中編:祈流星は天海真水と会話する
ホームルームが終わり、放課後が訪れた。
辺りは喧騒で包まれ、クラスメイトたちはそれぞれが思うままに行動をしている。教室で駄弁る者。部活へ行く準備をする者。どこかへ遊びに行く者。ゲロを吐きかけられる妄想をする者。
放課後の教室内は非常に混沌としていて、あらゆる思考が交差している。
さて、俺もそんな教室内に混沌を作り出した原因の一端なのだが、そろそろ混沌から抜け出さなければならない。
と言うのも、放課後に風紀委員室に用事があるからだ。
昼休みに変人一号が俺のもとを訪れてきてからは、思考の中枢を彼女が支配していた。それはさながら恋煩いのようで、なんとも形容しがたい不快感を感じさせた。
俺は変人であると自覚しているし、なんなら自負している。しかし、好みの異性は変人ではないのだ。至って普通の女子が好きだ。だからこそ、変人である彼女が俺の思考の中枢を支配するということに不快感を覚えたのだろう。
それがどんな不快感というのかは形容しがたい。しがたいが、どの角度から見てもマイナスにしか取れない不快感というのは確かだ。
だが、だからと言って風紀委員室に行かないかと言うと、それとこれとは別問題で。
「うーん……そろそろ行くか」
俺は席を立ち、荷物を持つと、風紀委員室に向かうことにした。
俺は彼女に対して不快感を覚えている。しかし同時に、好意的な感情を抱いているのも確かだ。彼女は変人であり、俺も変人である。類は友を呼ぶとでも言えばいいのだろうか。同じ変人同士、俺は彼女に対してシンパシーのような何かを感じていた。おそらく、俺が感じている不快感というのは同族嫌悪なんだろう。
少し彼女と話してみたい。彼女がどういう人間なのかを知りたい。そう一瞬だけだが思ってしまったのだ。俺のポリシーは思い立ったら即行動であり、一瞬だけ話してみたいと思っただけでも、彼女に会いに行く理由には十分すぎるのだ。
俺は彼女に会って何を思うのか。何を感じるのか。ケセラセラでは危ないだろう。彼女は変人で、一般の常識が通用しない。まともに会話ができるのかすら不明なのだ。だが、どれだけ危なかろうが、きっと世界というものはなるようになるように構成されているのだ。だから、俺は叫ぼう。
「ケセラセラ!」
俺は風紀委員室に着くと、ノックをすることなく扉を開けた。
風紀委員室は他の教室と構造は変わらない。変わらないはずだが、机と椅子がないからか、やけに広く感じられた。あるのは二台のソファーだけで、それぞれ向かい合うように教室の真ん中に置かれている。
変人一号は奥側のソファーに座っていた。
彼女は俺と目が合うと、ニヤリと笑った。
「やあ、早かったね。ノックもせずに入ってくるとというのは、些か不躾ではないのかい?」
「嫌いですか?」
「嫌いじゃないよ」
「俺のことです」
「愛してると言ったら?」
「新婚旅行はどこに行きますか?」
「本能寺とか?」
「俺は敵じゃないですよ?」
「人畜無害そうだしね」
「命令されたら速攻自害でも問題ないですよ」
彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、俺と会話を始めてきた。会話の内容自体は痴女のタイツと同じくらいには薄っペら勝ったが、それで知れたことは多かった。
まず、彼女は俺と同じベクトルの変人ということだ。違うベクトルでズレていれば、相手の言っている内容を理解できないはずだ。次に知れたのは、彼女は俺と同じレベルで変人だということだ。これは、会話が続いたという事実が証明している。どちらかが相手よりもズレていれば、たとえ内容が理解できていたとしても、ここまで会話が噛み合うはずがないのだ。そして、最後に知れたのは彼女との会話は楽しいということだ。俺は、今まで話が合う相手となんて出会ったことがなかった。だから、ここまで自由に、そしてスムーズに会話ができたことが嬉しかったのだ。
変人一号は何かを考えているのか、黙り込んでしまった。そして急に口を開いた。
「……君には私が先輩だって言ったっけ?」
彼女の質問にはどのような意味合いがあるのか。俺は小考し、自分なりに結論を出す。
「敬語で話していることですか?」
「ああ」
「いや、初対面でタメ口を使うやつなんてロクなやついないでしょ」
「じゃあ君はロクでなしということかい?」
「あれは、俺じゃなくてジョニーが言ったのでは?」
「君、面倒くさいね」
「嫌いですか」
「しゅきだお」
「あ、ぶりっ子嫌いなんで」
「はいはい、まんじゅうこわいまんじゅうこわい」
俺はしばらく彼女と会話を続けた。すぐに話が明後日の方向へ飛んでいくなと思っていると、彼女にソファーに座るよう勧められた。
一瞬彼女の隣に座ろうかとも考えたが、流石に度が過ぎていると思い、彼女の向かいに座った。
「わざわざ放課後に来てくれてありがとう。待ってたよ」
「あ、待ってたんですか。来いとは言われてなかったですし、てっきり放課後の出没場所を教えにきただけかと」
「そんなわけないじゃないか。普通に用事があるんだよ。というか、私は熊か」
俺は彼女を少しからかうと、彼女は破顔した。
「ん、改めて。私の名前は
「俺は
「つれないな。そうか、流星くんというのか……」
真水さんの言葉を聞いて、俺はふと疑問が思い浮かんだ。そして、それを口にした。
「俺のこと知らなかったんですか?」
真水さんは顎に手を当てると、うなりながら俺と床に交互に目をやった。
数十秒が経っただろうかというところで、真水さんは口を開いた。
「名前は知らなかったよ。だけど、存在は知っていたかな? 入学式で一回見たからね」
「さいですか……」
真水さんは俺の存在を知っていたと言った。だからなんだというのだろう。一度だけしか見たことがない人に大層な用事があるとは、俺には到底思えない。では、彼女の用事とはなんだろうか。考えられるのは大層ではないが、大切な用事。しかし、やはりまともに会話をしたこともない人間相手に用事があるとは考えられない。それが大切な用事だとしたら尚更だ。だが、大層でもなく大切でもない用事なら昼休みにでも済ませれば良いはずだ。ならば、大切な用事があるのだろうか。
俺が真水さんの用事について思索に耽っていると、彼女はジッと俺の瞳を見つめてきた。若干開かれた窓からは風が流れてきて、彼女の月色の髪を揺らした。その姿は少々幻想的で、心の平穏を乱した。
真水さんはそんな俺をよそに、口を切った。
「それで君をここに呼び出した理由だけどね」
「はい」
「君に風紀委員に入ってほしくてね?」
彼女の発言を聞き、理解した俺は声を出すことができなかった。それは驚き故にか。応だ。そうとしか言いようがない。
確かにここは風紀委員室だ。だから、普通に考えれば風紀委員ではない人間が呼び出される理由は勧誘だろう。だが、俺はその考えに至ることはなかった。完全に失念していたのだ。なぜならば、彼女が変人だからだ。学校という名の社会の秩序を保つための組織に、社会の枠組みから外れたような人間が存在するのはナンセンスだと考えていたからだ。
「えーと……先輩って風紀委員なんですか?」
やっとの思いで絞り出した声はかすれていた。だが、言い直すことなどするはずがない。今は一刻も早く回答が欲しい。
「ああ、風紀委員だ。というか、風紀委員長だ」
マジかよ。
俺は真水さんは肯定するだろうと思っていた。そう予想していたのだ。だが、現実は予想は大きく上回ってきた。
事実は小説よりも奇なりという言葉があるが、人間の想像など簡単に上回ってくるのが現実というものだ。だから、彼女が風紀委員長でも不思議はない。予想を超してきても不思議ではないのだ。
だからこそ、俺は言いたい。否、言わなければならない。全日本それおかしいしょ選手権者として言わなければならないのだ。いや、心の中だけでしか言わないけど。
「彼女が、天海真水が、変人一号が風紀委員長なんて務まるわけがない!!」
「おいコラ、変人二号。務まるわけないとか言わないでくださいますかね? そんなこと言って捕まらないわけがない!!」
「あ、声に出ちゃってました?」
「宝くじの当たり並には出ちゃってたよ」
「あ、じゃあガッツリ声に出てますね」
「君はすごい幸運なんだね」
「はい、真水さんと出会るとか、めっちゃ幸運の持ち主じゃないですか。それだけ幸運なら宝くじくらいすぐに当たりますよ」
俺の言葉を聞いた真水さんはうつむいてしまった。俺は驚きのあまり乱れてしまった心を落ち着けようとした。そのため、辺りには沈黙が訪れる。
しばらく経ち、真水さんはおもむろに顔を上げると、俺の瞳をジッと見つめてきた。それは先ほどの光景とよく似ていたが、違うところがあった。
一見すると先ほどの光景と何も変わらない。だが、一つ違うところがある。
風が揺らした銀髪。その隙間から見えるのは、ほんのりと赤みを帯びた耳。それは一体何を示しているのか。
「ねえ、冗談で言われると困ることもあるんだよ」
俺は真水さんの言葉に納得した。確かに、これはアプローチしていると取られても仕方がないだろう。まだ知り合って少ししか経っていない相手からのアプローチというのは、好意的に取れなくても何ら不思議はないだろう。
親しき仲にも礼儀あり。親しくないなら尚更気を遣わなければならないはずだ。
さっきの発言は軽率だった。ここは謝るのが筋だろう。
俺が発言の撤回と謝罪を行おうとすると、真水さんの言葉がそれを止めた。
「……本気になっちゃうよ?」
「え?」
「私が君を風紀委員に誘ったのはね、君が好きだからなんだよ? 好きだから一緒にいたい……だから誘ったんだよ?」
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