第85話 過去の夢
☆ □ ☆ □ ☆
「――セシル、早く起きなさい」
心地よくって、懐かしい。そんな声がボクを呼ぶ。
「んぁ……?」
「やっと起きた」
やれやれと肩をすくめるのは、ボクがちょっぴり大人になった感じの女の人。あれ、この人って……?
「お姉ちゃん!!」
ボクは反射的にギューって抱きついてしまった。お姉ちゃんはおろおろしてて、それから少ししてボクの頭を優しく撫でてくれる。
「どうしたの? 怖い夢でも見たの」
怖い夢……なのかな。悲しくて、辛くて……でも、楽しかったような気がしないでもない。なんでこんなことを思ってるのか、ボク自身わかんない。でも、お姉ちゃんを大切にしなきゃってそう思う。
「それじゃ、そろそろご飯食べましょうか」
「うん」
こくりと頷いて、ベットから降りる。なんだかいつもより手足が短いような感じがして、バランスを崩して転けてしまう。……うぅ、痛い。
赤くなった額を擦りながら、お姉ちゃんの後に続いていく。
「さっさと食べちゃいなさい」
「はーい」
子供っぽくそう答えて、用意されたパンを人齧り。固いし味は薄いが朝はこんなものだからしょうがない、うん。
「食べたらちゃんと食器、運んできてよー」
「分かってるって、もー」
子供扱いしないでよと、ちらっと睨んでみたけれど姉は澄まし顔で受け流すだけだ。威圧感が……威圧感が足りない……!
「ぐぬぬぅ……」
唸りながらも口にパンを詰め込んで、冷たい水で押し流す。固い……もっと柔らかいやつが食べたい……。
食べ終わったら、言われた通りに食器を運んであげる。ボク、偉いから。一回で行動に移せる。偉いから。
「じゃ、外行ってくるねー!」
「はいはい。気をつけなさいよ」
適当にあしらわれた感はあるけれど、大人なボクは寛容にもこれについてとやかく言わない。
靴を履いて外へ出る。眩しい光が差し込んで、新しい朝が来たのを実感す――
――――――。
「あれ?」
村が真っ赤に染まっていた。あ、違う。赤い光に照らされてるだけだ。
そこまで思い至ると、ボクは空を仰ぎみた。いつもの青空とは違う、黒い夜空とも違う、赤い空。太陽でも、いつもの月とは違う、赤い月。
「……こんなことあるんだ」
まだまだ短い部類だけども、ボクの人生で一度も起こったことがない状況だ。何十年かに一回だとか、そんなものなのかな。
そう考えていると、ふと違和感に気づく。
「あれ? 誰もいない……」
早朝とは言えないこの時間。さすがに、まだ誰も起きてないなんてことは無いはず。それなのに、誰も外に居ない。
「ミューズさーん、アスメルさーん!!」
たたたーっと走って知り合いの家へ向かっていく。その途中で誰かに会うことは当然なかった。
見慣れた家屋に近づいて、カーテンが開いていたのでひょっこり窓から覗き込む。
「え……!?」
ピタリと固まる。目が限界まで見開いて、パクパクと口を開閉させる。
見えたのは床へ倒れ込んでいるミューズさんとアスメルさん。その二人からだらりと血が流れ出ていた。
「おじゃ、しますっ!!」
慌てて家の中に上がり込み、二人へと駆け寄ってみるもピクリとも動かない。
「だ、大丈夫!?」
ミューズさんは全身に血が付いていて、首を切られて絶命している。対してアスメルさんは、腹部に包丁が突き刺さっていた。
ミューズさんの手をとると、血の生温さと共に冷たさが感じられる。今度はアスメルさんの手をとった。さっきので付着した血がアスメルさんの手についてしまう。もしも、起き上がったら「汚れたじゃないか!」と怒ったはず。けれど、そんな事はもう起きない。
――二人とも、絶命していた。
――――――――。
家の前までいつの間にか戻っていた。
どうやって戻ってきたか、それは思い出せなくて。ただ、ふらりと力の入らない手で家の扉を開けて入る。
「……あ、あ……!」
「お……ねえ……ちゃ……!?」
首からおびただしい量の血を吹き出しながら、膝をついてこっちを見てくるお姉ちゃん。そのお姉ちゃんの前に立つ男。
「……」
生気のない瞳でこちらを見てくる。けど、こっちは思考が纏まらず睨み返すことすら出来ない。
「に、げ……て……!」
お姉ちゃんの声が、耳に届いた。
――逃げないと。
お姉ちゃんの言葉に突き動かされる。本当はお姉ちゃんの下へ駆け寄りたい。でも、お姉ちゃんの言葉が反芻して逃げなきゃいけないとボクを駆り立ててくる。
しかし、ボクがこの場から立ち去ることは出来なかった。
「ぅぐっ……!」
ただでさえ早くなっていた動悸が、さらに早くなる。呼吸が上手く出来ない、なんで、視界が霞む、逃げないと、体から力が抜ける、お姉ちゃんが、自分の体が自分のモノじゃないみたいに、動かない。
「……」
男は、倒れるボクを無言でじっと見つめるだけ。
突然倒れたことへの驚きも動揺もない。きっと、これはこの男が仕組んだことなのだ。
憎い、何も出来ない自分が。
殺したい、目の前の男を。
世界から光が失われ音が消え入るその瞬間。
「わた、しの、分まで……」
消え入りそうな姉の声が耳に残った。
――――――――――。
意識が少しだけ回復して、薄ら目を開ける。
ガタンゴトンと揺れる度に、体がはねる。
「……」
ボケーッと思考に靄がかかり、頭が回らない。けれど時間が経つに連れて靄は晴れる。
「……っ」
辺りを見回すと、見覚えのない荷台の中。ボクは殺されず、誘拐されているのだろうか。そんな冷静に状況を分析しようとする思考は、次の瞬間吹き飛んだ。
「ぁ……!」
無防備にも眠りこけている男の姿。
姉の最期がフラッシュバックして、怒りや殺意が頭の中を満たす。
ゆっくり近づいて男の首に手をかける。そして一気に力を込めた。
「殺してやる……! 殺してやる……! 絶対に、許さない……!!」
「ぐぅ……っ!」
絶命する前に、男は起きてしまった。
体格差では負けていて、勝てる気が一切しない。だからこそ、次の瞬間には死んでいるか、突き飛ばされるだろうと思ってぎゅーっと目を瞑った。けれど、いつまで経っても衝撃はこない。
「……」
男はただ、じっとこちらを見るだけで何もしてこようとしなかった。
「な、なんだよぅ……い、言いたい事があるなら言えや!!」
いつの間にか涙が溢れていて、声が震えていた。
「……殺すのなら早くしてくれ。抵抗する気は毛頭ない」
そんなボクを見て、どう思ったのか知らないけどそんな事を言ってきた。
「なんで、……なんで殺した! お姉ちゃんを、ミューズさんを、アスメルさんを!! まさか……他の、他の村の人たちも殺したのか!!」
ボクの問いかけにしては乱暴すぎる言葉に、彼は否定も肯定もしなかった。
「なんで……なんでなんだよ……ボクらが、ボクらが何したって……っ!!」
「殺すつもりなら力を抜くな。この状況、相手によってはお前が殺されてるぞ」
感情を昂らせてそう喚き散らすボクを窘めるように、諭すように冷ややかな声が飛んでくる。ボクはそれを返す余裕もなくて、村のみんなが死んだということが信じられなくて、いつの間にか荷台の床へと寝そべっていた。
「殺せばいいじゃん……殺せばいいじゃんっ!!」
天井を仰ぎみて、そう叫ぶ。もういい、どうでもいい。この男は憎い。でも、復讐をしたところで姉が、村のみんなが返ってくるわけでもない。
それなら、もうどうだっていい。
「俺はお前を殺すつもりはない。だから、そうやって寝そべっても俺が危害を加えることは無い」
その無情な言葉がボクの神経を逆撫でする。だったら、だったらなんで……!
「お姉ちゃんを殺したんだっ!!」
「聞けば答えが返ってくると思うな。答えが聞きたきゃ、毒でももって拷問にでもかけろ」
冷ややかな、どこまでも突き放す声にボクはもう何もする気も起きなかった。
怒りとか、憎しみとか、後悔とか、罪悪感とか。それら全部が一周回って、虚無に帰ってしまった。
「サトウという者いわく、『復讐心だろうがなんだろうが、何かを達成しようとすることは明日を生きる活力となる』だそうだ。俺を憎み、自分を憎むのなら俺を殺すのを目標にしたらどうだ」
どこまでも上から目線の言葉に、虚無へと帰った怒りがまたしても湧き上がってくる。
「せめてもの情けだ。覚えなくてもいいがまあ聞け」
男の声が、闇夜に溶けて消えていく。
「忘却でも復讐でも禊でも償いでもなんでもいい。自分がこれからどうするか、決めておけ。ただし、死ぬんじゃないぞ。それだけは、お前の亡き姉の意志を踏み躙る行為だからな」
『わた、しの、分まで……』
姉の最期がフラッシュバックする。この男から言われるのは癪だが、ボクは姉の分まで生きなくてはいけないのだ。
「そういえば、お姉ちゃん最期に何言ってたか覚えてる?」
「聞きたかったら力ずくで聞け」
どこまでも上から目線な言葉に苦々しくも口が綻ぶ。
今殺そうとすれば、殺されてくれるのだろう。でも、相手の情けで達成する復讐なんて興味はない。
――自分の力で復讐を達成しなくてはいけない。
だから、今だけは見逃そう。今だけは、殺さない。
憎しみと殺意と怒りとが混ざりに混ざり合う。
「……そうだね。そうさせてもらおうかな」
驚く程冷たい、冷静な声が自分の喉から発せられた。
☆ □ ☆ □ ☆
セシルという少女の人生は、大きな幸運が舞い込んで大きな不運がやってくるといった人生で、今しがた覗き込み読み込んだこの記憶も大きな不運の一つでしかない。
けれど、彼女の人格の根底は幼少期の記憶だろうが、人生の指針はここで大雑把にだが決まったのだ。
つまるところ、彼女のこれまでの人生の根底部分の解析は終わった。
「どうでございやがりますか? 調子は」
「ああ、順調そのものだよ。解析に一ヶ月かかるのは難点だが、メリットを考えればこのぐらいは許容範囲さ」
入ってきた色欲に、笑顔で対応する魔王。
「それで? 君はどうしたの?」
「怠惰を探しに来たんですよ」
「おや。そんなに仲良かったかな、君たちは」
「仲良いとか悪いとかじゃねーんですよ。情だって、恩義だってある」
そう言いつつ、カツカツと音を鳴らして魔王へ近づく。
「それに、憤怒はどうしやがるんですか」
「ああ、大丈夫だよ。怒りを植え付けたから、昔より視野が狭い。一、二ヶ月ぐらいなら誤魔化せるだろうから」
「クソ野郎が……!」
ぺっと唾を吐き捨てて、ギロッと睨みつけるだけで押し留まる。いや、それぐらいしか出来ないという方が正しいか。
「ああそうそう。怠惰は魔王城にいませんよ」
「は?」
「別のところで実験してますから」
「あっそ。情報提供ありがとよ」
中指を立てながら、さっさと立ち去る色欲を見ながらにぃっと魔王は笑みを浮かべる。
「色に溺れながらも、沈まず浮かび続ける。傲慢は自分で断ち切ってたけど、君もなかなか粘るよね」
「……何が言いたい」
「君が、そうやって自我を保てるのは何かを切り捨ててるからじゃないかな。でもね、そうやって保った自我は、本当に君が守りたかったものなのかな?」
挑発するようなそんな声音の質問に、色欲は答えず部屋から出ていく。それを、怪しげな笑みを浮かべ続ける魔王は無言で見送るのだった。
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