第102話 空は黒く染まり、地は赤く染まり始める

 


  ☆ □ ☆ □ ☆


  動けない。

  アンさんは目の前の死闘をただただ眺めることしか出来なかった。他者の介入を許さないとばかりの、戦い。


  黒い斬撃が飛んだかと思えば、それに対抗すべく白い斬撃が迎え撃つ。片方が姿を消したなら、もう片方も姿が消える。そして数秒後、別の場所で鍔迫り合いを始めていた。

  血走った目で迫ってくる怠惰と対照的に、秀一は薄い笑みを浮かべ続けている。ただ、その額にはじっとりとした汗が滲み出ていた。


「速いね。さすがにこれは、押し切られそうだ……!」


  事実、秀一は防戦一方で反撃を出来ていない。いや、させてくれないと言うべきか。


「これが、君のスキルか」


  弄られたのはスピード。そのスピードは、音を超え光に匹敵する。


「だけど、それぐらいで負けるほどヤワじゃない。『断烈斬』」


  斬撃を放つと、それを避けるべく怠惰は上へ跳んだ。秀一はそこに合わせて、跳び鋭い蹴りを放つ。

  構えられていた刀の下をすり抜け、腹部に足がくい込み蹴り飛ばす。軽々とぶっ飛んだ怠惰は、床に何度かバウンドした後壁に叩きつけられて止まった。


「確かに強い。だけど、思考判断能力は下がっている、か」


  これで理性があると、それこそお手上げだ。目の前の敵を殺すことしか考えてない様子に安堵しつつ、警戒を弛めることなく怠惰に険しい視線を向け続ける。


「オレ、行きましょうか?」


  一向に起き上がらない怠惰を見て、おずおずと確認を申し出たのはアンさん。だが、その提案は軽く首を横に振って却下される。


「あれだけで意識を失っているとは考えれない」


  だから下がるよう視線で伝えると、アンさんは小さく頷いて数歩下がった。


「はヤい、ツよイ」


  秀一の予想通り、次の瞬間には怠惰は立ち上がっていた。だが、ふらりと立ち上がっているものの、隙だらけの状態で立ち尽くし続ける。


「『断裂』」


  罠である可能性を考慮しつつ、素早く移動をして腕を切り落とす。意外にも、怠惰はそれに抵抗する様子はなかった。確実に罠だと判断し、全方位を警戒しながら離脱すべく脚に力を貯める。

  だが、次の展開は罠だったという予想以外は外れていた。


「な……!?」


  切り落とした腕の先から、黒いモヤが吹き出した。シュゥゥっと音を立て、講堂内を黒い煙で一杯となる。


「窓を開けて!」

「了解!!」


  指示が出される前に動き出していたアンさんは、難なく窓に到着して開けようと手を伸ばす。


「いや、まさか……!」


  この行動がもし、読まれていたら、と考えアンさんがいるであろう方向を見る。


「アンさん、気をつけて!!」

「あん?」


  気だるげに振り返ると、そこには今にも襲いかかろうとしている怠惰の姿が。


「くっ……『アークランス』」


  水で生成された槍が飛んでいき、怠惰はそれを躱して距離をとる。間一髪のところで、間に合ったようだ。


「今のは……」

「へ、へへっ、オレだって戦えるんすよ」


  頬を引き攣らせながらも、にぃっと笑ってみせてサムズアップするアンさん。どうやら自力でこの危機を脱することが出来たようだった。


「怠惰は……!」


  アンさんの無事を確認して、怠惰を探すべく辺りを見回す。最初よりかは薄い黒煙を放出する怠惰は、じっと何やらアンさんを見ていた。

  バレたか……?


「とりあえず、片腕は貰ったよ」


  作戦がバレてしまったかどうかは分からないが、とりあえずこちらに意識を向けさせようと秀一が話しかけた。


「アあ」


  周囲の煙が怠惰の腕の断面に寄せ集まると、それが腕を形成していく。そして数秒後には、元通りになってしまっていた。


「まじかよ……」


  呆然としたアンさんの声が教会に反響する。


「なんでもあり、だね」

 

  そう返しつつ、秀一は一歩踏み込んだ。

  回復しているのなら、多少意識は散漫としているはず。そこを突けば……!


「はあっ!」


  無防備な体目掛けて一振。


「……?」


  けれど、剣は怠惰の肌を傷つけることなく通り抜けてしまった。


「くっ……!」


  目論見が外れてしまったので、大きく飛び退いて距離をとる。


「あれでも効かないのか」

「いや、効く効かない以前の問題だ」


  悔しげに歯を食いしばるアンさんをちらりと見て、再び怠惰へと視線を戻す。

 剣を振るった時に感じた違和感。距離感を間違えたわけでも、躱されたんけでも、攻撃を防がれた訳でもない。それなのに、まるで――


「さっきの攻撃は空振っていた。届いてなかったんだ」

「でも、さっきの距離だと普通に当たるっすよ」

「ああ。確かに、あの位置からだと刀身の長さ的にも当たるはずだ。だが、実際は空振った」


  となると、考えられる可能性はただ一つ。


「あいつは、オレと彼との距離を書き換えた」


  剣が当たるその寸前、彼は距離を書き換えたのだろう。十メートルなのか、何十キロメートル離したのかは分からないけれど。


「厄介どころの騒ぎじゃないっすよ。いやまじほんとに」

「でも、やるしかない」

「そうっちゃそうだけども……」


  あまりにも無茶苦茶なスキルに、戦意が消えかけているアンさんを必死に宥める。


「ただ、距離の拡張的な感じなのであれば、何とかなりそうだが」


  しかし、この場合問題となるのは攻撃を与えてもあまり意味が無いという点である。


「でも、さすがに無制限じゃないと思いますよ。あんな出鱈目なスキル」

「そうだと信じたいが……とりあえず、攻撃を繰り返すしかない」


  そんな会話を繰り広げる二人を、じっと見つめる怠惰は徐に口を開いた。二人には届かないほど、小さな声で。


「『空は黒く染まり、血は赤く染まり始める』」


  初めは、些細な変化。明かりのない天井の色が、少しだけ濃くなり、床が意識しなければ気づかないほどぬかるんだ。


  まだ気づかない、気づけない。気づいた時には奔流に飲み込まれた後。


  戦いは、怠惰が優勢のまま少しずつ姿形を変えていく。

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