閑話:青葵の平凡な日常

まえがき


本日二回目の投稿です


=====


「ハンク。お前そろそろ髪切りに行くか?」


俺がそう尋ねると、ハンクは本当に人間の言葉がわかってんじゃねえかってくらいすぐ立ち上がり、私の足元に来た。


「いや、すまね。俺のがまだ準備出来てないから。もうちょい寝ててくれ」


そういうと、ハンクはスタスタと歩いて自分の部屋に戻っていった。

あいつ、まじで俺より頭いいんじゃねえの。


私は携帯を開いて、トリミングの予約を始めた。

平日だからいつでも予約ができる。こういうとき、ひきこもりは便利だ。


昔、つっても数年前だが、いじめに絶望した俺は不登校になった。まあ特になんかされたとかじゃなく、ハブられるとかそんな程度だったんだけどな。


そっから動画サイトに貼りつくようになって、そんなかで流行ってた『メトロトレミー』に当然のようにハマって、その中の阿古照樹っつー男のキャラに共感した。


それは、阿古照樹が男キャラとして魅力的だったとかじゃない。いや、まあ当時はそれなりに好きだったかもしれねえけど、とにかく、周囲に理解されない天才、みたいなキャラが好きだった。


でも不思議なもんだ。最初はただの趣味だったのが、『メトロトレミー』が私の縁を繋いでやがる。


連絡を取るために携帯を開くと、何件も連絡が来ている。

これは実に、数年ぶりのことだといえるだろう。


連絡をしてきているのは、ほとんど『メトロトレミー』を通じて知り合った面々だ。この前観たアニメはひどかったが、なんだかんだ皆好きなんだよな。


直近で連絡してきたのは愛弓さんだった。

彼女は、ハンクがSNS上で褒められているコメントの写真を、数点送ってくれていた。


「ほらハンク見てみろ!これ全部お前のこと可愛いって褒めてる反応だぞ」

この前、愛弓さんが、瑞羽と二人で家に来たのだ。


私はなんとなくSNSに顔を載せるのが嫌だったから断ったが、ハンクは載せてもいいこととした。


もちろん愛弓さんの人気の影響も大きいだろうが、少なくともハンクがずば抜けて可愛くなけりゃあ、こんなに反応はなかっただろう。


でも今映像に写っているハンクはただ平常時のハンクだ。今度愛弓さんがいらっしゃったらハンクの芸を見せてやろう。ハンクの運動神経と頭の良さを見たらもう、この世のテレビにタレント犬の居場所はなくなるだろう。


私は愛弓さんに「またいつでもいらっしゃってください」と連絡を返した。


中田愛弓さんが一人でここまで来られたのは最近秋窪紅葉さんの変化があったからだ。

私はあの愛弓さんと紅葉さんのペアの事を直接出会う前からあらかじめ知っていた。


SNSで写真も観るし、噂もよく入ってきた。その中で二人は常に一緒にいたのだ。実際に合って喋ってみても、学校でも常に一緒にいたことは間違いない。

秋窪紅葉は誰にでも親切で、誰にでも愛想がよく、中田愛弓以外には心を開かない。


これは調べがついていた話だ。

しかし、今の彼女は愛弓さん以外とも頻繁に行動を共にしている。


そんな彼女が変わったのは確実にあいつが関係しているからだろう。


小園井音。


あの女のことはまだ分からない。同い年というが、とてもそんな気はしない。

中田愛弓も、秋窪紅葉も、あの在野恵実だってあいつには一目置いているのだ。


しかし、そんな面々に好かれているというのに彼女の特質、内面は見えてこないのだ。

まあ、もちろん顔はいいし、頭だっていいらしい。いいらしい、というのは、彼女が心底勉強にやる気がないからだ。


学校は卒業さえできればいいと考えているらしく、以前は「数学はノー勉だと無理だった」と補習を受けていた。それどころか、学校をサボることすらあるらしい。


けれど、小園井音が学校以外で目撃される場合は、ほとんど図書館で、彼女はいつも図書館で借りられる本の最大の許容量である10冊を借りて帰る。


内容は大体、歴史のもの。

まあ、普通じゃないとまでは言えない。私だって引きこもりだし。


補習しているくせにいつも真面目に勉強していて、たまに誰かと遊ぶと思ったら、中田愛弓のような陽の光のど真ん中を行く人間とばかり遊んでいる。


まあ、正直。超がつくほど怪しい。金の回りについては、それほど金を使ったところは見たことないから分からないが、バイトだってしていない。化粧程度なら親の金でやりくりしていることも考えられるが。


私個人としても、今最も興味があるのは小園井音だ。


それは凜花の正体を探るうえでも…だ。


スマートフォンが鳴る。私にいきなり電話をかけてくるのは、瑞羽くらいしかいない。


「ねえ。青葵、何か怪しいことなかった?」

「ねえよ。今までもずっとなかったろうが」

「もう、時間ないんだよ」

「知ってるからおとなしくしとけ」


播川瑞羽が、嫌いだった。脅迫文とか正気じゃないと思っていた。

でも近頃のあいつは変わった。中田愛弓の舞台にも通っているらしい。


それに今は、を背負わされている。知っているのは私と瑞羽と辻凜花だけだ。そして、私は瑞羽が哀れになって、ストーキングのやり方を教えてやったのだった。


もちろんストーキングなんてやったことはない。

だが、少なくとも自分の家の近くのポストから脅迫状を送った瑞羽よりはできるだろうと思った。やってみたら、以外となんとかなった。


「くじらの小部屋にいる私達がやるしかないんだよ」

「お前、小園井音と、この前遊んでたろうが」

「小園井さんが怪しいって言ってたの青葵じゃん」

「だから、音の家入って調べりゃいい話だろうが。少なくとも、小園井音が辻凜花の配信中に同時に存在したことはねえんだ」

「でもさ、小園井さんにそんな家にあげてなんて言えないよ…」


はあ。あんな脅迫してた人間が、これも小園井という人間の成せる技なのかねえ。愛弓さんや紅葉さんも、案外音を気に入ってるだけだったりして。


そんなことを考えていると、「うぅ」という唸り声が聞こえた。

このウーファーのような声はハンクが苛立っている証拠である。


私は「じゃあな」といって電話を切ると、ひとまず全ての思考を放棄して、トリミングに向かうことにしたのだった。

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