04.覚醒_03
アタシがマースの胸で泣き出して暫く経った頃、落ち着いてきたアタシは目を真っ赤に腫らせたままマースに向き直る。
「……ごめん、マース、助けてくれて、ありがとう。アタシはもう大丈夫。ごめんね、なんか格好悪いところ見せちゃったみたいで」
「いいえ、格好悪いなんて事ありません。千歳さんはとても可愛いと思います」
マースはさらりと言ってきた。聞き間違いだろうか。
「はえっ!?あっ、アタシが可愛い!?」
「はい、とっても可愛いです」
マースは少し屈み、マースの腰付近に抱き着いたままのアタシと目線を合わせる。そして微笑みながらじっとアタシの目を見つめそう言い放った。最初は聞き間違いかと思ったが、マースはアタシから一切目を反らさずにもう一度言い放つ。
「千歳さんは、可愛いです」
「あっ……あう……うぅ」
マースの言葉に、アタシは自分でもわかるくらい顔が熱くなっている。完全に油断していた、相手は少年とは言え伯爵のご子息様、この手のお世辞は得意中の得意なのだ。大方アタシを安心させる為についた嘘だろう。お世辞とは言え、面と向かって男の子に可愛いと言われたのは初めてだが。
(落ち着け、お世辞だ、真に受けるな)
「おせっ、お世辞でも……嬉しい、かな」
隠しきれない本心が口から洩れる。
「お世辞じゃありません。千歳さんは可愛いですよ」
「あぅあぁあぅ……」
マースはアタシの手を握り、アタシから目を離さずにトドメの一言を放つ。朱色の瞳がアタシの心を鷲掴みにしてきた。胸がドキドキする。もうアタシの負けだ。
(ダメ、恥ずかしくて頭が回らない。ああっ、なんかマースがカッコ良く見えてきた)
アタシの窮地を救った白いローブを纏った朱色の瞳の少年。この子はアタシにとっての白馬の王子様なのかとすら錯覚する。
そのマースは、アタシがもう大丈夫だと思ったのか、話を再開した。
「それにしてもなんだったのでしょうか、グレッグまでおかしくなるなんて……」
「……」
本当に分からない。アタシには身に覚えがない。先ほどアタシを襲ってきた男たちはマースの魔法で眠りこけている。グレッグは気絶したままだ。アタシの様子を察してか、マースは話を切り替えた。
「あっ、そうだ、父上に千歳さんの処遇を聞いてきたのですが、特例として交流を認めるとのことです。これで晴れて千歳さんはボーフォート領の領民と言う事になります」
軽く手をパンと叩いてそう発言するマース。
「えっ、アタシがこの国の国民に?」
「えっと、我が国エペカには大まかに分けて、テドノス陛下が直接治める中央の国王直轄領と、父上が治めるボーフォート領の2つがあります。千歳さんは父上の治めるボーフォート領の領民になって頂く事になりますね」
それはそれでアタシにとって青天の霹靂である。日本人であるアタシが異世界の国の国民になってしまう。アタシは日本国籍を捨てる気はさらさら無いのでこれでは二重国籍だ。とは言え今すぐ日本へ帰れるアテが有るわけでも無く、一時的にでも保護してもらえるのはありがたい。正直マースが居てくれるのであれば今のアタシにはとりあえずなんでもよかったのだが。
「島に、戻ってもいいの?友達が、戻ってきているかもしれないの」
海の中へ消えたメグの事が気がかりだった。あのまま何かの間違いで島へ戻ってきてはいないか、島で一人で寂しくアタシを待っているのではないか、可能性は低いが確かめておきたかった。
「ええ、構いません。でも今日は……ちょっと、無理そうですけど、ははは」
周りで眠りこける男達を見ながら苦笑するマース。島へ戻るにしてもゴブリンの跋扈する森を横切る事になるため、危険を伴う。ある程度人手がいるだろう。その肝心の人手はマースの魔法でみんな眠らされている。アタシもアタシであの惨事の直後でマースから離れるのは不安で溜まらず、今日は動けそうにない。
そんな話をしている最中だった。
「よう、マース」
いつの間にかマースの後ろにデカいハゲのオッサンがいた。身長はアタシより遥かに大く、優に2メートルはあるのではないだろうか。オッサンの登場に既に男性恐怖症になりかけていたアタシは軽く悲鳴を上げる。
「ひっ!」
(何このオッサン!?)
「おいおい、人を見ていきなり悲鳴上げなくてもいいじゃねえか、別に取って食ったりゃあしねえよ、えーと、日高千歳?だったか?俺がボースだ」
そう言って自分の名前を名乗るオッサン。このオッサンは何故かアタシの名前を知っていた。粗暴な口調だが、テントの周りにいた連中とは何か雰囲気が違う。単純に身なりが良いと言うのもあったが、特に腰に差している二振りの剣の内より長い方の剣は、何故かはわからないが強力な存在感があった。
そのオッサンが周りで眠りこけている男達を見て話す。
「おーおー、なんだこりゃあ。おいマース、あいつら何をしたんだ?」
「父上、兵達が何故か千歳さんに殺到していまして、僕が魔術で眠らせました」
(えっ、このデカいハゲのオッサンがマースの父親?じゃあこの人がボーフォート辺境伯?)
思わぬ大物の登場に吃驚する。マースが伯爵がこのゴブリン討伐隊に同行していると言っていたが、まさか本人が目の前に来るとは思わなかった。だがアタシは伯爵のその異様な巨体から、周りの男達の変容をも思い浮かべ、このオッサンもアタシを襲ってくるのではないかと身構えてしまう。マースに抱き着く腕にも無意識に力が入る。オッサンはそんなアタシとマースを交互に見て言う。
「は、なるほど。で、なんだ、マース?随分気に入られてるじゃあねえか、ははっ」
アタシの惨状を見て軽く笑うオッサン。アタシはさっきから地面にへたり込み、マースにしがみついたままだ。
「父上、あまりからわかないでください。ちょっと前までほんとに大変だったのですから」
マースがボースに対してため息混じりに言う。実際マースが来てくれなかったらどうなっていたのかわからない。アタシにとっちゃ笑いごとじゃあないのだ。そんなオッサン、ボースはマースの言葉を余所に、隣で気絶しているグレッグを見つけて話しかけている。
「おい、グレッグ、何でお前まで道端で寝てんだ?」
地面に気絶して倒れているグレッグの服の襟元を掴んで持ち上げ、グレッグの様子を伺うボース。
「グレッグもおかしくなったので、僕が殴りました」
「ははは!おもしれえ!グレッグ!お前マースに殴られたの!?はははは!」
ボースはマースの言葉に大笑いしつつ、グレッグを近くのテントの中へひょいっと放り込んだ。
と、ここでボースがアタシの放つ匂いに気が付いたらしい。
「んん?この匂い……」
匂いの元を探し次第にアタシに近づいてくるボース。
「マ、マース……」
さっきまでの事態を思い出し、怖くなったアタシは目を瞑って小さくマースの名前を呼びつつマースにすがりつく。だが匂いの元がアタシだと特定したボースは、特に様子は変わらなかった。
「なんだ、おめえさんか……」
ただほんの少しだけ、残念そうな顔をした気がする。
「まあいいや。おいマース、この日高千歳をキートリーのテントに連れて行ってやんな。聞いた様子じゃここで寝かせるのは危ねえだろ」
「キートリー姉様のところですか?いいですが、姉様がなんと言うか」
ボースの様子が少し気になったが、安全なところで寝かせて貰えるのは助かる。今日はもう何もかも忘れて眠りたい。
と、ここで一つ気にかかるワードが出てきた。
(んん?姉様?)
マース達に確認を取ってみる。
「姉様?マースにお姉ちゃんがいるの?」
「はい、僕の6つ年上の姉になります」
正真正銘の伯爵令嬢と言うやつである。マースの6つ年上となると18~19歳くらいだろうか。それはそれとして、マースがこのハゲのオッサンの息子だと言うのが信じられない。マースは母親似なんだろうか。そのキートリー嬢もマースのように優しい感じだと助かる。
そのハゲのオッサン、ボースは何故かアタシをじーっと見つめている。
(な、何?やっぱりさっきの男達みたいにアタシを襲ってくるの?)
内心ビクビクしながらボースを見ていたところ、ボースがしゃがみ込み、アタシに目線を合わせながらよくわからないことを言ってくる。
「なあ、千歳さんよ、ちょっとマースの名前、呼んでみてくれてもいいか?」
「え?」
「父上?」
(何?どういうこと?もしかしてマースを呼び捨てにしているのが不味かった?)
ボースの言いたい意味が分からない。マースの名前を呼んだらどうだというのか。伯爵の息子を呼び捨てにしているのが不敬だったのか?と不安になる。マースもその意味を図りかねているらしく、疑問の声を上げている。
「いいから、言ってみてくれよ。あ、敬称とかはいらんぞ、さっきと同じ呼び捨てでいい」
アタシの不安は違ったようだ。アタシは訳の分からないまま、とりあえずボースの指示に従ってマースの名前を呼んでみる。
「えと、マース」
「はい、千歳さん」
アタシの呼びかけに笑顔で返答してくれるマース。肝心のボースは目を瞑り、少し考え込むような仕草をした後、
「似てるな……そうか、もう十年か……」
(十年?似てる?なんの話?)
意味深な事をポツリと呟き、少し寂しそうな表情をした。アタシにはボースの言っている意味は分からない。
ボースはその後立ち上がり、何事もなかったかのように話を再開し出す。
「あー、キートリーの話だったな?あいつぁ、ちょーっと気の強い跳ねっ返り娘だが、根は良いヤツだ。ま、俺の娘だからな!しっかりお前さんを匿ってくれるだろうさ、がははは!」
(さっきのなんだったの?)
豪快に笑うボース。先ほど見せた寂しそうな顔が少し気になったが、今はそんな気配もない。
「そんじゃあマース、後は頼んだぜ」
「わかりました、父上。さ、千歳さん、行きましょう、立てますか?」
そう言ってアタシとマースを送り出そうとするボース。アタシはマースに促されて立ち上がろうとするが、
(あれっ?足に力が入らない)
先ほどまでの騒動で恐怖で腰が抜けているようで、足がガクガクと震えていて上手く立てない。
「千歳さん?どうしました?あ、無理に立とうとしては……」
「だ、大丈夫、立てる……」
(立たなきゃ)
マースの心配を余所に、アタシは虚勢を張ってしまう。アタシはマースに支えて貰いながらなんとか立とうとしたが、
「大丈夫、大……あっ!?」
「あっ、千歳さん!」
そのまま無理やりに立とうとしてアタシは、マースごとその場で態勢を崩してしまう。
「っと、危ねえ」
倒れる寸前、ボースがアタシとマースの背中に手をやり、支えてきた。
「どうした?もしかして、立てねえのか?」
「ご、ごめんなさい、なんか、力、入らなくて……」
アタシは震え声でボースに返答する。ボースは心配そうにアタシの顔を見てくる。
「マースも、ごめん、ケガは無い?」
「い、いえ、僕は平気です。千歳さんもお怪我はありませんか?」
心配そうにアタシの顔を覗き込んで来るマース。マースの優しい目が、逆にアタシの心を追い詰める。
(全然ダメダメじゃん、アタシ。こんな自分の半分も生きてない子どもにすら心配されるなんて、情けなさすぎる。それにボースが支えてくれてなかったら、マースにケガをさせてたかもしれない。ダメダメすぎる、酷すぎる。こんなんじゃメグにもおばあちゃんにも顔向け出来ない)
自分の情けなさ、自分の弱さを痛感し、悔しさと恥ずかしさが込み上げてくる。
「うっ、うぅ……うぁぁぁ……」
涙が溢れて来る。アタシはまた地面にへたり込み、両手で顔を覆って泣き出した。先ほどまでの恐怖と不安からくる涙とは違っていた。悔しい、恥ずかしい、情けない。
(いい年こいたアタシがこんなことで涙を流しながらマースの様な子どもに頼ってる。おばあちゃんに空手を習った。毎日いっぱい練習した。大会だって何度も優勝した。デカい身体で、力なんて普通の人よりずっとあるつもりだった。でも今のアタシは何もできない。今のアタシには何の力も無い。メグだって救えなかった。守るって約束したのに。アタシは何にもできない、アタシはなんてダメな人間なんだ)
そう思い出すと涙が止まらない。自分を否定するのが止まらない。
「ち、千歳さん?あ、あのっ、大丈夫ですかっ?やっぱりどこかお怪我を……」
マースはアタシがまた泣き出したのを見て、心配そうに声を掛けてくれる。だが今のアタシにとってはそれが一番心に来る。
(マースは何も悪くない、悪くないどころかアタシを助けてくれている。可愛いし、カッコイイ、でも子どもだ。本来ならアタシの方がマースを守らなければいけないのに、なのにアタシは)
「うあぁ……うぅぅ……うううぅ~っ」
「千歳さん?大丈夫ですか?千歳さん?」
「あ~、うん、まあ、あれだ、疲れてんだろ。ほらよっと」
ボースは何を思ったのか、アタシの背中と膝裏に手をやり、いとも簡単にアタシを持ち上げ、抱きかかえた。
「うあぅっ?うぇ?……あ、あの、ボーフォート卿?」
アタシは男性の平均身長から比べても相当な長身だ。そして筋肉のせいで体重も並ではない。だがボースはそのアタシをなんてことも無く軽く抱きかかえる。
「ほれ、歩けねえんなら、こうするしかねえだろ?嫌だとか言うなよ?おめえさんをこのままにしちゃおけえねえんだから」
「で、でもアタシっ!重い、ですよね?」
「あぁ~?別にそうでもねえだろ、このぐらい普通普通」
戸惑いを隠せないアタシに対して、ボースはアタシ軽々と持ち抱えながら笑いかけてくる。心臓がドキドキする。アタシはまた顔が熱くなっている。恐らくボースから見ればアタシの顔は真っ赤だろう。ここに来て以来、アタシの情緒は上へ下へと非常に不安定だ。
そんなアタシの顔を見たボースが、付け加えるように言ってきた。
「あ、でも今回だけだぞ?あと……ボースで、いい」
何か含みを持たせるような言い方だったが、伯爵を呼び捨てにしろと言われてはいそうですかと言えるほどアタシは世間知らずではない。
(様、だとめんどくさいとか思われそうだし、でも呼び捨ては、怒られるかもだから)
「ボ……ボース、さん」
さん付けで呼ぶことにした。
「おっ……!?おうよ、このままキートリーんとこ行くぞ」
一瞬ボースが驚いたような顔を見せたが、すぐに笑顔に戻りアタシを抱えたまま歩き出す。
「ずるいです!父上!僕も千歳さん抱っこしたい!」
(無理だと思う)
ボースの足元でマースがぴょんぴょん跳ねて抗議している。残念だがマースがアタシを抱えようとしても潰れるだけだろう。アタシを持ち上げようとして潰れるマースを想像したら、笑顔が漏れた。
「あはっ、マース、その気持ちだけ、受け取っておくね」
「ははは!マース、おめぇにゃまだ10年くらい早ぇってな!」
「ずるいですよちちうえー!」
アタシはボースに抱えられたまま、キートリー嬢のテントに向かった。
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