04.覚醒_01
ハッキリとしない意識の中、誰かの声が聞こえる。男と、あとはもう一人、高めの、若い、これは少年の声だろうか。
「本当にお一人で……」
「大丈夫だよ、魔術を掛けたらすぐに戻るから」
「……わかりました。ではマース様、よろしくお願いいたします。」
「うん、任せて」
そう言って男は遠ざかっていく。残った少年が、アタシの近くで何かを唱える。
「水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者に眠りを与えよ、スリープインバイト」
-キィィィン-
(この音は、魔法?)
アタシは音からチョコエルフが使っていた魔法を連想する。
この少年の唱える魔法と共に、アタシの意識はゆっくりと眠りに落ちて行く。
(ねむ……)
がしかし、すぐに眠気は消える。
(ん?瞼は重いけど、そこまで眠くはないかも)
そのまま目を瞑ったままでいると、魔法を使ったであろう少年が近づいてくる。
「この方が今回の流着の民の人なんですね。女の人なのに普通の大人の人よりずっとずっと身体が大きい。手も足もお腹も筋肉がスゴイや、異世界の戦士さんなのかな……」
何やら耳元で少年の声がする。アタシの身体を見て何か関心しているらしい。その内にクンクンと鼻を鳴らしアタシの匂いを嗅ぎだす。
「ん、なんだろう、この人、すごく……良い匂いが、する……?」
汗臭いと言われたことはままあるが、アタシの体臭を嗅いでいい匂いと評したのはこの少年が初めてである。少年はさらにアタシに近づいてくる。
「変わった匂いだけど、すごくいい匂い。……ちょっと、ちょっとだけなら……いいやっ、ダメっ、ダメだよ、大魔女様が来るまで待たなきゃ」
何か悩んでいるらしい。
「ダメ……凄い、良い匂い……いい、よね?ちょっとだけ、ちょっとだけ触らせてもらおう。うん、寝ているし、大丈夫、大丈夫」
何を思ったのか、そう言って寝ているアタシの腕をつついて来る。
「うわ、スゴイ、僕の腕なんかよりずっと太い」
少年は腕だけじゃなく足や腹までつんつんとつついてくる。
「うわわ、太ももが丸太みたい、でもすべすべしてて触ってて気持ちいいかも」
「わあぁ、お腹、お腹の筋肉ってこんな段々になるんだ……すごいな、綺麗だな……」
少年の行為はその内にエスカレートしていく。
「胸、ちょっとだけ。あっ、やわっ、やわらかい……あっ、あっ、筋肉は凄いカチカチなのに、胸はやわらかい……」
人の胸をつつくだけで止まらず、少年はアタシの胸を手でもにゅもにゅと触り始める。
(ちょっとくすぐったい)
ついには右胸の上に顔を突っ伏してすりすりと顔を動かす。
「僕変だ、こんなことしちゃいけないのに……。でも、すごく好きな匂い……」
(ヤバい、くすぐったくて声漏れそう)
少年の右手がアタシの腹筋をさすっている。くすぐったくて思わず笑い声が漏れてしまいそうだ。少年の声と腹を触る小さめな手の感触から、少年からはまだ幼さを感じる。
(面白いからもうちょっと放っておこ)
このくらいの年齢の子どもに身体を触られても特に嫌悪感は無く、くすぐったいだけだ。アタシは面白半分で当分は好きにさせておく事にした。
数分そのまま放っておいたところ、少年がポツリと呟く。
「お母様……」
(お母様?)
アタシの年齢的にはこれくらいの子どもが居ても可笑しくは無いが、残念ながらアタシは独身で子どもはいない。別に子どもがキライとか苦手とか言う訳じゃなく、単に男運が無いので機会が無いのだ。高校の同窓会で、来年にはウチの子は中学生なの~とか言っていた同級生もいたが、二十歳やそこらで子どもを産み育てるのは並大抵の苦労ではなかっただろう。同級生の惚気話には辟易していたが、子育てをしっかりやっている事には素直に感心していた。
(アタシがお母様ねえ。うっわ、ダメだ、似合わない)
自分が子どもを育てている事を想像するが、あまりにも似合わなかったので吹き出しそうになる。そもそもアタシ自身、母親と言うものをあまり知らない。自分の母親はアタシが4歳の時に家を出て行ったっきりで、一度も連絡は取れていないのだ。もう顔を思い出そうとしてもぼんやりとしていてハッキリとは思い出せない。居なくなった母親の代わりにアタシをいままで育ててくれたのはおばあちゃんで、そのおばあちゃんも先日葬式を上げたばっかりだ。そんな訳で、
(アタシに母性を求められても、おねーさん戸惑っちゃうんだよねぇ。まあ悪い気は、しないんだけど)
満更でもない風にそのまま少年を放っておいたところ、少年がやたら静かな事に気付く。
(ん?どうしたんだろ?)
アタシは重い瞼を開けて、少年の様子を窺う。
(ん?緑色?髪が緑色だ。淡い緑色、エメラルドグリーンって言うんだっけ?)
そこにはおかっぱな髪型でエメラルドグリーンな色の髪をした少年が、アタシの胸に顔を突っ伏したまま、静かな吐息を立てて眠っていた。
(眠ってる?可愛い寝顔してるけど)
すうすうと寝息を立てて眠る少年。長いローブを纏っており、傍らには青い宝石の付いた杖が置いてある。其のいで立ちは英国映画で見た魔法使い少年シリーズの主人公みたいな印象だ。顔と声と体格を見る限り、歳は第二次性徴がまだ来てないか、12、13歳くらいだと思う。
アタシは少年をそのままにしたまま、周りを見る。
(知らない天井、布張り?だけど、テントかな?)
天井には眩く光る球体が吊るされており、これがテント中を照らして照明の役割を果たしていた。背中には柔らかいクッション、いや敷布団ようなものが引かれている。少年の顔がアタシの右胸にジャストフィットしている事から、ある程度高さのあるベッドか何かに寝かされているらしい。服は、下がジーパンではなくネービーブルーのズボン、上着には見たことない白いフリル付きのブラウスが着せられている。サイズが合っていないようで胸も尻もちょっとキツイ。ブラウスのボタンが今にもはじけ飛びそうだ。
(ズボンは兎も角、アタシにこのヒラヒラは似合わないでしょうよ)
アタシは自分にフリルが似合わないのを知っている。この筋肉とフリルはミスマッチだろう。なので普段着はだいたい下はジーパンに上はシャツ、それもサイズ的に男物のシャツを着ている事が多い。メグにはもっと可愛い恰好をしたらいいのにと言われたが、サイズが合うのが少ないし、そもそも似合わないので、と言い訳して基本的に女っ気のない服装をしている。それが今このフリフリのフリルである。
少年に目を向けなおすと、少年は安堵した表情で眠りこけている。ので、このままにしておこうかとも思ったが、アタシはここで意識を失う寸前までの事を思い出す。触手に海中引きずり込まれ消えていったメグ。ゴブリンに蹂躙されながらも魔法でアタシを救い、気絶したチョコエルフ。触手とゴブリン達に致命傷を負わされ、死を覚悟したハズのアタシ。
(ダメだ、ゆっくりしてらんない)
(この子に色々聞いておきたい)
(どうしてアタシはここにいるの?とか)
気を失う直前は人のいない砂浜に居たハズだ。だけどここは砂浜には見えないし、テントの外には人の気配もする。
(アタシの身体は何で無事なの?とか)
アタシはあの時、触手に両腕の骨をバッキバキに砕かれ、頭を強打し、ゴブリンに全身を滅多撃ちにされて死んだ、ハズだ。だが今は身体に何の以上も無い。痛みは無いし手も足も自由に動く。
(何でアタシは少年の言葉がわかるようになっているの?とか)
ここは異世界だ。サラガノやチョコエルフを思い出してもおおよそ何を言っているのか全くわからず言葉が通じなかった。だけど今さっき聞いた少年の言葉はハッキリと聞き取れた。こっちの言葉まで通じるかはわからないけど、聞いてみる価値はある。
そういう訳でアタシは眠る少年を起こすため、少年頬を指でつつく。
「ねえキミ、ねえ、起きて」
「すー、すー」
相変わらず眠ったままの少年。気持ちよさそうに眠っている。
(熟睡してる?あっ、そうだ、この子マースとか呼ばれてたっけ)
アタシはここで目覚めた時に聞こえた少年の名前を思い出す。試しに少年の頬に手を添えて少年の名前を呼んでみた。
「マース、マース?でいいのかな?ね、起きて、マース」
「ぅぅん……」
少年はなかなか起きない。疲れているんだろうか?だがアタシにはこの少年に用事があるので、起きて貰わなければならない。だが普通に起こしても面白くないので、母親風に起こしてみる事にする。ちょっとしたイタズラ心だ。
「マース、起きて、マース」
(うわ、アタシこんな声出せたんだ)
自分でやっておきながら自分でもビックリするくらい優しい声色で話しかけている事に気付く。相手が少年だからなのか、それともアタシのそう多くない母性が爆発したのか。
「……う、うぅん?お母、様?」
そうこうしているうちに少年がゆっくりと目を開ける。朱色の瞳、ちょっとタレ目の優しい目をしている。
(あっ、この子可愛い)
朱色と緑髪の鮮やかなコントラストが可愛らしく感じ、自然と笑顔になるアタシ。対して目をぱちくりさせてアタシを見る少年。
「えっ?」
疑問の声と共に、少年は胸を枕にしたままアタシの目をじっと見つめて暫し固まる。その内に少年の顔が耳まで真っ赤に染まって行く。
「うわわっ!?あのっ?そ、その……?」
混乱しているのかマースは咄嗟に起き上がろうとするが、アタシの手が頬に添えられている事に気付き、アタシの胸の上で再び固まる。
(逃がさないよぉ)
気分は赤ずきんに対する狼である。ちょっと興奮しすぎかもしれない。寝起きでテンションが変だ。
「マース、キミに少し、聞きたい事があるの。いくつか教えて貰っても、いい?」
相手を怖がらせないよう、なるべくゆっくり優しく話す。赤面したままコクコクと頷くマース。どうやらこちらの言葉も通じているようだ。
「それじゃあ、っと」
アタシはマースの頬から手を離し、起き上がろうとする。マースはアタシが頬から手を引いた途端、顔を上げその場に直立し出した。そして、ベッドの上で身体を起こしたアタシに向かって、ばつが悪そうに聞いてくる。
「あのぉ、どの辺りから目を覚まして……」
「んんー、キミが別の男の人と話をしてたところからかな、名前もその時に聞いたよ?」
隠す必要も無かったので正直に言ってみる。マースはあわあわと視線を左右に振った後、目を瞑りながら、
「ご、ごめんなさいっ!勝手に触ったりして、ごめんなさいっ!」
と、謝ってきた。本人的にはイケナイコトをやってしまったつもりらしい。別にアタシは気にしてないっていうか割と気分が良かったので、
「いいのいいの、疲れてたの?なんかキミぐっすり寝てたからさ。あ、そうだ、いっそ一緒に寝てみる?」
「いっ、いいえっ、大丈夫!もう大丈夫ですっ!」
赤面したまま必死に否定するマース。アタシはやっぱりなんかテンションが変だ。いくら相手が子どもとは言え、普段は見ず知らずの少年にこんな思わせぶりな事は言わない。
(はは、何言ってんだろアタシ、っと、とりあえずこの子に色々聞いておかないと)
「それよりも、ほら、ここに座って」
「は、はい」
とベッドから足を下ろし、自分の隣をぽんぽんと叩いてマースをベッドに座らせる。素直に従うマース。
「それで、えーと」
(正直わからないことだらけだから思い付いた物全部聞きたいんだけど、それじゃあこの子も混乱するだろうし。とりあえず自己紹介からかな)
「アタシの名前は、日高千歳って言うの。千歳って呼んで。キミはマース?でいいのかな?」
「は、はい!千歳さん!僕はマース・ボーフォス、ボーフォート辺境伯の次男です!」
アタシの自己紹介に対して、元気に自分の名前と出自を答えるマース少年。
(おおっとぉ?辺境伯、って伯爵?なんか偉い人のご子息みたいだぞ?)
アタシは予想外の言葉に少し固まる。貴族の階級制度には詳しく無いが、伯爵が偉い人だって事ぐらいは知っている。やけに身なりが良いとは思っていたが、まさか貴族の息子さんだったとは思っていなかった。
(貴族の息子ってもうちょっとふんぞり返ってるイメージだったけど、この子は何というか礼儀正しいというか)
隣でベッドにちょこんと座っているマースは、一般的な貴族のイメージとは随分と違っていた。マースは背筋を伸ばし、自分の膝上にピシッと礼儀正しく両手を合わせ、アタシを見上げている。アタシのイメージする貴族とは、傲岸不遜で陰険、厚顔無恥とかである。日本の平民なアタシの勝手なイメージが多分に含まれているので正しいかは知らないが、少なくとも今のマースとは大違いである。
(いい子だなぁ、食べちゃいたいくらい。とはいえ相手は貴族だし、一応敬意を払った方がいいのかな?)
念のため敬称を付けた方がいいか聞いてみる。
「えっと、アタシもマース様って、呼んだ方がいい?」
「い、いいえ!そのままマースとお呼びください」
(否定されてしまった)
両手を振って否定するマース。要らぬ気遣いだったようだ。
アタシは気を取り直してマースに質問を始める。記憶喪失な訳じゃないが、とりあえず現在地の確認から。
「ここはどこなの?」
「ここは、シュダの森の東、ボーフォート辺境伯軍のゴブリン討伐隊前戦キャンプです」
どうやらアタシはこの世界の軍隊に救出されたらしい。更にゴブリン討伐隊という事は、この世界にとってもゴブリンは人間の敵、排除対処という事だ。アタシは質問を続ける。
「シュダの森?」
「シュダの森は、ボーフォート領の最西端に当たります。元々は近隣にボーフォートの民が住む平和な森だったのですが、今はゴブリンの跳梁跋扈する魔物の森となってしまっていまして……」
(なるほど、アタシはよりによってゴブリンの巣のド真ん中に突っ込んだ訳だ。……ん?サラガノがあの森側を指差していたような?いや、流石に女二人にゴブリンの巣に突っ込めとは言わない、と思う。多分、アタシが道を間違ったんだろう)
サラガノがアタシ達を騙したとも思えないので、自分が道を間違ったと言うことで納得した。
「ゴブリン討伐隊って?」
「はい、我が軍から勇士を募ってゴブリン討伐隊を結成しています。最近まで隣国との戦争でゴブリン討伐にまで手が回らなかったのですが、隣国との休戦協定が結ばれ、5年振りにゴブリン討伐に軍を派遣する事が出来ました。全隊でシュダの森を包囲し、最終的にゴブリンを1カ所に纏めたところを殲滅、森と近隣の村をゴブリンから解放するのです!」
グッと拳を固め宙を見上げるマース、使命感に燃えているようだ。マースは結構熱いところもあるらしい。それにしてもこの手の情勢まですらすらと言える辺り、この少年はかなり利発な印象を受ける。それがこの子の資質なのか、それとも親や先生の教育のおかげなのかはわからないけど。
アタシは続けてその解放されるハズだった村にいたチョコエルフの事を聞いてみる。
「その討伐隊に、チョコレート風の肌色をしたエルフの娘は居なかった?」
「すみません、ちょこ、れーと?とはどんな色なのでしょうか?」
(むむ、この世界にチョコレートは無いのか。確か島のクーラーボックスの中にまだ何枚か入ってたはずだけど)
目をぱちくりさせてわからないと言った表情をするマース。思わぬ文化的違いに躓く。アタシはマースにざっくりとチョコレートの事を教える。あれを知らないのは勿体ない。
「チョコレートはアタシの元居た世界のお菓子の名前だよ。甘くて美味しいの。今度島に戻ったら持ってくるね」
「は、はい!甘いお菓子好きです!」
マースが目をキラキラさせて答える。こういうところは子どもらしい。
(市販品だからあんまり期待されても困るけど、物々交換くらいは出来るかな)
こうやって普通に話しているとここが異世界だという事を忘れそうになるが、あの手の嗜好品は良いお金になる。大事に使っていこう。
チョコエルフに関しては表現を変えて質問し直す事にする。
「で、えーと、討伐隊に耳の長くて、先端に緑色の宝石が付いてる杖を持った女の子は居なかった?」
そう言ってアタシは両手で自分の耳を引っ張り、長い耳のつもりのジェスチャーをする。今更だが耳にもケガはないらしい。
マースは少しうーんと考え込んだあと、
「もしかして、パヤージュさんの事でしょうか?風のエルフの……」
「そう、その人!風の魔法を使うエルフの子!」
風のエルフ、そう、緑の杖から風の刃を放ったあのチョコエルフの事だろう。チョコエルフの名前がわかった。パヤージュと言う名らしい。
「そのパヤージュは、今、どこに?」
「パヤージュさんは、あの場から救出され、今はここのキャンプの野戦病院で治療を受けています。とても酷いケガを負っていて、それに……」
そう言って言葉を詰まらせるマース。パヤージュがゴブリンに何をされたのかはアタシは大体知っている。汚されていたパヤージュを拭いたのはアタシだ。あれをこの少年の口から言わせるのはアタシ的に忍びないので止める。
「うん、知ってる、そこまででいいよ。パヤージュを助けてくれてありがとう。」
「はい……あの、千歳さんとパヤージュさんはお知り合いなのですか?」
当然の質問だ。見ず知らずの人間を助けるため、女身一つでゴブリンの集団に突っ込むアホは普通はいない。
「ううん、あの村で初めて会ったの。酷いケガ……とか色々あって、アタシはパヤージュと一緒に村から砂浜までゴブリンから逃げたんだ。なんであの子あの村に一人で居たのかな?討伐隊の一員だったんでしょう?」
いくら魔法が使えても、討伐隊から一人抜け出て村に向かうなんてのは自殺行為だ。実際、ああなってしまっていたのだから、何かしら理由があると思うのが普通だ。
「……はい、それがシュダの森近くの村出身者の一団が独断先行してしまい、それをパヤージュさん達が呼び戻そうと森へ入ったのですが、恐らくは……」
「助けに行って、返り討ちにあった、と?」
「はい……」
沈んだ表情で答えるマース。
(そう言えばパヤージュがボロ木の家の収奪品の前で悲しそうな顔をしてたっけ。あれはあの子の仲間の、遺品、か)
パヤージュが自分の杖の他に、誰かの剣も大事そうに抱きかかえて居たのを思い出す。あれは恐らくは彼女に取って大切な人の遺品だったのだろう。
陰鬱な話が続くが、聞いておけるものは聞いておきたい。アタシは話題を変え次の質問に移る。
「そうだ、あの砂浜の海岸で、なんて言うか、薄いピンク色の触手?みたいなものに連れ去られた女の人を見なかった?アタシの、大切な友達なの」
アタシはメグの事を聞いてみる。守れなかった、連れ去られていくのを泣きながら見送るしかなかった親友。メグはもう生きてはいないかもしれない。だけどまだ、諦めたくなかった。
「いえ、僕らはその方を見ていません」
「そっか、うん、そう、だよね……」
マースの言葉に意気消沈するアタシ。だが、
(絶対にメグを探し当てて見せる。例えその結果がどうなっていようとも、メグをこの異世界で一人のままにはさせない)
アタシは両拳を握りしめ、唇を噛み、歯を軋ませる。
「ち、千歳さん?」
「あっ、ごめん!ちょっと怖い顔してたよねアタシ」
メグを助けられなかった悔しさと、思い上がっていた自分への怒りから、アタシは相当険しい顔をしていたようだ。パッとその表情を元の笑顔に戻し、質問を続ける。
「パヤージュの近くにアタシも転がっていたと思うんだけど、アタシも救出してくれたんだよね?ありがとう」
「は、はい」
「それで、アタシも相当酷いケガしてたと思うんだけど、これも治してくれたの?」
アタシはそう言って腕をグルグル回して元気さをアピールして見せる。骨折どころか切り傷一つない。今すぐ走り出したいぐらいには元気だ。だがマースの返答は予想外の物だった。
「ケガ、ですか?千歳さんを見つけた時には、特にケガなどは負っていませんでしたが……。あっ、ふ、服を来ていらっしゃらなかったので、か、勝手ですがこちらで用意した物を着ていただいています……」
アタシの裸体を見たらしいマースが恥ずかしそうに言葉を濁す。服を着ていなかったのはまあ、ゴブリンに何をされたかから考えれば予想が付くので良い、いや良くない。思い浮かべるだけでもおぞましい。意識が無かったのは不幸中の幸いなのだろうか。
しかしだ、アタシはケガをしていなかったというマース。そんなハズはない。アタシの両腕は触手に完全に破壊され、頭を強打し、肩を矢で射抜かれ、全身を斧と棍棒で滅多撃ちにされたハズだ。あまり思い出したく無いが、腕の折れる感覚も、腹を斧で裂かれる感覚も覚えている。
(どういうこと?回復魔法か何かで治して貰ったと思ってたんだけど)
頭の中が疑問でいっぱいになるアタシ。不思議そうにこちらの顔を覗くマース。この様子だとマースが嘘を言っているって事もなさそうだ。そもそもこんな事で嘘を付いても意味がない。
(じゃあ、なぜアタシの身体は治っている?)
そこでマースがアタシを見つけた時の状況を話してくる。
「あの、千歳さん達を見つけた時、千歳さんの周りにはゴブリンいっぱいいたのですが、どれもシワシワの骨と皮だけになって死んでいました。あれは、千歳さんが倒した?のですか?」
(アタシをタコ殴りにしたゴブリン達が、死んでいた?あの時のアタシにそんなことを出来る力は残っていなかった。意識を失った後、マースが来るまで何かがあった、という事?)
何が何だかわからない。こっそり誰かが助けてくれた可能性もあるが、そうなるとアタシの傷を治したのにパヤージュの傷を治していないってがまた不自然になる。
「アタシじゃない、と思う、多分。と言うか途中で意識失っちゃってよく覚えていないんだよね」
「そう、なんですか。あの、すみません、なんだかあんまりお役に立ててないようで……」
そう言ってしょんぼり俯きもじもじし出すマース。これがとても可愛らしく思えて堪らない。
「ううん、そんな事ないよ。倒れてたアタシ達を助けてくれたでしょう?ありがとう、マース」
アタシは俯くマースをハグする。アタシの胸の谷間で顔を上げて赤面するマース。
(ヤバい、喰いたい)
アタシは思考が完全にイケないお姉さんになっている。なぜか妙にスキンシップをしたい衝動に駆られていた。アタシはマースを抱きしめたまま質問を続ける。
「そう言えば、マースは一人でアタシ達のところまで来たの?」
「あうあ、あっ、えっと、違います。ぼ、僕の配下の魔術師小隊で村方面を進軍中に、千歳さん達を見つけたんです」
(この歳で小隊長か。やっぱ貴族様の息子だからかな?それともこの子この顔でホントは凄い実力者なんだろうか)
感心するアタシを余所に、マースは赤面したままソワソワした感じで落ち着かない様子だ。面白いのでこのまま抱きしめ続ける事にする。
アタシはマースを抱きしめたまま、最後に初めから気になっていた質問をする。
「アタシ、この世界に来たときはここの人達の言葉全然わからなかったんだけど、なんで今マースと普通に話せてるの?」
「それは、大魔女様に会って伝心の儀をやったから、だと思います」
(伝心の儀?大魔女様?)
マースの言う言葉の意味が分からず、マースに聞き返す。
「伝心の儀って、何なのかな?」
「で、伝心の儀とは、新しい流着の民と我々土着の民が互いに意思の疎通を出来るよう、大魔女様が執り行う儀式の事、です。むぐっ」
異世界の言葉の壁はその儀式で乗り越えるらしい。マースが話している最中にちょっと抱きしめる手の位置を変えたらマースの顔が完全に胸の谷間に埋まってしまった。
(そんなものがあるなら早くやって欲しかったわ。アタシのボディーランゲージの苦労はいったい)
言葉が伝わらないなりに必死にサラガノやチョコエルフとコミュニケーションを取ったが、結局は骨折り損というやつである。
マースの言った、アタシの知らないもう一つの言葉について質問する。
「その、大魔女様って?」
「むぐっふっ、大魔女様は、その名をフライア・フラディロッド様と言います。伝心の力、他にも大小様々な魔術を行使なさる偉大なお方で、千歳さんのように新しくこの世界に流着の民が訪れた時、流着の民の前に現れ伝心の儀を行い、土着の民との交渉を手助けしてくれるのです」
胸の谷間から顔を上げ、説明してくれるマース。
「へえ、その魔女さんって、お金とか何か払ったらやってくれるの?」
「いいえ、大魔女様のご意志で対価は取らないと」
「ふぅん」
(翻訳ボランティアの魔女ねえ、無償でってのがなんか胡散臭いのよねぇ)
アタシは慈善事業の類はあんまり信用していない。アタシの勝手な想像だが、あの手の連中はだいたい人に隠れて何か対価を頂いているモノだ、と思っている。いや、本当に何の対価も貰っていない人もいるのかもしれないが、相当奇特な人だと思う。
「アタシ、伝心の儀とか言うのやってないし、その大魔女さんとも、会った事がないんだけど」
「えっ?伝心の儀を、やっていない……のですか?」
アタシの腕の中でサーッっと血の気が引いたような表情でこちらを向く。どうやらマースはアタシが伝心の儀と呼ばれる儀式を受けていた前提で話していたらしい。
「そんな!?僕はてっきり、千歳さんが儀式済みだと思って!」
「あれ、何か、不味かった?」
マースがすぽっとアタシの腕から抜け出て、杖を拾ってテントの壁際に逃げる。
「ごめんなさいっ!伝心の儀を済ませるまで、僕ら土着の民は流着の民と交流してはいけない事になっているんですっ!」
「んんん?どういう事?」
「そう言う協定なんですっ!大魔女様と各国で決められている協定なんですっ!今回はたまたまっ!千歳さんが砂浜に倒れていたのでっ!今大魔女様を待っているところなんですっ!ごめんなさいっ!」
そう言って目を瞑ったまま杖をぶんぶん振るマース。
(マースのこの説明だと、アタシが勝手に向かった村で救出したパヤージュは兎も角として、島へ自分から向かってきたサラガノは協定違反と言う事になるような……あれれ~おかしいぞぉ。というかそんな協定結んでるなら大魔女さんも早く来てよ)
アタシが顎に人差し指を当てて思案していると、マースが何か焦って唱え始めた。
「水のめがっ、水の女神メルジナよ!その慈悲深き力を持って彼の者に眠りを与えよ!スリープインバイト!」
-キィィィン-
青く輝くマースの杖。マースが魔法を発動させる。
「ちょっ、ちょっと待って!いきなり魔法って!?」
「ごめんなさいっ!大魔女様が来るまで眠ってくださいっ!」
文言から想像して、マースが最初に使った眠りの魔法だろう。それがアタシに向かって今再度放たれた。
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