第68話 日が昇って朝が来る
☆ □ ☆ □ ☆
外が明るくなっていく様を眺めながら、男はグラスに入った酒を一気に呷る。外の冷気が窓の隙間から入ってきて、火照った皮膚を軽く撫でつけた。
「朝か……」
酒気の帯びた息を吐き出しながら、アロガンは低い声でそう唸る。今日は準決勝、そして決勝の当日。けれど、彼の心中は冷たいもので満たされていた。
「勝ってもなぁ」
そうボヤく。最強だのなんだのもてはやされても、畏怖されても、怖がられても、彼の中にぽっかりと空いた穴が満たされることは無かった。
「――おい」
唐突にグラスを荒々しく叩きつけ、ギロリと部屋の隅を睨みつける。
「何勝手に入ってんだ」
そうアロガンが言葉を投げつけると、ぐにゃりと壁や床が歪んで人影が現れた。
「そんな睨みやがらないでくださいよ」
少女は、フードの隙間から翠色の瞳を覗かせて不満げに細められる。
「不審者は騎士団に突き出せばいいのか?」
「不審者じゃねーですから、少し待ちやがってください」
そう言って彼女はいそいそと壁に立てかけられた椅子を取り出して、それに勢いよく座った。
「さて、それじゃあ話でもしやがりましょうか」
「……話すことなんてねえだろ」
「アタシはあるんですよ。じゃなきゃ、わざわざこっちから足運ばねえです」
そこで不意に沈黙が訪れた。唐突の沈黙に、どうしたのかとアロガンは眉を顰める。
「お茶ぐらい出しやがれくださいよ」
「なんでてめぇは客人気分なんだよ」
悪態をつきながらも、適当なグラスを探して茶葉を入れお湯を注ぐ。
「……ほれ」
「すごい適当でございますね」
「一応高い茶っぱなんだから味わって飲めよ」
「葉っぱの味がしやがりますが……まあいいです」
一口口に含むと、彼女は顔を顰める。覚悟を決めたように目をぎゅっと瞑ると、ぐいっと一気に飲み干した。
「まっず……。それでは、そそろそろ本題に入りましょうか」
「……」
アロガンは冷めた目でフードの少女を眺め、彼女はそれを受け流しながら口を開く。
「魔王軍に戻るつもりはありやがりませんか?」
空気が張りつめた。
アロガンはさっきと変わらぬ姿勢のままで、しかし溢れ出るオーラが先程までとは別格の威圧を放っていた。
下手な発言をしたら殺すとも言われてるかのような、鋭い視線、微かな物音でさえ部屋に響くこの状況。けれど、彼女はそれをも涼しい顔で受け流す。
一秒、十秒と静かな時間が過ぎ去って、ようやくアロガンは重々しく口を開いた。
「……なんの冗談だ」
「はっはっは、……冗談なわけないでございましょう?」
アロガンの怒りが混じったその言葉を、彼女は笑って冗談ではないと否定する。
「まあ、アタシも本意ではないでございますがね。上のクソ野郎が交渉しに行けと、せっついてきやがるんですよ」
侮蔑の混じったその言葉を聞いて、部屋に張りつめていた空気は少しだけ弛緩する。
「そうか」
「……その目、やめやがってください」
フードに隠れた顔が、少しだけ嫌悪に歪む。
「あんたに同情はされたくねえです」
「……そんなつもりはねぇよ」
拒絶するような言葉に、アロガンは吐き捨てるようにそう答えた。
差し込み出した太陽の光と、フードのせいで彼女の表情は伺いしれない。けれど、またいつもの表情に戻っているだろうという確信はあった。
「てめぇが、あんたらがそこから逃げ出したいと言うんなら、儂は、俺は――!」
「酷なこと言うんだね」
「――っ」
アロガンの言葉は最後まで続かない。翠色の瞳に映し出されているアロガンの姿は、普段の傲慢な態度からは考えられないほど小さかった。そっと一度瞑目して、少女はフードの裾を掴むと目深く被り直す。
「アタシの仕事はさっきの質問の答えを聞くことなんで、さっさと答えやがれください」
さっきと変わらぬ質問に、今度は数秒も待たず口を開いた。いつもと変わらぬ、傲慢なまでに意思の強い目をして。
「断る。あそこに戻るつもりも、奴に従う気もない」
それを聞いて少女はふっと、呆れとも安堵ともとれる吐息を漏らした。
「そうでございますか」
そう言い終わると、椅子から飛び降り壁へと近づく。
「……もう行くのか」
「寂しいのでございやがりますか?」
「なわけ」
吐き捨てるようにそう返すと、少女は少しだけ口角を上げて壁に触れる。触れた場所から波紋が広がり、液体にでもなったかのように少女の腕を飲み込んでいく。
「無茶だけはすんなよ」
ぶっきらぼうな言葉が少女の耳に届き、彼女は動きを止めて振り返る。しかし彼は既にこちらを見ておらず、明るくなり始めた街並みを眺めながら空になったグラスに口を付ける。
「それはこっちのセリフでございますよ」
アロガンの姿を振り払うように視界から外して、さっきよりも少し早めに壁の中に飲まれていく。それから数秒後、アロガンが振り返った時にはそこには誰もいなかった。
「……っち、てめぇが飲んだ分ぐらい洗ってけよなぁ」
誰に聞かせるでもなくそう一人愚痴ると、グラスを二つ持って流し場へと向かう。
流し場からは見えないが、窓から差し込む光を見る限り一日が始まり出したのだろうと、アロガンは他人事のように考えるのだった。
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