第30話 変な気分になりそう

「ねー、マシロ。ちょっと付き合ってよ」


 弧を描く口元。何かを企んでいるような目。私の目を奪っていくその顔に、思わず頷いていた。


「ふっ、そんなに身構えないでもいいよ、ちょっとね」

「な、なに?」

「これ、塗ってほしいなーって」


 そう言った彼女が差し出して見せてくれたのは、サンオイル。確かに彼女はゲーム内でもギャル要素のあるキャラクターだから理解はできる。


 だが、オイルを塗るということはすなわち直接体に触れるということだ。私が、星羅ちゃんに。しかも乙女の生肌を触れということらしい。


 ……まて、理解が追いつかない。


 確かに私達は徐々に親しくなっていったのは間違えようのない事実であるし、それは勿論優依ちゃんも同様だ。けれど、ゲーム内での星羅ちゃんはこんなに接触を許してくれるタイプだっただろうか。


 転生によって記憶が曖昧にでもなっているのかとも思ったが、これまでのゲーム内の記憶はなんら問題なく思い出せていたはずだ。


 若干引っかかる部分はあれど、彼女が私に気を許してくれた事実は素直に嬉しい。快諾すると、顔を綻ばせた星羅ちゃんが手を引いて、敷物の端に誘導してくれた。


「それじゃお願い」


 そう言って丸投げの彼女。こちとら二十年オタクを謳歌してきた人間なのだからあんまりだ。そう思いながらも、ラノベやらギャルゲやらの知識をフル活用して、見様見真似でオイルを手に落としていく。


 さらっとはしているものの、トロリとした感触が残るオイル。太陽を照り返して黄金色に光るそれは、ほんのりココナッツの柔らかい甘さを纏っていた。


「触るよ?」

「……ん」


 人に触られる感覚が擽ったかったのだろうか、逃げるようにして体を少し震わせる。けれどすぐにそれも慣れたようで、私の手のひらの感覚が彼女の肌と溶け合っていくのが解った。自分で塗れるところは自分でやる、とのことなので、私は彼女の手が届きづらい背中などが中心のようだ。


「初めてやるんだけど、こんな感じで大丈夫?」

「んー、一応ムラさえなく塗ってくれたらいいからテキトーでだいじょぶだよ、ありがと」

「わ、わかった」


 しなやかな肌の感触がダイレクトに伝わってくる。余分な肉のついていない、けれど若くて柔らかな体。体の内側の骨や筋肉が少しだけ顔を出しているような、均整の取れた体は一種の芸術のようだった。


「星羅ちゃんってほんと綺麗な体してるよね」

「そんなことないと思うけど……」

「いやいや、だってここのラインとかすっごい綺麗だし、脚細いし、すごい羨ましいよ!」


 感嘆の溜息すら混ざってしまうほどの美しさなのである。腰のラインの曲線美に惹かれて、オイルを塗るがてら手で撫でる。


「っや、ぁん、ッ……ちょっとマシロ!」

「え? あ、ごめんね?」


 何故か怒られてしまった。解せない。とはいえ手を払いのけられたりはしなかったので、ゆっくりと再開した。


 最初は首元から背中にかけて。肩甲骨間のなだらかな曲面に手を滑らせて。


「あ、星羅ちゃん、水着ってどうしたらいいの?」

「脱がそうと思ってるの? ヘンタイ」

「ち、ちがうじゃんっ!」

「ふふっ、ごめん。からかっただけだよ、そのまま塗らなくて大丈夫」


 無知な私で遊ばないで頂きたい。羞恥心にかられながら、水着の部分を避けてお腹の裏側を塗る。腰回りも入念に、くびれに思わず目が行ってしまうが手は止めなかった。


 オイルを塗り拡げるために何度か肌に手を這わせると、その度、吸い付くような柔らかい肌の魅力に囚われてしまいそうだ。


「ん、ッ…背中はある程度いい感じだから、っ、つぎは、脚のほうお願い」


 …………脚。艶っぽい声に、思考が再び停止しかけて戻ってくる。


 脚というのは、足と脚と太腿などを含めてしまってよろしいのだろうか。でもよろしくなかったら頼まれないはずだ。


 葛藤のすえ、オイルをまた手に取る。軽く自身の手に塗り込めば、他の部分よりは幾分かもっちりとした太腿に自らの手を置いた。


 正当な目的があるとはいえ、なんとなく罪悪感に似た感情に駆られてしまう。それを払拭するように、ゆっくりと手を動かし始めた。


 最初は左足。肉の付きすぎていない、けれど弾力がある太腿の感触はまた格別で。くすぐったく思わせないための配慮を言い訳に、スピードを落としながらオイルを重ねていく。


 背中部分と同じくらいになった頃合いを見計らって、徐々に足先に近づけていく。脚が描く曲線の美しさに先程同様に感動を覚えつつ、同じ工程を逆の脚でも。


「ンぅ、……マシロ、上手だね」

「ぁえ、ほんと!? よかったぁ」


 褒められて悪い気はしないし寧ろ嬉しい。彼女の役に立てたようでホクホクな私は、ふくらはぎの裏からかかとまで念入りにオイルを塗り込んで。


「これで終わり、かな?」

「ん、ありがとーマシロ。……あ、そうだ。どうせだったらアンタにもやったげる!」


 良いことを思いついた、という顔でそう言った星羅ちゃん。あまりにその勢いと表情に押されて、疑問を発したり止めることができずに寝かされてしまった。数分前まで彼女がしていたようにうつ伏せで。


「あの、星羅ちゃん、私にもって、」

「決まってるでしょ? えい」

「ひゃッ! せらちゃんっ!?」


 ぺた、と手が触れる。背中にふれる手にはオイルの滑りがあって、普段の彼女とは異なった手の感触だ。ぬるぬると滑るそれは確かにさっきまで私が彼女に塗っていたものと同じものだろう。


 他の人にもやったことがあるのだろうか、背中を滑っていく感覚は手慣れていて、塗り拡げる感覚も心地よかった。少しくすぐったくてむずむずする感じはあるのだが、きっと体に触られ慣れていないからだろう。


「誰か他の人にも塗ったことあるの?」

「んや? 自分以外にはマシロが初めてだよ」


 その返答を聞いてなぜだかホッとした気がして、よくわからない感情に包まれる。安心したような、変な感じだ。それに身を任せる間もなく、背中にあった手は腰へ、脚へ、肩へ、腕へと滑っていく。


 皮膚が薄いところはこそばゆくて擽ったくて、それでいて恥ずかしい。感情も体も忙しくて、頭がぐるぐる回ってしまいそうだ。


「オイルどう?」

「ぅう、慣れなくてちょっとはずかしい」

「えー、でも、気持ちいいでしょ?」

「んんっ、それは否定できないけど……」

「ならいーじゃん」


 顔が見えないのに勝ち誇ったような表情がありありと頭に浮かんだ。ドヤ顔とはまた少し違う気もするのだが、勝ち気な星羅ちゃんは可愛らしくて好きだ。


「んっ、ぅ……、ひぁッ、ぅ、………ぁ、んッ」


 そんなことを考えながらも、彼女の手は止まらない。いや、止まってくれない、が正しいだろうか。くすぐったさがどうしても勝ってしまう。


 彼女の手が私に触れている。触れられるのが嫌なわけではない。寧ろ心地よくて気持ちいいし、気持ちよすぎるくらいで。


「ンん、っぅ、ぁッ、ふぁ、ぅ……んぁ」


 人に触られ慣れていないせいだろうか、どこもかしこも擽ったい。首の近くから肩を滑り、背骨の筋をたどり。腰を撫でられて脚に触れられ、体がぴくりと震える。


 星羅ちゃんの手のひらの温度を感じて、くすぐったさに震えながら耐えていると溜息が聞こえた。


「ねえ、変な声出すのやめてくんない?」

「あ、え、ごめんね?」

「もう、……こっちまで、変な気分になりそう」


 小さく吐かれた言葉に、首を傾げる。


「変な気分、って?」

「っ、うるさい馬鹿」

「ぴゃっ」


 頭を手の甲で叩かれた。力はほぼ加わっていなかったもののちょっぴり悲しい。私、なにか悪いことしたかな。したのかもしれないが、冷静に考えて推しに叩かれるのはご褒美かもしれない。


 ただ、それ以降は特に何も言われること無く、彼女の手はまた私の体を滑っていった。


 ちょっぴりの恥ずかしさと心地よさに甘えながら、波のざわめきと聞き心地の良い低めのソプラノに耳を傾けて。夏の日差しは少しずつ赤みを増してゆく。夕暮れが近付いていた。


「正午から二時くらいは日が高くて刺激が強すぎるから、これくらいの時間がいいんだよ」

「そうなんだ、知らなかった」


 星羅ちゃんと一緒にいると、発見が多くて楽しい。合宿を通して彼女たちの一面をまた覗けているのだと思うと、心があたたまるような気がした。


 他愛のないお喋りをしながら、今度は自分で体の前面にオイルを塗っていく。自分でやるより相手にやってもらうほうが気持ちいいのだというのも、初めての発見だった。


 恥ずかしさはあったけれど、腕と脚だけはまた星羅ちゃんに塗ってもらったり、逆に私が彼女の体にオイルを塗ったり。背中側だけの予定だったはずなのだが、気がつけば体の殆どを触り合っていた事実に驚きを隠せない。少しばかりの恥じらいと、満足感が心に満ちる。


 オイルを塗り終えた私達は、乾くまでゴロゴロしながらお喋りしてみたり、周りを散策していた優依ちゃんと一緒にしりとりをしてみたり。三人で泳ぐのを競争してみたり、のんびり浮き輪でプカプカ浮いてみたり。沖に出て綺麗な色の魚が泳いでいるのを眺めたりして、気がつけば目の前の海に日が落ちていくところだった。


「お昼前からいたはずなのに……」


 あっという間に過ぎていく時間に驚きを隠せずそう呟く。体は時間に比例して疲れを溜めているはずなのだが、感情の高ぶりのおかげなのか何なのか、全く疲れている感じがしない。しかし東側にあったはずの太陽がやがて天辺に上がってきて、そして西側に落ちてきているのは紛れもない事実である。


「時間たつの早いねぇ」

「だね〜。まあまあ泳いだし、そろそろ戻りましょっか」

「はーい!」


 海水を滴らせながら、持ってきた荷物をみんなで分けて持つ。濡れたままの足でビーチサンダルを履いて、坂道をだらだらと歩いた。


 後ろから差す赤い光を軽く振り返ると、空も海も橙に染まっていた。日が沈む。手を伸ばせば届くのではないかと錯覚してしまうほど近く感じられるお日さまは、今日もその勤めを終えるようだ。

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