求めていたのは間違いなく千歳様でした。ですが、今この目の前にいる悪魔は?)


「貴方は、誰なんですの!?」


 本能的に危険を感じたワタクシは、佇む女悪魔から1歩後ずさります。そして目の前の女悪魔に問いかけましたの。何者なのかと。先ほどワタクシに助けを求めてきた千歳様とは、姿かたちは同じでも、全く違う雰囲気をしていましたから。ですが女悪魔はワタクシの問いに答えません。手に付いたサティの赤い血をボタボタと地面に垂らしながら、嫌らしい笑みを浮かべる女悪魔。

 そんな折、女悪魔の後ろ、ベッドで倒れているサティがワタクシの視界に入ってきますの。


「あぐぅっ……ヌ゛ー……ル゛エ゛ル゛……ざ……ま゛……」


 サティはベッドの上で腹から血を流し倒れたまま、苦しそうにお母さまの名前を呟き、弱々しい呼吸を上げながらも女悪魔へ手を伸ばしていますの。あれもこれも不可解な事だらけ、でもサティが今、命の危機にある事だけはわかりますわ。


(サティはまだ息があります、急げば、まだ助けられますの。治癒魔術師がいればまだ助かる)


 ワタクシ自身は魔術は使えませんから、サティを治すことはできません。ですが、近隣のキャンプ地に居る治癒魔術師を呼べば、まだサティを助けることができますわ。治癒魔術は攻撃魔術に比べ、高度な技術、人体への知識、そして高い集中力を要求されます。サティの魔術師としての実力は、平凡な魔術師に比べると随分と優れている方だと思いますけれど、それでもこの重傷を負ったまま自分に治癒魔術を掛けるのは難しいんですの。下手をすると、魔術発動時に気絶し魔力と体力の使い損、そのまま二度と目を開けないなんて事も。


(問題はサティをどう治癒魔術師の元へ連れて行くか。サティを抱えて走ることはできます。ですがあのお腹の傷、出血が酷い。動かすのは危険ですわ、できれば動かしたくないですの。となれば治癒魔術師の方から来てもらうしかないのですけれど、サティが張った結界が、まだ消えていませんのよね)


 テント周りに張られている結界は、サティ自身が結界を解くか、サティが死ぬか、そうでなければ朝まで結界が消えることはありませんの。寝てる間にゴブリンに襲われては面倒ですのよ、だから長時間持続する結界を張っていますの。でも今のサティ自身に結界を解かせるのは危険。


(朝まで続く結界を張ったのが、こんな裏目に出るなんて。兎に角、サティを助けるために治癒魔術師を呼びませんと。道具箱の中に緊急時用の魔術信号筒があったハズ、あれで救援を呼べば……)


 ワタクシがほんの少し、目の前の女悪魔から視線を外し、魔術信号筒の入っている道具箱を見た瞬間でしたの。


 -ヒュンッ-


「くっ!?」


 女悪魔が一瞬で間合いを詰めてワタクシに迫ります。大きく振るった腕の先、その鋭い爪が、ワタクシの髪を掠めますの。ワタクシは少し反応が遅れましたが、なんとか地面に手を付き身を屈めて避けきりましたわ。

 間髪入れずに女悪魔がもう片方の腕を、屈んだワタクシ目掛けて上から叩きつけてきましたの。


 -ヒュッ-

 -ドガァッ!-


 テント内に女悪魔が手で地面を叩きつける衝撃音が響き、


 -ガラガラッ-


「っ!痛ぅ!」


 ワタクシは咄嗟に地面を横に転がりそれを避けましたわ。咄嗟に飛び退いたため、勢い余って近くの衣装箱にぶつかる羽目になりましたが。ああもう、背中が痛いですわ。ですが倒れた衣装箱が近くの道具箱まで巻き込んで倒れましたの。道具箱の中からコロコロと外に転がって行く筒。


(魔術信号筒、あれを拾えば)


 そう思って顔を上げたところ、目の前には女悪魔の足が。


 -ブンッ!-

 -ドゴッ!-


「ぐうっ!?」


 衝撃に思わず唸り声がでましたわ。咄嗟に片腕で頭をガード致しましたが、女悪魔の回し蹴りを喰らってしまいましたの。


 -バサッ!-

 -ビリィッ!-


 そのままテントの膜材を突き破り、外まで弾き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がるワタクシ。


(なんて速さですの、ジェボードの狼牙兵よりもずっと速い。それに今の蹴り、下手なオーガより重い一撃ですわよ)


 吹き飛ばされ、地面を転がりながら思いましたの。千歳様の体格から、何かしらの武術を嗜んでいて、高い格闘能力を持っているであろうことは予想出来ていました。千歳様、ワタクシよりも一回り以上大きい身体ですもの。ですが、このスピードと一撃の重さは、魔術を使っていない普通の人間にはそうそう出せるモノではありませんわ。隣国ジェボードとの闘いでも、このレベルの相手と対峙するのはそうそうありませんでしたのよ。


(でもそれは後回し!今はサティの救援を呼びませんと)


 ワタクシは、蹴られた片腕の痛みに耐えながら、立ち上がって魔術信号筒を月夜の空に翳します。先ほど女悪魔の蹴りで吹き飛ばされる寸前、地面に落ちていた魔術信号筒を拾っていましたの。この魔術信号筒は魔術の使えないワタクシでも使用できる即席魔術具。使うなら、間合いの開いた今。


(念のため持ってきていたのが、こんな形で役に立つなんて)


 -ボヒュゥゥゥゥ-


 空に打ち上げられる赤色の信号弾。もともとの想定敵はゴブリンでしたので、空には結界は張られていませんの。今回のゴブリン討伐での赤色の信号弾は、緊急での救援を意味しますわ。


(一番近くのキャンプ地は、お父様とマースの居るところ。そこから即座に救援隊が送られてくるハズ。それまで、サティをあの女悪魔から守らなくては)


 そう思い、テントに戻ろうとテント側に振り向いた瞬間でしたわ。


 -ブンッ-

 -ドゴォッ!-


「がはっ!?」


 ワタクシの脇腹に強い衝撃が走りましたの。くの字に曲がったワタクシの身体は、そのまま近くの木の方向に空中を回転しながら吹き飛ばされました。


 -ドカッ-


「あぐっ!」


 背中から木にぶつかり、そのままズルズルとずり落ちて止まるワタクシの身体。


 -メキメキメキ-

 -グシャア-


 ワタクシがぶつかった木は幹の軋む音と共に、無残にも折れ落ちてしまいますの。


「いっつっ、くぅぅっ~」


(この威力、脇腹を蹴られましたわね。今ので、あばら骨、2~3本持っていかれましたの)


 脇腹に遅れてやってくる骨折による激痛、苦痛に歪むワタクシの顔。信号弾を撃ちあげた後、振り向く間際に接近してきた女悪魔に横から蹴り飛ばされていたようですの。


(救援を呼ぶことに夢中になりすぎて油断してましたわ。ワタクシを追ってくるなんて。あの女悪魔、よっぽどワタクシの事を気に入りましたのね)


 ワタクシは脇腹の痛みに耐えつつ、なんとか立ち上がりますの。するとまたもや目の前に女悪魔の足が。ですがこれは予想済み。


(どうせまた来ると思ってましたわよ)


 -ブンッ-


 ワタクシは瞬時に態勢を低く取り、女悪魔の上段蹴りを下から横へ潜り抜けますの。ワタクシと千歳様では身長に差がありますから、顔狙いの上段蹴りであれば少し屈むだけで避けられますわ。そしてそのまま前に踏み込み、横から体重を乗せてカウンター気味に、


「ハッ!」


 -ドンッ-


 背中から女悪魔の胴体目掛け体当たりをお見舞いですの。異世界から伝わった武術"八極拳"。これは"破山靠"と言う技らしいですわね。ワタクシの習った武術はお母さまがいろんな流派をつまみ食いしたらしいお母さま流ですから、これが正しい技かはわかりませんけれど。

 するとワタクシの破山靠によって、蹴りで片足立ちになっていた女悪魔が、態勢を崩しながらも両足を地面につけ踏ん張りましたわ。本来ならばこれ1発で体ごと吹き飛んでもおかしくない威力なのですが、千歳様とワタクシの体重差でしょうか、それとも千歳様の鍛えられた体軸の強固さ故か、よろけるだけで耐えられてしまいましたのよ。なので、


 -ダンッ-


 すかさず身体ごとごともう1歩前へ踏み込み、


「せいッ!」


 -ゴッ!-


 相手の背中に肘を打ち込みますの。これは"肘撃"と言う技らしいんですのよ。


「ギャヒッ!?」


 -ドンッ!-

 -ヒューッ-

 -ゴロゴロゴロンッ-


 ワタクシの全体重を乗せた肘撃をモロに喰らった女悪魔は、そのまま吹き飛んで惨めにも地面を転がるのですわ。


「っ痛ぅーっ、痛い。あぁー、脇が痛いですわ。ジェボードとの戦でもこんな酷いケガ、滅多にしませんでしたのに」


 ジンジンと痛む脇腹。折れた脇腹の痛みに顔を歪めつつボヤキながらも、間合いの外で女悪魔が地面に倒れこんだのを確認し、ワタクシは胸の前で両手を合わせますの。大きく息を吐き肺の中を空にし、続けて両腕を左右に開きつつ大きく息を吸う。


「はーーっ……すぅーっ」


 -シュウゥゥゥ-


 いくつもの仄かな光が周りからワタクシのみぞおち辺り、身体の1点へと集まってきますの。そしてワタクシの身体がほんのりと橙色に光る。

 これが魔術の使えないワタクシが、お母さまから教えてもらった技。周囲の大地、空気、植物などから力を集め、自身の闘気を倍以上に底上げする、"集気法"、ですの。お母さま曰く、"植物と大地から命を頂く"んだそうですのよ。

 闘気が集まるにつれて、脇の痛みが消えて行きますわ。集気法は、戦う為の力としてだけではなく、ワタクシの治癒力も上昇させますの。骨の1本や2本なら瞬時に治りますわよ。ただ、代償として、ワタクシが集気法を使った付近では、木々は弱り、大地は荒れて植物の育成に支障を来すようになりますけれど。


「グッガ……コ、コノ、アマァ!フザケヤガッテェ!」


 ワタクシの肘撃ですっ転んだ女悪魔が、立ち上がって悪態を付いて来ますの。


「貴方だって今は女じゃありませんの?」


 女悪魔のまるで自分は女ではないみたいな言い方に、ワタクシは眉をしかめます。


「それにしても、貴方、千歳様であって、千歳様ではありませんのね」

「アァ?」


 ワタクシはドレスの汚れを手で払い落しながら、女悪魔からの先ほどまでの数撃を喰らって感じていた違和感を口にしましたわ。


「スピードやパワーは凄まじいの一言。ですが、動きが直線的過ぎますの。パターンが単純すぎなんですの。武術をやっていたとは思えませんのよ?ただ力任せに手足を振っているだけ」


 腰に両手を当てて吐き捨てるように言うワタクシ。戦っていた最中から何となく気づいていましたが、ワタクシに助けを求めた千歳様と、目の前の女悪魔は、雰囲気だけではなく、


(闘気の乱れ。千歳様がサティの氷柱を掴もうとした時、腕付近にしっかりと形作れらた闘気が見えましたの。ですが今目の前にいる女悪魔、闘気が体中からだだ漏れしてますわ。ワタクシに殴りかかってきた時も、蹴り飛ばした時にも、全く闘気を利用していない。ただ力だけで戦っている。まあそれでも下手なジェボードの獣人なんかよりもずっと脅威なんですけれど)


 ワタクシを舐め腐って本気を出していないと言う僅かな可能性を除けば、闘気を使った一撃をして来ない千歳様……いえ、この女悪魔は、自分の身体の使い方を知らないと見えますの。つまり、千歳様ではない、違う何か。


(ワタクシのカンですが、千歳様は今、誰かに操られているか、身体を乗っ取られていると見ますわ。最初に助けてと言って来たのはそういうこと。何故目と手の色が変わっているかまではわかりませんが。ですので、こうします)


 ワタクシは、月夜を背負いつつ、半身の構えを取って、女悪魔に向かって手招きしますのよ。


「御出でなさい、ド素人。その身体引きずり倒して、たっぷりと月見をさせてあげますわ」


 ニヤリと嫌みな笑顔を浮かべて、女悪魔を挑発。


(勿論手加減はしますわよ?千歳様の身体ですもの。ですが、気を失うくらいはさせてもらいますの。憑依や操りを解くには失神させるのが一番手っ取り早いですから)


 すると、女悪魔の表情がみるみる内に怒りの形相に代わり、


「ナメヤガッテェェ!!」


 -ドンッ-


 思いっきり地面を蹴り、馬鹿正直に真正面から突っ込んできましたの。


(挑発に乗ってさらに動きが単純になってますのね)


 一気に間合いを詰めて、腕を振りかぶり爪でワタクシを切り裂こうとしてくる女悪魔。ですけれど、構えを取ったワタクシを正面から仕留めるには、大振りすぎます。


 -ヒュンッ-


「バレッバレですの」


 ワタクシは呆れ顔で女悪魔が振ってきた爪をすっと上体を反らして避け腕を掴み、ぐいっと内側に引き倒しますのよ。


「ガッ!?」


 -バッタンッ-


 そのまま勢いよく前の方へうつ伏せに倒れる女悪魔。ワタクシはすかさず腕を掴んだまま女悪魔の上に乗り、


 -ゴキゴキッ-


 腕を捻って女悪魔の腕関節を外しましたの。


「ギアアアアッ!?」


 関節を外された苦痛で悲鳴を上げる女悪魔。


「あらあら、ごめんあそばせ?うつ伏せでは月が良く見えませんわよねーえ?」


(千歳様、ごめんなさい、あとでちゃんと嵌めなおしますわね)


 心の中で千歳様に謝りつつ、そのまま関節技をかけ続けますわ。


 -ギチギチギチッ-


「ギャアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!」

「ちょっと?少々近所迷惑ですわよ?まあ、近所にはゴブリンしかいませんけれども」


 森に女悪魔の悲鳴が響き渡りますの。千歳様と同じ声でそんな悲鳴を上げられると、ちょっとゾクゾクしますわね。それにしても大きな声、その悲鳴は森の奥まで聞こえたでしょうね。だからかはわかりませんが、


 -ヒュンッ-

 -ヒュンッ-


(弓矢?)


 -パシッパシッ-


 森の中から矢が数発、ワタクシ目掛けて飛んできましたの。飛んできた矢を片手で払うワタクシ。


(ゴブリン?弓ゴブリンですの?でもなぜ?この近くにはサティの張った結界が)


 ワタクシは気づきましたの、結界が消えている、その事実に。


(そんな!?嘘でしょう!?)


「サティ!サティ!?返事をなさいっ!サティ!」


 ワタクシは焦り、テント内のサティに向かって呼びかけましたわ。結界はサティ自身が解くか、サティが死なない限り、朝まで解除されない、そのハズですの。まだテントからそんなに離れていませんのよ、声は届くはずですの。でも、返事がありませんわ。


「サティ!サティ!!」


 何度も呼びかけますが、返事はありませんの。


「くううぅぅぅぅっっ!!」


 ワタクシは悔しさで口から声を漏らしますの。戦場で従者を亡くす事は初めてではありませんのよ?でもサティは、ワタクシの初めての専属の従者で、お母さまからお預かりした大切な人で、魔術の使えないワタクシに代わって魔術を行使してくれた人で、ずっとずっと、ワタクシと一緒に来てくれていた人で、


(サティを、よりによってゴブリン狩りなんかで、亡くしてしまうなんて)


 いくらなんでも無念すぎて、悔しすぎて、怒りで、力が入り過ぎましたわ。


 -ボギッ-


 余りにも力を入れ過ぎて、女悪魔の片腕が折れてしまいましたの。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!?ア゛ッ……」


(折れてしまいましたわね、千歳様にまた謝らなきゃいけませんの)


 女悪魔は、激痛に耐えられなかったのか、情けない悲鳴を最後に、大人しくなりましたわ。

 女悪魔が気絶したのを確認したワタクシは、


 -ヒュンッ-

 -ヒュンッ-


 -ピシッ-


 また森の中から飛んできた2本の矢を両手の人差し指と中指で掴み、そのままクルリと矢の方向を変えて、弓ゴブリンの居るであろう森の中、月夜に照らされほんのりと影が出来ている木の枝の上へ向け、指の力だけで投げ返しましたの。


「そこ」


 -ヒュッ!ヒュッ!-

 -ブシュッ!-


「ギッ!?」

「ゲギャアッ!?」


 -ドサァッ-


 弓ゴブリンの悲鳴と、木から落ちたであろう音。


(1体はど真ん中に命中、もう1体は掠った程度、でしょうか。兎も角今の内ですわね)


 ワタクシは気絶した女悪魔を地面にそのまま放置して、テントへ、サティの元へ急ぎ戻りました。サティが本当に死んでいるか、魂が抜けるのを確認するまで、ワタクシは諦めきれませんでしたの。

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