第94話 きっと、この日常には戻れない

 

  ☆ □ ☆ □ ☆


「……何だと?」


  王城にて。国王は眼下に跪く御幸を見て、形の良い眉を顰める。


「それは確かなのか?」


  平坦な声が響き渡る。声を発したのは、訝しむような目で御幸を見るハガレだった。


「信頼できる筋からの情報です」


  御幸に頼まれたこと。それは、騎士団を動かすこと。そして、住民を避難させることだった。


「およそ一週間後、王都に魔王軍が攻めてきます」

 

  はっきりとそう断言する御幸の様子に、国王は目を細め、ハガレは瞑目をする。その反応があまりよろしくはないことを薄々察した御幸は、声に少し熱を込めて話し出す。


「民のために、どうか避難命令を出してはもらえないでしょうか?」

「む……いや、しかし……」


  困ったように王は言い淀む。王都の民全員を動かすのだ。これで、気のせいでしたでは許されない。


「貴殿が言いたいことはわかった。だが、それは――」


  ――難しい。

  そう言おうとした時だった。横から割って入るようにハガレの声が響き渡る。


「やってみたらいいんじゃないでしょうかねぇ」


  無責任であり、適当なその言葉を咎めるように、国王はハガレに目を向ける。


「民を動かすのだ。何の確証も無しに避難命令を出すのは無責任だろう」

「いいじゃないですか。無責任で」


  平坦な声音でそう言い切るハガレ。


「何も無かったら訓練でした、と言えばいい。これが本当ならば、攻めて来てから避難させてはとても間に合わない」


  パニックに繋がり、通常よりも遅れることは予想が出来る。そうなった場合、被害がどれだけになるのか想像もつかない。魔王軍が攻めてきたのなら、の話ではあるが。


「だがしかし……」

「陛下。もしこの件で、魔王軍からの侵略が起こった場合、迅速な対応をしたという実績は陛下の立場への強固な地盤となるでしょう。……民のため、どうか良き決断を」


  ハガレは頭を垂れて跪く。それを国王は苦々しい目で見ながら、考え込む。一秒、十秒、一分。長いようで短い時間が流れ、国王は深いため息を吐き出した。


「……仕方がないか。二度は出来ぬぞ」

「はいっ!」



  どう避難を促すか決まり次第報告すると言われ、御幸とハガレは退出した。


「……団長、ありがとうございました」


  廊下を歩く最中に、御幸はそう言い頭を下げる。


「気にするな」


  頭を下げる御幸を一瞥しただけのハガレは、無言で先へ先へと進んでいたがふと足を止めた。


「こっちはこっちで好きにやる。そっちも勝手に動いていいぞ。……もちろん、成果はあげるのだろうがなぁ?」


  いつもの平坦な声音に、少しだけ挑発するかのような色があった。


「……っ」


  きっと、これは捻くれた彼なりの激励なのだろう。そうなのであれば、御幸が返すべき言葉はただ一つ。


「ふっ、僕が居て成果をあげられないだなんて……そっちの方が難しいからね!」

「ハンっ」


  そう宣言する御幸をハガレは鼻で嗤うと、一歩、御幸よりも先へ進む。


「ミユキ、お前はそれでいい。そうやって戦っていけ」


  何を指してそう言っているのか、全然分からないけれど、御幸はその言葉に背中を押された気がした。


「ああ、もちろんだとも」


  ――恩師の言葉に背中を押され、御幸は一歩を踏み出した。


  ☆ □ ☆ □ ☆


「なるほどね。それで避難、と」

「まあ、そういうわけだからそっちも気をつけろよ」


  乱雑な大男の前にして、少女は優雅にお茶を飲み干す。


「あら、心配してくださるのね?」

「ここを攻める旨味はねぇから大丈夫だろうが、念の為な」


  グズヤの意外な言葉に、カトリーヌは目を丸くした。


「あんだよ?」

「まさか……素直に心配していると言ってくださるなんて……!」

「何感激してんだ、おどれは。ミルカンディの件もある、今回どこを狙われててもおかしくはねぇ」


  想起するのは、自分を瞬殺したアロガンの姿。あの男が殺られる程の実力者を魔王軍が持っているのであれば、どれだけ警戒してもし足りない。


「とりあえず、言うことは言った。ワシはもう帰るぜ」

「あら、もう少しゆっくりしていけばよろしいのに」

「ちっとばかし、仕事があるんでな」


  ひらひらと手を振りながら、立ち去っていく。

  カトリーヌはそれを見送り、空を見上げる。


「……」


  空は、あの日のように黒くはない。澄んだ青い空で、静かな空で、だからこそ嵐の前の静けさのように感じられる。


「私も、念の為に用意をしておきますか……」


  幼さを感じられない聡明な頭で、これからの算段を立て始める。あの日の悲劇を、繰り返さぬように。


  ☆ □ ☆ □ ☆


「ふっ、遂にここまで来たな! 我が軍よ!!」

「「「おぉぉぉぉ!!」」」


  八代の掛け声に呼応して、男共が一斉に雄叫びをあげる。


「すごい人数だね……」


  その熱気に圧倒されていた秀一が、そう八代に声をかけた。


「うむ。ここ一年で、色々あってな!」

「何がどうやったらここまでデカい盗賊団の頭になるんだ……」


  自信満々に言い放つ八代に、冷え切った声を浴びせるのは啓大。


「というか、すごいやる気ですね。盗賊が国のためにここまでやる気になるの、意外かも」


  アンさんはそこまで言って、しまった! と口を塞ぐ。これは一種の偏見のようなものであり、この言葉が原因で協力を得られなくなる可能性もあった。

  だが、そんなアンさんを咎めずに、八代は大きく深く頷きを返した。


「それは、今回の件で国を見返してやろうという思いもあるからな」


  普段の騒がしい態度と一変した穏やかな声音に、三人は目を丸くする。


「国への私怨、逆恨み……そんな思いのある者たちばかりだ。国から疎まれ、嫌われてきた我らが、国の危機を救ったのなら、国の連中どんな顔をするかな、なんてささやかな嫌がらせをしようという話になったのだ」


  「それに……」と八代は続ける。


「当然、家族親友の仇、過去の雪辱……それを果たすためにここにいる者たちもいる」


  にっと笑うと、八代は三人に手を伸ばす。


「汝らもそうであろう? 我々と共に、忌々しき強大な敵を倒そうではないか!」


  迂遠な言い回しで、壮大な言葉遣いで、けれども熱の籠った声。その姿は、かつての臆病な青年の姿ではなく、盗賊の頭としての、自信に溢れた顔の男の姿があった。

  きっと、こんな漢だったから、この盗賊の人たちは今回国を助けようと思えたのだろうと、秀一はつくづくそう思う。


「それもそうだね」

「……気になることもあるし」

「敵討ち……か」


  四人の男の気持ちは一つに、来たる決戦に向かって準備を進める。


「あ、も、もちろん、危なくなったらすぐ逃げるよう言っているからな! な!?」


  ☆ □ ☆ □ ☆


「どうよ、調子は」


  真緒が入ってきたのを確認すると、ナツミは体を起こした。


「最初からそこまで悪くねーよ。大袈裟にしすぎなんだよ……」


  憎まれ口を叩きつつ、自分を心配そうに見てきた連中の顔を思い浮かべ、少しだけ口元が綻ぶ。


「本格的に動き出したって感じだな」


  何を、とは言わない。


「御幸も上手いこと上に取り合ってくれたみたいだし、今のところは順調か」


  そして順調過ぎて逆に怖いぐらいだと、自虐的にそう呟く。


「順調なのはいい事じゃないか。細かく考え過ぎると、禿げるぜ?」

「まあ、それもそうか」


  禿げるに同感したわけでは決してないが、考えすぎな面があることは確かだ。


「心配するなら、兄ちゃんが無事に魔王城に到達できるかだろ」


  魔王軍が出払い魔王しか残っていない、とはいえ、あそこには防衛塔がある。下手に近づくと、周囲にいる魔物を呼び寄せるだろう。


「あー、そりゃ大丈夫だ」

「なんでそう言いきれるんだ?」

「なんか知らんが、防衛塔ちょっと前に爆爆破されたんだよ。で、今は機能していない」


  そう言われて、真緒は随分前にサトウから魔王軍に追われることとなった経緯を話していたのを思い出す。


「なら安心か」


  その呟きに、ナツミはこくりと頷きを返す。

  となると、他に問題は特には……。色々と思い起こして、ふと考えつく。


「そういえばよ、兄ちゃんが防衛塔爆破したのって、今回の事を見越しての事だったり……?」

「いや。自分が爆破したわけじゃないって言ってたぞ」

「そーいえばそうか」


  それならば、その爆破を行い、あまつさえサトウに罪を着せた人物は何を思ってこんな行動をとったのだろうか。

  そんな疑問が湧いてくるが、考えても仕方の無いことだと振り払う。


「なあ、なっちゃん……」


  その疑問をナツミに聞いてみようと口を開いたが、真緒はナツミの顔を見てそれをやめる。


「……? どうした?」

「……いや、なんでもない」


  そう言って頭を振る真緒に、ナツミは不思議そうな顔をして「そうか……」と返す。


「ま、とりあえず頑張ろうな! 全部終わったら、全員で何か食おうよ!!」


  努めて明るい声色で、真緒はそう言う。脳裏には砂糖が死んだあの日がこびりついている。それを消すように、忘れるように、気にしないように、終わった後だなんていう約束を交わす。


「……ああ、そうだな」


  澄んだ紫色の瞳には、一瞬だけ陰りをみせて。真緒の方へは視線を向けず、窓の外へと視線を動かす。

  楽しそうな喧騒と、ひんやりとした風が、窓の隙間から部屋に入ってきた。


  これが嵐の前の静けさというのであれば、この日常風景に戻ることは決してないのだろうな、と勝手に思った。

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